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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4605号】教区総会報告③ 沖縄・西東京・関東・東北・東中国・東京

2006年6月24日

いつもあなたがたと共にいる

十七教区中、十六教区の総会が終わった。ここ数年或いはそれ以上の期間、重要課題とされて来た事柄に、少しでも解決の兆しが見えたとは言い難い。一方、多くの教区で聖餐を巡る議論が起こっている。財政問題は深刻の度合いを高めている。教団の未来は何所に向かうのか、不透明な状態が続き、迷子になりそうな不安を覚える。しかし、主はこの時も、私たちと共にいて下さる(マタイ28・20)。

2006年6月10日

「先生、私のことは週報に載せないでくださいね」と念を押しつつ帰られる女性を見送った。金曜日に面接日を設けている。相談に来られる方、最近の状況を報告される方等、この面接で多くの祈りが示される。週報は牧会上のことはできるだけ報告している。集会はもちろんであるが、教会の諸活動、そして教会員の消息である。もっとも消息については注意しつつ報告している。「私は週報で消息欄を見ること、会計報告で特別献金者のお名前を見ることを大事にしています」と高齢の教会員が言われた。特別献金者のお名前を見ることは、消息が分かるからでもある。消息欄や特別献金者の出来事を祈っておられるのである。消息欄で教会員の動向を報告することは祈りの群れであるからだ。「今日は消息欄にはどなたのことも報告されていませんでしたね」と言われると、牧会の怠慢を指摘されているようで、なんとも気が重い。転倒して骨折したとか、母上を亡くされたとか等、報告をいただくが、週報に報告することはきつく止められるのである。週報に報告されると困るので、何も報告されない教会員もいる。祈りの群れである教会は、一人一人の教会員を祈る群れである。「新報」は教団内のいろいろなことが報告され、祈題誌であると思っている。教団、教区の歩みや取り組みは、全国の皆さんの祈りの課題でもある。
ゴキブリが出て寝られなかったと面接に来られた。はて、週報に載せて報告すべきか。
(教団総会書記 鈴木 伸治)

キリストと教会に仕える

松原葉子さんはクリスチャン・ホームで育ち、幼い頃から教会に通っていた。小学校二年生の頃、体が少しずつ動かなくなった。治すためでなく、ただ原因を追究するために転々と病院をめぐる生活が続き、家族に励まされながらも、ショックと不安が葉子さんを襲った。その時から「イエス様、どうにかして」と神と格闘するような祈りの生活が始まった。その祈りを抱えつつ出席していたある主日礼拝で、葉子さんは御言が自分に迫ってくる経験をした。神の語りかけを聞き、イエス・キリストの十字架により、受容されている自分を知った。そして中学生の時、洗礼へ導かれ、「神は私に何を期待しているのか」「この先どのように生きたらよいのか」を真剣に祈るようになった。
その後不思議な導きで、奉仕への道が開かれていった。もともと幼い頃からピアノを弾いていた葉子さんは、教会の礼拝で、オルガンの奏楽奉仕をするようになった。ある時、パイプオルガンの演奏者が、彼女の讃美演奏を聞き感動して、音楽大学でパイプオルガンの講習を受けることを奨めた。葉子さんは「神様に用いられる喜びを与えられた」と言う。
音楽大学へ入学した葉子さんは、ただ主に信頼し、主に献げて生きる喜びを「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」と詩編の聖句で言い表している。現在、葉子さんは富山鹿島町教会のオルガニストとして奉仕し、車椅子生活の中、全国各地の教会にも遣わされて行く。礼拝の奉仕に向け、御言に聞きながらの奏楽準備が葉子さんの生きた聖書日課となっている。またパイプオルガン、リードオルガン演奏の傍ら、オルガン曲の創作活動も行う。このように様々な仕方で讃美の証を伝えるため遣わされつつ、葉子さんは「神様から試練が与えられたのは、このためであった」と語る。葉子さんをして語り得る証の言葉である。

二〇〇六年四月一九日(水)教団会議室において、第34総会期第二回「隠退教師を支える運動」推進委員会を開催した。
教団常議員会で推薦された委員七名(通称常任推進委員)、年金局理事長小林貞夫・同業務室長青地恵・事務局黒沢咲子が陪席して出席者は一〇名。
高橋豊の祈祷を以って開会した。
二〇〇五年度の事業報告および会計決算報告を受け承認した。
二〇〇五年度には八〇三の教会より金六九、五五四、四三五円、そして三六の個人、団体より四一六、八〇〇円、合計六九、九七一、二三五円也の献金をいただきました。その結果教団年金局に年金協力金として四、六〇〇万円、謝恩制度の原資として二〇〇万円、すべての隠退教師とご遺族九〇二名の方々に各二万円をクリスマス祝金としてお贈りし、教団退職年金制度が出来る前に隠退された教師とご遺族一二名の方々に謝恩一時金として各七万円をお贈りすることが出来た等の報告をして、感謝の内に二〇〇五年度を締めくくることが出来た。
その後この運動の目的を理解して各教会からささげて頂く二〇〇六年度の献金目標額を六、九〇〇万円と定め、各項目の計画額を原案通りに計上して決定した。
推進活動としては、来る六月二七日(火)~二八日(水)の二日間各教区から推薦された委員による全教区推進委員会(東京五支区を含む)を開催することを決め、更に各教区・支区・分区・地区などで、なお多くの教会にこの「隠退教師を支える運動・一〇〇円献金」に参加協力をお願いする推進活動を展開することにした。
この「隠退教師を支える運動」は、教団で承認され献金活動を開始してから二八年目を迎えた。私たちは隠退された先生方への感謝を土台に、教団教師退職年金制度を守り、クリスマス祝金を差し上げる事などを目的として二〇〇六年度も運動を推進することを申し合わせた。  (多田信一報)

一つ思いにされつつ
加藤 実
(教団派遣宣教師)

「たいへんだったんだなあ、このとき、ここの人たちは!」といった感じのしみじみした思いにさせられるところから、今なすべきことへと押し出されることが、この一〇年の間に何度かありました。
◇◇
『この事実を……』-「南京大虐殺」生存者証言集を、記念館の編集した《幸存者証言集》から一年かかって訳していたときもそうでしたし、七年前に南京大学出版社からそれが出る直前に渡されたもう一冊《天理難容》-アメリカ人宣教師の目にした南京大虐殺(一九三七~一九三八)をも、「宣教師の端くれとして」翻訳しなければと即断させられたのもそうでした。
その経緯を編者の章開沅先生が知られたいへん喜ばれて、ご自分の統括される華中師範大学中国近代史研究所に来てはどうかとお誘い下さったことから、ここ武漢での歴史もの翻訳のお手伝いが四年前に始まり、初め半年《天理難容》の全訳に専念させていただけた結果、『この事実を……』②-「南京」難民に仕えた宣教師証言集が昨年七月に刊行されました。
最初に三つ大きな課題として与えられた二と三とが、日本語から中国語へこちらの方が試訳されたもののいわば校閲でしたが、そのボリュームの膨大なのと内容の複雑なのとに辟易しながら、百年ほど前に日本の領事たちが中国各地から外務大臣に送っていた情報活動の実態を知らされ、辛亥革命前のテロや白色テロの続発する背景や必然性の類が察せられもしました。
◇◇
来年の九月に、中国の基督教(プロテスタント)宣教二〇〇周年となります。モリソンが最初の宣教師として広州にきたのが一八〇七年で、それから一四四年+アルファー=二〇〇年となるのです(一三〇年後にまことにたいへんな南京大虐殺が起き、宣教師たちの尊くも「たいへんな」献身的働きがされて、来年十二月で七〇年になります)。
この一四四年の間にあの時この事と「たいへんな」ことがひしめきあい、アルファーの内容を正確につかむのは難しいとしても、その内一九六六~一九七六年のそれこそ「たいへんな」文革の時期にまったく影を潜めていた教会が、八〇年代の初めからまさに「復活」した後、非常な勢いで伸びているのは確かです。
この二〇数年来の動きの一つが、教会の礼拝には出ないでも聖書や基督教に興味を持つ人が多く、神やキリストへの信仰なしに基督教を様々な角度から研究する人が、大学の先生や院生など知識層に拡がっているという現象です。
その大立者が章開沅先生で、五年前にお会いしていただいた名刺の肩書き二行目に、この研究所の「中国教会大学史研究中心主任」とあったことから、ここで学ばせていただくことに決めたのでした。
その教会大学史研究センターはすでに「東西方文化交流史研究中心」と発展改称し、その文献センターに中国基督教史の学びに役立つ資料がたくさん並んでいて、自由に利用することができます。
あと二ヶ月でここともお別れして帰国することになっていて、これまでのまとめにと一四四年の年表をわたしなりに試作しています。
◇◇
多くの方に『この事実を……』-生存者証言集と『この事実を……』②-宣教師証言集とを読んでいただけるよう、最寄の書店で書名と共に「発売/星雲社、発行/ストーク」と指定注文すれば取り寄せられる手はずになっています。
また、(株)ストークへの電話注文(047-384-7671)の場合、送料が加算されます。定価/2100円と2310円。

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