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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4641号】「平和に生き、隣人を愛せよ」をテーマに 台湾基督長老教会との教会協議会

2007年12月22日

「第十一回日本基督教団と台湾基督長老教会との教会協議会」が、十一月八日から十日にかけて台湾南部の壽山中会に属する鳳山教会を会場に行われた。出席者は日本基督教団(以下教団)から十七名、台湾基督長老教会(以下PCT)からは二四名。
初日(八日)夜に行われた開会礼拝では、PCT総会議長の潘慶彰牧師が今協議会のテーマである「Liv-ing Shalom and Love
my neighbor(平和に生き、隣人を愛せよ)」と題した説教で、隣人としての台湾と日本の両教会がこれからも手を携えて協力関係を築いていきたいこと、また特にPCTとしては台湾が独立国家としての地位確立をめざす動きに大きく関わり、国連において認められることを願っていること、そしてPCTとしては地方教会への支援が課題となっていることなどが語られた。
二日目(九日)と三日目(十日)は、いずれも午前八時三〇分の聖書研究から始められた。九日は教団の高柳竜二牧師(神奈川教区議長・本牧めぐみ教会)がイザヤ書11章1~11節をテキストに担当。十日はPCTの胡宏志牧師(世界宣教委員・台北中会聖望教会)がマタイによる福音書5章9節をテキストに、現在の世界情勢を踏まえて「戦争は平和を求める人類にとって、最も恐るべきことである」と語り、「真の平和の基礎は神の義と平和にあり、錯覚した平和を示す偶像を明らかにし、取り去らなければならない」と力強く締め括った。
聖書研究に続いて二日目の午前中には、PCTと教団それぞれの代表者が約一時間の主題講演を行った。
PCTからは張徳謙総幹事が、「神から管理を委ねられているものを所有物として理解するところに誤りが生じる」とし、「平安とは受けると同時に分かち合うことである」と語った。具体的には、総幹事として各教会に対して毎年度末の繰越金を他の教会のために献げる提案をしていることを挙げた。また、経済偏重主義や貧富の格差という現実の中で、全世代に対する生命の教育を通し信仰共同体・生活共同体を築く営みを始めていることなど、社会的な課題を担う中に宣教の場がある、と語った。
教団からは小林眞副議長が「日本国憲法…特に第九条を巡って」と題して講演した。個人的に地域での護憲運動に関わっていることから語り始め、日本国憲法の成立・特徴、憲法をめぐる現状、憲法と教育基本法の関係などを述べ、憲法改定に反対し護憲を推し進めると締め括った。このテーマは、中国の軍事的脅威下にある台湾の現状をふまえて事前にPCTからの要請で取り上げたが、憲法改定反対が全教団的な取り組みとはなり得ていない実状があり、自衛隊は容認すべきとの発言もあり、また反対に教団側の出席者の一人から自衛隊容認はできないとの発言がでるなどの一幕もあった。
これらの主題講演の後、二日目の午後と三日目の午前に三回にわたって全体協議を行い、講演を踏まえて前回の共同声明に基づいての意見交換が行われた。
宣教師の相互派遣についてはすでに実施されているが、特にPCT派遣のディヴァン・スクルマン宣教師を通して北海教区がPCTの活動に大きく学ぶところがあったとの山本光一北海教区幹事の発言があり、さらに任期延長要請を準備していることも伝えられた。
神学生の交流では、玉山神学院と農村伝道神学校の相互研修について、PCTとしては総会として行っているのに対し、教団は一神学校のプログラムとしての受け止めであるとの認識の違いが明らかになり、PCTからは公式に教団として進めて欲しいとの要望が出された。
また、教団兵庫教区とPCT高雄中会で「宣教協力と交流合意書」が結ばれていることが紹介され、継続されている青年交流を含めて、今後さらなる宣教協力が深められることが期待された。
この協議会がさまざまな交流の基本となることを踏まえた上で、双方に共通する高齢化・少子化、経済格差、環境保護、移民・外国人労働者などの諸課題に対しても、次回の協議会の中で取り上げる、あるいは個別協議を設定してほしいなど意欲的な要望が出され、それらを受け止めた「共同声明」が出された。
(高橋真人報)

一月十四日(月)午前十一時~十日町教会牧師館の完成記念礼拝が、同日午後三時~見附教会の会堂・牧師館の献堂式が行われます。『私たちは孤独ではない』ことを実感しています。小出教会のために引き続きお祈り下さい。

聖名を讃美します。
「夜は更け、日は近づいた(ローマ13章12節)」。
見附教会は度重なる災害で、再建不能な打撃を受けました。にもかかわらず、これによって私共の信仰が純化されました。皆様からの貴重な献金により新会堂・牧師館が完成したのです。新しき主の業の始まり! 歓喜に満たされています。試練(災害)を乗り越える道をも備えられていたのです。『朝の来ない夜はない』。ただ主に感謝です。
見附教会
牧師 柳田剛行

三年前の新潟県中越地震で被災した牧師館が、もうすぐ完成しようとしています。この時間は私たちにとって決して短くはありません。でも、わずか三年での再建であるとも言えます。
工事中の牧師館を眺めながら思うのは、それが長かったのか短かったのかではなく、教会の新しい歩みのために必要な時間・信仰の成長に必要な経験だったということです。変わらない主のお導きと皆様のお祈りに心から感謝です。
十日町教会
牧師 新井 純

*恵みに満ちた台湾交流

今回、台湾最大のプロテスタント教団、台湾基督長老教会との青年交流プログラムに、教団の青年代表として参加しました。台湾から青年が参加し、共に台湾各地を訪問しつつ、台湾や福音について学ぶことができました。
台湾では、十三のユエンツーミンと言われる先住民族を含め、多数の民族が異なる言語・文化を持っています。その歴史の殆どが日本を含む外国統治の結果、複雑な歴史背景を負うに至ったことを知りました。
民族間だけではなく、世代間でも話す言語や歴史認識が異なることを知り、大変驚きました。その結果、家庭や教会内ですら言葉の「断絶」、歴史認識の「断絶」があります。さらに、弾圧の歴史から一気に民主化が進んだというコインの裏側には、氾濫する外国文化の中で誰もが自分が何者であるのか、常にアイデンティティーを探しているという台湾の姿がありました。
アイデンティティーの問題だけではありません。クリスチャンが八割以上を占める先住民族の方たちは、平地に住む漢民族系の台湾人と比べ、社会的・経済的・政治的に弱い立場に立たされていることを初めて知ることができました。
このような内部での断絶一方で、国際社会からも孤立の岐路にある台湾。中国の外圧によって、政治が紛糾しています。国として国連の援助が得られず、SARSでは多くの被害者を出しました。最近では、中米の貿易国からは国交を断絶され、国際的に孤立の様相を強めています。
中国のミサイル威嚇に脅えつつ、来春の総統選挙を控えています。同じ教会といっても、内部で色々な意見があり、特に北と南ではかなりスタンスが違います。歴史認識にも南北で、世代間で大きな乖離があるので、これは当然の結果かもしれません。政治問題は殆ど教会ではタブー視されているということでした。
このように台湾は今、内外からの問題を抱えています。同じ神に連なる隣人として、そして台湾の歴史に関わってしまった国に住む者として、私たちも台湾の人々や教会のために心を尽くして祈り、できることで支援していかなければという思いを強くしました。
一〇日間三食を共にするというのは、家族でもなかなかないことです。プログラムでは、このように食事を分かち合い、祈りと生活を共にすることで、最終日には全員が参加者全員の物マネができるほど仲良くなりました。台湾・日本の青年で互いに信仰を深め合い、神の家族として強い絆で結ばれていると実感できました。
また、今回日本から高校生が三名与えられたことも大きな恵みです。求道中の一名は、主の交わりが常に外に向かって開いていなければならないということをわたしたちに思い出させてくれました。プログラム中、彼女の存在によって、『分かり合える人のためだけの福音』ではなく、『すべての人に開かれた福音』を意識することができたことは、参加者全員にとって大きな収穫でした。
またすでに教会に通っている二名は、現在の高校生クリスチャンが抱える問題を教えてくれました。彼女たちがその純真さのゆえに、心無い言葉の飛び交う学校生活と教会との乖離に悩み、キリスト者として日々重圧の中を戦っていることを今回初めて知ることができました。
そんな彼女たちが主にある交わりの中で、日々信仰を深め、輝きを増していく様子を見て、中高生伝道の大切さを改めて確認しました。
台湾のキリスト教人口は4%です。決して多くはありませんが、様々な活動を通じて創造的な青年伝道を行なっていることを学びました。日本の私たちも地の塩として創造的に大胆に、神の愛を伝えていきたいと大いに励まされました。
貴重な機会を与えてくださった神様、またプログラムの準備に携わってくださった皆様に、心から感謝します!
(秋田公子報)

*青年交流プログラムに参加して

台湾で行われた一〇日間の青年交流プログラムは、私にとって「教会」について今一度考えるきっかけとなった、とても有意義な機会であった。中でも、台湾原住民(ユエンツーミン)の一つである布農(ブヌン)族の人々を訪ねることは、他のプログラムや個人の旅行ではなかなか成し得ないことであろう。台湾のクリスチャン人口は全体の4%だが、原住民の8割はクリスチャンだという。布農の人々も熱心なクリスチャンだった。我々は家庭礼拝と青年の集会、そして日曜礼拝を一緒に守らせていただいた。北京語が広く使われる現在の台湾の状況の中で、布農の人々は確固たる意思を持って布農語を使い続けており、礼拝も布農語を用いて守られていた。その中で驚いたのは、「神様」は布農語でもKAMISAMAなのである(布農語は本来文字を持たないため、アルファベットを当てている)。台湾で日常使われている北京語でも台湾語でもなく、「カミサマ」、他にも「イエスサマ」や「レイハイ」「メグミ」などは日本語と同じように発音される。なぜかと尋ねると、布農の人々にとって北京語や台湾語は「借り物」の言葉であり、自分たちの言葉ではないという意識が強い。それよりは日本語を用いたほうがしっくりくる、というのだ。
しかしその日本語も敗戦まで日本が台湾を統治していたからこそ伝わったのだ。台湾の一定の年齢層には日本語を使える人が多い。布農族にも流暢な日本語をお話しになる方がいた。非常に衝撃的だったのは、日本には感謝している、というのだ。日本はインフラを整備し、教育を施してくれた、とても可愛がってくれた、と日本語で伝えて下さった。そのときの複雑な気持ちを、私は忘れられない。日本が台湾を統治していたことは恥ずべき過去だと思っているし、またその親日的な感情は台湾政府や中国に向かう反発から来ていることも否めないからだ。主にあって一つ、とは教会でよく使われる言葉だが、ともすると「神さまを知っているなら、私とあなたは同じ」という使われ方がなされているように思う。それによって本当は存在している複雑な問題が見えなくなってしまうのではないか。借り物の言葉を使わず、自らの部族に誇りを持っている人たちに、「私とあなたは同じ」と言い切ってしまうことは非常に暴力的で、植民地化と同じことになりはしないだろうか。
台湾に実際に存在する複雑な問題を、教会がもつ複雑なしがらみを、今回のプログラムの中ではしっかり話し合うことができなかったように思う。共に祈ることはできたかもしれない。確かに、共に礼拝し、祈ることで「主にあってひとつ」をポジティブに感じることはできたし、それは心から楽しく、喜びだった。しかし我々がユースとして何ができるのか、何をすべきなのか。そこに与えられた主のメッセージが何なのか、我々は受け取ることができたのだろうか。祈ることが逃げ場になっていないだろうか。そのことを問い続けられる私たちでありたい。
(長尾有起報)

*ひとこと

七月二八日~八月六日、宣教協約を結んでいる台湾基督長老教会のユースプログラムに参加した。昨年八月には台湾から十名の青年を迎えユースミッション二〇〇六を行ったが、今回はその交換プログラムである。
32総会における所謂「青年伝道決議」の結実とも言えよう。教団はこのために台湾協約委員会と教育委員会、学生キリスト教友愛会が協力して派遣を行った。
今回は台湾の青年七名と共に台北から台湾中部へと旅し、台湾の歴史と教会の活動を学び、交流を深めた。大きな刺激を受けて帰国した青年たちの報告に、思いを合わせたい。
(岸憲秀/教育委員長)

「教団新報」次号四六四二 ・四三号を合併号とし、一月二六日に発行致します。
なお教団事務局、出版局、年金局は二九日~一月六日は休業致します。
総幹事 内藤留幸

▼祈祷会の最中、異臭を感じた。教会のあちこちで、微妙に臭う。発生源が分からない。翌日になって、犬の糞を踏んづけた痕跡と思われるものを階段と床に見つけた。誰かの靴底に付着して持ち込まれたのだろう。▼犯人は誰だ。教会学校の子どもかも知れない。推理しているうちに、はたと思い当たる。調べると果たして、祈祷会時に履いていた自分の靴にべっとりと。▼前任地で会堂建築した時、床を土足にするか否かで議論になった。靴で礼拝堂に入るのに抵抗を覚えるという人もある。せっかくのバリアフリーだし、年配者や車椅子の人は土足の方が楽だということで、土足派が勝った。▼バリアフリーで土足、開かれた教会が多くなった。結果、開かれた玄関から、いろんなものが吹き込み、持ち込まれる。靴底に付いた犬の糞までも。仕方がない。▼神聖な会堂が汚れたと躓く人が出ないように夜の間に数時間かけ、床掃除をした。掃除しか他に打つ手はない。

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