秋季検定試験100名超える受験者
第7回教師検定委員会
第35総会期第七回教師検定委員会が、八月四日(月)~五日(火)、教団会議室において、委員七名全員が出席して行われた。
委員長・事務局報告において、第五回常議員会(七月十四、十五日)で、当委員会からの提案である「教師検定規則改正に関する件」が承認されたことの報告があった。これは、[提案理由]に次のように述べていることに基づく、教師検定規則改正の提案である。「教師検定規則第四条は、神学部の学部を卒業した者が大学院に進学した場合を前提にしている。しかるに、近年神学部を卒業せずに神学部の大学院を卒業する者が、第四条の規則によって受験する事態が起きている。責任ある教師検定試験を実施するためには、教師検定規則第四条を、同規則が本来意図していた主旨に合わせて改正し、この事態を速やかに改善しなければならない」。尚、この改正規則による試験は、二〇一一年春季教師検定試験からとなる。
次いで、二〇〇八年秋季
教師検定試験の準備を行った。先ず、補教師受験志願者二九名と正教師受験志願者七四名の受験資格を確認した。
更に、試験について次のように協議をし、決定した。先ず、提出物(釈義、説教、神学論文等)の採点結果を突き合わせ、合否判定、再提出者等、それぞれを確定した。続いて、学科試験問題、学科試験当日の責任分担、試験日程、時間割、全体会と面接の持ち方等を協議し、決定した。面接の持ち方については、受験者の居住地に配慮すると、第一日目の方が大人数となり偏りができるので、事務局で若干の調整をすることとした。
また、教団立・教団認可神学校以外の神学校卒業者について、コース及び科目の認定、転入志願者の審査を行った。
受験費用援助に関して、今回申請書を提出した十九件について、これを検討し、承認した。
今回も多くの受験志願者が与えられたことを感謝しています。受験準備の上に、主の祝福と支え・導きを祈ります。
(倉橋康夫報)
岩手・宮城内陸地震被災教会訪問
陸前古川教会、余震で被害拡大
六月十四日午前八時四三分、岩手・宮城内陸地震によって、いくつかの教会が被災した。その中で最も被害の大きかった陸前古川教会(大崎市)では幼稚園の父親参観日に当たっていたが、急遽行事を中止し、牧師は信徒の安否確認に追われた。栗駒方面の信徒の家には辿り着く事もできなかった。会堂の各所には亀裂や漆喰の剥落が見られる。最も大きい亀裂は、幅二㎝におよぶ。重さ三百キロの給湯器が三〇㎝も動き、配管の修理も必要になった。余震や七月の地震で、被害は拡大する方向にある。
陸前古川教会は一九九九年に園舎の一部と牧師館を建築した。その時に予算を超えたため、二次計画の会堂建築のために会員が新たに資金のプールを始めた矢先の地震だった。しかし今回の地震によって会堂は被災。七月二〇日に行われた臨時教会総会で「会堂・一部園舎建築」を決議した。
被害が大きくなった原因の一つとして、一九七〇年頃に会堂を増築した際に、建物の重心が二つになってしまった事が挙げられる。診断は、すぐに倒壊する事はないものの危険度BとCの間。縦方向は89%、横方向は29%の強度との診断だった。補強工事を行ったものの、百%は確保できなかった。礼拝堂に関しては、補強工事もできず、立ち入り禁止の状態。その後の礼拝は園舎を借りて行っている。一日も早い再建が教会員の祈りだ。
再建に必要な資金として最低でも二千八百万円が見込まれる。自己資金は現在五百万円集まっており、新規の予約献金や幼稚園関係者からの献金の申し出と合わせると千三百万円程になる。あと千五百万円を外部に頼らなければならない見込みになる。瓦礫の撤去や諸経費を入れると、四千万円以上かかる可能性もある。計画を見直し、縮小しながら再建に臨む事になった。「自己努力で会堂を再建すべき」という声がある事も事実である。しかし前回の園舎建築と併せると、教会員は六千万円強を献げている計算になる。「できるだけの自己努力をしてきたのだと感じています」とは、関純一牧師の談である。
神によって建築に踏み出すようにと押し出されたのが、今回のできごとと信じ、「試練を恵みへ」を合い言葉に、最も良いものを献げる事を目標としている。
陸前古川教会
〒989-6143 大崎市古川中里1–3–16(℡0229–22–0593)
《献金振込先》02250–5–106446
(辻順子報)
「農」に関する協議会関東教区での開催検討
第6回伝道委員会
九月八日(月)~九日(火)、東京教区大島元村教会、波浮教会を会場に、第35総会期第六回伝道委員会が開催された。
主な報告、協議事項は以下のとおり。
★業務報告、会計報告、常議員会報告、宣教委員会報告、教誨事業協力会幹事会報告、「こころの友」「信徒の友」編集委員会報告。
★「宣教一五〇年」事業に関する件 伝道講演会開催を継続し、講演原稿及びその他の伝道に関する文章を集め、冊子化する作業を継続する。
★放送伝道資金残金の使途に関する件 教団が開設予定の公式ホームページに伝道コラムの欄を設けることは可能。また、「こころの友」に連載されている信徒の証しをアップすることも良いアイデアなので、可能かどうか出版局に問い合わせる。
しかし、放送伝道資金残金は、この程度の使途では使い切れない。使途を放送メディアに関わることと限定されているが、放送伝道の範囲をもっと広く考えられないか、改めて検討したい。
★第36総会期「農」に関する協議会に関する件 二〇〇九年度中に、今回は関東教区で開催する方向で、検討する。詳細は次期、第36総会期伝道委員会に委ねることとした。
委員会を夕方で終え、夜は大島元村教会を会場に伝道講演会を開催した。松戸教会の石井錦一牧師をお迎えし、「伝道とわたし」と題して、お話をいただいた。この会については別に報告があると思うが、私としては、関連の社会福祉施設において子供、保護者、職員に対して、憚り遠慮するのではなく、積極的に伝道しようとされている先生の姿勢に感じるものがあった。
九日(火)は伝道委員会の一員でもある竹井真人牧師の牧する波浮教会をお訪ねした。
今回は援助金、貸付金申請がなかったので会議は前日のうちに終った。波浮教会では教会の歴史と課題をお伺いし、その後、役員・教会員の方々と共に合同祈祷会を行った。
(山岡創報)
伊豆大島で伝道講演会
石井錦一牧師の体験的伝道論
「伝道とわたしたち」 信仰の基本に立って
教団伝道委員会主催の伝道講演会が、大島元村教会(並河光雄牧師)を会場に開催された。静岡教会(伊藤瑞男講師)、岡山教会(東岡山治講師)、島之内教会(西原明講師)に続き第四回となる。今回の講師は、石井錦一氏(松戸教会牧師)。大島ではあまり行われないという夜の集会だったが、満席に近い会衆が集められ、力強く讃美の歌声が響いた。
講演は、1.神学生として学んだこと、という小見出しのもとに、神学生時代、教会員からピアノや茶道を習った体験談から始められた。戦後間もなくの頃、練習後にいただくご飯を目当てに通ったもので、決して熱心とは言えなかったが、讃美歌を歌う自分の声が音程を外した時、それと分かるようになった。そこにこそ教会員の狙いがあったと、後で気付かされる。同様に茶道も仕込まれ、茶の席は勿論、さまざまな席に怖じずに出られる程にはなった。
このエピソードと、洗礼を授けてくれたラング宣教師の思い出が重なる。ファンダメンタルな信仰を抱いていた師の信仰指導の基本は、「聖書以外の本は読んではならない」。道を逸れそうになると、「あなたは悪魔です」と言う叱責が待っていた。極端なようだが、この言葉は、後々まで石井氏の牧師としての歩みをただし、整えてくれた。今日に至るまで、説教そして牧会・伝道に向かい合う際の基本の基本となっている。
以上は、講演のほんの枕の部分だが、推察いただけると思う。石井氏の講演は、思い付くまま四方山話を語っているようで、実は一本の筋が通っており、個々のエピソードは、ジグソーパズルの部品のごとく組み合わされていて、無駄なものは一つもない。個々のパーツに興味を惹かれているうちに、あまり表面に押し出されてはいないが全体を貫いている主題を、一緒になって考えさせられている、そのように受け止めた。
終始、聴衆の笑い声に溢れていたが、後で思い起こすと、腕組みしてなるほどと唸るような、深い教訓が込められていた。
この後、話は佳境に入り、2.伝道者となって学んだこと、3.牧師としての学びのとき、4.伝道者としての原点と続き、実に豊富な体験、尋常ではない特異な出会いの数々が披瀝された。
全体をミニチュア化して紹介すると、氏の体験・出会いまで矮小化するかも知れない。それこそジグソーパズルのパーツを拾い上げる格好になるが、特別に輝きがあると見た一片を、特別に形が面白いと感じた一片を紹介したい。
2.3.では、牧師・伝道者として出会った信徒や同労者が、次々と登場する。ここでも、出会いによって育てられたことが強調された。牧師とは、人を教え育てる存在ではなくて、教えられ、育てられるものであるかのようだ。
ここで取り上げるべき一片は、結核病棟を訪ねて聖書を学んだ話。心待ちしてくれる患者が、この人なりの最高のもてなしと、頂き物の饅頭を勧めてくれる。日が経っており黴が来ていることに、視力の弱っているこの人は気付いていない。石井氏の目には黴が見えてしまうが、それを、おいしいと言って食べる。不思議とお腹を壊さない。人との出会いは胃袋まで鍛えたようだ。
4.では、会堂建築の顛末、最大時十五箇所もあった家庭集会のこと、保育所が地域社会との接点となり多くの活動の場が与えられたこと、そして、「信徒の友」編集長として、出会い・働きが与えられ、幻が育てられたことが述べられた。
市の要望にも応え、役員会の中にも強い反対があったが、粘り強く説得し、六階建てのビルの最上階を礼拝堂とする会堂建築を行った。一~二階は保育所、屋上には十字架が掲げられた。この出来事は、氏の、伝道者としての姿勢を端的に表すものだろう。常に、十字架を高く掲げる。多くの人々に見えなくてはならない、隠されていてはならない。十字架は、多くの人々の生きる目当てとならなくてはならない。
また、極めて印象的だったことには、石井伝道方式の要であった家庭集会による伝道を、当人が、社会や家庭の有様が変化した現代では通用しないと言い切った。自分は得手ではないので分かったようなことは言えないとしながらも、パソコンの駆使、ホームページの充実、その他にも多くの術があるだろう、何より新しい伝道システムを構築することが肝要と提言した。
ここでも、1の大前提に立ち帰ることになる。基本の基本が大事、それを修め、そこに立つ者だけが、あらゆる局面に対応し、全てのものを援用できる。
5.これからの伝道では、①社会施設に於いて、子供のため・働く人のため、保護者のため伝道すべきと力説した。
保育所の職員採用試験に際しては、礼拝出席を奨め、出席を約束して貰う。キリスト教主義で教育するのだから当然のことであり、保護者にも同様に礼拝・教会を案内する。この点に関して、信教の自由を言う人があるが、キリストの名をもって教育する以上は当然のことであり、この姿勢を批判する人は、むしろ経営のためだけに幼稚園や保育園を運営しているのではないか、そのようなものならば教会には不要と、断じた。
②信徒訓練では、牧師の立場にある者がなかなか触れづらい献金について述べた。本当の意味が分からないから献金意欲が湧かない。給料ではなく謝儀、神への感謝である。献金を例にとりながら、簡単・簡潔な信徒訓練の必要が語られた。③地域社会での牧師としての働きについて、ここでも多くの具体例、具体的な提言が述べられた。
(新報編集部報)
▼大仕事を一つし終えて、たまの贅沢、友人と天麩羅屋のカウンターに座った。季節のものをいろいろと勧められる。ちょっと勘定が気になりながらも、おいしくいただく。「江戸前の穴子です」。「千葉の薩摩芋」。「愛知県の特大アサリ、殻ごと揚げていますが、殻はお勧めしません」。▼この頃の世相を反映してなのか、それとも、良い店はそうなのか、滅多に入ることはないから分からないが、いちいち産地を明らかにする。産地が明確、即ち高級ブランド、高級店ということか。▼ふと気づいた。板前さんが全員名札を付けている。しかも、出身地入り。板前さんも産地を明らかにしなくてはならない時代・世相なのだろうか。そのうち、カレーの店などでも、インド何々州出身とか、名札が下がるかも知れない。▼新報の消息(訃報)欄に、故人が働いた教会名の他に出身学校が入る。他の新聞でも常識だ。その人物の一生を紹介するのに、ごく僅かな字数しかない。学歴が必要なのだろうか、常々疑問なのだが、留学歴の掲載を希望する遺族も少なくない。
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