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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4639号】人ひととき 寺西 信彦さん 見えないものに目を注ぐ

2007年11月24日

 日本基督教会の牧師家庭に生まれる。一番幼かったので礼拝の時間は、一人で牧師館にいる事が多かった。その頃、礼拝堂からの歌声が心に響いてきた。その曲は、ハレルヤコーラスであり、それ以来、心に響く美しい音をいつも求め続けている。

 その後、父は教会を辞し、目黒で幼稚園を経営する。園舎の一部が自宅であり家庭環境は余り良くなかった。学生時代は、受験競争とスパルタ教育に大きな反発を覚え、家にあった教育講座や関係書物を読み漁った。暗闇のような現実と、教育の理想の明るい世界との落差にどちらが本当なのかと悩んだ。

 少し絵心があって研究所に通う途中、一念発起して一九四四年に地方の代用教員となり、学生生活を終えてから正式な教師となる。絵が好きというだけで美術の教師となったので、絵の何たるかを何も知らなかった。だから、とにかく良い絵を見ようと美術館に通った。フランスの後期印象派、セザンヌの絵を三三年間、週に一度見続け、心で感じて、どのように描くか、を学んだ。この課程で、光と闇の関係が絵画には必要で特に光の重要性に気づいた。光を表すのは白だが、色を混ぜた白は光とならずに白っぽいだけ。光と闇は同等ではなく、光があってそれが当たっているからこそ目に見えるが、光が当たらなければ暗闇のままと悟った。

 信仰も神の威光が無ければ神を見ることはない。聖書の御言葉に聞き続けることが信仰と自分自身を深めていくと確信している。

 教師を退職した今、自分自身を見詰め、神を証しする絵を描きたいと願っている。主を証しする絵とは、光を描く事と考える。光が当たっている所に色々な色が見える。絵の具の色は光の色ではないが、光が見えている証しとして絵の具をカンバスに定着させたいと願っている。

 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」Ⅱ コリント4章18節

 教会の近くに住む教会員が召天され、当然キリスト教の葬儀が行われた。葬儀にはご近所の皆さんも多く参列された。所用で電気屋さんに寄ると、葬儀には列席されたと言われ、キリスト教のお葬式はよいものですね、と言われる。お話も良く分かりましたとも。

 葬儀は召天された方の証を示されるのであるが、それと共に社会の人々に聖書のメッセージを伝えることができる。伝道が深まるときでもある。
そして、葬儀と共に一般の皆さんにメッセージを示すことができるのは結婚式である。

 幼稚園の先生が結婚することになり披露宴に招かれた。相手の彼は小学校の先生である。彼の主賓は校長先生で、僧侶でもあるということである。教育者であり、宗教家である校長先生は、さすがに感銘深く祝辞を述べられた。終わったとき、随分長いなあと思った。

 次に花嫁さんの主賓である園長(牧師)の祝辞である。園長は、キリスト教主義幼稚園で働いた彼女が、聖書に基づき、一人の存在を大切にしながら子ども達と関わったことを話し、そのことからレギオンを宿す人を例にした。イエス様は二千匹の豚を犠牲にして、一人の存在を大切にしたことを示したかった。どうやら校長先生以上に長祝辞になったようである。

 その後、また幼稚園の先生が結婚することになったとき、「豚の話はしないでくださいね」と言われてしまう。はて、それでは雀の話でもしようか。
(教団総会書記 鈴木伸治)

2007年11月2日

九月十二日、安倍首相の突然の辞任で日本中は大混乱。
その夕方、ある新聞社からの電話取材で「今回の突然の辞任をどう思いますか」とのことで、私なりに感想を述べた。
その後の確認で、「まことさんの字は旧字…眞…でしたね」「ええ」と返事をすると「印字の関係で、新字…真…を使いたい」と言う。
私は、新聞記者たる者が、人の名前を正確にではなく、簡単に間に合わそうとすることに驚いた。
さらに聞いてみると、名前に関しては、他新聞社とも協定ができており、どの新聞社もそうだと言われ、さらに驚いた。
結局は「旧字が使用できるなら名前を出し、使用できないのなら浜松市在住のA氏とする」で、電話を終えたが、翌日の結果は旧字。人によっては、自分の名前の旧字・新字に余りこだわらない方もおられるが、運転免許証をはじめ、他の免状でも、名前が正確でなければ無効のはず。
「名は体を表す」の言葉にもあるように、名前は記号ではなく、人格と実体を表すものである。
初代教会においては(現在にも通じる)、「イエスの名によって」洗礼が施された。
それは、イエスの名が実体と人格を表し、イエスの実在を洗礼式において告白しているからである。
「たかが名前、されど名前」どころではなく、大牧者に、名を呼んで頂くためにも、確かな字を使用したい。
(教団総会副議長 小林 眞)

いと小さき者の一人に

「いと小さき者の一人に。」この聖句は、神宮さんの四〇年に亘る教員生活を支えてきた御言葉である。
戦後、価値観の大転換に人生の本当の意味を問うた。そんな折、金沢教会を会場に開かれていたYMCAの英語クラスに参加したことをきっかけに教会の門をくぐった。従姉がクリスチャンであったこと、他にも教会に触れるきっかけはあったが、教会の門をくぐったことを意識したのはこの時である。
実家は米穀商、父は家業のほか、能楽師として弟子をとるほどの実力者だった。小さいときから仏教色の強い環境で育ってきた。そのような神宮さんがこの英語クラス、また学んでいた師範学校で開かれていた学生YMCAの聖書研究会などを通じてキリスト教に触れ、信仰をすんなりと受入れられたのは驚きである。神宮さんは、「唯、神の招き」と言う。
教員として公立学校一筋で通した。公立学校での働きを続けたのは、伝道の困難な地でより多くの人にキリスト者としての証しすることができたからだ。生徒や保護者に向けて、信仰に根ざした教育観、人生観を事あるごとに伝えてきた。ときには大胆に聖書の言葉を引用しながらでも。中学の英語教師から出発して、後には養護学校校長を務めた。七尾に新設された養護学校では、生徒が事故によって亡くなる、という大きな危機を経験したが、親の理解を得られたことには深い感謝を覚えた。
教員としてはすでに一線を退いている。退職者としての責任は負ってゆくつもりである。しかし、目下、神宮さんの目標は、教会が来年に控えている百周年の記念のことであり、教会が今年度の標語に掲げた「主に対する信仰を告白し、伝道する教会の形成」のために一役員として力を尽くしてゆくことである。加賀の地の伝道。この地に福音の種を蒔いた宣教師たち、信仰の先達の志を継承してゆきたい、と願っている。

去る一〇月十二日夜、東京・早稲田奉仕園スコットホールにおいて「陣内大蔵『僕んちは教会だった』出版記念チャリティー・コンサート」(主催=日本キリスト教団出版局/協賛=日本基督教団社会委員会、同関東教区、同中部教区、財団法人早稲田奉仕園)が行われ、観客一三六人を魅了した。(写真)
これはミュージシャンで東京・東美教会伝道師の陣内大蔵さんの自叙伝的エッセイ刊行を記念して企画されたもの。『僕んちは教会だった』(日本キリスト教団出版局刊・一〇五〇円)は牧師家庭に生まれた陣内さんの少年期から思春期の経験を綴ったもので、九〇年代初頭に音楽・文芸雑誌『月刊カドカワ』(角川書店)に連載されたものに加筆・修正され、一冊にまとめられた。山口・宇部緑橋教会を牧会していた陣内厚生牧師の長男として生まれ、牧師家庭ならではの生い立ちを記したエピソード二〇編が、ユーモアを交え痛快に描かれている。また表紙の旧宇部緑橋教会堂をはじめ、文中のイラストも陣内さん自身の手によるもの。
当日は「僕は風、君は空」「心の扉」「空よ」などのヒット曲に加え、「アメージング・グレース」が演奏され、最後に陣内さんが特別にアレンジした「真実に清く生きたい」(『讃美歌21』五二〇番)を全員で歌った。会場には家族連れなどをはじめ、協賛の教団社会委員会、関東教区、中部教区からの関係者など大勢で賑わった。今回のコンサートの収益は新潟県中越、中越沖、能登半島地震で被災した教会の支援のために献げられ、コンサート終了後は陣内さんの呼びかけでさらに募金がなされた。またサイン会も催され、遅くまで多くの人が列をつくり賑わった。
教会での伝道・牧会をはじめ、テレビ・ラジオへの出演など音楽活動のかたわら、全国の教会やキリスト教学校で「チャーチコンサート」を開く陣内さん。年内は、これから二〇ステージが予定されている。「歌う伝道師」としての活躍はますます広がっている。
(中村吉基報)

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