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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4658号】クラス会…

2008年9月13日

一九七〇年四月(大学紛争故に四月にずれ込む)に神学校を卒業して以来三八年。七月末に卒業生十三名中一〇名の出席で、十八年ぶり二回目のクラス会を持った。
我々のクラスは、多才な者が多く、現常議員が二名、神学教師が二名、教区の責任を持った二名。協力牧師をしつつ、今も某短大学長もおり、他教団の神学校校長であった者もいる。かと思えば、学生時代の山岳部の経験を生かし、富士登頂四八回という強者もいる。
順番に自らの三八年を語ったが、当然ながら波瀾万丈であり、出発から躓かされた者がほとんど。
例えば、紛争時に機動隊を導入するような神学校の卒業生はお断りと、決定していた任地を取り消された者も複数いた。
また当時は、教師検定試験が実施されず、「信徒伝道者」として教会に赴任。実際の伝道・牧会をしていても、長老会議長は不可。
このように、所謂教団紛争には、様々な形で関わらざるを得なかった。というより、伝道者としての歩みそのものが紛争がらみ…。
個人的には、それぞれに与えられた子どもの内、四人が牧師となり、二人が牧師夫人として教会に仕えていることを聞いた時には、お互い、自分のことのように喜びを分かちあった。一方、ご夫人を天に送った者も二人。
主の憐れみの故に、ここまで来ることができた伝道者の道。お互いの健康が心配なのか、次はあまり間をおかずに集まろうと散会…。
(教団総会副議長 小林 眞)

召命を問い続ける

「今考えると、カナダでの五年間は、伝道者としての召命を確認するための旅だったと思っています」と、木村さんはカナダでの留学生活を、こう述懐した。
伝道師として赴任した教会で二年たったところで、木村さんは体調を崩して辞任した。静養中に新約学のゴードン・フィー教授に惹かれて、カナダ・バンクーバーのリージェント・カレッジへの留学を決意し、海を渡った。
同校では牧会学を専攻したが、といっても、「英語で神学を議論すること、論文を書くことが大変」で、当初はまず一年半英語を学ぶことから始めねばならなかった。結局五年かかって、キリスト教学修士を取得した。
神学校のフィールド・コースで、市内アングリカン教会の日曜学校コーディネーターを務め、中国、インド、ニュージーランド・カリブ海島々の子どもなど、「聞き取りにくい英語、英語の次に通じるのは中国語」といった国際色豊かな教会生活を経験していく中で、「もう一度教会に仕えたい」という気持ちが、ふつふつと沸き上がって来た。
そんな折り、招聘の話が出て、修士号取得後、07年四月、宇都宮教会に赴任した。留学は自分の召命感をもう一度確信するためのものだったが、それが叶えられたのは、自分の力ではないことも感じている。
主イエスがペトロの離反を予告し、ペトロのために「信仰が無くならないように」祈ったように、「召命を新たに覚えて、今、教会に仕えていることができるのも、主がその祈りの中に私のようなものをも入れて下さったからではないか」と信じるからだ。
「教会に戻って来て仕えることが許されている。謙虚にみ言葉に聴いて行きたい」という木村さんは、日々の牧会の中でも、「なぜ自分は牧師に召されているかを問い続けて行きたい」と考えている。

♦職種 出版営業(正職員)。
♦資格 キリスト者が望ましい。
社会人・新卒ともに可。
♦待遇 当局規定による。週休2日制。勤務 9:00〜17:00。有給休暇、特別休暇あり。経験者優遇。
♦応募 履歴書(写真貼付)・職務経歴書(新卒不要)、卒業(見込)証明書、成績証明書を2008年10月17日必着で下記宛郵送下さい。書類選考後、面接・試験日を通知致します。応募書類は返却致しません(秘密厳守)。

日本キリスト教団出版局 総務課
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18
TEL.03-3204-0421
ホームページ http://www.bp.uccj.or.jp

隠退教師を支える運動が教団総会で可決され、全国的に取り組まれるようになって、今年で三〇年を迎えました。
三〇年にわたる神様の導き、数えきれないほどの人々の支えと協力、そして運動の今後の発展を祈念して、七月二日(水)午前九時二〇分から教団会議室で「三〇年記念感謝礼拝」が行なわれました。
前日から開かれていた「隠退教師を支える運動全教区推進委員会」の委員と年金局理事長、業務室長、その他合計三〇名によって行なわれ、教団総幹事内藤留幸先生から、マルコによる福音書3章13〜19節に基づき「主に選ばれた者たちの務め」と題する説教をいただきました。
イエスが弟子たちを呼び集め(召命)、派遣されたように、隠退教師を支える運動の推進のために、神様がこれと思う人々を召し、派遣していてくださるということ。またコヘレトの言葉3章1節以下から、人間は「時」を区切って物事を考える知恵が与えられているので、この運動三〇年という区切りの年にあたり、神様の今にいたるまでの導きと恵みに感謝し、現状を的確に把握して、その時々の導きを祈り求めつつ今後の歩みを進めるようにという説教でした。
思い返せば、教団総会に議案を提案する以前から北海教区の中で運動の推進に関わってきた私にとって、第20回教団総会でこの運動推進の議案が満場一致で可決されたこと自体、紛争中の当時の総会ではまさに神様のなさる奇跡であり、導きの「時」であったと思います。混迷する教団にあっても、信徒の牧師に対する信頼は失われていないと痛感したものです。
爾来三〇年、この運動がここまで進展してきたのには、信徒と牧師の信頼関係に基づく「祈り」と「信徒運動」という特質によるものと確信しています。三〇年の導きに感謝して。
(井上昌保報)

李 孟哲
(台湾基督長老教会からの派遣宣教師)

あきらおじさんは初めて息子に会いにアメリカに行きました。
二日目。近くの公園に行って、ジョギングをしていました。途中で同じ年ぐらいのアメリカ人に会い、「Good Morning!」と挨拶されました。あきらおじさんは英語がわからないため、何を言われたのか、さっぱりわかりませんでした。心の中で、きっと私の名前をきいているに違いない、とそう思い、「あきらです」と、とっさに答えました。
家に戻って、あきらおじさんは息子の嫁に聞きました。「Good Morning」ってどういう意味?「おはようって朝の挨拶のことばですよ」と息子の嫁が答えました。「そうか。なるほど」あきらおじさんはようやく意味がわかりました。
次の日。あきらおじさんはまた公園にジョギングをしに行きました。途中で昨日挨拶してくれたアメリカ人にまた会いました。今回あきらおじさんの反応はさすがに早かった。「Good Morning!」と先に挨拶をしました。何とそのアメリカ人は「あきらです」と逆にことばを返してきました。
これはあきらおじさんが台湾からアメリカに行ったときの文化の違いのお話です。また、これは自分が異文化の東京に宣教にきたお話と通じるところがあります。
およそ一〇年前に、台湾から全く見知らぬ東京にやってきました。日本での在日台湾人への宣教人生を展開しました。
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3・27)という箇所はみなさんの認めているところですが、実際自分の体験がなければ、なかなかその真髄が理解できません。男と女との違い、奴隷と自由な身分との違いは、それぞれの社会環境の中で比較的に経験しやすい。しかし、いわゆる「ユダヤ人と異邦人の違い」は異なる種族、異なる人種の違いを指しています。実際海外に行って、その場にいなければ、なかなかその感じが分かりません。異なる種族の主な問題は、みなそれぞれ異なる立場に立っているから「あべこべ」の局面が生じると深く感じています。ちょうど先ほどのあきらおじさんのお話のように、アメリカ人の言っている「挨拶」が、あきらおじさんでは「名前」と勘違いしています。相当調整をしないと、「挨拶」と「名前」は永遠にかみ合いません。
日本で牧会していて、宣教の対象はほとんどが台湾人です。しかし、台湾人も長年日本に住んでいると、多かれ少なかれ、日本人のような性格になってきます。簡単に言えば、表面的には台湾人ですが、中身はどちらかというと日本人に近いのです。だから、異なる民族間の文化の違いを突破しない限り、宣教の効果は出ません。
パウロはかつて自分がユダヤの律法教師よりも優れていると思っていましたが、主を信じた後、過去の考え方と態度を一掃しました。逆に「他人に近づく」ことで、宣教の手段としました(参考Ⅰコリント9・20)。なるべく相手の立場に立って、福音を受け入れる可能性と障害を考えれば、パウロと同じように、福音の収穫時には、喜びをもって刈り取ることができます。
宣教の道において、まだ多くの予測できないことや困難がありますが、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8・28)ことを深く信じています。

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