第65回四国教区定期総会は、四月三〇日から五月一日まで、今治湯ノ浦ハイツを会場として開催された。開会時に、議員一五五名中一二五名が出席した。
開会礼拝・組織会の後、議長メッセージがなされた。野村忠規議長は、厳しい現状の中にある今こそ主の支えの原点に立ち直し、教区の活動・自立連帯献金の推進に取り組んでいきたいと述べた。また、中越地震被災支援への協力を呼びかけた。
第一日目は主として昨年度の報告がなされた。議事と並行して教区三役の改選がなされ、議長に野村忠規氏(松山城東)、副議長に黒田道郎氏(石井)、書記に黒田若雄氏(須崎)が引き続き選任された。また、常置委員の選出及び各部委員の選任も行われた。
議事後夕食時、教区の青年が自主制作した自立連帯献金支援曲「御国を仰いで」の讃美が青年有志によってなされ、議員一同に対して大きな励ましとなった。
夕食後、「私と四国教区~信徒から見える四国教区の姿」との主題で協議会が行われ、三名の信徒から発題がなされた。安宅登代子氏(石井)は、教区教会婦人会連合や自立連帯献金推進委員会の働きを担う中で、教区の活動や各教会の交わりの姿を知らされ、そのことが自らの信仰生活に大きな意味を持ったと述べた。尾崎七郎氏(近永)は、互助がいかに教会を支えてきたか、近永教会の具体的な姿に触れつつ語った。その上で、現状に一喜一憂せず、導きを信じて伝道の取り組みを続けていきたいと述べた。松中伸介氏(宇和島中町)は、教区青年会活動を通して自ら育てられてきた経過を語り、教区青年の交わりが各教会を覚えていくことに大きく繋がっていると述べた。三氏の発題やその後の協議を通し、各教会を支え、各教会間の交わりを深化させていくことが、教区の重要な働きであることを深く受け止めさせられる時となった。
第二日目は二名の逝去教師の追悼式、四名の教師の准允式から始まった。議事では、まず教団問安使挨拶の質疑が行われ、小林眞問安使に憲法第九条の改正の動きに対しての教団の取り組みなどについて質問があった。続いて、昨年度活動報告の質疑がなされた。その中で、教区議長が「沖縄教区との相互訪問」再開を感謝し、今後も継続を模索していきたいと述べた。また、〇八年度互助受給教会が大幅に増える見通しに対する常置委員会での協議についても報告がなされた。更に、新旅費規程に基づく教区予算、十六教会へ総額約二六五〇万円を支援する互助予算が提案された。議論を経て、報告・決算・計画・予算が承認された。
議事の合間に、教団関係学校・団体や出版局・年金局・部落解放センターからの挨拶を受け、それぞれの働きを覚える時を持った。
四国教区は、各教会を支えることを宣教方策の中心としている。各教会が厳しい現状にある今こそ、そのような教区の取り組みが更に求められていることを再認識する教区総会であった。
教区常置委員選挙結果
【教職】芦名弘道(近永)、榎本栄次(今治)、岡本康夫(日和佐)、小島誠志(松山番町)、木村一雄(琴平)、佐々木美知夫(安芸)。
【信徒】安宅登代子(石井)、竹村徳子(高知)、長島恵子(鴨島兄弟)、野田雅子(多度津)、濱田康行(土佐)、堀池良明(須崎)。
(黒田若雄報)
多様化する各教区の課題
五教区の報告を読んだ時点での感想にすぎないが、協議事項が実に多様だ。共通して取り上げられている課題は少ない。各教区を横断する主題は見えて来ない。教団総会が開催されない年であることも一因だろうが、矢張り、地域の特異化が進み、自然、対応も多様化しているように思われる。多様化する課題を、宣教というフォルダにまとめることは可能なのだろうか。
プロテスタント伝道開始以後ほぼ一五〇年。日本で何人の宣教師が活動されたことか。戦後の一番多い時は、全国で六百名の宣教師が活動されていたと聞くが、現在は約九〇名。
三月二七~二九日、青山学院で旧・日北米宣教協力会(通称JNAC)から、各々の代表約六〇名が集まり、フォーラムを開催。
これは二年前に、JNACが解散したが、これまでの関係で与えられた賜物などを双方が継承しつつ、今後、何を共有できるかを探る第一回目のもの。
日本伝道の多くの部分は、宣教師の働きによることは周知のことであるが、このフォーラムで、個人的に次のことを知らされた。
それは、JNAC解散の前年に、かつての感謝とお礼を兼ねて、山北宣久議長と、当時の世界宣教委員会・大宮溥委員長が北米各教団を訪問された時、「教団の代表が、直接来てくださったのは初めてです」と二教団から言われたようだ。
一瞬「エッ」と思ったが事実らしい。確かに、お礼に行く余裕もなかったかもしれないが、やはりどう考えても礼を失したとしか言いようがないように思われる。
と同時に、これは、かつての教団代表のことでなく、今の私たちが、様々な犠牲を払って宣教師を派遣して下さった北米教会にどこまで感謝しているか、と問われたことでもある。
過去への感謝があってこそ、確かな未来が作られる…。
(教団副議長 小林 眞)
癌宣告をも乗り越え
李さんは台湾のミッション大学で、初めてキリスト教に触れた。ただ、アメリカ人宣教師であった学長夫人によるキリスト教の授業を真剣に学ぼうとはしなかった。けれども卒業直前、学長夫人の死を通して、彼女の祈りと信仰を受け継いでいこうと決意し、洗礼へと導かれた。
その後日本へ留学し、不思議な導きで、第一志望でなかった東京神学大学へ入学した。入学当初は、将来牧師になるというより、ただ聖書の研究がしたいという気持ちが強かったが、やがて伝道者としての志へと導かれた。卒業後、中渋谷教会で信徒伝道者として奉仕、更に准允、按手礼を受けるに至った。
けれどもその後に一度は帰国し、台湾の神学校で授業を担当していた。そのような生活の最中、医者から末期癌の宣告を受ける事態に直面し、李さんは神の前にひざまずき「病気が治ったら、一生涯を献げます」と祈った。そして不思議なことに回復へ導かれた。この出来事は李さんにとって、悔い改め、再献身の機会となり、日本へ戻ることにした。しばらく緑聖教会に遣わされた後、開拓伝道の道が拓かれた。
ところが再び癌が進行し、今度こそは治癒は困難と死を覚悟した。遺言書を作成し、葬儀の手順まで考えた。しかし難易度と危険性の高い手術が成功し、治癒、退院が可能とされた。退院日は奇しくも、李さんの受洗日であった。この出来事を通して、李さんの両親も洗礼へと導かれ、伝道の良き助け手となっている。
現在、埼玉中国語礼拝伝道所、久美愛教会に仕えている。また語学の才能が用いられて、留学生の相談を多く受け、その中から留学生やその家族が洗礼へと導かれてもいる。李さんは主を讃美し、「神は生きておられる。主はどんな時にも希望を、どんな時にも祝福を与えてくださる。残る生涯も伝道者として証ししてゆきたい」と嬉しそうに語った。
教団事務局の仕事をしていると、様々な電話がかかってくる。いわゆる悩み相談の一つである。わたしはこういう組織なのだから、これらの電話を受け、話を聞くことも仕事の一環だろうと考えている。ときには一時間にわたる話に、急ぎの仕事を抱えて困ったなと思うこともあるけれど、今、誰かに話したいという電話をむげに切るわけにはゆかない。
先日、ある老人からの電話を受けた。四〇数年の教会生活を送られ、もうすぐ八〇才をお迎えになるという。現在は老人ホームに入居されているとのことだが、訳あって長く独居をしておられた。歳を重ねるごとに体も弱り、足を悪くしてからは教会に通うことが出来なくなって久しいという。けれども、主イエスを信じて、教会を思い、月定献金も納め、教会からも月報は届く。彼女が教会に通い始めてから、現在の牧師は四代目だが、教会に行かれないため疎遠になり、親しかった教会員も亡くなった今、教会との接点は郵便で送られてくる月報だけ。しかし、風の便りで牧師は教会員を訪問していると聞くときに、言いしれない寂しさが去来するという。「せめてイースターやクリスマスには行きたいと思うけれど、敷居が高くなってしまいました」と。
病気がちで困っていた時に、彼女を助けてくれたのは教会の人々ではなく、ご近所のノンクリスチャンであった。「教会とは何だろう」という思いがよぎる。彼女は決して教会のことを悪くは言わない。ただ、自分のような寂しい思いをしている老人が多くいるだろうから、どうか教会はそのことを忘れないで欲しいと消え入るような声での訴えだった。事務局に電話をするのは勇気がいったことだろうと思う。
可能なら、自分の思いを広報などで伝えて欲しいという希望を最後に語って電話は終わった。さまざまな思いが事務局に伝えられてくる。その一つとして紹介をしたい。
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






