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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4651号】主の御心を聴きながら 大阪

2008年5月31日

第53回大阪教区総会は、五月五~六日、大阪女学院へールチャペルで正議員二八八名中、一九一名(開会時)が出席し開催された。
在日大韓基督教会宣教100周年を覚えて守られた開会礼拝では、在日大韓基督教会西南地方会会長・全聖三牧師が韓国語と日本語の両方で聖書を朗読した後、在日大韓基督教会総会長・鄭然元牧師が「主の平安を共にする人々」と題し、説教を行った(通訳は金智一牧師)。説教は過去100年の歴史を振り返りながら、以下のように結ばれた。
「神様の願いは、人種、民族、国家を乗り越え生きる私達が、自分の住んでいる地域とその国の繁栄のために祈ることである。私達は弱い群れであるがこの御言葉に従い、この地と日本のために祈る。教団においても小さな群れのために祈り、協力してほしい」。
その後、鄭牧師の司式により共に聖餐に与り、准允式・按手礼式が執り行われた。礼拝後、全聖三牧師から来賓挨拶を受けた。
常置委員会報告で向井希夫議長は取り扱い事項の中で「常置委員会は、前期常置委員会が教区総会開会礼拝説教者に関して論議し、採決に至った会議の在り方を反省すると共に、否決された当該教師に謝罪し、その責任と痛みを担い続ける件」を取り上げ、三役が当該教師を訪問し、公式に謝罪をしたと述べた。その後、上記の件をはじめ、聖餐に関する件、北村慈郎教師に対する教師退任勧告の件等を巡って議場から意見が出されたが、向井議長は『三号議案』の精神を大切にし、主の御心を聴きながら、これからの教区運営に反映していきたいと答え、議場の承認を得た。
一日目午後、千葉宣義教師の講演「改訂宗教法人法の現在」に耳を傾けた。
今総会において承認された主な議案は次の通りである。2007年度大阪教区決算承認に関する件、2008年大阪教区予算案に関する件、(継続)「三号議案」に関する件、「大阪教区互助規定」改正に関する件、「大阪教区規則」変更に関する件、「大阪教区会堂建築貸出金規定」変更に関する件。  日本基督教団「日本伝道150年記念行事」が、沖縄教区へも配慮し、より豊かなものとなるよう検討されることを求める件は、時間をかけて討議され、以下のように修正案が出され可決された。日本基督教団「日本伝道150年記念行事」に琉球伝道163年を加え、沖縄教区へも配慮し、検討されることを求める件。
また日本基督教団が実施計画中の『プロテスタント日本宣教150周年記念』諸行事、諸計画に、大阪教区も参加を表明し、その一環として大阪教区においても記念行事を行なうための必要な準備を開始する件、は一七六名中、七四名の賛成で少数否決された。
教団問安使、内藤留幸総幹事は教区からの質疑応答の時間に日本基督教団はどういう教会か、教団と教区と教会の形、組織とその役割について等を説明した。
大正めぐみ教会の設立が報告され、一つの教会の誕生を祝った。
教団総会議員選挙結果
【教職】伊勢富士夫(天満)、村山盛芳(浪花)、向井希夫(大阪聖和)、小林よう子(箕面)、佐藤成美(高槻)、小豆真人(東梅田)、上地武(大正めぐみ)、大澤星一(西大和)、岡村恒(大阪)、田邊由紀夫(茨木)、軽込昇(茨木春日丘)、市川忠彦(大和キリスト)、似田兼司(千里丘)、石黒悦雄(堺)
【信徒】鎌田英子(玉出)、池田和弘(浪花)、山田淳子(大阪聖和)、東谷誠(いずみ)、西口省三(豊中)、田川久美(喜連自由)、立岩秀彦(鳳)、山崎喜美子(愛隣)、楠原道温(茨木)、大見川昭子(大阪)、江本義一(茨木東)、糸本資(石津)、丸山健樹(和歌山)、今井正太(茨木春日丘)
(新報編集部報)

問安使実質拒否で激論 西中国

第57回西中国教区定期総会は、五月六日から二日間、山口市の防長苑で開催され、正議員一四〇人中、開会時一二〇人が出席した。
冒頭の組織会で、「北村慈郎教師への退任勧告取り下げを求め、受け入れられないときは問安使を受け入れられない。ただし、傍聴は構わないとの常置委員会通知に対して、山北教団総会議長から『問安使受け入れ拒否と理解する』との返答を受理したので、教団問安使を准議員候補としない」との常置委員会見解が報告された。
これに対し、「問安使に質問・議論したい人も多い中での実質問安使拒否は、常置委員会の判断に疑問がある。教団問安使の拒否は教区問安使の拒否につながる」との反論が出て、「准議員名簿に教団問安使の枠を設ける」との修正案が提案された。
「土俵の上で議論を戦わすのが西中国教区の伝統だった」「昨年も総会前日に結論を出した。常置委員会の在り方に疑義がある」「33教団総会後にも拒否したことがあり、常置委員会の結論を支持する」などの議論が続いたが、論議を持ち越して議事日程議案の採決となり、賛成四九で修正案は少数否決。原案は賛成六八で承認された。
続く議長総括報告で柴田もゆる議長は、「北村慈郎教師への退任勧告に常置委員会から二度、抗議と要望書を送付したが、そのことに関し教区内のいくつかの教会から抗議と要望を受け取った。しかし、現行の教憲教規には、聖餐のあり方についての明文規定はない。忍耐強い対話を積み重ねて行くことが真の一致への道を開く」と述べた。
夕食後の議長総括報告議案で問安使問題は再開され、「数少ない教団執行部の生の声が聞ける機会を常置委員会が何故奪ったのか」
「未受洗者配餐をどう考えているのか」などの意見が続いた。
柴田もゆる議長は「常議員会の出来事を何事もなかったかの様に受け止めて、問安使を受け入れることは出来なかった。同時に拒否し続けることでいいのかという思いがある。傍聴は、そこに道を残したいという思いからだ。今もってこれが正しかったと断言できないし、そしりを受ける用意はある。常置委の審議の中で、このようにしかまとめられなかった」と苦汁の選択であったことを吐露し、未受洗者配餐については「議長の立場で聖餐の在り方について述べるのは止めるが、未受洗者配餐こそ正しいといっている訳ではない」と述べた。論議は時間切れ持ち越しとなり、二日目午前に続開された。
「未受洗者配餐を続けているが、問安使を迎えて激論を戦わしたかった。対話の道は続けて欲しい」「教憲教規にないという発言はおかしい」などの意見に対し柴田議長は、「教憲教規を軽んじていいと思っている訳ではなく、教区運営では教憲教規に神経を使っている」と答え、採決の結果、挙手多数で議長報告は承認された。
これに関連した「北村慈郎教師に対する教師退任勧告の取り下げを求める件」も当然のことながら、ほぼ同様の論議が展開された。原案支持議員が「苦汁の決断であることが、うまく伝わるかどうか」と懸念し、反対論を展開した議員が「教区内の溝が深まり、一致でなく分裂に向かう」と発言するなど、重苦しい雰囲気の中、平行線を辿ったまま、挙手多数で可決採択された。
「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化を推進する件」と「米軍再編に抗議し全国の軍事基地撤去を求める声明を内外に向かって表明する件」は挙手多数で可決承認され、第36回教団総会に提案することを決めた。この他、「西中国教区として米兵の女性に対する暴力事件について認識を深め、日米地位協定の抜本的見直しを求めて具体的に取り組む件」を採択した。
教団総会議員選挙結果
【教職】柴田もゆる(廿日市)、東島勇人(益田)、高橋敏通(下松)、小畑太作(周陽)、宇佐美節子(神辺)、西嶋佳弘(広島牛田)、大川清(岩国)
【信徒】浦部頼子(小郡)、島敞史(宇部緑橋)、土井桂子(廿日市)、島村眞知子(広島牛田)、下手従容(周防)、安田浩規(防府)、栗原通了(福山東)
(永井清陽報)

2008年5月2日

「教団新報」四六四四号において後宮敬爾氏は、当研究所の発行した「陪餐問題に関する資料ガイド」(以下「ガイド」)に未受洗者陪餐を肯定する文脈の中で触れています。当研究所はガイドのこの種の扱いが広まることに対して深い憂慮の念を持つものであります。
ガイドは、そのはしがきにおいて明らかなように、本来、信仰職制委員会からの依頼に応えて同委員会での検討資料としてまとめられたものであり、諸教区・諸教会への配布を意図したものではありませんでした。これがガイドの性格であります。
引用もきわめて短いものです。そのため(ガイド作成時の研究員や委員は原典を参照し、その文脈と文意とを正確に把握できたはずですが)今日ガイドだけを見る人は誤解する可能性があります。一例だけ挙げてみますと、ガイドの7頁にあるアメリカ長老教会(PCUSA)の「食卓に来る用意をするよう誰もが挑戦をうけている」、「誰も食卓から排除されるべきではない」というコメントは未受洗者の陪餐を肯定しているように見えますが、原典では、その前後に「〔主の〕晩餐を守ることは洗礼時の誓いを想起し、更新する機会である」、あるいは「聖餐の執行は信者の集団の生における力強く、根本的な要素である」などとありますから、未受洗者の陪餐の意味ではありえません。
このように、ガイド自体を未受洗者の陪餐をめぐる議論のための典拠として用いることは不適切かつ危険であります。今後、諸教区・諸教会では必ず資料の原典を参照し、各引用の意味を正しく捉えてくださいますようお願いします。
二〇〇八年四月四日
宣教研究所委員会委員長 宮本義弘

時に叶った主の導き

大正の終わり、東京市下谷竜泉寺町の生まれ。樋口一葉の名作「たけくらべ」の舞台。遊里吉原の近く、多くの人々がそれに関わって生計を立てていた。折しも救世軍による廃娼運動が盛んになった時期、迫害に対し「無抵抗の抵抗」で対抗する救世軍兵士の話を聞き、幼心に「この人々は何か他の人とは違う」と感じていた。
小学校入学の年に満州事変、卒業の年に日中戦争。典型的軍国主義教育を受け育った。「中学より仕事をしろ」という考え方が支配的だった典型的な職人社会の中で、太平洋戦争開戦を迎え、十八歳で徴用される。
二〇歳で敗戦。聖戦と信じ込んでいたことがすべて間違いであったことを知らされ、生きる目的を失った。それから一年あまり後、焼け残った日本橋丸善で、売り物がほとんどない中に、カラー表紙の五〇冊ほどの本が積まれていた。「新約聖書五円」。見るのも取るのも初めての聖書を買い求め、マタイ伝二六章に出会う。「汝の剣をもとに収めよ。すべて剣を取る者は剣にて滅ぶなり」。二千年前にこのように書かれた聖書はただの本ではないということを強く感じた。
程なく、西新井教会の諸集会に出席するようになり、洗礼へと導かれた。父より受け継ぐ「手術用針」の職人として、職人社会と信仰の両立に苦労した。
牧師を目指してみようという思いを強く持った。しかし、学歴の壁を強く感じ断念した。ならば、牧師を支える役員を目指そうと決意し、教会会計として二〇年務めた。また、若い日の教育の大切さを伝えたくて、教会学校教師を志した。しかし、ここでも学びが足りないと感じ、日本聖書神学校の講座に学び、教会学校長も務めた。
受洗してより五〇余年、時に叶った主の導きのうちに、十字架を過去のこととせず、復活の信仰を持って、導き手である聖書と共に、迷うことなく与えられた人生を歩む者でありたいと願っている。

広島キリスト教社会館の創立五十周年記念会が、二月十七日午後催された。
当館は、被爆後の広島において、被差別地域の子どもたちとその家庭を支えるために、一九五八年に米国メソジスト教会の協力でメアリー・ジョーンズ宣教師により開設された。創立の記念と共に、教団や教区の「部落差別問題」への取り組みや、広く人権と平和の課題を担ってきた運動体としての歴史も、覚えたい。
ジョーンズ宣教師は、教団が部落差別問題に取り組む礎を築き、解放センター開設の道を拓いた方である。
記念礼拝で説教者の東岡山治さんは、霊的示唆を受けて労したジョーンズ宣教師の活動を記念する意義を語られ、ジョーンズ宣教師作詞の讃美歌も歌った。
社会館の属す西中国キリスト教社会事業団理事長西尾正嗣さんは、地域に仕える業が継続されてきた事への感謝を述べられた。地域代表の神崎常夫さんは、設立当初の苦労や生活支援の様子について語られた。柴田もゆる教区議長は、館を教区・教会が宣教的視点で支援する決意を述べた。
現在の学童保育、保育所、高齢者介護の活動を、職員がプロジェクターで紹介した。「0歳から百歳まで」を合言葉に、意欲的なはたらきがなされている。
今回は、昨年夏の大改修で、広く快適に使えるようになった館内の見学もかねた。この会には約八〇名が集い、教団部落解放センター主事の小林明さんをはじめ、開設以来の職員や様々な形で支援してきた教区近隣諸教会の方々から、様々な祝辞をいただいた。職員の手作りクッキーや、在日大韓基督教会広島教会の協力による韓国菓子などで、テーブルが彩られた。今後も利用者のそれぞれの人生にしっかりと向き合い、神の前に一人の人間としての尊厳が守られるよう、地域に根ざした地道な活動を続けていきたい。全教会に送られている『社会館だより』等を通してこの活動を覚え、祈り、ご支援いただければ幸いである。
(西嶋佳弘報/館長〈臨時〉)

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