一つ思いにされつつ
加藤 実
(教団派遣宣教師)
「たいへんだったんだなあ、このとき、ここの人たちは!」といった感じのしみじみした思いにさせられるところから、今なすべきことへと押し出されることが、この一〇年の間に何度かありました。
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『この事実を……』-「南京大虐殺」生存者証言集を、記念館の編集した《幸存者証言集》から一年かかって訳していたときもそうでしたし、七年前に南京大学出版社からそれが出る直前に渡されたもう一冊《天理難容》-アメリカ人宣教師の目にした南京大虐殺(一九三七~一九三八)をも、「宣教師の端くれとして」翻訳しなければと即断させられたのもそうでした。
その経緯を編者の章開沅先生が知られたいへん喜ばれて、ご自分の統括される華中師範大学中国近代史研究所に来てはどうかとお誘い下さったことから、ここ武漢での歴史もの翻訳のお手伝いが四年前に始まり、初め半年《天理難容》の全訳に専念させていただけた結果、『この事実を……』②-「南京」難民に仕えた宣教師証言集が昨年七月に刊行されました。
最初に三つ大きな課題として与えられた二と三とが、日本語から中国語へこちらの方が試訳されたもののいわば校閲でしたが、そのボリュームの膨大なのと内容の複雑なのとに辟易しながら、百年ほど前に日本の領事たちが中国各地から外務大臣に送っていた情報活動の実態を知らされ、辛亥革命前のテロや白色テロの続発する背景や必然性の類が察せられもしました。
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来年の九月に、中国の基督教(プロテスタント)宣教二〇〇周年となります。モリソンが最初の宣教師として広州にきたのが一八〇七年で、それから一四四年+アルファー=二〇〇年となるのです(一三〇年後にまことにたいへんな南京大虐殺が起き、宣教師たちの尊くも「たいへんな」献身的働きがされて、来年十二月で七〇年になります)。
この一四四年の間にあの時この事と「たいへんな」ことがひしめきあい、アルファーの内容を正確につかむのは難しいとしても、その内一九六六~一九七六年のそれこそ「たいへんな」文革の時期にまったく影を潜めていた教会が、八〇年代の初めからまさに「復活」した後、非常な勢いで伸びているのは確かです。
この二〇数年来の動きの一つが、教会の礼拝には出ないでも聖書や基督教に興味を持つ人が多く、神やキリストへの信仰なしに基督教を様々な角度から研究する人が、大学の先生や院生など知識層に拡がっているという現象です。
その大立者が章開沅先生で、五年前にお会いしていただいた名刺の肩書き二行目に、この研究所の「中国教会大学史研究中心主任」とあったことから、ここで学ばせていただくことに決めたのでした。
その教会大学史研究センターはすでに「東西方文化交流史研究中心」と発展改称し、その文献センターに中国基督教史の学びに役立つ資料がたくさん並んでいて、自由に利用することができます。
あと二ヶ月でここともお別れして帰国することになっていて、これまでのまとめにと一四四年の年表をわたしなりに試作しています。
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多くの方に『この事実を……』-生存者証言集と『この事実を……』②-宣教師証言集とを読んでいただけるよう、最寄の書店で書名と共に「発売/星雲社、発行/ストーク」と指定注文すれば取り寄せられる手はずになっています。
また、(株)ストークへの電話注文(047-384-7671)の場合、送料が加算されます。定価/2100円と2310円。
池田なおみ氏(志木教会担任教師) 三月七日、逝去。五〇歳。福岡県に生まれる。一九八二年東京キリスト教短大神学部卒業後、八九年、津山城西教会に赴任。その後宇都宮上町教会を経て二〇〇四年から志木教会担任教師を務めた。遺族は夫の玲二さん。
宮地正彦氏(茨木春日丘教会担任教師) 四月八日、逝去。七八歳。大阪府に生まれる。一九五〇年同志社大学卒業。九五年から茨木春日丘教会担任教師を務めた。遺族は妻の和子さん。
松井宮男氏(隠退教師)
四月一〇日、逝去。九四歳。静岡県に生まれる。一九三七年青山学院大学卒業後、日本メソヂスト教会新出来町教会に赴任。四〇年から八七年まで田名部教会を牧会し、隠退した。遺族は息子の惠さん。
教区総会が終わった
宇野 稔
毎年課題が積み上げられているのが実感である。信徒数の減少、受洗者の伸び悩み、財政の縮小、さらに、CSの休校、信徒の高齢化、礼拝者の減少が上げられるが、この状況を放っておくわけにはいかないことを、この総会においても確認したところである。そこで教区が志しているひとつのことは全教会の課題と共通するところであり、個々には多少の受けとめ方の違いがあるにしても、その課題を共有することは可能である。
そこで具体的には「交換講壇」を考えている。教職だけではなく、信徒と複数での実施である。このことは教会の日常性の関わりで、各々が出会い、知り合い、理解することこそが大事だと思う。すなわち「顔の見える関係」なのである。礼拝という教会の日常性の中での交流は具体的な相互の交わりを深め、主にある連帯性を覚え、強められていく。
もうひとつは「教区の集い」。一泊二日で行い、今年度四回目を迎える。参加者も毎回増加し、今では一五〇名にものぼり、大変意義深い大事な会合であると認識している。内容は、こどもからお年寄りまで楽しく喜ぶものを志向している。中でも「バザー」は各教会の出店として行い、それによってそれぞれの教会のテーマが見え、理解される楽しい時である。
教区総会では、これらの理解と認識を踏まえて、福音宣教の課題を推進し、深め、広げていくことを再確認したのである。
(東中国教区総会議長)
藤浪敦子宣教師派遣式が五月九日村山盛芳世界宣教協力委員会委員の司式、佐藤博京都丸太町教会牧師の説教で京都丸太町教会を会場に執り行なわれた。藤浪氏は同志社大学神学部を卒業後、二〇〇三年から現在まで同教会担任教師として仕え、パイン合同メソジスト教会(アメリカ)に西村篤宣教師の後任で同教会の五一人目の牧師として派遣されることとなった。
派遣式で佐藤牧師は、ヨハネによる福音書16章33節をテキストに「イエスの道」と題し、塚本虎二訳を引用して説教した。十字架に自身を遣わした主イエスのような命がけの勇気は必要ないかもしれないが、イエス・キリストに従うという冒険に向かう勇気をもたせていただき任地に赴いてほしいと語った。
パイン合同メソジスト教会は、一八八六年にサンフランシスコで、日本人によって創設されたメソジスト教派の米国内で最初の日系教会である。
サンフランシスコの日系人コミュニティーは、現在も活発な活動を展開している。パイン合同メソジスト教会は、設立以来、日系コミュニティーの中核として今日まで歩んできた。しかし、日系一世の高齢化により大きな転換点を迎えている。日系一世の高齢化に比例して、日本語の重要性が高まり、同時に財政逼迫度も高くなる。
このような状況の中、教会は日語牧師基金を立ち上げ、日本からの宣教師のために準備をしてきた。この基金がまだ充分ではなく、日本側でも支援会がすでに組織されたのは幸いなことであった。
派遣式後もたれた茶話会で藤浪氏は、「不安や恐れでいっぱいであるが主が道を整えて下ると信じている」と抱負を述べた。藤浪氏の歩む道が祝されるよう祈りをあわせて会を閉じた。
藤浪氏の派遣により、教団派遣宣教師は二二名になり、うち八名が女性宣教師となる。尚、世界宣教協力委員会は、派遣宣教師の後任の派遣手続きは原則として公募のみとすることを確認した。
主文「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない」
これは四月二五日に黒鳥、清水両牧師裁判に下した最高裁判所の判決である。この裁判は上告人である今利理絵と今利智也が黒鳥、清水両牧師と両親及び関係者を訴えた。その中で今利夫婦は統一協会から脱会させるために暴行、拉致監禁し脱会を強要したと主張し、損害賠償を求めてきた。
二〇〇四年一月二三日に横浜地方裁判所で、同年八月三一日に東京高等裁判所で黒鳥、清水牧師と両親側が全面勝訴したが、控訴人はこの判決を不服として上告していた。
すでに、統一協会の信者らが東京地方裁判所に清水牧師と両親を訴えた裁判と浅見定雄氏が雑誌「創」に室生忠氏が掲載した記事に関し名誉毀損で訴えた裁判は、いずれも二〇〇三年に最高裁で勝訴が確定した。
今回の判決で当教団の教職をめぐる統一協会関係の裁判は三つとも全面勝訴したことになる。その点で統一協会により被害を被った人たちを救済する働きを行ってきた当教団の動きを阻止しようとする統一協会の思惑は脆くも崩された。それはまた当教団が被害者救済に熱心に関わってきた活動が裁判所においても是認されたことに他ならない。この判決の意義は大きい。
今も救済を求める相談は絶えることはない。悲鳴とも言える相談者の声に、今後とも熱心に耳を傾ける当教団であることを、この際明らかにしておきたい。
それにしても八年三ヶ月におよぶ裁判であった。黒鳥、清水牧師が訴えられたことで、教団は総会において全面的に支援していくことを決議した。この決議により当教団の諸教会は、このために祈り、支えた。三つの裁判の全面勝訴は、このような祈りと支えがあった結果である。この紙面を借りて改めて感謝したい。また、この裁判の代理人となって心血を注いで弁護してくれた山口広、渡辺博、紀藤正樹の三人の弁護士に心より感謝したい。
なお、今利理絵と今利智也から訴えられた両親と関係者に対し、最高裁判所から異例な措置として和解を勧められた。判決よりも「将来の親子関係回復こそが大事なことである」との配慮に満ちた和解勧告であった。これをもとに今年三月に親子間の和解が成立し、新たな関係を現在模索し始めている。統一協会によって引き裂かれた親子関係の回復が出来るよう期待したい。これこそわたしたちの願いであった。
(山北宣久議長談)
長く続いた横浜裁判が遂に最高裁で勝利を勝ち取ったことに、関係者の皆さまに心から敬意を表します。傷つき痛めつけられている人と共に戦い抜いたこの勝利は、多くの人々に希望と勇気を与えるでしょう。
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