愛は、すべてを完成させるきずな
アルトマン・ユキコ
(PCUSAからHELPへの派遣宣教師)
女性の家HELPは、さまざまな人権侵害や暴力に直面している女性たちに、援助の手を差し伸べようと、日本キリスト教婦人矯風会によって、創立百周年記念プロジェクトとして、一九八六年四月に設立されました。以来、HELPは、電話相談による援助と、国籍、在留資格の有無を問わず、女性、母子に、緊急一時避難の家(シェルター)として、単身者用、家族用の部屋をそれぞれ用意して、安全な宿泊の場を提供してきました。
HELPは多くの方々の支えにより、今年二〇周年を迎えることができました。設立当初は、人身売買に巻き込まれたアジア圏からの女性が圧倒的な数を占めていました。しかし、その国籍も徐々に南米、欧州など多様化していきました。私がここでお手伝いを始めた二〇〇一年頃には、日本人夫の暴力から逃げてくるアジア圏の女性とその子ども(たち)が、多く滞在していました。また、日本人女性の大半も夫の暴力から逃れてきた人たちでした。当時はまだ、家庭内での夫による妻への暴力に対する社会の理解は殆どと言ってよい程ありませんでした。二〇〇一年の一〇月にDV防止法が施行されて初めて、夫の暴力は犯罪行為とされ、DVサバイバーは法的に保護されるようになりました。また、去年八月の刑法改正により、ようやく人身売買に関わった人々の罪が問われ、人身売買サバイバーたちは「犯罪者」として日本から強制送還されることなく、法的に日本を出国できる権利を得ました。
三月下旬現在、HELPの利用状況は、日本人母子二組(DV)、日本人単身女性五人(居所なし)、外国籍二人(DVと人身売買)で、計十二人です。日本人女性の入所が最近増加の一途を辿っていています。現在の利用者五人は五〇代から八〇代までで、それぞれ、様々な理由で安心して戻れる所を持たない方々です。入院の必要はないが、社会生活になじめないといった心の病を抱え、安住の場所を見つけられないでいる女性たちも少なくありません。役所の婦人相談員などに付き添われ、HELPに辿りついたばかりの人たちは硬い表情で不安で一杯な様子です。でも、暖かい食事と暖かい寝床で心身を休ませ、安らげる環境を創ろうと努力しているスタッフの存在に気付いてくれる女性たちは、二、三日程で顔つきや話し方が柔らかくなっていきます。子どもたちも、最初、攻撃的だったり、寡黙だったり、おどおどしたりと様々です。でも、穏やかな周りの様子に素直に応じてくれて、可愛く元気に走り回るようになります。
スタッフはこんな利用者たちの変化を待ち、それぞれに本来備わっている力が少しずつ戻ってきていることを確認し、その都度感激し、安堵します。それから、利用者とスタッフの関係ができていきます。母国に戻りたい女性たちには煩雑な法的手続きの手伝い等のサポートを、アパートを見つけて自立していきたい女性たちには、公的資源の活用の手伝い等を、私たちスタッフは始めるのです。
HELPを必要とせざるを得ない女性たちの多くは、本来備わっているはずの力を過酷な環境の中で失いかけています。その力が少しずつでも戻り始め、それを再び活用できて、自立し、旅立っていくプロセスの手伝いができる場所がHELPであり、そこで奉仕の機会を与えられていることに感謝しています。毎日、「愛は、すべてを完成させるきずなです」の証人となれることも。
生原 優氏(隠退教師)
三月一三日、逝去。八一歳。神奈川県に生まれる。一九五五年日本基督教神学専門学校卒業後、神戸丸山教会に赴任。その後銀座教会、日下部教会を経て、七三年から九七年まで本郷中央教会を牧会し、隠退した。遺族は妻の道子さん。
残り続ける陰
邑原宗男
この国は自然災害のため、毎年のように大きな被災地がでる。奥羽教区も何回となく被災地となり、教団社会委員会と共に救援を繰り返した。中には救援要請を断念した時もある(阪神大震災の半月前に起こった三陸はるか沖地震、最も大きく被災した教会は八戸柏崎教会、後日建て替えとなった)。
二〇〇三年五月二六日、岩手県内陸地域が大きく被災した。教区常置委員会は「三陸南地震被災教会復興委員会」を設置し、教団社会委員会と相談し協力して救援活動を被害の大きい八教会へ行うこととした。目標総額は、四五〇〇万円。中でも土沢教会は全壊に等しく、新築せざるを得なかった。多くの祈りに支えられて、地震から一年後感謝のうちに献堂した。しかし相次ぐ自然災害のため、募金目標には程遠く、土沢教会のために割り当てた当初予定額も下方修正して二九〇〇万円としたが、一四六〇口、二四四七万円となった。結果として土沢教会の少数の会員は多くの献げものをしても、なお借入金五〇〇万円を背負うことになった。教区全体として支えようと集会毎のバザーなどに協力している。他の七つの教会は支援を期待したであろう。でも土沢教会に集中せざるを得ないことを理解している。借入金残高を少しでも減らそうと祈っている。常議員会の論議にもならないが、今なお、はっきりと陰が残っている。教会の規模が小さければ小さいほど陰は大きく残っている。奥羽教区の呻きとなって響く陰が。
(奥羽教区総会議長)
三月十五日に岡田直丈宣教師派遣式が、また、三月十八日に大野高志宣教師派遣式がそれぞれ執り行なわれた。
岡田氏のブリュッセル日本語プロテスタント教会への派遣式は、木下宣世世界宣教協力委員会書記の司式、大宮溥同委員長の説教で早稲田奉仕園を会場として行われた。
岡田氏は十貫坂教会での伝道牧会の後、ドイツ・トリアー大学に留学した。留学中にベルギー・ブリュッセルを訪問した折、ブリュッセル日本語プロテスタント集会に出席したのをきっかけに集会を手伝うこととなった。集会を担当していた牧師が昨年逝去し、集会を教会として発展させて引き継ぐことを神の御旨と信じて決意した。
その後ベルギー福音宣教会(BEM)から日本人伝道のために招きを受け、教団とBEMの協議により、岡田氏は宣教師として派遣されることとなった。教団がベルギーに宣教師を派遣するのは初めてのことであり、BEMとは新しく協力関係を構築することとなった。
BEMは負担金を課さないが、各個教会での独立した財政責任を原則としており、ブリュッセル日本語プロテスタント教会もその責任を負うこととなった。岡田氏はすでに日本での支援会を立ち上げ準備している。
派遣式の後にもたれた茶話会で、岡田氏は「この召しは大変困難であるが、ベルギーばかりではなく、ルクセンブルグをも含めた地域を射程にして宣教に専念したい」と決意と抱負を熱く述べた。
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大野氏のケルン・ボン日本語キリスト教会への派遣式は天満教会(大阪)で村山盛芳世界宣教協力委員の司式、深田未来生同志社大学名誉教授の説教で行われた。大野氏は天満教会での四年間の伝道牧会を経て宣教師公募に応募し、小栗献宣教師の後任として派遣の運びとなった。
従来から、ケルン・ボン日本語キリスト教会への派遣要請をしてきたEKU(合同福音主義教会)が改組され、数年後にはEKD(ドイツ福音主義教会)と合流することになった。大野氏は、EKUの主要メンバーであるラインラント州教会からの派遣要請による派遣となる。
この変化に伴い、日本側の財政負担率が増加した。これまで、ドイツ側の全面的な支援により、ケルン・ボン日本語キリスト教会は支えられてきた。しかし、今後は財政をも含めた責任を負うことが求められているため、支援会の働きはさらに重要となる。
大野氏は茶話会で「まったく新しい出発に不安はある。しかし道を備えてくださるのは主ご自身であると信じている」と決意をさわやかに語った。
ヨーロッパへの宣教師派遣は、新しいパートナー教会、そしてパートナー教会との新しい関係の構築が必要である。両者とも教団には重責である。派遣宣教師を覚えて、ひとりでも多くの方、一つでも多くの教会が支援会のメンバーとなって世界宣教の業の一端を担うことが期待されている。
三月二〇日教団会議室において第八回「新潟県中越地震」被災教会会堂等再建支援委員会が開かれた。
(1)事務局報告
◎クリスマス募金はほぼ終了したと思われる。
◎第34総会期第四回常議員会での決定を受け、「阪神大震災救援募金」を繰り入れた。第一次募金より四、三三一、〇一二円、第三次募金より三、七二九、九八一円。
◎十日町教会牧師館解体、撤去費用一、四二〇、六五〇円を送金した。
◎献金累計額(三月一七日現在)八六、七四五、九一五円。
(2)関東教区報告
◎降雪時期が例年になく早く且つ豪雪となった。新潟地区・群馬地区から雪掘りボランティアを派遣したが、雪捨て場への搬送費用等も相当嵩んでいる。
◎十日町教会牧師館建設は四月二三日教会総会後、着工、夏頃には完成の予定である。教会内献金一、〇〇〇万円を目標にしている。
◎見附教会は新たな土地を取得し、会堂・牧師館を建設するが、八月までに着工できなければ雪のこともあり、来年にずれこむことになる。
◎小出教会は会堂・牧師館の取り壊しを決めた。保育園隣接地を購入できれば建築を始めたい。
◎関東教区扱いの募金について、会計監査を教団監査に依頼することを第五回常議員会(七月)に提案する。
(3)支援計画
「支援ニュース№5」を教区総会に向けて発行する。全教会と各教区総会議員に配布したい。
内容は十日町教会、見附教会の具体的計画(資金計画も含め)を1〜3面に載せる。また、差し込みで個別献金報告を入れることとする。
(4)その他
阪神大震災救援募金が繰り入れられ、目標額の57%が達成された。しかし、当委員会設置期間内で目標に満たない場合のことについて意見を交わした。
◎当委員会より、次期総会期再設置の要望を最終常議員会に示す。
◎二〇〇六年のクリスマス募金依頼は、現委員会が担う。(次期常議員会で再設置が決定されても間に合わないであろうから)
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*東京教区では「中越地震被災教会支援世話人会」を発足させ、再建支援募金への協力を打ち出した。五支区、各支区の二〜三名からなる組織で、夫々の支区での取り組みについて意見を交換しあっている。教会数からいえば一つの教区に相当するような支区もある。その一つ一つの教会に被災教会の実状が理解され、支援の輪が広がるよう多いに期待するものである。
(朝岡瑞子報)
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