インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
newaccount

【4654号】部落の完全解放を願い 第10回部落解放全国会議

2008年7月12日

全国から二〇〇名を超える参加者

第10回部落解放全国会議を二〇〇八年六月九日(月)〜十一日(水)に東中国教区で開催する事ができました。神様の導きを感謝します。また、全国の部落解放センターを支えてくださる皆様に感謝します。
第10回目の全国会議は二〇〇六年六月に兵庫教区にて開催の予定でした。その準備段階で部落解放センターは兵庫教区の関係者から、「活動の有り様(ありよう)に関わる問い」を受けました。それは部落解放センターが、今どこに向かって歩んでいるのかという問いであり、「部落解放方針」に「他の差別と連帯していく」とあるにも関わらず、なされてないとの批判でありました。この事は初めて問いかけられた事ではありません。それまでにも問いかけられており、部落解放センター活動委員会にて協議を重ねておりました。改めて問いかけを受け、協議いたしました。何度も協議を重ねた後、「部落差別がなくなりますように、全ての差別がなくなりますように」と願い、さまざまな差別と闘う仲間と連帯していくことを今回の全国会議の中でもハンセン病のフィールドワークを行い、東中国教区での課題を共に学ぶ時が与えられました。
全国会議の中でかつて約一三〇年前に岡山教会で起こった差別事件に学ぶ時がありました。事柄は岡山教会での聖餐式の中で起こったことです。それは、一つの杯でまわされたぶどう酒を被差別部落出身の方が飲んだ後で聖餐の拒否が起こった事であります。この事は大問題となりましたが、宣教師が間に入り、ことなきを得たと報告がありました。それ以上は記録がないので解らないとの事でした。イエス・キリストによって祝福されたぶどう酒を神の恵みとして受け取るよりも、人間に芽生える差別のこころが優先されたのです。大変悲しい出来事です。この事をふまえた上で、次の事を考えさせられました。岡山教会はその当時被差別部落への伝道を行い、その地で家庭集会をおこない深くかかわりをもっていきました。その結果、岡山教会の信徒の1/6は被差別部落の人であったと報告されました。現在の教会が聖餐拒否のような差別事件は起こさないとしても、差別を受けている人と積極的に出会っているだろうか。被差別部落、ホームレスの方々、外国からの就労者、多くのさまざまな差別を受けている人、困っている人と積極的に出会い、共に生きていこうとしているだろうか。知っていながら無視するのも差別ではないだろうかと考えさせられました。
私はフィールドワークで「美作騒擾」(みまさかそうじょう)に参加しました。案内してくださった方は二人いて、一人は差別をして襲った農民の子孫、もう一人は差別され襲撃を受けた被差別部落の子孫でした。「美作騒擾」とは明治維新からの急速な近代化に戸惑い、「解放令」により、優越感の対象を失った農民が、新政府のお先棒かつぎだと戸長、金持ちなどの打ち壊しを行い、やがて、その矛先(ほこさき)は被差別部落に向けられ、焼き討ちと殺人の暴動、騒擾となった悲しい出来事です。長く公表されませんでしたが、当時襲撃した農民の子孫が先祖の罪を明らかにし、このような差別が二度と起こらない事を願ってフィールドワークを続けておられます。
この方にとっては大変苦しい事ですが先祖の罪を真摯に受け止め、差別撤廃の働きをされている姿を見せられ私は感動しました。全国会議は他にもさまざまなプログラムがあり、多くの事を教えられました。また、多くの人と出会えたことを感謝いたします。学んだ事を私の地元で、部落解放センターの歩みの中で考えていきたいと思います。第10回部落解放全国会議を恵みのうちに終える事が出来ました事心から感謝しています。全国会議を覚え祈り支えてくださったことを心から感謝いたします。
(東谷 誠報・部落解放センター運営委員長)

私の中の部落差別~解放へのつながり

六月九日(月)~十一日(水)、第10回部落解放全国会議が岡山教会にて開催された。全国各地から二〇〇名を越す参加者が祈りと課題を携えて集った。テーマは「宣教の課題としての部落解放『私の中の部落差別~解放へのつながり』」。今回の全国会議は開催の基本理念として、当該教区である東中国教区にて立ち上げられた実行委員会において、テーマ並びにプログラムの一切を相互に理解を深めつつ企画・準備するというものであった。準備当初段階では、部落解放のための全国集会を東中国教区の我々が実際に担えるだけの素養と実力があるか大いに不安であった。しかし、この機会によって開催者側であるわたしたちこそが、全国からの参加者の方々との新たな出会いと交わりを通して、部落差別「問題」を自分自身の問題とされる気づきをこの地元・岡山の地で与えられたいと願い、またこの岡山から部落解放のために更なる歩みを進めていく方々の歩みに東中国教区の者たちもつながっていく一歩を共に踏み出せたらとの思いをテーマに込め準備した。また、あらゆる差別と闘う仲間との連帯が強められていくことを願ってプログラムを企画した。そうした願いは、三日間のプログラムの中で実りとはまだ言えなくとも芽生えとなったことであろう。
三日間に亘るプログラムはどれも、わたしたちの根底に深い問い投げかける内容であった。一日目には、狭山事件の当事者として四五年間の闘いをなお懸命に続けておられる石川一雄さんより記念講演を頂いた。見えない鎖からの完全なる解放の日を確信しつつ、誠実にまたひたむきに語られるその真実な言葉に心打たれると共に、部落差別の陰湿かつ卑劣な現実をなんとしても乗り越えていく必要を感じさせられた。
二日目は「美作騒擾(そうじょう)」、「渋染一揆」、「ハンセン病療養所の現在」の三グループに分かれ現場研修が行われ、差別の歴史をそれぞれの生活の視座へと現在化し、人々のうめきと解放への願いに共鳴する日を過ごした。その後、深澤奨牧師(佐世保教会)による聖書研究の時が持たれた。人は信仰の正しさによってではなく「キリストの真実」によって救われ解放されることを確かめ、信仰の正しさを問うところから生まれ得るキリストの名による差別の不幸を考えさせられた。また夜の分科会ではテーマ別に六つのグループに分かれ、更なる研鑚を深めた。翌日、全体会そして派遣礼拝にて、あらゆる差別からの解放と、互いの働きのために祈りつつ、荊冠のキリストが生きて働くそれぞれの現場へと再び遣わされた。
第10回全国会議を終え、東中国教区では部落解放センターの多大な支えにより主催者との一端を担えたことを感謝しつつ、はやくも第11回全国会議開催への関心と期待が生まれている。二年後の開催までに、更に部落解放への思いを強め、今回の芽生えを実りへと少しずつでも前進していければと思っている。
(指方信平報・実行委員)

2008年6月28日

六月二一日の神奈川教区を除いて、その他の教区総会が終了した。
私も問安使として幾つかの教区を廻らせて戴いた感想として、二~三年前のコラムに書いたことであるが、その時以上のことを感じざるを得なかった。
例えば、分科会方式をとる教区もあれば、全議案を全員で審議する教区もあり、これらは議事運営の多様性として理解できる。
しかし、准允式や按手礼式の違いは、果たして多様性と言えるのだろうか。
具体的には、誓約時に、式文中の「…信仰告白、教憲・教規に従い(補教師)」、「…教会の規範とに従って(正教師)」を省くのである。
つまり、A教区では、「教憲・教規や規範に従う」と誓って教師の出発をし、B教区では、そういう誓約もなく歩み始めるのである。
勿論、現式文がこの文面通りに使用しなければならないわけではないことは承知している。
さらに、按手の時に「教師は前に」と告げて、按手を実施した教区もあった。
つまり、「教師」だけでは補教師も按手に加わる可能性があるのである。
按手を受けていない者が、按手に加わることは、意味のないことであるが、それ以上に、現在の教職制度に対する挑戦であり、破壊に繋がるのではないだろうか。
これらの現状は「多様性」とは言い難く、未受洗者陪餐問題と合わせ、「一つなる教会とは」を問いつつ教区総会を後にした…。
(教団総会副議長 小林 眞)

母の信仰を胸に

「突然警察署から警官があらわれた。その頃風説には各教会(ホーリネス)へ入り込んで取りしらべられているときいた。秩父教会へも取りしらべがあるものだと皆心がまえをしているものの、はたして誰にくるかわらない。最早目の前に来て一矢がこちらに向かっている。明朝午前八時に秩父警察署に出頭するように言い残して帰って行った。当時(一九四〇年)七月七日」と、今は亡き母の遺稿を読み上げるご婦人の姿に出会った。
第二次大戦下、日本基督教団の六部九部が厳しい弾圧を教職も信徒も受けたことは旧知の通りである。しかし、その弾圧をお聞きする機会は、なかなか無い。しかも戦後六十数年という時間が重くのしかかるが、絶対に風化させてはならない。
遺稿を読み上げる白井キヨ子姉が弾圧を受けた際は、青年期であり、遺稿に記される母の信仰を見て成長された。激動の時代であったが、日曜学校でさんびかやクリスマスの劇が楽しかった事を思い起こされる。
一九四二年クリスマスに教会の青年、同級生五名と一緒に浜野牧師より洗礼を受けた。母の信仰を見て育ったので、疑うことなく素直に神信仰を受けとめられた。その信仰の仲間達は、秩父教会を始め、各地で教会を支えていると、お聞きした。子育て時期など、暫く礼拝を離れた時期はあるものの、母の信仰により教会に引き戻された事を今も忘れてはいない。多くの人たちを救霊に導こうとする母の信仰を心から尊敬する。
地域では喫茶店を経営され、教会では婦人会長を歴任し、今は教会役員として、しっかりと教会にお仕えされている。教会の様々な困難に心を痛めつつも、祈って献げる事により今の新会堂が建築されたことに大きな喜びを覚えている。信仰の継承が成されることと、若い人た
ちが教会に呼び起こされるように、という切なる祈りを誠実に続けておられる。

五月二〇日~二一日、東京の「高尾の森わくわくビレッジ」で、第四一回伊豆諸島連合修養会が開催された。台風四号の北上で影響が懸念されたが、当日朝には風雨も収まり、東京教区各支区から六〇名(その内伊豆諸島からの参加は九名)が集まって予定通り開催することができた。
今回は講師に四国から小島誠志牧師をお迎えして、「神の言によって生きる-生活の中に働く御言」をテーマに、まず開会の講演を聴いた。
小島牧師は、マタイ10章1~23節をテキストに、「終末に向かって生きること、それが伝道である」と、終末を生きるキリスト者の有り様について語られ、「礼拝する者が伝道する者」「伝道の場はまず生活の場。そこで、弱さをもった自分が何に支えられて生きているかを示していく。それが証し、伝道」「時間ができたら、十分に学び準備ができたら伝道しようでは、いつまで経ってもできない。今あるままの姿でよい。必要なものは神が備えてくださる」「伝道は神との平和をもたらす働き。平和をもった一人の存在が、家庭の中に社会の中に平和を拡げていく者として用いられる」など、励ましに満ちたメッセージが語られた。講演の後「アメージンググレイス」や「波浮の港」などハーモニカ演奏もしてくださり、修養会は一気に盛り上がった。その後、小グループに分かれて分団を行い、講演を聴いた感想や愛唱の聖句を紹介して自己紹介を行い交流を深めた。
伊豆諸島には教団の教会・伝道所が五つある。伊豆諸島連合修養会は、他の教会と交わる機会の少ない島の教会が、互いに励まし合うために会場を持ち回りにして行われてきたが、近年は島の課題を共有してくださる教区内の有志が大勢参加されることもあり、五年おきくらいに都内でも開催されている。終末を生きる信仰者たちが互いに励まし合うために、神は小さな島の教会を用いてくださる。それを深く心に刻まれた修養会だった。
(竹井真人報)

祈りに支えられて
グドルン・シェーア

(ジャーマン・ミッドナイト・ミッション《MBK》からの派遣宣教師)

「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」(ルカによる福音書9章60節)と、この主イエスのみ言葉に押し出されて二三年程前に来日致しました。
ドイツのミッドナイト・ミッション(MBK)より派遣され、二年間「日本語」との格闘生活をし、その後千葉県富津市の社会福祉法人ミッドナイト・ミッション望み会にて婦人保護施設で不幸な女性たちの更生、伝道のために働きました。今でも当施設のチャプレンとして勤め、聖書研究会、受洗準備講座や洗礼式を執り行っています。
一九九三年不思議な神の導きによりまして、西千葉教会に招聘され、現在に至るまで宣教・牧会活動に従事しております。
招聘にあたりまして主任牧師の木下宣世先生に二つのことを課せられました。その一つは、西千葉教会でドイツにあるようなゲマインデ・シュベスター(直訳すると教会看護師=現在の相互ケアの働き)制度を作ること、もう一つは奉仕活動を西千葉教会にだけではなく、むしろそれを支区内外に広げるということでした。
「大変なことになった。どうしよう?」とその時には心配しました。けれども、今、十五年あまりの西千葉教会における奉仕一つ一つを思い起こしてみると、木下先生のあの時の期待の確かさを有り難いほどよく分かります。木下先生の具体的な期待は、わたしの使命にぴったり合致していました。先生は長い間の牧会経験を通じてわたし自身よりもわたしに与えられている可能性をよく分かっていらしたということなのです。今振り返ってみますと、わたしは真に幸せな年月を教会員と共に過ごさせて頂きました。
西千葉教会では教職は三人体制で教会の業に励んでいます。週に四回朝の教務打ち合わせ会を行い、共に聖書を読み、担当する礼拝及び諸集会や教会員の消息を確かめ合い、そして共に祈って出発致します。
木下先生は教会の働きの他に週に三回位教団や教区や諸社会福祉事業の働きで出張しています。宣教師も家庭集会の他、千葉支区内や他教区の諸教会の様々な依頼を受けて出張しております。真に忙しい生活をしております。
けれども朝の教務打ち合わせ会における祈り、このような霊的な交わりは忙しい毎日の歩みの力の源となります。これなしには宣教師として何も出来なかったと思います。深く感謝致します。
もう一つ感謝すべきことは、西千葉教会の会員が我々教職のために忠実に祈りを捧げていることです。この祈りの証人があるからこそ様々な働きが成功することが出来ました。
相互ケア制度が昨年十周年を迎えました。高齢化が進む中で教会が何をなすべきであるかということを常に考え合い、現在は六三名のボランティアが与えられています。この制度は日本の多くの教会にも注目されています。宣教師は種を蒔いただけです、けれどもそれが実際に動き始めたのは祈っている教会員のお陰でした。
来る八月三一日、残念ながら西千葉教会での働きを辞任することとなりました。けれども長い間支えて下さった西千葉教会の会員は更にわたしの今後の働き、即ちMBKミッションの宣教幹事の責任をサポートする制度を作ってくれました。これはおそらく日本の宣教歴史の中で初めてのケースだと思います。こうして日本の教会は宣教歴史の新しい章を書き始めています。わたしは感動と感謝をすると共にこれからの日本の伝道のために切に祈り続けていきたいと思います。

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan