二〇〇七年度の東海教区婦人研修会は、六月五日(火)~六日(水)、河口湖畔にある富士レークホテルを会場にして開催された。
この研修会は大きく二つの特徴がある。第一は実務担当が、六つある分区婦人部の持ち回りである事である。故に会場も各分区持ち回りである。第二は聖書のテキストは変わっても主題は変わらない事である。今年も「教会の肢として明日の宣教を担う」の主題の下、二回の講演が講師によって行われた。講演Ⅰのテーマは「大胆に恵みの座に近づこう」講演Ⅱのテーマは「証人の群れに囲まれて」であった。副題は「ヘブライ人への手紙を学びつつ」であった。
講師の高橋真美先生(教団隠退教師)の話は自己紹介から始まった。牧師になるつもりも牧師の妻になるつもりも無く神学校を受験したのに、その両方になってしまったいきさつ。長年仕えて来られた若松栄町教会は野口英世が受洗した教会だが、彼は借金を残して出て行ったので町では評判が良くないこと、など。親しみを込めた先生の口調に、会場はまたたく間にくだけた雰囲気となった。すると「話は聞いただけでは何もなりません。ご自分で勉強して身につけていただきたい」と厳しい一言をいただいた。死を待つばかりの弟さんの癌病床を訪ねて来た牧師の言葉につまずき、仕えている教会へ直ぐには帰れなかった話。一人の人間が体験する悩み悲しみ、また弱さや欠けゆえに犯す罪を率直に語り、そうした人間のために執り成し働いてくださる大祭司イエスが、わたしたちの主であることを改めて覚えさせられた。
講演後のエレベーターの中で、「今日は一回も眠くならなかった」と言う言葉に多くの方が賛同していた。
夜は讃美のときとして、山梨分区の教職を中心としたミニコンサートも行われた。
三五九名の参加であったが、ヘブライ人への手紙は、講演を通して参加者にとって分かりやすく、親しみのある書になってきたと感じた。
(的場恵美子報)
常に立ち続けるために
輪島教会信徒伝道者 五十嵐(いからし)成見
三月二五日九時四二分、東京の安藤記念教会でCS教師会を行っている最中だった。知り合いの方から、「輪島に地震があって大変なことになっている」という連絡をもらい、すぐさま輪島教会に電話をかけたがつながらない。その日は神学生としての最後の奉仕日。教会では私のための送り出し会を企画してくださっていた。しかし、その背後に地震で被災されている方のことを思うと、喜びに浸ることの出来ない複雑な日であった。
地震発生から四日後、輪島に着く。教会堂の隣の家は、縦に貫く亀裂が走っており、立ち入り禁止の紙が貼られていた。牧師館の裏の家屋は半壊し、屋根や横壁が激しく歪んでいた。教会堂は、木枠の窓の損傷、モルタル部分の亀裂等、改修が必要な箇所は生じているが、構造上の問題は生じていない。問題は牧師館だ。土台部分にひびが入っており、家屋が若干傾き、牧師室の窓が開かない状態になっている。老朽化も進み、緊急に取り壊す必要はないが、三年は持たない、との診断が建物診断士よりなされた。
地震の被災教会は輪島教会だけではない。羽咋教会の富来伝道所は、土台も屋根も大きく損壊し、取り壊しを余儀なくされている。七尾教会の牧師館は屋根が歪み、軽い余震でもすぐにぐらつく。七尾教会教会堂も、建物自体が地盤沈下し、傾斜が生じている。そこで礼拝を守る教会員の精神面の不安は大きい。羽咋教会の幼稚園、七尾教会幼稚園はモルタルに亀裂が走り、幼児達が壁に手をつけて遊べば指を切ってしまう。今後のことを考えれば耐震工事も必要な状態だ。また富山の魚津教会も、モルタル等の修理が必要な状態である。
地震が収束したかと思うと、震度4級の地震が断続的に起こり、未だ能登の人の精神が落ち着くことはない。つい先日(六月二二日)も羽咋に震度4の地震が襲ったばかりだ。余震は建物に大きな影響を及ぼす。地震の被害はまだ終わっていない。
中部教区は二〇〇七年度、地震再建のために教区内で三六〇〇万円の募金を行うことを教区総会で決定した。しかし、能登圏の教会・関連施設を全て再建させるための資金としては残念ながら全く届かない。少なくとも、その五、六倍の金額がかかるだろうと推測されている。能登圏の教会は、いずれも経済的に豊かではない教会だ。もし自力で再建するとしたならば、途方もない時間と労力をかけざるを得ない。しかし、被災した教会員もいる中、そのようなことが不可能であるのは、火を見るよりも明らかである。
北陸地方を共に伝道するある牧師が、集会で地震への必死の呼びかけでこのようにアピールした。「どうか皆さん、三万、五万の献金で良いと思わないでください。どうか、今しようとしている献金額に〇を一つ加えてください。本当にお願いします」この呼びかけを聞き、能登圏の教会の悲惨さに共感したある牧師家族の方が、まさに〇一つ多い金額をこの地震の再建のためにささげて下さった。その事実を知り、奮い立たされる思いがした。能登圏の教会はこの地震に負けるわけには行かない。能登の伝道のために、北陸の伝道のために、教会は常に立ち続けなくてはならない。輪島教会の掲示板にはびっしりと励ましの手紙が貼られている。祈られ、支えられていることがよく分かる。
どうか、この記事を読んでくださっている皆様、能登圏の伝道のために、北陸の伝道のために、献金をよろしくお願いいたします。
白川鄭二氏(隠退教師)
六月四日、逝去。九二歳。大阪府に生まれる。一九四一年同志社大学神学部卒業後久世教会に赴任。その後桜美林教会を経て、五〇年から八六年まで函館千歳教会を牧会し隠退した。遺族は妻の恵美子さん。
今こそ祈りを集めなければ
邑原宗男
第62回奥羽教区総会は、一つの決意をすることとなった。勿論常置委員会において検討し、教区教師宣教セミナーや宣教会議、さらに各地区総会においても報告を繰り返し、協議する時を持ち、総会へと提案した議案である。それは「『謝恩日献金』の増額に取り組む件」である。
それは第34教団総会で賛成を得られず、その後の教団年金局理事会や常議員会での検討のもとに、第35教団総会で教団年金局財務計画額が可決された。この可決はけっして人ごとではない。教団全体で「謝恩日献金」を増額分と以前からの献金目標をあわせると一億一千万円となる。
何しろ、奥羽教区全体で謝恩日献金への協力は過去数年、毎年協力教会は五五パーセント、献金額でも五〇万円をわずかに上回る状況であった。それでは計画額への協力をどのように進めればいいのかについて財務委員会、さらに常置委員会と検討して議案として提案することとした。教区負担金割賦率で考えても二百万円を超える額となる。どんなに教区内教会・伝道所が努力して献げたとしても、一挙に二百万円を満たすことは難しいが、何とか努力することを決意することとし、満たせない額についての対策を検討した。教区経常会計の中で、すでに協力している「年金協力金」とは別に「謝恩日献金」として献げる額を確保した。また、教会強化推進会計の中より、百万円を限度額として献げることを祈りの中に可決した。
(奥羽教区総会議長)
第二回教団教育委員会が、六月十一日(月)、十二日(火)の両日、教団会議室において開催された。主な協議事項は、教会教育プログラムとクリスマス献金についてであった。実務委員会である教育委員会は、委員が分担して小委員会を形成している。その一つであるプログラム委員会より、二〇〇八年度から二〇一〇年度までの「教師の友」の総主題と三ヶ月毎の単元のテーマの報告を受け、協議の後、承認した。総主題は前期プログラムと同じ「『いのち』を共に生きる」に決定した。「教師の友」は教団教育委員会が立案する三年サイクルの教会教育プログラムに則って編集されている。教育委員会と「教師の友」編集部、両者の働きのためにお祈り頂けると感謝である。クリスマス小委員会からは、二〇〇六年度の全国の教会学校よりささげられた献金の報告を受けた。学校や幼稚園、保育園からの献金も合わせた総額は11、233、414円(二〇〇七年三月末現在)であった。この紙面をお借りして感謝と共に報告いたします。献金先は海外が南インドの少女プログラムとダリット支援の二ヶ所、国内がアジア学院とアイヌ奨学金キリスト教後援会の二ヶ所である。必要な事務費を差し引いての配分が決定された。二〇〇七年度のクリスマス献金については、アイヌ奨学金キリスト教後援会への継続も含めて次回の委員会で決定される。教会学校精勤者表彰に関しては、二九一校より要望のあった表彰状の枚数(二六六一枚)とバッジの個数(二八六八個)が報告された。二〇〇八年三月上旬に開催予定の公開教育セミナーに関しては、開催地が四国に絞られた。
(加藤誠報)
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