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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4665・66号】「伝道所」の内容と位置付け巡り教団的理解の一致を図るために委員会設置

2009年1月17日

常議員会二日目の十日午前、山北宣久議長より、「日本基督教団に於ける『伝道所』の内容と位置づけについて検討し、教団的理解の一致を図るため、常議員会の下に検討委員会を設置する」との第二〇号議案が提案された。
委員数は五名、設置期間は第36総会期。
山北議長は議案書に基づき、次のように、詳細に提案理由を述べた。
「第36回教団総会に議案五八号『日本基督教団信仰職制委員会による答申「伝道所での洗礼執行について」(二〇〇八年七月四日付)の撤回を求める件』が提出され、常議員会付託となった。またここに記されている信仰職制委員会の答申については複数の教区から諮問や要望が提出され、第35総会期第六回常議員会には九月付同 委員会答申を含んだ形で『差し戻し議案』が提出されている。この件の背景には、信仰職制委員会自らが示しているように『伝道所についての教規の規定と実態との間に乖離があること』と『今後検討される必要がある』ことが指摘される。そして何より全国の伝道所で為されている教会形成と伝道の業また信徒と信仰生活が教団的 な一致をもって位置づけられる必要があると考えられる。そのために常議員会は上記の委員会を教規第四八条に従って設置し、『伝道所の内容と位置づけについて』の検討を為さしめ、その答申を受けて総会議案の審議を行うこととする」。
藤掛順一信仰職制委員長(35総会期)は、「長年の教団の歴史と教規の変遷ということがある。教規は非常に緩やかな形で伝道所について定めている。出張伝道という考え方でも伝道所が開設できるようになっている。その後の経緯として伝道所も教会という意識になってきた。『教会・及び伝道所』という場合、内容について詳 しく議論されず、法的整備がされなかったことで乖離が生じている。法的整備によって乖離を解消していかなければならない。
教会とは何か、教会設立とはどういうことか、慎重に議論しなければならない。教規を重視するのが信仰職制委員会の使命である。教規に無理があって現実には守られないということになるので、教規が空文化されないよう、守られるように整備しなければならない」とし、信仰職制委員会に差し戻すことについては「信仰職制委 員会の性格からすると齟齬が起きる。委員会で検討したことを常議員会で審議して、慎重に総会議案にしていかなければならない」と述べた。
これを受けて「信仰職制委員会の答申の是非を問うという形になっているが、教規を変えなければならないということを示唆している」「信仰職制委員会を越えて常議員会が責任を持つべき」との意見や、各教区からは「委員会が方向を出せるまで、答申の効力を凍結して欲しい」との意見も出た。
愛澤豊重総務幹事からは「諮問で出てきている問題について、答申は現状と乖離があるので何とかしろということであって、現状の取り扱いをやめろとは言っていない。現状は現状としてやっていく。就退任についても伝道所主任者と教会主任担任教師は書類の扱いも違う。結論が出るまではこのままでいい」との説明がなされた 。各教区の意見を慎重に受け止め、結論が出るまで現状通りということを確認した上で採決がなされ、賛成多数で可決された。
委員には佐々木美知夫、藤掛順一、高橋潤、向井希夫、三浦修の五名が議長より提案され、承認された。
尚総会から回付されている議案について今常議員会は、別掲の声明を採択した。
(松本のぞみ報)

もはや信仰の一致はないのか
第36総会期第一回常議員会は、十二月九日から二日間、教団会議室で、三〇人中二九人が出席して開催された。
先例に従い、議事に入る前に、今総会期常議員会の運営についての懇談の時が持たれ、山北宣久議長は、①要求陪席は認めて行くが、一括承認でなく個別に採決する。議事を乱した時は退席して貰う。②論議は賛否交互に行い、発言は常議員を中心とし、要請陪席者の中では教区議長を優先する。③三役への集中を避けるため、常任常議員会の設置をかねてから主張して来たが賛意を得られなかった。しかるべき時に再度提案したい。④常議員全員の顔を見ながら論議を進めるため、全常議員を最前列とする席の配置換えを行いたい、との基本方針を明らかにした。
この後、教勢問題の審議、要求陪席の在り方、議事録の訂正方法、常議員会宛文書の処理法などについて意見が述べられた。
議事に入り、議事日程が承認された直後の「第36回教団総会に関する件」で白熱した論議が四〇分間展開された。
まず取り上げられたのは、時間切れ廃案処理。「廃案議案が多く、やるせない気持ちだった。議長は、沖縄教区とどのように回復しようとしているのか」「時間切れの際の対応を決めるべきではないか」「上程していないものを廃案にするのは当然で、かつて三十数議案提案した人もいた」などの意見が述べられた。
次いで、教団総会での聖餐式の乱れについて発言が相次いだ。石橋秀雄常議員は、「総会三日目の聖餐式に感動した。司式した議員が常議員にトップ当選したのを見ても、同じ思いをもった人が多かったことが分かる。総会傍聴の菅沢邦明教師が自ら聖餐まがいの行為を行い、応ずる人が出た。何らかの対応が下さるべきではない か。また、聖餐を拒否した議員がいたことに大変衝撃を受けた」と、聖餐式の乱れを鋭く指摘した。
対立し、平行線をたどったテーマではなく、個人の言動に論議が集中したのも、今回の常議員会の特徴だった。「『もはや対話の時ではない』と発言して常議員に当選した議員が、教団新報で『信仰は二分している』と所信を述べている」と名指しされた北紀吉常議員は、「対話は成り立たないことを述べたまでで、対話しないと いっている訳ではない。聖餐理解が違うことは信仰の一致がないと考えている」と答えた。
また、「教憲教規を破ってどこが悪い、と発言した女性議員がいたことに衝撃を受けた。当該教区はどう理解しているのか」との発言もあった。
山北議長はこれらの意見を踏まえて、「時間切れ廃案議案の中には、常議員提案、教区総会提案が多数含まれており、残念だった。36回総会には前回より十四議案多い議案が提案されており、単純に計算すると一議案十五分間しか取れないことになっていた。そのことは議場に報告したが、議決の無記名投票などで時間を取られ、 結局多くの議案が廃案となった。沖縄教区には、『訪問したい』との書簡を出してあるが、村椿新議長になってから何らの返答も得ていない。先の教団総会後にも、村椿嘉信議長に電話したが、『しかるべき時に三役で相談する』とのことだった。決して沖縄を忘れている訳ではない」と述べた。
(永井清陽報)

▼帯の宣伝文に惹かれてデビット・メイン著、『ノアの箱舟』を読んだ。『言い出したら一直線のノア、迷いつつもついていく妻や息子、そして一風変わった嫁たち。独特の魅力をたたえた登場人物たちが箱舟のはなしを語り始めた…あの逸話は、悩み多き人々が織りなす驚きのドラマだった!』▼『箱舟』は、教会に準えられて来 た。しかし、地球そのものが、『箱舟』かも知れないと思い当たった。箱舟も地球も閉鎖空間であり、そこには限られた資源しかない。▼難題山積の箱舟だが、最大のものは動物たちの棲み分け、ノアは人間に近い生き物を最上階に、遠いものは船底にと考えるが、それでは船底が軽く上が重くなり、あまりにもバランスが悪い。名 前での分類とか、いろいろ模索したあげく、結局、大きさで分類した。閉鎖空間だからこそ必要になる棲み分けは、地球の大問題でもある。▼ノアの家族は一日中、動物たちの汚物処理に追われる。閉鎖空間では最も深刻な問題の一つだ。▼この船には推進機関がない。どこかを目指すことより、波に飲まれず、沈まず、とにかく浮 かんでいることが一番の目的だ。この点も、地球と同じ。▼『ノアの箱舟』は地球そのものの象徴であり、そして、ノアの家族こそが教会かと思う。そこには、悩み多き人々が織りなす驚きのドラマが。

エフェソの信徒への手紙2章19~22節
あなたがたは神の家族

山北宣久
 来りませ イエスよ
あなたの教会へ。
喜ばしき新年を
さずけたまえ
御名の栄光をたかめ
説教壇と聖餐台を祝福し 給え
 …J・S・バッハ カンタータ61番「異邦人の救い主よ 来りませ」より
この祈り願いの言葉の中に新年を歩み出したい。
牛 年
干支の話をするのはどうかとは思うが、牛をめぐる二つの聖書の言葉を引用したい。
「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが/豊作をもたらすのは牛の力。」とある。(箴言14章4節)
牛を飼うと面倒だし不潔だといって遠ざけるが、結局はその牛によって豊かにされるのではないか。価値を見誤るところからくる人生の損失から、免れさせられたいものだ。
 「馬が岩の上を駆けるだろうか/牛が海を耕すだろうか。」
(アモス書6章12節)
牛で海を耕すようなことはしない。しかしこんなナンセンスにして不自然なことを人は平気でする。
常軌を逸した罪の道を主の贖いによって赦され、立ち戻らされ、明るく共に生きていきたい。
牛偏の漢字は三一一もあるそうだが最も印象的なのは「犠牲」である。主の十字架による犠牲を無にすることなく生かされて生きようではないか。
砂漠タイプ
昨年召天十周年を記念された北森嘉蔵氏は人生と教会との関係を大地と水との関係に喩えて教会の交わりを語った。それによると交わりには三つのタイプがあるという。その第一が砂漠タイプである。
掘っても掘っても水が出てこない砂漠の如く、教会生活を重ねても、人生という大地を潤してくれるような水に相当する真実な交わりが与えられない、それがこの砂漠タイプだ。
「行けども行けどもただ砂原」といった状況が教会を犯す時、教会は生命を失う。兄弟姉妹と言いつつ、赤の他人にすぎない時、教会の交わりは形骸化する。
「いのちなき砂の悲しさよさらさらと握れば指の間より落つ」 (石川啄木)
教会の砂漠化を避けたい。
湿地帯タイプ
湿地帯というのは水が過剰になった場合に生ずる。始終ベタベタくっついていなければ不安というのでは教会生活を不健全にする。 米国の社会学者が日本人を評し、「Intimate but not personal」(親密だが、人格的関係にない)と鋭い指摘をなしていた。
湿度の高い梅雨時に食物が腐るように、余りに過剰な交わりは、腐敗を招く。
「友人の家に足を運ぶのはまれにせよ/飽きられ、嫌われることのないように。」(箴言25章17節)これは湿地帯タイプの交わりに対する警告でもある。
地下水タイプ
これは普段は淡々としているが、いざという時には真実の兄弟姉妹の交わりが噴き出しているといった姿をさす。
古来「君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ」(荘子)と言われる。これは認められてよい。しかしいつまでも淡々としているのではない。
こんなはずではなかったいう時に、地下水の如き交わりが急場を救う。
「友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。」
(箴言18章24節)
荒野、枯野の如き世界にあって、地下水の如き交わりが人生を潤す。
エフェソの教会
異教、邪教に囲まれ、偶像と物欲への志向が強く人々の心を捉える中で、様々な隔ての壁をこえて一つにする主にある交わりを武器として、積極的な生き方を内外に展開していったのがエフェソ教会であった。
金権体質が人々を豊かにするどころか、対立と分裂を激化させ、人間の心を内面から蝕んでいく。
そんな人種的、階級的、経済的、文化的、宗教的、政治的な対立や分裂抗争を超えて、共に罪赦された共同体を形成することによって生命にみちた日々を重ねていき得たエフェソ教会の現実、これこそ教団の教会の姿でありたい。
新年最初の聖書日課として与えられた聖書の箇所はまさに啓示である。
主イエス・キリストの十字架によって二つのものが一つにされ、敵意という隔ての壁が壊されていく。キリストによって両方の者が一つの霊で結ばれて、御父に近づくことができる。
「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」とある。(19節)
エフェソ2章は教会という言葉を一度も用いずに、それでいて教会とは何かということを語る。
教会は神の家族
そうなのだ。教会は神の家族なのである。
「みかみを父と/あがめまつりて/つかうる家の/そのたのしさよ」
(『讃美歌』四三四番)
家族にもトラブルも破れはあろう。しかし、感情を爆発させては、これを愛によって消しとめる訓練場、道場として教会は鍛えられ成長していく。
「幸福な家族とは問題のない家族のことではなく、問題を解決する能力を持っている家族のこと」それは家族としての教会でも全く同じであろう。
そうした解決の力はキリストとの交わりがもたらす。建築にたとえるなら、いろいろな石が積み重ねられ、その「かなめ石」コーナーストーンはキリスト・イエスご自身だと言っている。「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」
石は崩れ落ちる。しかしかしら石たるキリストによって積み上げられた石垣は崩れることはない。万一崩れたとしても、聖霊の導きによって前にも増して強固に積み重ねられる。
それ故に教会はいつでも「最早、ただ神によってのみ支えられ、キリストによって建てられている」という時が正しい在り方となるのであろう。
神の住まい
「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(22節)この19?22節は礼拝式文調で記され、実際洗礼式でうたわれたものと言われている。
キリスト者として「組み合わされ」「共に建てられ」るバプテスマ、そして聖餐へ、どんなに大きな喜びであろう。
「我は聖なる公同の教会を信ず」
教会は何より信ずるものである。教会信仰を以って「共に」という地平へ進み行こう。
(教団総会議長)
2008年12月13日

日本基督教団は、社会活動基本方針に『教会と社会福祉事業との相互理解と協力を推進する』と謳い、十二月第一日曜日を「キリスト教社会事業を覚えて祈る日」と定めています。
「伝道とは聖書的な聖化の道を全土に浸透させること」と十八世紀英国のある教会指導者は心得ました。「聖化の道」とは、今日流行の言葉では「霊性」と言い換えることができましょう。すなわち、御言葉によって養われて、聖化へと向かう継続的な力として私たちの内に造られる霊的な気質です。それは、神の国を待つ心であり、個々人のことにとどまらず、浸透して教会的な交わりや社会を形成していきます。そのような教会的霊性をかの指導者は祈り求めたのでした。
来年、私たちは日本伝道150年として記念いたします。北米諸教会から派遣された宣教師の方々の働きは、教会の建設、キリスト教学校や社会事業施設の開設へと向かい、神の国を待つ者たちの歴史となりました。私たちはその歩みの一こまに共に加えられて記念の年を迎えます。この時、私どもに与えられている霊性を養い、伝道への構えを充実したいと願います。そして、キリスト教社会事業を教会の大切な働きとして、あらためて、しっかりと覚えたい、そう思います。
諸施設で「共に生きる」お一人お一人、その関係の方々、また、労苦を惜しまず奉仕しておられる兄弟姉妹のために祈りましょう。昨今の経済事情のもと、ご苦労も多いことかと思いますが、志が高く保たれ、必要が満たされますように。私たちも為すべきことがあればそれを見出したいと願います。
2008年12月7日
第35総会期日本基督教団社会委員会委員長 張田 眞

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