人生をより意味あるものへ
有賀さんが受洗したのは二〇〇六年のクリスマス。遡ること四〇年程前から、クリスチャンの妻と共に教会に通い、自分なりにはイエス・キリストの神を信じていると思っていた。しかし学園紛争期にはキリスト教大学で、クリスチャン学徒たちに失望するという経験もした。振返って有賀さんは「古来、敬虔な賢者たちの集まりにも争いや対立があり、人としての弱さを露にするものだということを十分認識していなかった」という。
その有賀さんを受洗に導いたきっかけの一つは、聖学院大学大学院へ勤務したことであった。祈りと讃美歌のある入学式に感激し「敬虔に学問する精神」を実感した。また古屋安雄牧師の「信仰を告白して教会員になっていない者は、こうもりのようなものである、教会に属していなければだめである」との言葉を重く受け止めた 。それまでも長い間、妻と共に教会の礼拝へ出席し、度々神に助けを求めて祈ってきたが、使徒信条の言葉通りには信仰告白することができないという中途半端な心持があった。
しかし人生を省みて、自分の人生、また妻の人生を、受洗を通してより意味あるものとし、共に過ごす残された日々をより深めたいと願うようになった。また教会での加藤哲牧師の説教は、惨めさ、罪深さを感じている者に、神の愛によってのみ立ち上がる勇気を与えるものであり、牧師の祈りに心を合わせているうちに、使徒信 条の信仰告白へ、受洗へと導かれた。有賀さんは今、次のように語る。「妻と子どもを与えられ、仕事を与えられ、七〇歳をこえて生かされ、そしてまだ働きの場を与えられている。これは神の思し召しであり、キリストが私を捉えて下さったからである」と。その背後には、人生の伴侶による長年の祈りがあった。さらに信仰告白 の姿勢として「今日の復古的ナショナリズムと精神的に一線を画す」と語る。そこには福音信仰により究極的社会貢献をなす、クリスチャン社会科学者の姿勢が現れていた。
西中国教区は部落解放現場研修会を、八月三一日、九月一日、広島キリスト教社会館と尾長あいあいプラザで開いた。出席者四八名。
広島牛田教会西嶋佳弘牧師の説教による開会礼拝。
次いでの社会館アワーは窪田晋治保育所長がスライドを用いて報告、そして夕食で楽しい交流。
主題講演は、「部落差別と自己疎外」という題で、部落解放同盟広島県連副委員長得田正明さんが最近起った二つの事件を話した。
一つは、呉市連続大量差別紙片ばらまき事件で、二〇〇四年から四年間、「誰々は部落民」という差別ビラ一三七、二三九枚を呉市中心にばらまいた事件である。
もう一つは、「呉市離婚強要差別事件」である。
二四年間夫婦仲良く暮していたのに、夫の両親が被差別部落出身の妻に離婚を強要し、別れさせた。
結末は、双方とも不幸に終った悲しい事件であった。
両事件と取り組んだ講師の話は、皆の胸を熱くした。
差別は、人間の心を疎外するものである。だから、部落の人も、非部落の人も、同じ地域の中では、同悲同苦の思いで暮したらいいと強調された。
同悲同苦ときいて、イエスが、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさいとの教えを思い浮かべた。
翌日はJR広島駅近くの尾長地区あいあいプラザに行き、野田末広さん(同盟尾長支部長)から地区の歴史と現状についてきいた。
近隣の人で差別意識の強い人びとが、尾長という名をはずして、町名を変える運動をしたり、神社の名すら変えようとして失敗した事をきいた。
一時間程町内の被差別の実情を見させてもらった。
プラザに戻り、質疑応答、意見交換の時を持った。
三吉小祈牧師(広島府中教会)の説教で閉会礼拝。
教区議長柴田もゆる牧師(廿日市教会)が「二日間の現場研修は、有意義だった。今もある部落差別をしっかり、受けとめ、差別をなくすため、励みましょう」と締め括りの挨拶をした。
(東岡山治報)
「植村正久生誕150周年記念会」が、十一月一〇日、牧師としての生涯を送った富士見町教会を会場に開催された。記念礼拝の司式・説教に当たった同教会倉橋康夫牧師は、フィリピの信徒への手紙3章12?18節に基づいて、「神の志に生きる」と題し、ひたすら御言葉に聞くという姿勢を貫く説教を語り、「日本のプロテスタント 教会に植村正久という人物を与えて下さり、力として下さったことを感謝します。その遺産を継承し、伝道を推進することが出来ますように」と祈った。
武田清子氏が呼びかけ人を代表して挨拶し、植村の人格と伝道の志について、「天皇の家来に対して神の家来」を自負したこと、「日本最初の女性教職者を育てた」ことなどを指摘し、「開明的な開拓者であった」と、興味深いエピソードの数々を語った。
主題講演は、大木英夫聖学院理事長による「植村正久生誕150
年と戦後日本の未来」。東京神学大学図書館に日本プロテスタント資料を収集した経緯から始めて、氏と植村との関わりを述べた。また、自身の幼年学校から大戦にいたる体験と明治維新期のそれとは重なるものがあるとし、「敗戦から全てが始まった」と語り講演が立ち上げられた。
「与えられた時間と予定していた時間との折り合いがつかないだろう」ことを危惧しながら、時にやや早口で、独自の世界観と植村とを重ね合わせて、話題は多岐に渡った。植村が宣教師に触発され垂直次元の発見者となった、つまり祈りを体験したこと、その歴史観の土台は愛国ではなく救国であること、官途につかず伝道した こと、等々、植村論にとどまらず、植村の時代に踏み込んで、彼の思想・信仰の背後にあるものを論じた。仕掛けの大きいイリュージョンの舞台が、ふと連想させられ、独特の大木英夫ワールドに引きづり込まれるような感さえした。
項目だけを挙げても紙数が足りない。他にも、プロイセン崩壊と国際連盟からナチズムの台頭まで、関東大震災、マルキシズム等々。
何かしらの手違いから、大木氏が予定していた講演時間が半分以下になってしまったことは、実に残念なことだった。
発題者が三名立てられ、日本キリスト教会茅ヶ崎東教会牧師・五十嵐喜和氏…肩書きは全てプログラムの《講師紹介》に依る…は、〈植村正久の「系統神学」における教会論と今日の課題〉と題して、「系統神学」こそが植村を読み解くキーワードだとし、『福音新報』に掲載された植村論文などを根拠に、その教会論に迫った。?
東駒形教会牧師・戒能信生氏は、「植村正久の志の継承」と題し、日本のプロテスタント教会における植村の圧倒的な存在を、客観的な視点から観察し、従来からも指摘されてきた、教会の中で自己完結してしまう、という批判をも含めて、植村の功罪を、歴史的な事実に照らして、冷静に振り返った。
國學院大學助教・星野靖二氏は、「植村正久と近代日本の宗教思潮」と題して論じた。その演題から推察できるように、教会の中での植村論に比較すると、一端大きくカメラを引き、より広い時代の画面の中心に捉え、焦点を合わせてから、改めてズームアップした。時代の中での教会そのものの位置付けについても、新鮮な思い で教えられた。
発題者も、与えられた時間を窮屈に感じていたようだ。植村の世界を、三時間に凝縮するのは無理があったかも知れない。しかし、新しい窓が与えられたように感じられた。
協議の時間には、植村の伝道活動と社会活動について等の質疑がなされ、発題者のアドバイスも得て盛り上がったが、ここでも時間が限られた。
出席者数は一〇〇名を少し超えるくらい。年配の方が目立った。語る者にも、聴く者にも、深い思い入れがある、熱気のこもる記念会であった。 (新報編集部報)
プロフィール
(1)誕生年
(2)出身地
(3)信仰歴(受洗年、受洗教会、教師名)
(4)趣味
(5)モットー
(6)抱負
伊 東 永 子
神奈川教区
翠ヶ丘教会
(1)1947年
(2)東京都渋谷
(3)1963年・聖ヶ丘教会・稲垣守臣牧師
(4)三線(サンシン)
(5)人生楽ありゃ、苦もあるさ!!
(6)教団がいかに各教会に仕え、支えていくべきかを、自分が身をおいている現場から見つめていきたいと思っています。
江 本 義 一
大阪教区
茨木東教会
(1)1935年
(2)山口県岩国市
(3)1960年・新居浜西部教会(愛媛県)・藤川武治牧師
(4)毎日ではないが、かなり遠くまで散歩すること。歩きながら色々なことを考え、纏める。
(5)主イエス・キリストの真の教会を建てることの為の行動であり、発言でありたい。
(6)教団の一致は信仰内容の一致なくしてはあり得ない。今は人間の知恵が信仰になっているのではないか。教団に真の信仰が確立する時、一致が実現する。
大 杉 弘
中部教区
若草教会
(1)1933年
(2)石川県
(3)1973年・若草教会・井上良彦牧師
(4)トレッキング
(5)温故知新
(6)「十字架が遠くなり、小さくなり、キリストのお姿が見えなくなっていく」と嘆き、悲しむ信仰の友の声が脳裏を離れない。
その一人のために微力を尽くしたい。
岡 田 義 信
東京教区
田園調布教会
(1)1939年
(2)東京都
(3)1940年(幼児洗礼)
1952年(信仰告白)・田園調布教会・岡田五作牧師
(4)テニス・ゴルフ(但し過去)
(5)生涯現役で仕事を続けること。(知的財産関係業務)
(6)聖餐の執行を含め、教団の正常化が回復されるためには、信仰告白と教憲・教規が遵守されることが必須であると考える。そのために努力をされておられる山北議長をはじめとする現在の三役を少しでも支えるお手伝いをしたい。
小 林 貞 夫
東海教区
日下部教会
(1)1929年
(2)山梨県笛吹市石和町
(3)1931年・日下部教会・小野善太郎牧師
(4)最近は趣味「教会」ということにしている。
(5)全国信徒会を開きたい。150年記念事業を無事に終らさせる。
(6)年間受洗者が年間死亡者を下回る時態を迎えている。何としても伝道力を回復しなければならない。教師も信徒も再出発したい。
斎 藤 仁 一
東北教区
山都教会
(1)1952年
(2)山都町(会津地方北西部)
(3)1973年・山都教会・渡辺晋牧師
(4)読書、映画、山歩き
(5)「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣く」
(6)総会議決を重んじ、お互いの意見を出し合い内容を深め、結論を出していく「会議制」の中で議論をしていきたい。
鈴 木 功 男
東京教区
目白教会
(1)1934年
(2)名古屋市
(3)1961年・目白教会・篠原金蔵牧師
(4)山歩き、音楽、企画癖がある
(5)「感謝と奮起」
(6)宣教命令の妨げになっているものが何かあるのでしょうか、信徒としての役割を示されつつ、主のご用の為に仕えさせていただきます。
高 橋 豊
西東京教区
白鷺教会
(1)1932年
(2)愛媛県西条市
(3)1955年・岩国教会・高倉徹牧師
(4)ピアノ演奏・バッハ教会カンタータを毎日聴く
(5)主にあってすべてを見つめ、主にしたがい、主を愛しぬく。
(6)①教師とともに重荷を担う。
②教師と信徒の絆が深められてゆく教団。
③教師を立て教師の生活を守ることを最重要視。
④教団年金を守りぬく。
津 村 正 敏
兵庫教区
明石教会
(1)1937年
(2)兵庫県明石市
(3)1958年・明石教会・福井邦蔵牧師
(4)音楽鑑賞
(5)主イエス・キリストに在って、忍耐・勇気・希望・自由・解放
(6)この世に在って、主イエス・キリストの福音を証しする教会・教団として、主によって託された様々な今日の宣教の課題を共に担っていくものでありたい。《詩篇133編1節 (口語訳)》
難 波 幸 矢
東中国教区
光明園家族教会
(1)1944年
(2)愛媛県松山市
(3)1961年・松山教会・山下萬里牧師
(4)作詞、作曲、歌うこと
(5)差別や偏見が少しでもなくなるために行動し、神から頂く平安をお伝えするために証をすること。
(6)上記のため人と出会い続け、考えが固定化しないよう心がける。一つ一つの事象を繋いでいくと根っこの共通点が見えてくる。そのためにもあらゆる人と連帯しつつ共闘したい。
東 谷 誠
大阪教区
いずみ教会
(1)1951年
(2)大阪府
(3)1965年・いずみ教会・佐治良三牧師
(4)旅行、みんなと楽しく集まり飲むこと。
(5)「部落差別がなくなりますように、全ての差別がなくなりますように」と願い、祈り、声をあげ、行なっていく。
(6)一人一人が大切にされるそのような教団であってほしいと願い。全ての差別がなくなることを願い、平和を願い歩んでいきたいです。
望 月 克 仁
神奈川教区
鎌倉雪ノ下教会
(1)1932年
(2)東京
(3)1961年・鎌倉雪ノ下教会・松尾造酒蔵牧師
(4)家族スキー
(5)一日一日を精一杯生かされたいと願います。
(6)「無私」を信条に、託された課題を担いつつ、召されるままにお仕えしたいと祈り願います。
和 田 献 一
関東教区
氏家教会
(1)1947年
(2)東京都
(3)1960年・氏家教会・和田正牧師
(6)教団に連なるすべての人が例外なく包み込まれていく教団の合同を目指す。異なる様々な立場の人の意見が尊重され、丁寧に対話を重ねる中で、教団の意思形成がなされるべき。その過程で信頼と協力が生み出され、「教団に帰属している」意識が育まれるから。
『日本基督教団を代表してブレーメンで開催のドイツ・プロテスタント教会の日(来年5月20日~24日)に参加』
◎募集 教団の信徒又は教職、2名
◎自己負担 往復旅費
◎先方負担 宿泊・参加費
◎応募期限 2月20日(必着)、書類選考あり
◎問合先
総幹事室(電話03ー3207ー8768)
◎資格 神学・基督教学で修士課程修了程度
◎募集奨学生 若干名
◎応募期限 1月19日
◎問合せ先 NCC大津健一(電話03ー3203ー0372)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
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