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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4638号】EMS青年ワークショップに参加して

2007年11月2日

夏、世界各地から集った青年たちは、中東の地で共に考え、感じ、祈った

・中東の地-ヨルダンで
二〇〇七年八月、アンマンにて、青年のためのワークショップが開かれた。ドイツ南西、ガーナ、南アフリカ、トーゴ、インドネシア、レバノン、韓国、日本の教会から送り出された青年、二〇名が参加した。オリーブ、なつめやしの実るアラブの地に、十八歳の大学生、二七歳の社会人、三〇歳の牧師、三二歳のファーマー…と、さまざまな青年が集った。極東の日本からは、二名が参加した。
平和構築にむけたワークショップは、南西ドイツ宣教会(略称、EMSエムス)によって進められているプロジェクトであり、これまでにガーナ、南アフリカで開かれている。
EMSは、一九七二年、南西ドイツの州教会によって設立され、ドイツにおける世界宣教と州教会をつなぐ働きをしている。州教会、宣教協会、アジア・アフリカの十七のパートナー教会で構成され、日本基督教団もパートナーとして世界宣教の歩みを強くしている。三回目を迎えた二〇〇七年のワークショップは、中東のヨルダンで開催された。
ここヨルダンの首都、アンマンで開催する理由のひとつとして、Theodor  Schneller  Schoolが挙げられる。この学校は、一九五九年、孤児や厳しい生活環境にあった子どものための学校として、EMSの宣教会、シリア孤児施設福祉事業団によって創設された。
ここでは、宗教、文化、国籍…などの違いを超え、全人的な教育が実践されている。現在、六歳から二〇歳までの男子、三〇〇名が生きる力、生かす力を育み、未来にむかって歩いている。子どもたちの確かな未来にむけた教育は、EMS、その他の組織(例、EVS)、ドイツの諸教会の支援によって実現されている。
学校の隣には、パレスチナ難民キャンプが広がり、長きにわたる中東紛争の歴史を物語っている。広大なキャンプ地を取り囲む長い壁は、何を表しているのだろうか。
・平和をともに考え、感じ合い、祈る
私たちは、学校のドミトリーに滞在し、明るく、素朴な子どもたちと触れ合いながら、平和について、ともに考え、感じ合い、語り合った。一日の始まりに、終わりに、私たちは祈りを合わせた。ある時は、英語で、またある時は、母語で。そして、そこにはいつも讃美の歌があった。歌はいつも心の中に流れ、誰かが歌い始めると、一人また一人とその響きに重なった。青空の下で、夜風の中で、砂の上で、讃美の群れは、祈りを謳った。神さまの恵みに与る歓びに満ちながら…。ともに謳った讃美の歌は、今も私の中で鳴りやむことはなく、鐘の音のように柔らかに響いている。
平和にむけたワークショップのテーマは、キリストにあって生き、生かされる青年が、非暴力によって紛争を解決し、平和を建設していく方法を体得することであった。そして、教会やEMSの群れとともに、平和の主イエス・キリストの示す道を進むことであった。
十四日間のワークショップでは、①異文化を体験する、②紛争の構造を知る、③身近な紛争の解決方法を探る、④平和にむけた青年たちの働きを考える、の四つの体験的なプログラムが行われた。全体ディスカッション、体験ゲーム、グループワーク、個別活動…と、変化に富んでいた。いつも新鮮な気持ちで臨んだ。想像し、創造することの連続だった。聴き、話し、書き、描いた。全身で取り組み、体感し、体験となる活動だった。これらのプログラムや活動には参加者の意見や要望が反映され、より充実したワークショップにしたいという熱意が感じられた。ひとり一人の思いと力は、互いを高め合い、つなぎとめた。日ごとに交わりは豊かに、そして、深くなっていった。
・七色の虹よりも複雑な二〇色の群れ
しかし、私たちはさまざまな文化に生きていた。七色の虹よりも複雑な二〇色の群れだった。たくさんの違いがあった。窮屈に思えることもあった。そのたびに、私たちは話し合い、解決を目指した。違いに耐え、互いにゆるしあい、相手を受け容れ、自分を受け容れてもらう歩みが、平和と平安へ続くことを知った。そして、御言葉に聴き、祈りを捧げた。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。(ヨハネ福音書15章12節)

・アンマン~ペトラ ~死海へ
ワークショップ八日目、学校を離れ、ヨルダン南部へ赴いた。
世界遺産のペトラを歩き、赤い砂漠のワディ・ラムを走った。そして、ヨルダン川が流れ入る死海に浮いた。アンマンからペトラへは、四時間半のバスの旅だった。
炎天下、命の水を携えて遺跡を巡った。あの迫力と美しさは忘れられない。翌日、ジープで砂漠を走り抜けた。ワディ・ラムの鮮やかな砂の色が胸に焼きついている。バスはヨルダン南端から北へ向かった。二つのチェックポイントを通過して、死海に到着した。夕焼け前の塩の湖に浮いた。黄金色に輝くさざなみも、強烈な塩味も鮮明に記憶に残っている。
神さまは、天と地を創造され、私たちを創造された。感謝の祈りとともに、一泊二日の旅は終わった。
・平和へ続く道、和解の道
紛争は、なぜ起きるのだろうか。なぜ繰り返されるのだろうか。どうしたら、鎮められるのだろうか。絶つことができるのだろうか。
私たちは、自身に迫る紛争を見つめた。人間の怒りと憎しみばかりだった。怒りは武力に変わり、憎しみは復讐となっていた。私たちは、主が示される平和と平安へ続く道を探った。互いに和解の道を探し合った。それは、私に迫る紛争であり、隣人に、私たちに迫る紛争であるからだ。和解の道はいくつも示された。青年の群れを拡げながら、道はこれから開かれてゆく。
・讃美の歌と、感謝をもって
イスラム暦のヨルダンでは、金曜日と土曜日に休み、日曜日は働く。しかし、教会は日曜日に礼拝を守り、人々は教会で祈る歓びに満ちていた。私たちは町の教会に招かれ、礼拝する群れに加えられた。ともに祈り、讃美し、聖餐に与った。神さまにつながる歓びを強くした。そして、ワークショップでの体験が、祈りと御言葉によって、より真実となっていくことを覚えた。
讃美の歌と感謝の祈りをもって、ワークショップは終わった。
主の導きと篤き祈りによって、信仰に生きる友と出会い、豊かな交わりと新たなつながりに恵まれた。心から感謝する。
日本からアンマンへは、乗換を含めて、約二〇時間かかる。学生キリスト教友愛会は、日本からドバイ、そしてアンマンへの道のりを強く支えてくださった。深い感謝をもって、ここに報告する。
(馬杉翠報/五反田教会員)

2007年10月20日

夏の期間、対外的な集会に参加した。八月三日~四日、比叡山宗教サミットは海外十八ヶ国からの代表と二千人が「和解と協力」のテーマのもと20周年記念集会を持った。日キ連代表として参加。
六日~七日は憲政記念会でエルサレムサミットが開催され八百人が集まった。サミット続きだったがこちらの方はクリスチャンとユダヤ人との関係を緊密化するために出会い、語り合った。
一方二〇日~二二日、天城山荘で「こころの友伝道、全国大会」に講師として臨んだ。この会は54回ということで牧師と信徒が共に伝道する態勢を堅持して半世紀となるのだが、教団の訪問伝道委員会に源を発する。
今や超教派での集会となっているが、毎年百名もの人々が集い、訪問伝道、こころの響き合う伝道実践を展開すべく祈り、励まし合う姿は教団の健全な時代の映し絵である。
さらに二二日~二四日、湯河原で基督聖協団の夏期聖会に招かれ三回の聖会で御言葉を取り次がせていただいた。
この会は私にとって衝撃から始められた。というのは教団の第9部、きよめ教会の時に弾圧が起こり、教団から見捨てられるような中で殉教した教師の家族が当時の状況を語り、証ししたからだ。
迫害を超えて信仰継承しつつ教会を形成する中、教団総会議長を招いて夏期聖会を持つ基督聖協団との交わりをも与えられて開かれた教団を整えていきたい。
(教団総会議長 山北宣久)

韓国からの観光客が
ボランティアに

七月十二日に観光目的で来日して、大阪にいた十六日に中越沖地震発生。こんな時にのんびりと観光をしているわけにはいかないと思った。ラジオを聴いていてボランティアを必要としている事を知り、二六日に柏崎に入る。最初に被災の現場を見た時は、映画の戦争のシーンではないかと感じた。
当初はボランティア専用の宿泊所で宿泊しながら、市でのボランティア活動に従事していた。短期のつもりだったが、やりがいのある事だと思えるようになり、一ヶ月位やってみたいと考えるようになった。しかし七月末にはその宿泊所を出なければならない事になり、どうしたものかと迷っていた。
そんな状況であった八月一日に、ある人の紹介で柏崎伝道所でのボランティアセンターに来る事に。「神様の導きを感じましたよ」以来八月二四日まで柏崎伝道所に宿泊して他のボランティアスタッフと共に奉仕活動を続けた。崩れた塀や木材や瓦の片付け、散乱した家の中の片付け、仮設住宅への引越し、仮設住宅周辺生活情報調査等、多岐に亘る仕事をした。崩れた塀の石を運んだりするのは大変であったが、よい経験になった。壊れた家から仮設住宅に引っ越した人の、家を捨てる悲しそうな目は忘れられない。
「被災地が復旧していって、人間の心に温かさが戻るようにして下さるのは神様の働き。大変な事が起こっても、それを回復させるのは神様の愛」金龍基さんはそう言って毎日熱心に奉仕活動に取組んだ。
「日本でも牧師様と信徒が一生懸命に神様のための活動をしている姿を見て感動しました」運営スタッフの牧師や他のボランティアスタッフに対しては、謙遜にそうも言われる。
「復旧活動を通してこの街を故郷のように思うようになった。出来る限り早く、皆様が地震の前のように生活をする事を望んでいます」金さんは心からそのように言われる。

第47回(2008年)「キリスト教教育主事」認定試験を次のとおり行います。

◆受験願書提出期限 2007年12月11日(火)(提出物1~7を教区に提出)
◆論文提出期限 2008年2月14日(木)
(試験科目ハの論文・教団教育委員会に提出)
◆試験期日 2008年3月6日(木)午前11時~午後2時
◆試験場所
〒540-0004大阪市中央区玉造
TEL06-6761-8562
大阪クリスチャンセンター会議室
◆試験科目
イ.筆記試験  日本基督教団教憲、教規および諸規則(60分)
*試験時間に日本基督教団「教憲教規および諸規則」を貸し出します
ロ.面  接
ハ.論  文  400字詰原稿用紙 15~20枚
「キリスト教教育の働きの多様性~日本におけるキリスト教教育の歴史をふまえて」
◆提出物
◎以下の書類を整え必ず期限までに教区事務所に提出する。
1.受験願書・所属教会主任教師の推薦書…1通2.履歴書・信仰歴…1通
3.教区の推薦書…1通
(以上は教育委員会所定のもの)
4.出身学校校長の推薦書…1通
5.出身学校成績証明書…1通
6.「私はなぜキリスト教教育主事をめざすのか」記述書 400字詰原稿用紙2枚程度
7.受験料 5、000円
教育委員会所定の用紙は、〒169-0051東京都新宿区西早稲田2-3-18-31日本基督教団教育委員会に、住所、氏名を記した返信用封筒に130円切手を添えて請求してください。
◆問い合わせ
日本基督教団教育委員会 〒169-0051
東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
TEL03-3202-0544
FAX03-3207-3918
2007年10月
日本基督教団教育委員会 委員長 岸 憲秀

祝福は祝福を増す
ボイル・ティモシー
ボイル・ユーコ
(UMCとPCUSAから教団への派遣宣教師)

聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。(ガラテヤ3章8〜9節)
2007年9月の現在で、私たちは21年あまり茨城地区の協力宣教師としてつくばクリスチャンセンターでの働きを終え、10月からティモシーは大阪にある部落解放センターとユーコは神戸にあるイエス団真愛ホームでの働きを始めようとする人生の変わり目に立っているところです。長い間お世話になった関東教区の皆さんと離れるのは辛いのですが、大阪と兵庫教区での新しい出会いを楽しみにしています。これからの新しい歩みを、それぞれの職場で貢献できるように頑張りたいと考えています。
今までの30年あまりの日本における働きを振り返ってみますと、辛い経験は勿論ありましたが、自分たちがとても恵まれていたと認識して感謝に耐えません。アブラハムのように、神に祝福されています。しかし、それには目的があります。それは他者にとって、祝福の源となれるようになることです。
過去の21年間は、つくば中心の宣教活動において、さまざまな働きに関わってきましたが、その中には、終止符を打たなければならない活動があります。しかし、大部分は他の人に任せて継続するもの、また、新しい任地からでも継続できる働きです。完全にバトンタッチする例として、地域社会が必要としていたつくばインターナショナルスクールがあります。スタートした15年前から、代表責任者としてさまざまな危機状態を乗り越えることができ、ようやく軌道に乗り、明るい見通しとなりました(www.tsukubainternationalschool.org)。
また、継続する働きとして、同じ15年前に立ち上げたメイク・ア・ウィッシュ(難病に戦っている子供たちの夢と希望を叶えるボランティア団体)の理事として、関西からも継続できます(www.mawj.org)。また、個人的な働きとして始めた「科学と宗教の接点を考える」ホームページ(www.konkyo.org)をも自宅から続けることができます。
以上の例はティモシーが中心にした働きですが、ユーコの働きはこれらの働きをサポートすると同時に、自分の宣教活動をも展開しました。つくばに来て間もなく、神経系筋肉の難病にかかり、現在に至るまで、治療をしながら宣教活動に携わってきました。病気をしているからこそできることですが、病気で悩んでいる人々、入院患者、またその家族、そして病院職員のカウンセリングを中心とするようになりました。このことを通して、イエス様に導かれていく人々も何人かいました。
国際都市つくばにおいて、外国人との関わりも多く、国際礼拝、英語聖書研究、また様々な地域活動もしてきました。クリスマス時期にはクリスマスディナーやオープンハウスなどが大変喜ばれました。新しい任地では、同じ形ではないでしょうが、同じ目的となるような、キリストの愛に触れる出会いの場を作って行きたいと思っています。
これからの二人の働きは、場所が違っても、神が4000年前にアブラハムに示された約束、即ち、神の祝福が全ての民に行き渡るような器となるように、祈りを持って歩みたいと思います。これからの働きを通して、多くの人が神の祝福に与ることができるように祈っています。日本の社会にとっては、部落差別を初めに、神の前にすべての人間が平等であることを否定してしまう様々の差別をなくすことは何よりもの祝福なのではないでしょうか。

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