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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4647号】牧師のパートナー

2008年4月4日

神様は面白い方

加藤 敦子 (保原教会員)

私達は六〇歳まで社会の中でごく普通の生活をしておりました。夫は高校の教師でした。三〇代の頃、「聖歳月」というイエス様の伝記小説を書き、自費出版しています。それを書くため聖書をくり返し熟読し、当時の最新の情報を勉強して執筆に熱中し、私達の会話に聖書の話題がよく出ていたのを思い出します、今は聖書の研究もさらに進んで、当時わからなかった多くの新しい事実が発見されているとの事、二千年も研究され続けているのに今でもまだ新発見が…と驚きます。
夫は定年を迎え、突然神学校へ行って学び、牧師になりたいと言い出しました。私はいたってのん気ですから「あなたの人生だ。好きにしたらいい」と、私自身と関わりがあることに思い至らず送り出し、夫のいない四年間を楽しんだのでした。後に近隣の教会の牧師夫人が、夫不在の四年間をさぞ辛かったでしょうと同情された時、「とっても良い時間でした」と言ってびっくりされました。若い牧師夫人には分からない心境です。共働きの忙しい毎日、家事の重荷、ストレスで参ってしまいそうな時、愛はひととき引っ込んで夫婦間はギクシャクします。そして別居、距離を置いて相手を想い、その気持ちや互いの日常を週に一回は手紙で伝えあう時が私には必要でした。牧師夫人になって初めて夫婦がこんなに支えあっている関係なのかと判った次第です。
最終学年になってやっと私は一年後には牧師夫人になるのかと思いはじめ、最初に想ったのが昔愛読した「赤毛のアン」の中の牧師夫人の姿だったのですから、おとぎ話のような現実味のない感覚です。そして一九九九年四月、福島県の小さい教会へ来ました。
教会はかつて牧師との間でトラブルがあり、一応決着していましたが、会堂は無く民家を借りていました。無牧の時、教会員はここで牧師が与えられるよう熱心に祈りを捧げてきたそうです。その一年後、農村部に移って新会堂が建ちました。
牧師夫人とはどんなものか、教区の牧師夫人の会にさっそく出席し、婦人会連合の牧師夫人研究会の大会にも興味津々、出席です。
この地に来てすぐ教区婦人委員会の県委員の順番が地区へ廻って来ましたが諸事情で誰も受けられず、教会婦人会の経験もない私がやることになりました。四年間皆さまに助けていただき、失敗も幾つもしましたが、楽しく満たされた時であったと心に残っています。
以上、九年間の牧師のパートナーとしての年月です。劇的なことは何もない、これという働きもない。毎日、神さまに教会員、その御家族、求道者の方々をお守り下さっていることへの感謝の祈り、これだけでしょうか。
私自身は沢山のことを学びました。教会生活を通して、頂くパンフレットや様々な分野の本を通して、地域のサークル活動や講演会を通して。神さまは意外と面白いお方のよう。思いがけない経験をさせて下さったり、助けて下さったり、試練を用意して下さったり。
そのどれもが、私に受け取る準備ができた時を見計らって与えられています。どんな場合も、良い方へ導いて下さることを確信して今を生きています。

EMS(南西ドイツ宣教会)青年ボランティアプログラム
◎期間/2008年9月より約5ヶ月間
◎内容/ドイツの保育所や教会青年部でのボランティア活動
◎財政条件/ドイツ側が健康保険、食事・宿泊・小遣いを提供
参加者本人が飛行機チケット代、ビザ取得費用を負担
◎条件/18歳以上30歳以下、英語でのコミュニケーション力、牧師の推薦状
◎参加国/日本、ナイジェリア、ガーナ、南アフリカ (何れもEMSパートナー教会)
◎募集人数/1名
(日本基督教団より)
◎問合せ/国際関係委員会(℡03-3202-0544)
◎応募締切/6月30日、書類と後日の面接により選考

岡山好江氏(隠退教師)
一月二四日、逝去。八五歳。山口県に生まれる。一九四七年日本基督教女子神学専門学校卒業後、上原教会に赴任。その後千葉教会を牧会し、梅光女学院教務教師を務め、千歳船橋教会を牧会した。六九年から八八年まで梅光女学院短期大学教務教師として奉職し、九六年隠退した。遺族は弟の光司さん。

みんなちがって、みんないい

亀岡 顕

東京教区に於いて信仰理解、教会の姿勢、宣教のあり方が激しく対立し合った70年代以降、北支区は一貫して、「伝道を教会形成と結びつけると同時に、教会の社会に対する預言者的責任を視野に入れた」宣教活動を重視しています。支区内にはこの姿勢に対する異論もあります。これからも宣教理解について開かれたかたちで論議を重ねていきます。その際、従前の通り、常に自らを相対化しようと努め、「キリストにならい、違いをよろこび、受け入れ合」っ(讃美歌21・416⑤)て、お互いに育てられていくことを大切にしていきたいと願っています。
合同教会である日本キリスト教団にはいろんな理解や考え方が流れ込んでいます。それらの多様性・豊かさを宣教の諸課題への取組に活用すべきではないでしょうか。
今、北支区内にある五三の教会・伝道所の信徒、教師たちに求められているのは、それぞれの信仰について理解し合いながら、〝イエスにとらえられて生かされている恵みの現実に相応しい生き方〟を各自の証しの生活、宣教の現場で実践・具体化していくことであり、その進め方や重点の置きどころは違っていても、「みんな御業の前進のために用いられている」と信じ、認め合うことです。
さらに、教会が置かれている地域の課題や住民のニーズに近隣のいくつかの教会が共同しながら取り組んでいく〝新しい宣教のあり方〟の必要性・可能性についても模索していきたいと思っています。   (東京教区北支区長)

第35総会期第三回スイス協約委員会が、二〇〇八年二月七日、教団会議室で開催された。後半は再び韓国協約委員会との合同委員会となり、日本で開催予定の次回「スイス・韓国・日本 三国間協議会」を中心に話し合いがなされた。
そのさいスイス側の記録が次回協議会を「第三回」と表記していることが分かり、今後は本委員会もそれに合わせることにした。
韓国協約委員会には、およそ以下のような経緯と展望を説明して、次回協議会の共催を再びお願いした。
スイス協約委員会が一九八八年に設置された背景には、京都にスイス・プロテスタント教会関係の施設が二つあって教区と関係が深いこと、また一九八〇年代、スイス東亜伝道会の紹介で、教団から日本人牧師が協力牧師として当地で働いたことなどがある。
協約関係の実質化として開催された第二回協議会(一九九七年、チューリヒ)にはスイス在住の韓国人牧師も陪席し、将来は三国間協議会を開催することが目標として掲げられ、それが第一回三国間協議会(二〇〇二年、ソウル)として実現し、第二回協議会(二〇〇六年、バーゼル)に継承された。
中心主題は、第二次世界大戦中の罪責問題、最近の歴史問題、移住労働者問題など多岐にわたる。しかし何れも同時代的課題であり、ますます国際化する現代社会において、諸教会が共通する問題圏について地域ごとの視点から報告および意見交換を行うことは、自らの立ち位置を複眼的に把握する上で貴重な機会となっている。
教団や各個教会にとっても、グローバルな視野の中でローカルな宣教課題を見定めるべき時代が来ている。今後も教会が社会に貢献し、またそれを担う若い信徒が育つためにも、協議会は用いられるべきであろう。
以上のような経緯と今後の展望が確認された。その上で韓国協約委員会において検討し、再度両委員会の合同の協議を持つこととした。
(廣石望報)

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