インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
newaccount

【4667号】2・11メッセージ

2009年1月31日

 二月十一日を「建国記念の日」として制定実施された一九六七年以来、私たち日本基督教団は、この日を「信教の自由を守る日」として、各地で2・11集会を開催し、「建国記念の日」の祝日に対して異議を訴え続けてきました。
それは、国民の祝日に関する法律(以下、祝日法と記す)では、2・11日を「建国記念の日」として「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定していますが、そもそもこの日は、神話上の人物とされる神武天皇が即位した日とされている日で、一八七四年に「紀元節」と決められて以来、「紀元節」として守られていた祝日であ り、敢えてこの日を「建国記念の日」と定めたからであります。つまり、日本の国は天皇によって建国され、その国を愛する心を養うというのが、「建国記念の日」制定の意図だからです。。
祝日法の改定によって二〇〇七年からは、四月二九日の昭和天皇誕生日が「昭和の日」と制定されました。「海の日」は明治天皇に由来し、「春分の日」「秋分の日」「文化の日」「勤労感謝の日」「天皇誕生日」等、国民の祝日には、天皇や皇族と関連して定められているのがあります。
この意図は、天皇制が国民の日常生活から遊離しないように仕組まれていることは、明白であります。この最も顕著な例は、「日の丸・君が代」の強制的な押し付けであります。これは日本国憲法19条で保障されている「思想・良心の自由」及び20条の「信教の自由」を完全に否定している行為であります。この強制に信仰的・良 心的理由から反対した公立学校の教職員たちが罰則を受けるという憂うべき状況にまで至っています。今では、私立のキリスト教主義学校にまで教育委員会より強い要請があると聞きます。
2・11日を迎えるに当たって、「信教の自由」が堅持されるようにと発言していくことが、極めて重要な宣教の課題であります。各地での集会の上に、神の祝福を祈ります。
日本基督教団総会議長 山北宣久

祈りと働き  愛に生きる・愛を為すこと  大江浩
JOCSは、二〇〇七年度に、バングラデシュのマイメンシンにある、CCH(Community Center for the Handicapped)へ山内章子ワーカー(理学療法士)を派遣しました。  CCH(一九九七年設立)は、地域に根ざした障がい者コミュニティセンターで、超教派の男子修道会であるテゼのブラザーたちのサポートにより始められました。外来患者のリハビリ・地域巡回診療・職業訓練やグループ活動など多様な活動を行っています 。
山内ワーカーの役割は、CCHをベースとした巡回リハビリやスタッフの教育指導、テゼが運営に関わるラルシュ・コミュニティの知的ハンディのあるメンバー(後述)のリハビリなどで、他にもダッカや他の地域の障がいを持つ子どもたちのケアや、スタッフとなる人材の育成にも携わっております。
CCHは今、脳性まひの子ども七〇〇人、それ以外の障がいを含めると延べ三〇〇〇人の障がい児をケアしています。
障がい者の支援と一口に言っても車椅子も、義肢義足、靴にいたってもその人の「暮らしや生の営み」を支える補装具が乏しい現実があります。
ここで一つのエピソード(アイシャという女性のお話)をご紹介したいと思います。
「バングラデシュの貧しい家では当たり前のように、彼女もとても若い時に結婚しました。まもなく結婚生活は悲惨なものなりました。夫から暴力を受ける日が続き、絶望した彼女は自殺しようと考え、とうとう列車に飛び込んだのです。彼女は生き残りましたが、両足を失いました。CCHでは、障がい者がカーペットを作る小 さな作業所を始めました。アイシャはそこに所属し、わずかですが、収入を得るようになりました。そして車椅子を与えられたアイシャは、それに乗ってマイメンシンのスラムの小さな家から毎日通うようになりました。アイシャは冗談を言い、そして歌います。両足があった時よりも今の方が幸せだと彼女は言います」。(JOC S2007年度夏期募金趣意書より)
それぞれの人生には、それぞれのストーリーがあります。「障がい」を取り巻く状況は多種多様です。女性や子どもたちが虐げられている深刻な現実や構造的暴力の問題が透けて見えます。JOCSは、ワーカーを通して、それら一人ひとりの生き様に寄り添っていきたいと思います。

私は二〇〇八年二月にマイメンシンを訪れる機会が与えられ、スラム地区の巡回活動(家庭訪問と障がい児のためのリハビリ)に随行しました。イスラム教のコミュニティで、多くの子どもたちと家族が一部屋で肩寄せながら暮らす社会です。
環境は決してよくありません。子どもたちはそれぞれに障がいの種類・度合いが異なります。障がいの故に排除されてきた子どもたちもいます。温かい手を差し伸べながら、丁寧に誠実に機能訓練をするCCHスタッフ・アレックスの姿に感銘を受けました。
彼は少数民族出身で、テゼのブラザーたちの支援を受けながら学んできた人で、今の仕事に生きがいと誇りを持っています。テゼの祈りが育てた貴重な人材の一人です。巡回リハビリで訪れた家庭は皆最貧層で、バングラデシュの国籍も無く、生きる権利を奪われた人々でした。地に根を張って生きる姿が目に焼きついています。?
CCHは施設に頼らず、地域に根ざした障がい者の自立支援の活動において、パイオニア的存在です。すべての働きの根底に「祈り」があります。

山内ワーカーは、岩本直美ワーカー(看護師)がコミュニティリーダーを務めるラルシュコミュニティのメンバーにもリハビリを通して関わっています。
岩本ワーカーは、三つの家・プシュポニール(華の家)をベースにアシャニール(希望の家)・ショプノニール(夢の家)とワークショップ(工房)、そしてデイケアをまとめる立場にあります。
ラルシュコミュニティは、ジャン・ヴァニエが一九六四年に知的ハンディのある二人の青年を迎え、共に暮らしたことから始まりました。知的ハンディのあるメンバー「仲間たち」とその人たちの暮らしをサポートする「アシスタント」からなるコミュニティで、生活・作業・祈りから成り立っています。ジャン・ヴァニエはかく 語ります。
「弱い人は、強い人が必要ですが、しかし強い人もまた弱い人を必要としていることがラルシュにおいて分かってきました。…知的ハンディを持つ人のもろさと苦しみに触れ、その時、彼らが私を信頼してくれると、私の中にもやさしさの新しい泉が湧き起こるのを感じました」。(「ラルシュのこころ 小さい者とともに、神に 生かされる日々」-ジャン・ヴァニエ:一麦出版社より)
そして静岡の「ラルシュかなの家」を創められた佐藤さんの言葉(同書より)です。
「ラルシュのコミュニティは、様々な弱さ、貧しさが持つ逆説を示しています。多くの人が投げ捨て、端に追いやってしまっていることが、恵みと一致と解放と平和の道になるというものです…なぜなら貧しい人の中にこそ、神の力が働くからです」。(同書 訳者:佐藤仁彦)
テゼの一日は祈りに始まり、祈りに終わります。テゼのブラザーたちの「祈り・働く」姿は、「イエスの生き方」に通じます。山内ワーカーは、「ここ(マイメンシン)は神様に近い場所」だと語ります。
日本は物の豊かさはあっても、心は貧しく愛から遠く飢え渇いた世界があります。テゼのすべてのスタッフの「地の塩」としての働き、即ち信仰が支える愛の行為が神様に近づくことであるように思えます。向き合う人々に支えられ、貧しさと闘いながら、豊かさを得るJOCSの現場。貧しく小さくされた人が「世の光」であり 、その中にイエス様の愛を見出します。そして私たちが共に祈ること、支えることがまさに「愛を為すこと」であると学ばされています。
( JOCS総主事)

▼CSの一場面。おふざけが過ぎる生徒に「こらーっ、○○、聞いているふりくらいはしろ、礼儀というものがあるだろう」「聞こえているよ」。「聞く気はないが聞こえているよ」の意味。「じゃあ、今の説教を話してみろ」。○○は、十分の説教をほぼ完全に復唱した。▼やはりCS礼拝。未だ三歳の男の子が、説教の直後、こ こに記したら三行にもなる長セリフを言い、「…って、どういうこと?」。全く意味が分からない言葉を三行分も暗記出来る。▼子どもの記憶力は素晴らしいという話ではない。聞いていないようでも、聞こえている。そして、効いていないようでも、効いている。これは決して駄洒落ではない。▼贅沢な鍋を食べて、「これは凄い 塩だ。何々産に違いない」と言う人は、多分、料理漫画の登場人物だけだ。誰も一顧だにしないが、塩味は効いている。決定的に、ものを言う。▼昔、コンビニもなかった時代の大晦日、教会員からいただいた豪勢な寿司桶を囲んで、往生したことがある。煮炊きが禁じられている寮のこと、誰も醤油を持っていなかった。ケチャッ プ、マヨネーズ、あるもの全て試したが、どうにもならない。▼塩の目方が材料全体の1%を超える料理は、滅多にないだろう。1%未満でも、果たすべき塩の役割がある。きいていないようだが、確実にきいている。

マルコによる福音書10章17~31節  小林   眞
不安を見抜く中で
今の時代、間違いなく誰もが平安を願っている。ただ平安と言っても、その内容は、その人の生活の場の状況によっては多様だと思われる。
例えば、自分の個人的な魂の平安であったり、社会的な差別から解かれる正義であったり、具体的な戦争がなくなる平和などを願うのである。
従って、その内容に沿って自分なりの求め方をするのであるが、多様な平安とは別々のことだろうか。
主イエスのもとに一人の人がやって来て「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか(17節)」と尋ねた。
この「何をすれば」の中には「永遠の命は、自分の力や行いで受け得るもの」と考えていることが明確に出ていると言ってよい。
主イエスも、それを分かってであろうが「十戒」を示されると「そんなことはみな守っています」と自信を持って答えた。
ということは、彼は自分で永遠の命を受ける道を知り、自信もあるが、主イエスに尋ねたとは、なお不安があることを自ら暴露しているのである。
主イエスは、この人の不安を見抜く中で、いつくしんで「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる(21節)」とおっしゃった。けれども彼は、その求めに対して財産を捨てることができなかった。
財産を捨てることは
なぜできなかったのか? 多少は、惜しいという気持ちがあったかもしれない。
しかし、彼は死後の世界に財産を持って行くことができないことくらいは分かっているはず。
ましてこの人は、永遠の命を求めている故に、地上にだけ通用する財産は捨ててもよかったのではないか。
またこの箇所を読んだ方が「財産を捨てないと永遠の命に与ることはできない」と理解し「マザー・テレサはできたかもしれないが、凡人の私には無理だ」と言うことも多い。
しかしそうではない。逆にそうだとすると、地上で恵まれた人、所謂お金持ちは救われなくなる。
ここで彼が財産を捨てきれなかったのは、地上の財産に固執したからではなく、旧約聖書の時代から「財産は神の祝福の印」という考え方があったからである。
つまり、彼にとって財産を捨てることは神の祝福の印・保証を手放すことにほかならず、それらを手放すことによって、永遠の命・祝福が与えられるとは到底考えられなかったからである。
その意味で、主イエスは「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか(23節)」とおっしゃったのであるが、弟子たちには真意が分からず「それでは、だれが救われるのだろうか(26節)」と考え込むしかなかったのである。
地と天との尺度の違い
この箇所で主イエスが一番語りたかったことは「地上の財産や確かさの中に、天の印を見いだす空しさ」であり、言い換えれば、地上と天における尺度の違いである。
その違いの理解が浅かった弟子たちが「ではだれが…」と問うたことはやむを得ないことかもしれない。 それを受けて、主イエスは「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ(27節)」と、人間の行いの不確かと、神の業の確かさを明確にされた。
わたしたちは、時には考える。これだけ信仰生活…礼拝・奉仕・献金ほか…を続けたから天の命を受け継ぐことができるだろうと。 とんでもないことである。
わたしたちの信仰生活の行いは尊く大切なことであり、神さまも喜んで下さっているに違いない。しかし、それを以て「命の担保」とすることはできない。
「永遠の命」は、人間的・地上的保証のないところで、神ご自身が保証して下さるのである。
人間的保証のないところとは、人間の確かさがなく「罪のあるところ(告白)」と言ってよく、そこにこそ、神ご自身の確かさと業が明らかになる。
私に従いなさい
改めて見ると、主イエスは「わたしに従いなさい(21節)」とおっしゃったが、これは何を指すのか。
翻って、この男との問答は、主イエスが旅に出る時であると17節に記されているが、この旅とはエルサレムに向かう旅であることは間違いない(32節)。
つまり「わたしに従いなさい」とは、「エルサレムまで従って来なさい」ということであり、「エルサレムに来ればわたしの本当のことが分かる」とのことにほかならない。
二千年前、主イエスに従って行ってエルサレムで見えたこと、それは「赦しと贖いの十字架と、ご復活の命」の福音そのもの…。
この福音に与ることこそ信仰そのものであり、地上のどんな力で以ても切ることのできない神さまとの永遠の関係に入ること。
この福音の「命」なくしての平安…心や魂の平安、正義や、平和など…は果たして本物なのであろうか。
今一度、自分の求めている平安の内容を問い、より正しく「命」に与りつつ、福音に応える歩みを続けたい。
(遠州教会牧師)

2009年1月17日

十一月二四日、長崎Nスタジアムで三万人が集い、日本初の列福式が執り行われた。私は日本宗教連盟、日本キリスト教連合会を代表しての参加であった。
「ペトロ岐部と一八七人の殉教者」は山形の米沢から九州まで九つの地域で殉教したが、四人だけが司祭、あとは殆ど名もない信徒であった。
婦人が六二名、子どもが三一名といわれるから、両者でほぼ半数になる。
彼らは死よりも強い愛の絆、いのちより尊いものがあることを知り、従容として殉教していった。だから英雄的に殉教者を崇めるのではなく、キリストへの愛を貫いて日常的信仰を生き抜いた。その信仰を今に返して、何とか継承したいという思いが満ちていた。
時折降り注ぐ冷たい雨の中、身じろぎもせず三時間余のミサに列していた熱き信仰が印象的であった。四〇〇人の子どもたちの手によって運び込まれたご聖体を、全世界から集うた幾多の司祭の手により拝受する姿に、四〇〇年に亘る信仰の継承がなされている重さ深さを垣間見る思いであった。
改めて確認したのは、殉教者は孤独の中に死んでいったのではなかったということ。コンフラリアという主にある共同体の絆が、しっかりと彼らの生と死を支え切ったということであった。
式の最後で、アウグスチヌスの言葉が引用された。「迫害や拷問が殉教者を生み出すのではない。キリストへの愛の証しが生むのだ」
(教団総会議長 山北宣久)

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2026
The United Church of Christ in Japan