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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4649・50号】お知らせ

2008年5月2日

「教団新報」今号四六四九 ・五〇号を合併号とし、四六五一号は五月三一日に発行致します。
本号は、特別号として発行、各教区総会にお届けします。乞うご購読。
総幹事 内藤留幸

疑う者たちに注がれている主イエスの力 古屋治雄

・世の終わりまでいつも

私たちは、すでにイースターを祝い、復活の主の力強い導きの下に、四月からの新年度の歩みを始めています。そして私たちは復活された主が、四十日間弟子たちと共におられた後、天に昇られ、約束してくださった聖霊が注がれるペンテコステを迎えようとしています。
わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
マタイによる福音書末部にあるこの御言葉は、主イエスが復活された直後に、弟子たちに向かって語られた言葉です。しかしこの主イエスの呼びかけは、復活直後に限定されず、むしろ今日に至るまで、どんな時代の中にあっても、主を信じる群れに呼びかけられている御言葉です。
この御言葉が語られた、復活の主と弟子たちの出会いの場面をみると、ルカによる福音書などが伝えている出会いの出来事と違っています。ルカでは、初めのうちは不安ながらもやがて大きな喜びにつつまれ、劇的な出会いの場面が伝えられています。そこで弟子たちは力づけられて復活の証人となり遣わされて行きました。
これに比べてマタイによる福音書では、復活の主と弟子たちとの出会いの出来事は28章17節で簡潔に伝えられています。
「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」。
マタイの場合も、復活の主に会うことができた弟子たちが後にきっと喜び、その後使徒として力強い働きを担ったであろう、と想像することができます。しかし直接そのようには伝えられず、復活の主の約束と派遣の言葉で終わっています。

・彼らの中に重い闇となって

そしてここで見過ごしにできないのが、この場面で弟子たちの中に「疑う者」がいたことです。ヨハネ福音書に登場するトマスのような特定の一人ではなく、細かくみると、複数の弟子たちがそうだったというのです。
聖書の復活の出来事に接する人は誰でも、荒唐無稽で一笑に付す出来事とは思わないにしても、疑いを抱かない人はないでしょう。
しかし、ここで十一弟子たちが復活の主に会っていても、なお疑いをもっているのは、主イエスが逮捕され、十字架にかけられたとき、主を捨てて逃げてしまったことが彼らの中に重い闇となって支配しているからと思われます。
ここでの復活の主イエスの最後の呼びかけは弟子たちへの派遣命令と言われます。確かにそうです。しかしこれは単にその役割を自覚させ、確認するための言葉ではありません。復活の主は、疑いを払拭できない弟子たちのところに、ご自分から「近寄って来て」、言われました。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」
すでに弟子たちは「イエスに会い、ひれ伏し」て出会っているのですが、ここで、主の宣言とも言える言葉をはっきり聞いたのです。同じように宣言しておられる言葉が最後にも語られています。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。
そして、この二つの宣言の言葉に、主イエスの派遣の言葉が、包まれているのです。
弟子たちは、この主イエスの二つの宣言の言葉をどう受けとめたのでしょうか。
私は確信します。「主は自分たちの犯した罪を赦してくださった」と弟子たちが信じることができた、と。復活の主の権能は、主ご自身のうちに留まっている力ではなく、弟子たちに、赦しと、新しい使命に向かう力として働いたのです。

・赦しと、新しく生きる力を

私たちも主の復活の知らせを伝え聞き、その主を信じ、初めの弟子たちから始まった教会の歴史を担いながら礼拝をささげています。
しかし復活の主の前に招かれたあの弟子たちが、礼拝をしながら疑いを秘めていたように、私たちにも、時に主に対する「疑い」がわき上がってきます。
私たちは、新しい二○○八年度を歩み始め、それぞれの教会でも新たな指針を掲げ、希望をもって進みたいと願っています。その私たちの中には、主に対する力強い信頼だけがあるのでなく、「疑い」や「不信」に陥る現実を抱えています。
主イエスは、そのような私たちにもこの最後の言葉によって、赦しと、新しく生きる力を確約してくださいました。
主イエスは、この二つの宣言に囲まれる中に派遣の言葉として、行って、すべての民を弟子とすること、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けること、そして命じておいたことをすべて守るように教えることの三つをお命じになりました。
復活の主イエスが弟子たちに出会ってくださったのはガリラヤでした。この地はそもそも主イエスが伝道を開始された地であり、ここから弟子たちを呼び出されました。「異邦人のガリラヤ」とも呼ばれ、「死の陰の地」とも言われているところへと私たちは出て行くように、復活の主から命じられています。
「すべての民をわたしの弟子に」するということは、孤立している人に、あなたを主が弟子に呼んでくださっています、と伝えることです。弟子として終わってしまったあの十一弟子は復活の主によって新たに弟子=使徒とされました。
主は、もともと弟子になれる者ではなかった者こそ、弟子にしてくださり、決して離さない方であることを私たちは人々に告げるのです。
私たちは、新しく主に招かれた人を洗礼へと導き、そのことのために祈るように勧められています。教会の働きは実際多岐に亘っていますが、どの働きも、洗礼へと導いてくださる主が同じように教会のなすべき働きに導いて下さっています。
三つ目に、教えることが命じられています。教えといっても古い律法を守るのではありません。「あなたがたの教師はキリスト一人だけである(23章10節)」この主イエスから私たちが弟子として教えを受け、その私たちが新たに教える者とされるのです。
復活の主が私たちに命じておられるこれらの命令は、私たち自身の力や能力によってなしうることではありません。一番初めの弟子たちに確かに働いたように、派遣命令を受けるすべての者に、復活の主の権能が先んじて働いてくださっているのです。
どんなに疑いに包まれても主が救いの歴史を完成し貫徹してくださることを信じて私たち一人ひとりが弟子とされていることを感謝し、またその使命を担っていく者となりたいと思います。
(福岡中部教会牧師)

2008年4月19日

生き方を通して

二人は聖学院大学での聖歌隊活動を通して出会った。秀行さんは大学で初めてキリスト教に触れ、礼拝に出席するようになった。郁絵さんは祖父母がクリスチャンであり、中学・高等学校とキリスト教学校出身であることもあって、キリスト教に違和感はなかったという。そして二人がキリスト者としての生き方への憧れを抱くようになったのは、大学で出会ったキリスト者教員の姿を通してであった。
さらに郁絵さんが聖学院みどり幼稚園へ就職、二人はそれが大きなきっかけとなり、上尾使徒教会へ通うようになった。そして彼女の方が一足先に、二〇〇二年の宗教改革記念日礼拝にて洗礼へと導かれた。それは「自分でどうこう言えないタイミングであった」という。その後に彼の方もキリスト教主義学校へ就職が決まり、「これで神さまと離れられない関係とされた」と観念し、二〇〇三年のイースターに洗礼へ導かれた。
キリスト教教育に携わる中で、郁絵さんは「子どもたちに信仰のことは本や歌だけで伝わるものではないと思う。子どもたちに関わる自分の姿を通して、神さまを証しし、神さまから愛されている子どもたちの尊さを知りつつ、自分もその一人であることの幸せを伝えていきたい」と語る。また秀行さんは「キリスト教に初めて触れる学生たちの気持ちがよくわかる。だからキリスト教に対して否定的な感情をもっている学生に対しても受け入れるという姿勢で接すること、クリスチャンである自分の歩みを通して、学生たちに証ししていきたい」と話す。
二人に共通する目標は、恩師たちと同様にキリスト者としての生き方を通し証ししていく姿勢である。そのことは教会奉仕にも現れている。現在、二人は教会学校で子どもたちに証ししつつ、秀行さんは教会役員として、郁絵さんは礼拝奏楽者として仕えている。キリスト教教育に携わるカップルとして、今後も期待される二人である。

二月四日(月)から五日(火)にかけて、尾道市と福山市を会場に行われた。
一日目、尾道人権文化センターで「尾道市北久保地区の部落解放運動の歴史」について学び、胸に突き刺さるような痛ましい差別の現実と戦った人々の記録がそのままに紹介された。特に「春駒」と呼ばれる伝統行事を受け継いでいく中で、差別の現実と苦しみの歴史を決して忘れず、反差別の闘いをも受け継いでいく決意をもった若い世代と出会えたことは、大きな喜びであった。「春駒」はいわゆる「門付け」の一種だが、この舞を踊る役目は被差別部落出身の女性たちだった。子どもたちも正月には暗い内から起こされ、夕方まで母親と共に舞を舞ったのだそうだ。そして、謝礼としてわずかに受け取る米やお金によって生活を支えたという。「春駒」にかり出された記憶をもつ人々にとって、この伝統行事は痛ましい記憶でしかなかった。しかし、それをあえて復活させることによって、かつての差別の現実を今に伝え、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、若い世代が今春駒の担い手になっているのだ、という。一人二役で演じられた「春駒」は、もの悲しさを内包しつつ、北久保地区の解放運動を象徴するかのような力強さに満ちていた。
二日目は場所を福山に移し、昨年一〇月に新たにオープンした「ホロコースト記念館」を見学した。詳しくはHP(http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn/)をご覧いただきたい。館長であり、記念館にほど近い場所に立つ聖イエス会尾道教会牧師の大塚信さんより直接記念館開設の経過を伺い、ホロコーストの記憶を後世に伝える展示物に接した。ナチスの中枢にいたわずか十五人の決定によって、ユダヤ人大量虐殺は決定された。多くの人々もその決定を追認した。思慮の求められる場面で愚かな決定を下した結果、歴史は悲惨なものとなった。今日にも響く警鐘と受け止めている。
二日間の研修を通して、新たな気づきを与えられたことに感謝し、参加者一同帰途についた。
(草地大作報)

「教会に住み、牧師の傍らに立つ」とは
木下 晃子
(西千葉教会員)

独身時代のある日、いつものように青年会の集会が夜遅く終わって、玄関で牧師夫人にさようならのあいさつをしました。私たちは外へ、牧師夫人は扉を閉めて中へ入られました。それを見て、「まだ教会に残る人がいる」と思ったのが始まりだったかもしれません。
小さい頃から身近にすてきな牧師夫人を見てあこがれて、単純に牧師の妻となりました。でも、この立場になってみたら、お仕事は山のようにありました。
まずは「料理」。祈祷会の前に、夕礼拝の前に、食事を作る。小さな子どものいる中でカレーライスばかり作っていました。料理は苦手なのに。
そして「お茶」。一杯のお茶さえろくにいれられないので、この年まできて、複数のお客様にキチンとお出しすることができません。
その他、「掃除、戸締まり、火の用心、近所付き合い」などなど、私の苦手なことばかりしなければならないのでした。
ここまでは、普通の主婦のする範囲ですが、教会には色々な方が訪ねてこられます。この対応が難題でした。重荷を負った方々に対しては、学びが必要であったのです。自分の狭さを知らされました。
そんなに難しいことでなくても、「さあ、これをしよう」と思っている時に容赦なく来る電話や来客に、気持ちの整理をつけることの難しさ。
お金や食事を求める方に対しては、マタイ25章を思いつつやさしく接してみたり、市役所で言われた通りにすげなく断ったり、いずれにしても「よかったのか」と反省ばかり残ります。
また、電話にしろ伝言にしろ、連絡も大切です。キチンと正確に伝えなければいけません。夫婦間で意思疎通が悪くて間の悪いこともありますし、秘密にしなければならないこともあります。
訪問、問安、牧会。これも、教会の方々は「牧師夫人に話したイコール牧師は知っている」と思っておられるのですが、その反対も同じとは限りません。
牧師の妻は、「羊飼いの傍らに立つ羊」であって、一匹の羊であることに変わりはないのだ、と長年たってやっと実感しています。
やっと気付いた頃から、以前ひどかった肩こりがなくなりました。大きすぎるカラを背負うカタツムリのように感じていたのでしょう。
地区の牧師夫人会の交わりでも励まされてきました。教会の方々にもいつも祈られ、支えられ、赦されてきたことが身に沁みています。
先輩牧師夫人から教えられた「牧師夫人のメリット」をご紹介しましょう。
①礼拝に心おきなく出席できる
②聖書についていつでも聞ける
③困難なことも共に祈れる
堂々と礼拝に出席して、聖書について語り合い共に祈る「究極のキリスト者夫婦」!(ちょっと立派すぎ!)
「わたしたちは、神にはありのままに知られています」(第2コリント5・11)とのみ言葉通り、決して立派ではない私たちでありますが、神様がこのありのままの私たちを用いてくださることに驚き、また、感謝しつつ。

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