第35総会期第四回在日韓国朝鮮人連帯特設委員会が六月二三日教団会議室で開催された。
前回議事録承認の後、 二〇〇七年度宣教方策会議及び在日大韓基督教会『宣教100周年』第十四回人権シンポジウムの参加報告を受け、教団と在日大韓基督教会との関係の在り方について意見交換をした。
関東地方会議長が東京教区総会での挨拶で、在日大韓基督教会が教団第1部に所属した事に触れられ、当時の資料を集める必要を感じたこと、また、大阪教区総会ではKCCJ宣教100周年を記念して関西地方会を招き、戦前の一時期日本語を強要したことを覚えて韓国語で開会礼拝を捧げたことが報告された。
次に、二〇〇七年度決算、二〇〇八年度予算案、総会報告資料について審議、決定をした。
また、教団総会に当委員会の設置継続議案が提案されるように常議員会に提案することを決定した。
今後の活動については
◎「外国人住民基本法」制定国会請願署名用紙を教団総会資料に封入する。
「外国人指紋」制度の中止を求める要請署名を教団総会会場で集める。
在日大韓基督教会「宣教100周年」記念事業に対する協力献金の依頼を再度各教区宛振込み用紙を添えて送付する(現在献金高約四〇万円)。
◎第十八回キリスト教学校人権教育セミナーに委員長を派遣する。
◎その他外キ協発行〈日・韓・在日教会共同ブックレット〉「歴史をひらくとき-共に生きる世界・2008」(定価千円)の扱い、旧日本軍「慰安婦」支援献金募金の総括、平和メッセージを在日大韓基督教会と合同で発表すること。
等について協議し、次回を九月一日に予定して閉会した。
(土井桂子報)
第35総会期第五回信仰職制委員会が七月三日(木)~四日(金)に教団会議室で行われた。
式文改訂小委員会の岡本知之委員長から『日本基督教団式文(試用版)二(諸式)』の案文作製が終了したとの報告を受け、内容を審議した。
このままの形で出版に回すことに反対する意見がいくつか出されたため、今期内に原稿を確定することを目指して、今後信仰職制委員からの意見をふまえて再検討することを式文改訂小委員会に依頼することとなった。
玉川平安教会役員会より、「伝道所での洗礼執行について」の質問が教団に寄せられ、総幹事の判断により信仰職制委員会で答申を出すこととした。
教会に受洗志願者がある場合は、洗礼執行の承認決定は教会役員会で行われる(教規一〇二条(1))が、伝道所に同志願者があった場合、伝道所には教規上役員会が存在しない(一二〇~一二二条)ので、どこでその意志決定がなされるか、その受洗者の教会籍はどこに置かれるか、同受洗者の教区総会出席の権利はあるか、という質問である。
現行教規においては、伝道所には、洗礼を決定し、転入を受け入れるための役員会を置くことが求められていない。伝道所の設立には役員会は要件になっていないのである。
従って洗礼執行の意志決定は、伝道所設立の要件となっている関係教会(一二〇条②)の役員会においてなされることがふさわしい。そして受洗者の教会籍は、その意志決定をした関係教会に置かれるべきである。教区総会の議員となることは、関係教会の役員として教区総会議員となることによって可能となる。(「答申」全文は各教区事務所にも送付されたので参照願いたい)
教規に基づいて概略右記のような答申を行ったが、この問題は、教規の規定と伝道所の現実とが乖離していることを示している。今後検討されなければならない課題の一つである。
次回委員会は九月二九~三〇日に行う。
(大村栄報)
▼ジョン・ソールの『ミッドナイト・ボイス』では、そこに入り込んだ子供たちの若さを奪い、自らは新築の姿に若返る妖館が舞台となる。▼妖館と教会とが重なる。子供たちが出入りしなくなった妖館が老朽化するように、教会もそこに信仰生活する者も、老朽化して行く。若さを輸血しなくては…▼否、教会は血を貰う必要はない。命も貰う必要はない。むしろ逆、様々な挫折を体験した若者たちが、教会、聖書、教会員に出会い触れ合うことで、喪失していた若さや生気を、取り戻しているのだ。▼教会は、二〇〇〇年間、人々にパンと葡萄酒を、つまり御言葉と命を、提供して来た。この御言葉と命とは、決して尽きることはない。▼教会の高齢化云々は、議論の前提を間違えている。教会は、若い人たちに、生気や血を貰う必要はない。必要なのは、若い人たちの方だ。深刻なのは、遠からず御国に移される高齢者にとってではない、深刻なのは、教会からパンと葡萄酒を、つまり御言葉と命を、いただくことが出来ない若い人たちにとってなのだ。
台湾基督長老教会から青年を迎え
七月三一日-八月八日の間、教団が協約を結ぶ台湾基督長老教会から青年七名を迎え、青年交流ユースミッション二〇〇八が行われた。教団は協約に基づき隔年で協議会を開催しているが、二〇〇五年の協議会の共同声明において、青年交流の開催が決定された。二〇〇六年には、最初のユースミッションが行われた。昨年は日本から台湾に七名が遣わされ、今回は、通算三回目の交流となる。
今回のユースミッション開催にあたり、教育委員会は、台湾協約委員会と学生キリスト教友愛会(以下SCFと表記)と協力して実行委員会を組織した。委員長は職責上、教育委員長が務めることとした。特に、SCFには共催という形で全面的に協力をいただき、物心両面において、多くの支えをいただいた。また、当初より、三名の青年(二〇〇六参加者、二〇〇七参加者、SCF推薦者)に実行委員として奉仕をいただき、特に青年たちを中心にカンファレンス部分の準備を行っていただいた。また、東京台湾教会の李孟哲牧師(実行委員・台湾協約委員)が同教会の青年たちに呼びかけてくださり、また、通訳として御奉仕くださったことは感謝にたえない。
二〇〇六年の開催よりも早く準備に入ったが、肝心の青年の参加者が得られない。これが教団の現実である。開催近くなって、漸く西東京教区と東京教区千葉支区から推薦された青年があり、実行委員の三名を含めて結局、日本側の青年は五名である。
一方の台湾側には、青年伝道の部署があり、青年専門の幹事の下にスタッフも充実している。日本以外の教会とも交流をしている。日本への七名の青年を派遣するために公募をすると、八十名の青年が手を上げた。熟慮によって選ばれ、充分な準備をもって臨んでいるのが今回の七名の青年たちである。
七月三一日、台湾から一行が来日、委員長と李委員、東京台湾教会の青年一名とで成田空港へ迎える。一方、その時間、日本青年たちは高橋眞人委員によるオリエンテーション、レクチャー(台湾の歴史について)を聞きつつ、東京での宿舎である在日本韓国YMCAで到着を待った。着後、レセプションを行い、交わりを深めた。青年たちがすぐに親しくなれたのは、教会の交流のよいところだ。
今回、東京での滞在は八月三日まで、四日以降は関西でのプログラムである。前回二〇〇六の時は、ホームスティが多く、全体の交流は中三日のカンファレンスが中心であったが、今回は主日礼拝出席のための一泊のみがホームスティで、ほぼ全日程で一緒に過ごす。それゆえ、前半のプログラムは交流中心であった。
八月一日は実行委員長による開会礼拝後、東京見物に出かけた。委員会では浅草や秋葉原を準備していたが、台湾青年の希望は渋谷や原宿だった。ここにも認識の違いがみられ、結局、全員で原宿へ。青年以外の委員にとっては刺激的でもあった。夜はSCF主催の歓迎会、皆で餃子をつくり(中には怪しい具の餃子もあったが)、おいしくいただいた。また、このときに、佐藤飛文委員による「横浜プロテスタント史」のレクチャーを聞いた。これは、翌二日に計画される横浜探訪のプレセミナーであり、同時に教団として祈っている「日本伝道150年」を踏まえたものでもあった。
横浜、大阪、神戸、奈良-学びを共に
二日は朝より横浜へ。横浜海岸教会、ヘボン邸跡、フェリス女学院、横浜共立学園、横浜指路教会などを見学した。また、ブラウネル委員の配慮により、横浜ユニオンチャーチにおいて昼食休憩をとらせていただいた。横浜から、それぞれ礼拝出席のために散らされた。なお、三日の平和聖日に、ユースをお迎えくださったのは、高崎、長原、早稲田、千葉本町、東京台湾、吉祥寺、相愛の七教会であった。感謝しつつ報告する。
四日、朝の新幹線で大阪へ。昼ごろに到着し、道頓堀界隈を散策した。夕刻、神戸を訪れ、阪神大震災の記念モニュメントを見学後、六甲山YMCAへ。
五日、六日を六甲山YMCAでカンファレンスを行う。「主にあって共に歩む」の主題のもと、青年委員の代表である佐藤智子神学生による開会礼拝(ルカ24章13〜35節)で御言葉が取り次がれ、「主にあって共に歩んできた日々」を振り返るグループディスカッションで恵みを分け合い、「主にあって共に歩んでいく日々」を描きあうグループディスカッションで、祈りを共にした。六日夜のキャンドルサーヴィスでは、主題に則して「エマオ途上」の物語をドラマにして恵みを味わうなどして、御言葉の豊かさのなかに共に浸った。六甲山の自然に触れつつ、創造主を共に崇める恵みは豊かなものであった。
七日、多くの恵みを分け合いつつ下山、台湾側のリクエストでもあった伝統的地域として奈良へと向かう。大阪教区教育委員会と奈良高畑教会の格別な配慮により、閉会礼拝と交流会とが行われた。礼拝、交流会に先立ち奈良見学をしたが、日本青年でも初めての者も多く、意義ある時となった。閉会礼拝は、村山盛芳台湾協約委員長(浪花教会牧師)によりルカ10章25〜37節が取り次がれ、御言葉によって散らされ行く思いにされた。さらに、大阪教区教育委員会による豊かな交流の時や、奈良高畑教会の教会員による手作りの夕食(フェアウェルパーティ)は心熱くされるものであった。
八日、当初、出迎え同様三名で行く予定であった関西空港へは青年たちの希望もあり、参加した青年全員で行くことになった。早朝にもかかわらず、皆で送りたいとの思いは、交流の深さを知らされるものであった。ここで養われた恵みを分かつ者として、キリストの十二人の青年たちが使徒のごとく遣わされる幻を描きつつ。
(岸憲秀報)
2008年平和聖日
日本基督教団 総会議長 山北宣久
在日大韓基督教会総会長 鄭然元
人権の確立は平和の基礎造りと言えましょう。1948年国連が「人権宣言」を公布しました。その第1条には「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない」とあります。この宣言は、その後の世界に希望を与えました。それから60年、日本の人権の現状はどうでしょうか。
一昨年「入管法」(出入国管理及び難民認定法)が改定され、特別永住者を除く16歳以上の外国人入国者・再入国者から指紋を採取し、顔写真を照合する制度が、昨年11月20日より実施されるようになりました。外国人入国者は2007年度に915万人を超え、その数は今後も増大すると思われます。
「外登法」(外国人登録法)における指紋押捺制度は、在日外国人を犯罪者扱いし、人間としての尊厳を踏みにじる制度であり、植民地主義の遺物であるとして、在日大韓基督教会の多くの牧師・信徒・宣教師が指紋押捺を拒否し、これを廃止に追い込んだのは2000年のことでした。日本基督教団東京山手教会の壁一面に、指紋押捺を拒否した牧師・信徒・宣教師の名前を貼りだし、激しく闘っていた在日大韓基督教会兄弟姉妹の姿を、忘れることができません。ですから、指紋押捺廃止を勝ち取った時には、心から神を賛美いたしました。
しかし、それからわずか7年で指紋採取が復活してしまいました。復活の理由は「テロとの闘い」です。アメリカの政策に追随する日本の政府は、これにより日本に入国する約900万人の外国人を「テロリスト予備軍」とみなし、指紋を採り、顔写真を撮影することによって不快感を与え、「すべての人間は、尊厳と権利とについては平等である」という「人権宣言」第1条に挑戦をはじめたのです。
私たちは再び立ち上がり、「入管法」を再び改正し、日本に入国する人たちが指紋採取と顔写真を撮影されなくて済むように、そしてさらに「外国人住民基本法案」の制定のために「同胞の精神を持って行動し」ていきたいと願っています。それは、私たちが住む国の平和の柱を形造ることと直結していると信じるからです。
キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。(エフェソ2:17・18)
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