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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4649・50号】消息

2008年5月2日

谷口 章氏(和歌山新生教会主任担任教師)
一月八日、逝去。五七歳。和歌山県に生まれる。一九八三年受允後、奈良教会に赴任。その後、九四年から和歌山新生教会牧師を務めた。遺族は妻の幾久美さん。

石井秀子氏(隠退教師)
二月十八日、逝去。九七歳。静岡県に生まれる。一九三七年救世軍士官学校卒業後、何れも救世軍下関、大牟田、佐世保、小樽、水戸、上福島、大牟田有明各教会を牧会し、七三年隠退した。遺族は息の信満さん。

◎日時/2008年8月13日(水)~15日(金)
◎場所/神奈川県立芦ノ湖キャンプ村
◎テーマ/「神の恵みの善い管理者として」
(ペトロの手紙一 4章10節)
◎目的/1、共に神を礼拝・賛美する
2、聖書・黙想を通じて神と出会う
3、共同生活を通じて他者と出会う
◎主催/全国教会婦人会連合青年交流実行委員会
◎人数/20名(10代~20代の青年男女)
◎締め切り/5月末日
◎費用/申込金3,000円(返却不可)、
参加費9,000円(宿泊費、食事代を含む)
※詳細は全国教会婦人会連合事務局へお願いします。

神代真砂実

「教団新報」四六四四号に掲載された後宮敬爾氏の「力による一致では悲しすぎる」という文章について、特に『リマ文書』をめぐる部分が不正確なので一言したい。文章の後半部分に含まれる教憲・教規やドイツの教会(EKD)の性格の不正確な理解にも実は大いに問題を感じているのであるが、ここでは『リマ文書』の件に絞って書く。
さて、問題なのは『リマ文書』から未受洗者の陪餐を肯定する議論を氏が引き出しているという点である。
この問題点そのものをまず明らかにしておこう。氏の文章の四段落目を以下にそのまま引用してみる。
「そしてその作業の中で『陪餐資格』が課題となり、具体的には『知的ハンディを持つ人の陪餐』『幼児洗礼者の陪餐』『子どもの陪餐』『未受洗者の陪餐』などがあげられたのだ。そして、その応答として世界レベルで様々な教会で様々なあり方の『開かれた聖餐』への試行がなされているのである」。
未受洗者の陪餐を含めた「『開かれた聖餐』への試行」は「その応答として」、つまり、この段落の冒頭に出てくる「その作業」への応答としてなされていると氏は述べている。
それでは「その作業」とは何か。「その作業」というのは直前の「こうした過程を経て、教会は聖餐の重要性を再確認してきた」(三段落目)という、再確認の作業という意味としか理解できない。さらに「こうした過程」というのは、当然のことながら、その直前の文章、「リマ文書で世界の教会が新たに確認したことは、聖餐が持つ多様な意味とその豊かさであった」を指している。
このようなわけであるから、氏は『リマ文書』によって聖餐の意義を確認した世界の諸教会が未受洗者の陪餐を含んだ「開かれた聖餐」を試行していると述べていることになる。氏が『リマ文書』から未受洗者の陪餐を導き出している、言い換えれば、『リマ文書』から未受洗者の陪餐が必然的に導き出せるとしていることは明らかである。
しかし、ここには無理があり、誤解があると言わなければならない。というのも、『リマ文書』は未受洗者の陪餐を認めていないからである。一例を挙げてみよう。バプテスマに関して『リマ文書』は「バプテスマは、十字架につけられそして甦られた主なるキリストと一体になるということである。それはまた、神とその民のあいだにむすばれた新しい契約の関係の中に加入することである」と述べている(「バプテスマ」第一項、翻訳の二七頁)。
他方、聖餐については、「聖餐は、キリストが、御自身の死と復活の想起(アナムネーシス)として、また小羊の婚宴(黙示録19・9)の先取りとして、弟子たちにあたえられた新しい過越の食事、新しい契約の食事にほかならない」と述べられている(「聖餐」第一項、翻訳の四八頁)。
これらの文言から明らかなように、『リマ文書』は「新しい契約」の概念によって洗礼と聖餐とを結合している。従って、聖餐において新しい契約の食事に与ることの前提に、洗礼を通しての、この契約関係への加入があるのは明白である。
この前提があるからこそ、「バプテスマを受けてキリストのからだの肢とされているひとりびとりは、キリストの約束にしたがって、この聖餐において罪の赦しの保障を受け(マタイ26・28)、永遠の生命を約束するしるし(ヨハネ6・51〜58)を受けるのである」(「聖餐」第二項、翻訳の四九頁)という言葉も出てくるのである。ここに未受洗者の陪餐が入り込む余地はない。
疑問に思えてならないのは、氏が、この最も基本的な点(『リマ文書』からの先の二つの引用が洗礼と聖餐について、それぞれ最初の項で語られていることに注意して頂きたい)をどうして無視しているのかというところである。何か理由が、あるいは、氏のような読み方を裏づける典拠が存在するのであろうか。
従って、『リマ文書』に対する応答の中で、陪餐資格の問題に言及するものがあるというのは事実であるにしても、そこで直ちに未受洗者の陪餐の問題を同列の問題として挙げるということにもまた無理があると言わなければならなくなる。
氏は、その関連で「開かれた聖餐」という言葉を使う。しかし、「開かれた」(オープンな)聖餐ということの意味には、いくつかの次元が存在する。
その元来の、従って最も中心的な意味において、「開かれた聖餐」とは他教派の信徒に対して開かれていることを言う。そうである以上は、世界の諸教会で語られている「開かれた聖餐」が直ちに未受洗者の陪餐の意味であると理解するのは大きな過ちを犯すことになる。
裏返して言えば、この問題について論じるには、ただ「開かれた聖餐」という言い方では不充分かつ不正確なのであって、「未受洗者の陪餐」と明確に述べる必要がある。また、「開かれた聖餐」に未受洗者も含まれるべきだと考えるのであれば、そのことをきちんと論証する責任が生じてくるのである。
以上の理由から、「教団新報」四六四四号における後宮氏の発言には、まず、その前提とされている『リマ文書』についての大きな誤解が存在し、それゆえに、その議論全体が成り立たないことは明らかである。さらに、「開かれた陪餐」に未受洗者の陪餐を含めてよいと考えている理由も明らかにされていない。
聖餐という教会の信仰や一致の中心問題(だからこそ、『リマ文書』は大きな労苦を経てまとめられたのである)に関して、論拠や議論に不正確さを持ち込むのは、議論を不毛にし、教会の生命を、そしてまた信仰者の救いを脅かすこと以外の何ものでもない。
(東京神学大学教授)

四月三日~四日に第35総会期第五回宣教研究所委員会が開催された。この中で二つの重要な議題を中心に報告を行う。
一、宣教基本方策及び宣教基礎理論に関して以下の二つの理由により新しいものを策定する必要性を確認した。①一九六一年の宣教基本方策及び一九六三年の宣教基礎理論は既に五十年近くを経ており、新しいものを必要とする時期である。②教団の教勢低下が著しい中にあって、宣教の立て直しに資する内容が求められる。委員会としては新しい宣教基礎理論を作成することに精力的に取り組む所存である。
二、一九九〇年に宣教研究所委員会が出した「陪餐問題に関する資料ガイド」の問題点について検討を行った。この「ガイド」は、リマ文書に対する応答文書である Churches respond to BEM (Official
responses to the “Baptism, Eucharist and Ministry” text,Ⅰ~Ⅵ)から多くの引用がなされている。そもそもリマ文書はWCC信仰職制委員会が諸教派の一致の支えとなる神学的基礎付けのために作成したものであり、未受洗者の陪餐は全く前提とされていない。
Churches respond to BEMもこの点は全く同様であることを踏まえる必要がある。
この「ガイド」が教団内において議論の根拠として使われていること、しかもその使い方が聖餐についての誤った印象を与えかねないことを重く受け止め、当委員会として、この「ガイド」に対する正しい認識を普及する必要を感じ声明を出すこととした。
他の議題では機構検討特設委員会の答申について教団議長より検討依頼があり、当委員会としては以下の三点の返答を決めた。①宣教委員会の廃止の方向については異論はない。②宣教方策会議の実務担当部署の確認。③宣教研究所委員会の構成が実質的には四名となるがこれでよいのか。
六月の委員会において最終的な答申をまとめる予定である。

(長谷川洋介報)

相良昌彦宣教師派遣式が三月十八日木下宣世世界宣教委員会委員長の司式、説教により、奥羽キリスト教センターで執り行なわれた。
相良氏は米国ニューヨーク郊外、スカースデルのユニオン日本語教会へ浅田容子宣教師の後任として、四月一日付けで赴任する。相良氏は、ニューヨークの日米合同教会でアシスタントをしながらニュージャージー州ドルー神学校を卒業、駒場エデン教会、八戸柏崎教会で牧会を経験した。
ユニオン日本語教会は教会員が約二〇名。バブル経済の崩壊、九・一一同時多発テロなどの影響により地域の日本人は激減した。しかし、ニューヨーク地域での日本人伝道の重要性と必要性を認めて、宣教師招聘を決議した。
相良氏はユニオン日本語教会の牧会と日本人特別牧会(Special Ministry to the Japanese、以下SMJ)のディレクターを兼任する予定である。SMJはニューヨーク地域の日本人への牧会、伝道のために設立された。これまで多くの日本人を教会へと導き、帰国後も日本の教会員になった方が多数いる。しかしながら、米国の支援教会のほとんどが財政難に直面し、日本人が激減した現在、SMJの運営や活動は大きな転換点を迎えている。
木下委員長は、国内でも海外でも牧会は、同等の主の僕としての奉仕である。それを覚え、教区で支える姿勢を示し、奥羽キリスト教センターで派遣式がなされることの意義は大きいと説いた。
式後もたれた茶話会で相良氏は、教区で支えられてきたことを確認した、この地を離れるが、この交わりから離れるとは思っていない、教区との連帯の中で宣教師として全力を尽くしたいと語った。
参加者全員が激励し、邑原宗男奥羽教区議長が、これからも相良教師を支え続けていくと語り、「埴生の宿」のハーモニカ演奏をもって会を締めくくった。

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