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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4607号】人ひととき 長谷川孝子さん

2006年7月22日

三番目の子を授かったとき、長谷川さんがそれまで絶対と思ってきた価値観は全く機能しなくなってしまった。
長女、次女と授かり男の子。男の子だったらと心に決めていた聡(そう)と名付けた。名付けの後、ダウン症であると診断が下った。一生治らない。小児科医である夫の言葉は孝子さんを納得させるに十分だった。
子供によい教育の機会を与え、能力を身に付ければ万全だと思ってきた。能力主義、孝子さんは「進化主義」と言う。自分も何の疑問もなくこの価値観で育ってきたし、子供たちもそう育ててきた。しかし、この子には通用しない。教育する意味、育てる意味が分からなくなった。はじめて経験した落差、ギャップがあまりに大きかった。この子がこの家に来た訳をどうしても知りたいと思った。
そんな折、長女の同級生のお母さんから教会の家庭集会に誘われた。孝子さんには聖書への信頼があった。招きに応じた。
信者ではなかった両親が、孝子さんを遺愛学院中高に学ばせてくれた。卒業後は青山学院に進ませてくれた。信じるまでには至らなかったが聖書に触れたことは大きかった。
「ただ彼の上に神の業の顕れん為なり」(ヨハネ9・3)
集会で文語訳のこの言葉が思い出され、聡君を授かった訳がまったく了解された。振り返って聡君との日々を思うと自分の力ではないと思うことばかりだった。他のことならクリアできたかもしれないが、自分では決して解決できない問題を神は与えられた。すべては神の御計画。聡君を授かり七年後、受洗した。
先頃、新しく建てた家を家庭集会が開けるように設計した。家が建ち並ぶのを待っている新興住宅地である。聡さんも教会で家庭集会を積極的にアピールしてくれるそうだ。孝子さんが教会につながるきっかけとなった家庭集会。今度は孝子さんが家庭を開放し、伝道が進み救われる人々のために祈っている。

第3回部落解放全国活動者会議は、奈良県天理市にある天理教施設を会場として六月十九・二〇日に開催されました。全国から約一〇〇人が集まり、部落解放を願って熱く語り合いました。今回は天理教大阪教区啓発委員会の好意により、会場や宿泊など様々なお世話をしてくださいました。ご奉仕に心から感謝いたします。
また、合同メソジスト教会よりランディ・ディ世界宣教局総幹事が来日され、「差別と連帯」と題して講演をしていただきました。講演の最後に「合同メソジスト教会世界宣教局は教団部落解放センターに宣教師を送る準備ができている。一緒に連帯しながら部落解放を進めていきたい」という大変嬉しい報告がなされ、思いもしないこの知らせに会場は拍手の嵐でした。「部落差別問題は日本だけではなく、世界の問題である」という力強い言葉に希望を感じました。部落問題はまだまだ現実社会に根強く残っています。宗教を越え、国を越えてたくさんの人にこの部落問題を知ってもらい活動していくことは大切であり、これこそが部落完全解放への近道であるということを教えられました。
そのほかとしては「反差別連帯のあり方を考える」と題し、『第10回全国会議』の開催が凍結になった経緯などの報告がなされ、これからの展望について話合われました。私は全国会議の開催が凍結になったことなど知りませんでした。会議に出席していた人たちはこの件について知っていたのだろうと察しますが、全国にある教会の教職・信徒がこの件についてどれだけ知っているでしょうか。少なくとも私の周りにいる人達(教職・信徒)は知りませんでした。問題意識が低いのも原因ですが、誰にでも分かるように説明をし、理解を深め、問題を共有していくのが大切です。理由はどうであれ部落解放への架け橋である全国会議の開催が実現しなかったことはとても悲しいことであったと感じています。これからの会議のあり方を心から期待しています。
(平井里奈報・岡山教会)

神は偉大、小さい私
井上 春菜
(河内長野教会員)

私が牧師である夫と結婚して気付けば八年余りの月日が流れました。まだまだ生まれたてのひよこのような気もしますし、あまりにも濃密な激しい日々を送って来てもう人生の折り返し地点に立っているかのような錯覚さえ感じます。私はまさか自分が「牧師夫人」と呼ばれる人として生きていくことになろうとは夢にも思っていませんでした。十代の頃、牧師家庭のイメージは、私にとって歌舞伎の世界のように特殊で閉ざされた世界でした。牧師夫人は必然的にまるで相撲部屋の女将の如くハードな涙の陰の働き手と想像していたのです。母教会の牧師夫人が何でも出来てよく気が付き、チャキチャキ仕切り上手な方だったためかも知れません。その後今迄およそ300人の牧師夫妻との出会いに恵まれて百人百色である事を知り、精一杯用いられたらオリジナルでもいいという事に気付きました。私はクリスチャンファミリーで育っていないので想像する他ありませんでしたが相当覚悟しているつもりでも現実は想像以上でした。しかし振り返ってみるとあちらこちらで種が蒔かれていたのです。
私は幼少期を父の赴任によりスイスで育ち、その頃母に連れられて初めて教会を知りました。私達家族を優しい御夫婦が導いて下さいました。そして自発的に通うようになったのは帰国後の小学生の時。熱心に誘ってくれた韓国人のお友達がきっかけでした。大人になって再会した恩人の一組は有名なカルヴァン学者のお爺さん夫妻、もう一人は立派な信仰者でした。時を経て私が牧師になる人と結婚した事を心から喜んでくれました。神の摂理とは本当に不思議です。それから両親、私、そして妹と全員が受洗に至りました。そして最後には祖父母や従姉、叔母までも数年の間に神様の救いに導かれました。私にとっては奇跡の恵みです。女ペテロとあだ名が付く程私はごく自然に友達を教会に誘っていました。神様の存在を知ってしまったからそうせずにはいられなかったのです。実は放蕩息子だった夫もその中の一人です。
母教会は東京の山手線の真ん中、一等地にある牛込払方町教会です。結婚してヘボン先生が宣教された長老教会で最も古く繁華街にある横浜指路教会で過ごし、今は大阪の最南、自然が豊かな地域にある河内長野教会に仕えています。幼稚園や中学高校の学園を生み出した大きな希望を抱いた教会です。それぞれの教会がとても個性や特徴がはっきりと違ったので大変良い経験になりました。その間に夫の留学でフランス、アルザス地方のストラスブールという世界遺産の街で暮らしました。少数派のプロテスタントの中でとても貴重で夢の様な時代でした。今夏からは米国ミシガン州へ行くことになり、思いもよらない展開に思わず目眩がしています。
改めて日記を見返すと一日も来客や電話のない日がなく毎日驚きと発見と感動の連続でした。葛藤や矛盾や不安を沢山抱えつつ予測不能な事が起こる日々を試行錯誤を繰り返しながらもなんとか乗り越えられたのは神様の力です。昨今信仰の継承の困難が叫ばれ、信徒も然りですが牧師も志す方が少ないそうです。私より年下の牧師夫人を二人しか知りません。全世界の牧師夫人を心から尊敬致します。神様の究極の愛を全ての人が受け入れ、主に喜ばれる世界が来ますように!と心から祈ります。

遠藤信治郎氏(隠退教師)
六月一日、逝去。九六歳。長野県に生まれる。一九三八年関西学院大学神学部卒業後、日本メソヂスト教会大石教会に赴任。五八年から七五年まで志筑教会牧師、八七年まで担任教師を務め隠退した。五八年から六四年まで広石教会を併せて牧会した。遺族は娘の堂山めぐみさん。

例年のように統一原理問題全国連絡会が二〇〇六年六月十五日(木)~十六日(金)、日本基督教団会議室において開催された。参加者は世話人六名、各教区(東京教区は支区)推薦計二〇名、自主参加四名、発題者一名、事務局二名、PCK(大韓イエス教長老会異端似而非対策委員会)六名の合計三九名であった。
今回のPCKメンバーの参加は、一昨年に続いてのもので、〇五年六月に結ばれた両教会の相互協定書に基づいての参加である。
代表世話人岩﨑隆教団宣教委員長と黄勝龍PCK委員長の挨拶に引き続き、講演Ⅰとして今年一月にソウルで行われた「日韓教会フォーラム報告」がPCKメンバーへの感謝と共になされた。また合同結婚式に参加し在韓する約六五〇〇名の日本女性に対する働きかけが望まれるが、住所不明の場合もあり、現地の韓国諸教会、牧師の協力が必須であり、ホットラインの構築から始めていく旨述べられた。
山口広弁護士による講演Ⅱ「横浜裁判報告とこれから」において改めて経過報告と判決内容の丁寧な説明を受け、最高裁判決における全面勝訴を確認した。参加者から困難であった弁護活動に最善を尽くして取り組んで下さった山口弁護士に惜しみない拍手が送られた。      講演Ⅲ「PCKからの報告」として、麗水(ヨス)市教会連合会長朴南仁牧師より、統一協会が「聖地」候補として投資と浸透を図っている麗水市の現況について学んだ。麗水出身の韓国統一協会会長黄先祖が統一協会の大型事業を麗水市に誘致した際、前市長が協力的であったためにこれが推進されてしまった。危機感をもった教会連合は統一協会浸透阻止の運動を開始し、最近当選した現市長は朴牧師の教会の教会員であり運動は成果を収めつつあると報告された。今後、日本側が麗水を訪れ研修するなど、さらなる日韓教会の連携が望まれることが確認された。
なお、五月に福岡で開かれた統一協会大会に安部晋三官房長官、保岡興治・元法相名で祝電が送られた事件が報告され、公開質問状を出すとともに対策弁連と共同で記者会見を行うことが決定された。
(山本裕司報)

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