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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4606号】牧師のパートナー

2006年7月8日

50年、共に生かされて
斎藤 潤
(水元伝道所会員)

私ども夫婦は、今年、結婚五二年になる。そのうちの四〇年は東京・葛飾の堀切教会に仕え、その後の十一年は、同じ葛飾区内でも北東端の水元の地で、自宅を開放して開拓伝道に従事。昨年、近くに小さな新会堂を与えられたばかりである。
しかし、改めて「牧師のパートナー」と言われるとちょっと考え込んでしまう。そもそも私は、結婚後の六年は学校の教師として、途中の二〇数年間は教会と同じ構内にあった社会福祉法人立の保育園の事務職員として勤務していたので、週日の教会の奉仕はほとんど出来なかった。加えてオルガンは弾けず、お花は活けたことがなく、料理は苦手で、「牧師の奥さん」に必要と昔だれかから聞いた条件(?)を今に至るまで何一つ満たしていない。ただこの五二年、牧師である夫の一番身近にいて、一緒に生きてきた、いや生かされてきたというだけである。
私どもの住む葛飾区は、東京のいわゆる下町に位置し、小零細工場(メッキ、研磨、ゴム、ガラス、玩具等々)や個人商店の多い地域である(現在は工場の移転・廃業等によりマンションも増えているが)。従って教会員も保育園児の家庭も、それぞれに厳しい生活問題を抱えており、信ずるということが生きるということと深く結びついている現実と向き合うことから、私どもの歩みは始まった。
そうした中で、一九七〇年代には、教会員が勤務する、障害者を多数雇用していた会社で、障害者三〇余名が会社側の虐待に耐えかねて寮を脱出、教会に駆け込み訴えをされ、役員会で協議の上、十日余り教会堂を宿泊場所として提供したことがある。「のために」でなく、「と共に」ということがキリスト者として問われた出来事でもあった。私は日中いろいろ手伝いながら、夜間、教会堂と牧師館との間のドアの鍵を一瞬閉め、また開けた。その間のためらいが今も痛く私の心に残っている。
また一九九〇年代初め、地域に増えた外国人労働者のうち、ナイジェリアのキリスト者が主日礼拝に出席するようになり、やがて日曜日夕方に三~四〇名もが自国語での礼拝を守るようになった。私どもは急きょ日本語教室を開いたり不当解雇・給料未払い等への交渉を行ったりしたが、外国の地で、厳しい労働条件下、礼拝を大切にし、仲間を思い合う姿に深く学ばされた。
そして水元に移ってからの十二年、全く新しい出会いがあり、支えられて、今、『教会』が新しく生まれようとしている。また、時を同じくして、全国教会婦人会連合の交わりにも加えられ、私の目は、自分の教会のみへの集中から、支区・教区・全国へと広げられてきたように思う。
私どもは、性格も趣味も全く違う。ただ、たまの車での小旅行で運転席と助手席、横に並んで二人とも前を向いてというそのシチュエーションが私は結構好きだ。人に聞かれると夫は、私どもの関係を「戦友」という。確かにそれが「牧師のパートナー」ということでもあるのかもしれない。
こんな私どもを、忍耐と愛をもって支えていてくださる教会の兄弟姉妹方、そして、すべての導き手、贖い主なる主に、心から感謝したい。

小澤一雄氏(隠退教師)
五月一日、逝去。八〇歳。神奈川県に生まれる。一九五一年日本基督教神学専門学校卒業後、伊東教会に赴任。五三年から六六年まで三崎教会牧師、六九年から八六年まで米国、カナダで日系教会宣教師として務め、八七年から九二年まで旭川豊岡教会を牧会し隠退した。遺族は妻の芳子さん。

佐々木忠一氏(別帳教師)
五月五日、逝去。九〇歳。福島県に生まれる。一九四一年青山学院神学部卒業、四二年同志社大学神学科卒業後、洛西教会に赴任。その後洛陽教会を経て五一年から五七年まで石神井教会を牧会した。遺族は妻の喜代子さん。

鵜飼 勇氏(隠退教師)
五月一九日、逝去。八三歳。東京都に生まれる。一九五二年日本基督教神学専門学校卒業後、鎌倉教会に赴任。五六年から九八年まで銀座教会を牧会し、隠退した。遺族は妻の栄子さん。

第十九回神学校等人権教育懇談会が六月五日午後一時より教団会議室で行われ、土井健司(関西学院大学神学部)、黒田裕(聖公会神学院)、横山義孝(東京聖書学校)、鈴木脩平(日本聖書神学校)、孫裕久(農村伝道神学校)、柳時京(立教大学チャプレン)、竹前昇(日本基督教団総幹事)、宮田誉夫(部落解放センター運営委員)、大久保正禎(日本基督教団王子教会)、東谷誠(部落解放センター)、西村篤(同志社大学神学部)の十一名が参加した。
礼拝を大久保牧師が担当し、その後「キリスト教と人権」と題して小柳伸顕部落解放センター活動委員が発題を行った。「人権教育とは何か」ということに「歴史教育」「平和教育」「感性の教育」の三点から焦点をあて、歴史教育では田中正造をとりあげた。田中正造が日本キリスト教史の中で注目されることがなかったことを指摘しつつ、どのような信仰者であったかを説明。また平和教育では阿波根晶鴻氏、ハロルド・リカード宣教師をとりあげ、各々の平和・反戦運動が紹介され、感性の教育では自身が差別と戦う方法を理論ではなく体験的に学んだことから、フィールドワークの必要性を訴えた。最後に賀川豊彦の「貧民心理の研究」「精神運動と社会運動」を取り上げ、賀川が何を現場で見ていたのかを問いつつ、人権を無視した学術書はありえないと語った。
その後、質疑応答に移り、参加者が各々の学校の状況を分かち合いつつ、神学校においての人権教育が学生の主体的な且つ継続的な学びにならなくてはならないなど語られた。また部落解放センターからは第九回部落解放青年ゼミナール等への参加の呼びかけがなされた。
(西村篤報)

第九回「新潟県中越地震」被災教会会堂等再建支援委員会が六月六日教団会議室において開かれた。
(1)事務局報告
◎献金累計額(六月五日現在)九六、二七二、五三三円。このうち、四月一日以降の増加額は四、四三九、九四〇円。一六六件。
◎ 栃尾教会外壁工事費用一三六、五〇〇円を送金した。
◎ 「支援ニュースNo.5」を各教会、各教区総会に向けて送付した。
(2)関東教区報告
村田元中越地震被災教会・被災地支援センター統括主任から被災教会の現況について報告を受けた。
①長岡教会=会堂、牧師館、教会墓地の修繕が終わり、新しい思いで、希望に満ちて二〇〇六年度を歩みはじめた。②栃尾教会=教会の内壁、外壁、基礎部分の修復工事がおおむね終わった。③十日町教会=牧師館の取り壊しを昨年末に実施、近く建築が始まる。牧師館建築後会堂の補修、十日町幼児園、山本愛泉保育園の補修・改修工事の予定。④見附教会=地震で教会敷地の土壌が液状化し崩壊のため現在地での再建を断念。現在地から徒歩約五分の地に移転し、会堂・牧師館を建築することを昨年十二月の教会総会で決定。土地の取得契約、新会堂・牧師館建築の具体的協議が、熊江秀一牧師(代務者、新潟地区長)、約二〇名の教会員を中心に進められている。今年一年かけて計画、来春着工の予定である。⑤小出教会=被災後、会堂牧師館の建設地について協議を重ねてきた。その結果、現在地での再建をめざすこととなった。今年は現会堂等の取り壊し、来春新会堂等の建築着工の予定である。
(3)支援計画
◎五月末に開かれた関東教区総会は、教団の中越地震会堂等再建支援募金に全力を挙げて協力すること、教団の募金目標額一億五千万円の五〇%、七千五百万円を関東教区諸教会・伝道所の目標額として取り組むことを決議、被災教会の再建に熱い心意気を示した。その取り組みの分かち合いをお願いする。
(樋田利明報告)

先ずは、避難中のご支援に、お礼を申し上げます。ありがとうございました。いろんな意味でとても励まされました。
二〇〇〇年の三宅島雄山の噴火によって、三宅島伝道所集会も泥流と一緒に流されてしまったと思っていました。
とても素直でない自分がいました。避難して二ヶ月程過ぎた頃に、山田牧師が避難先まで訪ねてくださいました。とてもうれしかったはずなのに、あの時の驚きと感動はどこかへ行ってしまって、空回りし、ただ右往左往していました。昨年二月、避難解除になったときも、夫は「帰る」、私は「帰らない」と、意見の対立。帰島の手続きをしてしまった夫に従うしかなく島に戻りました。帰島しても自分の家はガス高濃度地区なので今も仮住まいです。が、帰島して一年と一ヶ月。今はその夫に感謝しています。
噴火前、避難中、そして帰島後の集会をさらに支えてくださっている先生方、教会員の皆さんのお心に触れて、主の影を感じています。
先月、鎌川姉がお宅を開放してくださって交わりの時が持たれました。その席で鎌川姉より「保坂牧師がたいへんなご苦労の中で守られた教会が昭和五八年(一九八三年)の噴火で溶岩に呑み込まれてしまった」お話を伺いました。保坂牧師の時代のご苦労に比べ、噴火の状態の違いはともかく、今の自分はなんと過ごし易い環境にいるのか。もしかしたら保坂先生は、いつも主と共にあって苦労とは思ってはいなかったかもしれない。保坂牧師が三宅島のこの地に蒔かれたからし種を、今、東支区の先生方が苗木にまで育てようとして下さっている。
帰島できない教会員の方たちもいます。が、いつでもどこでも思いは同じです。それぞれのおかれた地での癒しと守りと主の導きがありますように。主が共にいてくださる事を信じ、ヤベツの祈りを自分の祈りとして祈りきる事ができますように。ハレルヤ! 主に祈ります。
河合先生、そして東支区の牧師の皆様が育てているからし種が立派に根を張る事ができますように。
三宅島伝道所のための土地と建物が与えられますように。ハレルヤ! 祈っています。
(赤羽實江報)

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