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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4648号】春季教師検定試験 近年になく少ない不合格者

2008年4月19日

召命に応えることの重さを十分に受け止め

二〇〇八年の春季教師検定試験は、二月二六日(火)~二八日(木)、東京会場(早稲田の日本キリスト教会館)で、四階の教団会議室と六階の会議室(貸室)で行なわれた。一日目は学科試験、二日目、三日目に個人面接を行なった。原則として二日目の個人面接は遠方からの受験者、三日目の個人面接は東京近郊の受験者とし、受験者の負担軽減を図った。
二日目・三日目それぞれ、個人面接に先立ち、全体会を行なった。開会祈祷後、検定委員の自己紹介があり、続いて小掘委員長からの挨拶が述べられた。小掘委員長は、「第35総会期教師検定委員会方針」に沿って、「主の召命に応えて日本基督教団の宣教を担い、主の教会に仕える教師を送り出すために、教憲教規に基づき、教師検定規則に則って」行う試験であることを、確認の意味で述べた。その上で、教憲第九条に「本教団の教師は、神に召され正規の手続きを経て献身した者とする」とあることを指摘し、その意味について説明した。何よりも神の召命にお応えすることの重さを十分に受け止めること、また今後の伝道献身者としての心備えについても言葉を添えた。
今回の受験者総数は八〇名で、内訳は補教師六七名(Aコース三七名、Bコース十四名、Cコース十六名)、正教師十三名であった。
試験直後の二九日(金)に行なわれた第35総会期 第五回教師検定委員会での学科試験の判定によると、補教師試験受験者六七名の内、合格者四二名、保留者九名、継続者(Cコース)十四名で、不合格者は二名であった。正教師試験では、受験者十三名の内、合格者五名、保留者四名で、不合格者四名であった。保留者は、学科試験の得点が合格点に少し足りなかった受験者で、改めてレポートが課せられ、後日提出されたレポートによって再判定を受ける者のことである。
今回、補教師試験の不合格者は少ないが、保留者は依然として多かったことは残念なことであった。しかし、今回は、教憲教規・宗教法人法の受験準備が良く行われていたと思われる。近年になく、不合格者が少なかった。今後も、この調子を持続して欲しいと願わされる。しかしながら、新約聖書神学・旧約聖書神学については、これまで同様、神学的な論述になっていないものが目立った。また、正教師試験は、秋季試験の再試験となるものであるが、その結果は大変残念なものであった。教会・伝道所に仕えながらの準備勉強ではあるが、科目が少ないのであるから、十分な準備をして試験に臨んで欲しいと思わされた。
教師検定委員会は、毎回、提出物の課題・学科試験の問題において、いつも基本的な理解を問い、また学ぶ姿勢を問うものを出題してきた。教師として宣教の場に遣わされ、み言葉を宣べ伝えていく上で、聖書の基本的な知識や理解と神学的思考は欠かせない。ただ、試験のための勉強ではなく、日常的に聖書的・神学的な学びを継続していって欲しい、と願っている。そして、それは伝道者として永く働くために、力として蓄えられることだからである。
試験直後の委員会において、幾つかの課題が指摘され、話し合われた。その最も大きなものは、神学校・神学部の実態が、教師検定規則で前提とされていることと乖離していると考えられる点である。このことについては、教師検定試験制度の見直しという大きな課題となる。今後早急に検討し、改善する必要があることを、委員会の共通認識とした。
今回利き手を怪我した受験者があったが、教団所有のパソコンを使って、別室受験により対応することができた。これまでも、色々なケースがあったが、委員会としては、受験に疑義が生じない工夫を最大限に講じながら対処してきている。
今回、八〇名の受験者が与えられたことを、主に感謝する。今後も、日本と世界の福音伝道のために、良き働き人が立てられるよう願うものである。多くの献身者が起こされ、それぞれ良い準備をして、試験に臨んで頂きたいと、願う。   (倉橋康夫報)

■2008年春季・補教師検定試験問題

教憲教規および諸規則・宗教法人法(60分)
(A・B・CⅢコース)
次の2題に答えてください。
1. 次の( )に正しい言葉を書き入れてください。
ア 教会担任教師の招聘は、(a)の議決を経て、教区総会議長に申請し、その承認を受けなければならない。
イ 教会の会計年度は、毎年(b)に始まり翌年(c)に終る。
ウ 年齢(d)の者は役員に選ばれることができない。
エ 教会総会の定足数は教会規則において定める。ただし、現住陪餐会員総数の(e)を下ってはならない。
オ 教会の役員(f)の要求があったときは、臨時に教会総会を招集することができる。
カ やむを得ない事由により教会の基本財産を処分する場合は、教会総会において出席者(g)以上の同意と責任役員の同意を得、教区総会議長の承認を受けなければならない。
キ 教会担任教師が病気その他の事由で(h)以上その職務を行なうことができないとき、本人または役員会はその旨を教区総会議長に届け出なければならない。
ク 議員(i)以上の賛成のあるとき、教区総会に議案を提出することができる。
ケ 建議とは、教団の教務または行為について、(j)をするものである。
2. 「宗教法人法」に基づき、宗教法人を管理する上で、制度上重要な点(条文の列記ではなく)を述べてください。併せて、宗教法人格を持つ教会が備えなければならない書類・帳簿について記してください。

旧約聖書神学(60分) (B・CⅢコース)
次の3題のうちから2題を選んで答えてください。
1. 旧約聖書における「贖(あがな)い」について、述べてください。
2. 旧約聖書における「神の像(かたち)」について、述べてください。
3. 旧約聖書における「信仰」について、述べてください。

新約聖書神学(60分) (B・CⅢコース)
次の3題のうちから2題を選んで答えてください。
1. ヨハネによる福音書における「聖霊」について、述べてください。
2. 共観福音書におけるイエスの受難と死について、述べてください。
3. パウロ書簡における教会理解について、述べてください。

<講評>

二〇〇八年春季教師検定試験が、教団事務局のある日本キリスト教会館を会場に実施されました。試験の結果は報告にあるとおりです。
この試験は、受験者一人一人の神様からの召命を前提に実施されます。ですからこの試験において問われることは、何よりも神様の御前において召命に応えていく献身の姿勢なのです。
パソコンの普及により、提出物において他人のものを簡単に借用出来るようになりました。今回もそのような安易な提出物がありました。本当に残念なことです。この試験が、主の御前における試験であることを心に刻んでいただきたいのです。聖なる神様への畏れを失えば、召命に応えることは出来ません。
真剣に、そして謙遜に、学びを続けていただきたいのです。それは、福音を宣べ伝え、教会を建てていく業に仕えるために、どうしても必要なことだからです。
(小堀康彦委員長)

2008年4月4日

昨年夏前に、約五千万人分もの年金記録が、失われたり、不備であることが次第に分かり、日本中に不安が広がった。
あるフランス人ジャーナリストが、「日本人は何て大人しい民族か。これがわが国で起きたなら、国中で暴動が起こる」と言った。  外国人の反応はともかく、誰もが自分の分は大丈夫なのか、と一度は考えたのではないか。
先日のこと。社保庁から「年金記録確認」の書類が届いたが、開けてびっくり。何と、私が神学校を卒業してからの一〇余年分の納入額がゼロ。幸い、その間の領収書を保管していたので一安心。
私たちは、与えられた信仰を守り育てつつ地上の生活を歩んでいる。信仰生活の具体的な内容としては、礼拝を守り、様々な奉仕…賜物・時・財ほかを捧げる…に励み、この生活こそ、天の命に直結していると信じており、ある程度、その準備ができているという自負があるかもしれない。
けれども、その信仰が、自分のイメージでの信じ方や、自己満足の奉仕であった場合、本人は「天に宝を積んだ」と思っていても実際はそうではなく、それこそ天国の門番に「あなたは入れません」と言われる危険性もないわけではない。
地上の老後のことは最低のことでもどうにかなるが、天の命は、地上の自分の業によって確保できるものではなく、主キリストの復活以外に確かさはない。
イースターおめでとう。
(教団総会副議長 小林 眞)

「福音は本当に、Good News だと思います。Newsは伝えないとダメ。Newsは流し続けることが大切です」と言い切る。
洗礼を受けたのは、五年前のクリスマス。「こちら側では何の準備もないまま」導かれるままに受洗準備会。「準備会の途中で、ダメだと思ったらそこでやめればよい」と、気軽に臨んだ。やがて諮問会。「ダメだったら、諮問会でダメと言われるだけ」と、やはり気軽に臨む。
洗礼を受けて間もなく、勉強にもなるからと勧められて教会学校教師に。説教をしなくてはならないが、教師になってから半年間の猶予がある、と気軽に取り組む。
「気軽に」とは言っても、あなたまかせの無責任の姿勢とは全く違う。福音に与らせ、伝えさえ、用いてくださる主の備えと導きを信じて委ねる、喜ばしい態度だと思っている。
キリストの愛に駆り立てられているから、「伝道は待っていてはダメ。Good Newsをこちらから投げるのです。まず投げ、そして投げ続ける」のだという。まさに、Good Newsのキャスター(投げる人)だ。
かつて英語の教師。今も、英検の面接官をする。好きな英語、賜物の英語が用いられて、
“Bible class GRACE”を牧師と共に指導することになった。
「せっかく恵みの中に生かされているのだから、感謝して生きることが幸せなのです」との確信を伝える。「み言葉に触れ、キリストと出会って、強さも与えられるのも幸いです」。主にCS生徒の母親たちが参加し、礼拝にも参加するようになった。
ことさら「伝道」と意識してはいないが、「福音を伝えるために」ついつい面倒なことも提案する。「ついつい」は「聖霊の導き」。不思議なタイミングと備えがあって、子供向けの“GRACE Kids”が牧師夫人らの指導で始まり、多くの親子が礼拝にもつながりはじめている。伝道は「本当の意味で楽しくなければね」。

二月二日(土)富士見町教会を会場に東京信徒会が開かれ、聖学院大学学長阿久戸光晴氏が「デモクラシー成熟の課題」と題して講演した。参加者五四名。
この信徒会は教会を超えた信徒の自由な交わりと勉強を中心にした会で、今年、五年目を迎える。
阿久戸氏は、現代の課題は、人々が高い見識と静かな勇気をもって、気骨ある人生を営んでいくことが一番の解決であると語った。
物語「星の王子さま」は「大切なものは目に見えない」が主題である。見えないものを見る目、そこに隠されている真実を見る目は聖書によって養われる。併せて、宇宙万物・文化・精神あらゆるものに見えざる中心があると指摘した。
現代の問題は中心の喪失であると提起したハンス・ゼードルマイヤーを紹介しながら分析を展開する。
近代デモクラシー体制は、父権的国王を廃し、構成員の周縁部分を含め全体の活性化を図る体制であるが、現代日本社会において「中心の喪失」への恐れが深刻な問題である。つまり、父権的国王でない新しい中心とは何か、良い意味でも悪い意味でも失っている。
アメリカ・ピューリタンは見える国王を置かず、見えざる神を中心に社会と国家を築くために「中心の拡散」を図った。真の中心を求心力とするために、擬似中心を廃棄した。この信念が根本規範理念として一般化されデモクラシーが形成されて行った。これこそが、近現代社会の中心を担い得るものである。
何時のことか分からないが、世界共同体は、教会共同体を仰ぎ、血縁共同体から約束共同体へ、神という唯一の縦関係の中において、横が出来ていくという関係が築かれていくであろう。そこにイエス・キリストが足を洗うサーバント・リーダーシップがある。
イエス・キリストの贖罪信仰、復活信仰に希望と愛の心を共有することこそが、闇に輝く灯台の姿、世の希望となる教会共同体であろう。その中に私達はいるのであると力強く結んだ。
(鈴木功男報)

神様は面白い方

加藤 敦子 (保原教会員)

私達は六〇歳まで社会の中でごく普通の生活をしておりました。夫は高校の教師でした。三〇代の頃、「聖歳月」というイエス様の伝記小説を書き、自費出版しています。それを書くため聖書をくり返し熟読し、当時の最新の情報を勉強して執筆に熱中し、私達の会話に聖書の話題がよく出ていたのを思い出します、今は聖書の研究もさらに進んで、当時わからなかった多くの新しい事実が発見されているとの事、二千年も研究され続けているのに今でもまだ新発見が…と驚きます。
夫は定年を迎え、突然神学校へ行って学び、牧師になりたいと言い出しました。私はいたってのん気ですから「あなたの人生だ。好きにしたらいい」と、私自身と関わりがあることに思い至らず送り出し、夫のいない四年間を楽しんだのでした。後に近隣の教会の牧師夫人が、夫不在の四年間をさぞ辛かったでしょうと同情された時、「とっても良い時間でした」と言ってびっくりされました。若い牧師夫人には分からない心境です。共働きの忙しい毎日、家事の重荷、ストレスで参ってしまいそうな時、愛はひととき引っ込んで夫婦間はギクシャクします。そして別居、距離を置いて相手を想い、その気持ちや互いの日常を週に一回は手紙で伝えあう時が私には必要でした。牧師夫人になって初めて夫婦がこんなに支えあっている関係なのかと判った次第です。
最終学年になってやっと私は一年後には牧師夫人になるのかと思いはじめ、最初に想ったのが昔愛読した「赤毛のアン」の中の牧師夫人の姿だったのですから、おとぎ話のような現実味のない感覚です。そして一九九九年四月、福島県の小さい教会へ来ました。
教会はかつて牧師との間でトラブルがあり、一応決着していましたが、会堂は無く民家を借りていました。無牧の時、教会員はここで牧師が与えられるよう熱心に祈りを捧げてきたそうです。その一年後、農村部に移って新会堂が建ちました。
牧師夫人とはどんなものか、教区の牧師夫人の会にさっそく出席し、婦人会連合の牧師夫人研究会の大会にも興味津々、出席です。
この地に来てすぐ教区婦人委員会の県委員の順番が地区へ廻って来ましたが諸事情で誰も受けられず、教会婦人会の経験もない私がやることになりました。四年間皆さまに助けていただき、失敗も幾つもしましたが、楽しく満たされた時であったと心に残っています。
以上、九年間の牧師のパートナーとしての年月です。劇的なことは何もない、これという働きもない。毎日、神さまに教会員、その御家族、求道者の方々をお守り下さっていることへの感謝の祈り、これだけでしょうか。
私自身は沢山のことを学びました。教会生活を通して、頂くパンフレットや様々な分野の本を通して、地域のサークル活動や講演会を通して。神さまは意外と面白いお方のよう。思いがけない経験をさせて下さったり、助けて下さったり、試練を用意して下さったり。
そのどれもが、私に受け取る準備ができた時を見計らって与えられています。どんな場合も、良い方へ導いて下さることを確信して今を生きています。

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