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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4631号】第1回スイス協約委員会開催 伊藤瑞男委員長、廣石望書記選出

2007年7月21日

第35総会期第一回スイス協約委員会が、二〇〇七年六月七日、教団会議室で開催された。今期委員は伊藤瑞男(静岡教会)、廣石望(フェリス女学院大学)、ダーヴィト・ヴィダー(関西学院大学)の三名である。互選により委員長に伊藤氏を、書記に廣石を選出した。
報告としては、去る二〇〇六年十一月十六日から二〇日、スイス国バーゼルおよびベルンで「God’s
Migrating People」を総合主題に開催された「スイス・韓国・日本三国間教会協議会」の実施報告がなされた。
日本側の代表団には本委員会より廣石望、ダーヴィト・ヴィダー、上田博子(教団担当幹事)の三氏に加えて、大津恵子(前「女性の家HELP」ディレクター)および土井桂子(前在日韓国朝鮮人・日韓連帯特別委員会委員)の両氏の計五名が参加した。スイス側はスイス・プロテスタント教会連合(SEK)とミッション21が、韓国側では韓国基督長老教会(PROK)と大韓イエス教長老会(PCK)の二教会がそれぞれ代表団を派遣した。これにドイツ福音主義教会(EKD)および南西ドイツ宣教会(EMS)の代表者や学識経験者も加わり、移住労働者や移民・難民の諸問題をめぐり聖書、社会、教会および倫理の視点から研究発表と討論を行った。さらにスイス政府の入国管理施設での現地研修、二国間協議、ベルンの韓国語教会での主日礼拝、ホームステイなどの多彩なプログラムが実施されたことについて報告された。
議事としては、この協議会の次回開催について協議した。その結果、前回協議会からの要望に応えて、「平和」を主題として二〇〇九~二〇一一年の間に日本で行うこと、韓国協約委員会との共催で行うことを同委員会に提案すること、また、この趣旨をミッション21総会(六月下旬)で先方に報告すること、が可決された。(廣石望報)

▼これは、敬愛する先輩牧師から聞いた実際の話。狭い境内地に教会、幼稚園、牧師館がある。彼はそれぞれの入り口で一旦立ち止まり…彼の言葉によれば、お面を整える。そうしないと、牧師、園長、そして夫・父、それぞれのあるべき顔を、うっかり間違えることがあるそうだ。間違えると、とんでもない面倒が起こる。▼入り口で、一旦立ち止まり…仮面かどうかはともかく、姿勢を整えることは、確かに要求される。現代人は、勿論、牧師も例外ではなく、複雑な社会の複雑な局面で、複雑多様な対応を要求される。忙しく仮面を付け替えるとさえ言えよう。▼だからこそ、確固として、自分の素顔を持っていなくてはならない。あまりの忙しさに、自分の素顔を忘れてしまうことも、ままあるらしい。多忙の忙とは、素顔を失うの謂かも知れない。▼映画「マスク」はⅠ・Ⅱとも愉快だった。プロンジーニの同名小説もある。超ベストセラー作家の隠れた名作だ。少し古いが、ツヴァイクの「変身への誘惑」こそ、この主題の極まりか。深刻な現代病だ。

教団の教師として宣教を共に担う

出身校等の違いを超えた同労者

二〇〇七年度の新任教師オリエンテーションが、六月二五日(月)から二七日(水)まで静岡県伊豆市の天城山荘にて開催された。主題は「教団の教師として宣教を共に担う」。新任教師が六一名、関係者を含めると計八一名が参加した。新任教師となって三カ月、それぞれの働きの場から離れて、歩みを振り返ると共に、出身神学校等を超えた同労者としての新しい出会いと励ましの時ともなった三日間であった。

毎年行われているこのオリエンテーションは、次の三つの課題を掲げている。①日本基督教団の「教師」像を探ること。②日本基督教団の「宣教」の内容を探ること。③宣教を「共に」担う協力体制を探ること。
今回の日程の概略は次のようなものであった。第一日目には、松井睦教師委員長による開会礼拝に続いて、「教団の過去・現在・将来」として山北宣久教団議長の講演、夜は「交わりの時」。第二日目は、「教団の教師像」として八束潤一教師委員が、「教団の働き」として小林眞教団副議長が発題をした。午後には、「教団の取り組み~差別と人権~」として東谷誠部落解放センター運営委員長の講演があり、「諸手続の説明」として勝山健一郎幹事、「出版局について」秋山徹出版局長、「年金局について」髙橋豊年金局長の話しがなされた。続いて「カルトの問題について」岩﨑隆教師委員が講演した。夜は分団に分かれてディスカッションがなされた。三日目は、「牧会講話」として小島誠志教師の講演があった。
全体として教団についての理解を深めつつ、それぞれの教師が希望をもって歩み続けることが出来るように配慮したプログラムを考えたものである。

・具体的諸問題に学ぶ

初日の山北議長の講演「教団の過去・現在・将来」は、まず過去の教団の歩みの中の誤りの部分を神の御前に懺悔したいと述べられた。その上で、将来に向けて大胆な伝道の実践をしていくことが必要であるとして、青年伝道や児童・高齢者伝道、献身運動、隠退教師・無任所教師の活用、憲法第九条の堅持による平和国家形成のための努力など、具体的な構想が前向きに語られた。
八束教師委員による「教団の教師像」の発題では、教憲を手がかりに、教団の教師像を「合同教会である日本基督教団を、教団信仰告白に基づいてキリストの体なる教会として建て上げるために召され献身した者」として述べられた。そして自らが属するホーリネスの群れの歴史をたどりつつ、合同教会の教師像の豊かさは、教団信仰告白の指し示すキリストの福音の豊かさの中に生きるところにあらわれると語られた。
小林副議長の「教団の働き」の発題では、自らが教団の教師になる時に、紛争のために試験が行われず信徒伝道者として出発した経験を振り返りつつ、日本基督教団が「合同教会」と言われるが、合同教会だからそれぞれ何をしても良いというのではなく、教憲によれば「公同教会」であり、それゆえ教団が一つの教会として教会固有の務めに仕えていくべきことを語られた。
東谷部落解放センター運営委員長は、そもそも人間にはそれぞれ優位に立ちたいという意識があることを分かりやすく解説しながら、差別の根深さを、実際に起こった「差別ハガキ事件」を例に挙げながら語られた。また質問に答えて、「寝た子を起こすな」という考えでは差別をなくすことが出来ないこと、そして差別が起こる不安を持たないで暮らせる世の中となるために共に歩みたいと語られた。
岩﨑教師は、「幻想と新々宗教」と題して講演した。「いわゆるカルト宗教・議論ある団体」とは何かということから始まり、なぜ人がそういう団体に入り込んでしまうのかということ、そしてカルト宗教などの団体の実際の種類等について丁寧に語られた。またそのような宗教や団体に入った人の悲惨な現実についても述べられた。予防としては、カルトの名前だけでも知っておくことや、見知らぬ人の勧誘に乗らないことなどを指摘された。

・互いを知り理解する

オリエンテーションは、講師の話を聞くだけではない。二日目、三日目の朝礼拝の奉仕は新任教師が務めた。それぞれ海老原佳奈子教師(広島流川教会)、池田季美枝教師(冨貴島教会)が、伝道牧会に出た場でのことを踏まえて説教した。
自由時間では、温泉に行く者や近くの滝に散策に行く者と、グループに分かれて初めての働きの場の緊張を離れ、リラックスした時を過ごした。
また二日目夜の分団は、出身神学校とCコース出身者がそれぞれ偏らないように配慮して分けられ、お互いに知り合い、また理解するきっかけとなることを願ってなされた。新任教師と言っても、その年齢や人生の背景は様々である。それが自己紹介の中でそれぞれから語られることによって、主の恵みを分かち合う良き交わりとなったようだ。各分団とも実際の働きの場に出ての説教や牧会上のとまどいや悩み、また希望なども語られ、豊かな時間となったと思う。
食堂での食事の時間も、共に食卓に着く中で、自然に互いに知り合いとなる時として過ごすことが出来たようだ。
昨年参加者から好評だった三日目の「牧会講話」は、今年も小島誠志教師(松山番町教会)が語られた。ご自身の豊かな経験の中から、参加者の関心の高い説教や牧会上の苦労などが失敗談を交えて語られ、トゲのように見える人が実は自分を育ててくれた主の恵みが証しされるなど、大きな示唆を受けると共に慰め、励ましともなった。
プログラムの終わりに「全体のまとめ」として参加者全員からひと言ずつ感想や思いが語られ、最後に鈴木伸治教団書記による閉会礼拝がなされ、参加者は緑に囲まれた会場をあとにし、帰路に着いた。
(小宮山剛報)

2007年7月7日

各教区総会がほぼ終了した。
当然ではあるが、山北議長が、全教区に挨拶を送られたが、一人で全教区を巡回できるはずもなく、他の二役と総幹事が、分担して各教区総会を回り、議長挨拶を行い、様々な質問に対応することとなる。
私も分担上、四教区を担当したが、今回の質問は「正しい聖礼典とは何か」と、その関連の「措置」に集中した。
しかし「正しい聖礼典」は、教憲・教規に定められており、昨年六月に、改めて信仰職制委員会から答申が出されたように、未受洗者への配餐と、補教師の聖礼典執行は認められないことを指す。
しかし、今回改めて考えさせられたことは、「教憲・教規」に対する理解の余りの違いである。
ある人は、教憲・教規を人の作った組織の単なる規則としてしか捉えず、「議長は強権だ」と言い、よりふざけた人は、個人的にではあるが、この締め付けは「狂犬・狂気だ」とさえ言った。
改めて確認したい。「教憲とは、私たちの信ずる教会の形を文言に表したもの」であり、従って、教規とは、そこに表された私たちの教会の秩序と清潔を守るためのものであり、決して、冷たい締め付けのような性格のものではない。  それ故に、洗礼式・准允式・按手礼式の時には「これを守ります」との意味の誓約をするのである。
これを放棄しての教団の共同の歩みは不可能と言わざるを得ない。今一度、原点に立ち帰りたい。(教団総会副議長 小林 眞)

選択権は神に

「一九七九年十一月、故望月英一郎旭福祉会理事長から呼ばれました。何かあったかのかと思い巡らせながら、出かけました。そこには富士市の保健部長や他の大勢の人たちがおられ、なにやら面接試験のような感じで、私も緊張しながら挨拶をしました。最後に理事長から『わかくさ保育園の園長に』と告げられました。既に決められていて私の選択権はありませんでした」と、村上さんは、当時、園長の辞令が与えられた様子を懐かしく話された。
社会福祉法人旭福祉会の創立時の望月理事長は、岩本教会の会員であり長老も務めた。神への深い信仰から仕事を持つ親を支援する為に、みどりご保育園を設立し、保育方針にキリスト教主義を掲げた。その事業は、主に祝福され、富士市からも深い信頼を寄せられるようになる。一九八〇年四月、富士市で初の公設民営化の保育園として市より旭福祉会に運営委託された。村上さんは、そのキリスト教保育を掲げる公設民営化の初代園長として、今年三月まで二七年間、その責任を担われた。
キリスト教保育園の園長として彼女を悩ませたのは、地方にクリスチャン保育士がいない事だった。その中でキリスト教保育を実践する為には、保育園の中で御言葉を語り続ける事を祈りの内に確信した。だから他の選択肢は無かった。毎週子ども礼拝で、子どもと職員の前で聖書の御言葉を語り続けた。しかし、それを続けるには、毎週日曜日の主日礼拝で自分自身が真摯に御言葉に耳を傾け、聞き続ける事だった。それが彼女の二七年間を歩み抜く原動力となった事は、疑いない事実である。
この間、保育園に困難で様々な出来事があり、また最愛の娘を天に送る辛い経験もした。しかし、常に御言葉に導かれ養われてきた。現在、保育園の常任理事として後任の指導をしつつ、ご主人の介護もこなす。私の選択権は、いつも神様に与えられたもの、と喜んでいる。

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