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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4660号】人ひととき 石井 敏昭さん

2008年10月11日

愉しい教会

教会との出逢いは、キリスト教幼稚園に通う事から始まる。その後、埼玉県川越市に転居、小学二年生の時に友人に誘われて初雁教会の教会学校に通うようになる。高校一年生のイースターに、山岡磐牧師より洗礼に与った。一九九六年に千津子さんと結婚、十一歳を先頭に四人の男の子の父親。

子どもが六歳になると、その子と二人で広島へ旅行する事にしている。感受性が豊かな子どもの時に、平和記念資料館で戦争の記録やビデオ、ジオラマ等を一緒に見て平和について考える事を目的としている。教会行事や地域の催し物にも家族で積極的に参加する。それは、家族と一緒に面白くてワクワクする事を色々考えたいから。その時の家族の笑顔を楽しんでいる。勿論、日曜日には家族全員で礼拝に出席する。家族に一番大切な神様を知って貰いたいからだ。だから、結婚してからは、妻が受洗する事を神に祈った。その祈りは、御心として実現された事を喜んでいる。

現在、所属する坂戸いずみ教会(山岡創牧師)の前身は、初雁教会の出張集会所だった。集会所から伝道所へ、そして会堂建築を経て第二種教会へ、近年には宗教法人格を取得した。この激動の時にあって、少しも不安を抱いた事は無く、むしろ愉しさを覚えた。それは、神様の御心として実現したこと、と素直に喜ぶ。

教会に集うことは、良い事であり愉しい事と考えるから、子ども達がしっかりと教会に連なり、生涯イエス・キリストに従う事を願っている。教会役員として今考えている事は、教会学校の子ども達や青年達といった、教会を支える次の世代のフォローだ。その為にも他教会との交流を深めて学びたいという願いを持っている。だから、教会役員の交流がもっとあっても良いと考える。これからも、世代の近い山岡創牧師や他の教会役員と共に、キリストの体なる教会を形作る喜びに生かされたい。

 

★九月の新刊から

『「新しい教会暦」による説教への手引き』日本キリスト教団出版局聖書日課編集委員会=編・A5判・5,460円 救済史的基本構造を持つ四年サイクルの「教会暦」による黙想集。

『文学としての説教』加藤常昭・A5判・2,940円

バルト、植村正久、竹森満佐一らとの「対話」を通し新たな視点を投じる。

『日々の祈り』J・H・ジョエット・A6判・1,575円〈愛蔵版〉2,520円

 

 

二〇〇八年七月二六日、銀座教会で行われた東京信徒会は熱気に包まれていた。

昨年来勉強会を通して準備してきた「日本伝道一五〇年」をどのように迎えるか、東京信徒会の方針を決定する時であった。映像「グラフで見る教団の姿」の最後に映し出された「感謝と奮起」、エンディングと同時に共感の拍手が湧き起った。

東京信徒会として、日本伝道一五〇年を記念する目的を次の言葉で表した。

「日本伝道一五〇年を迎えるに当り、この地に注がれた主のご恩寵とお導きに感謝し、更なる福音宣教の機会として、幅広い信徒が『贖罪と和解』の信仰に立って伝道に奮起する」。

一方、教団の実の姿をどう捉えたら良いのか、地に足の着いたところからスタートすべきであるとの思いから、手掛かりをこの映像に求めた。教団予決委員会の配慮によるものである。

映像は教団の実像を淡々と示すが、その中身は深刻に迫ってくるものであった。

グラフは語る。教団全教会の経常収入はこの八年間で五億七千万円の減、マイナス4.3%。これは、実はお金の問題よりも人の問題であると言う。人の問題とは現住陪餐会員の減少。その原因はどこにあるのか。それは受洗の低迷にあり、更に教団特有の超高齢構造が、同時に信徒の減少を促進していくと述べる。

超高齢構造とは、戦後二〇年間の受洗が現在までの受洗総数の63%を占めており、この世代交代が一巡するまで信徒減少は続くと分析する。つまり「受洗が召天に追いつかない」状況が到来しているのである。

全国一教会当りの年間平均受洗数は0.8人。向う一〇年間で中堅教区の一つが消える規模に達すると、危機を訴えている。

この時にあって、日本伝道一五〇年記念の年を迎えるのである。東京信徒会は、この教団の状況を厳粛に受け止め、またとない伝道のチャンスとして、「感謝と奮起」を合言葉に決意を共有したのである。

(鈴木功男報)

 

 

アジア学院での宣教

瀋 炯 旭

(基督教大韓監理会からの派遣宣教師)

アジア学院は一九七三年に栃木県那須山麓に「主イエス・キリストの愛にもとづいて、アジアの農村地域社会の人々の向上と繁栄に献身する中堅指導者を養成し、公正で平和な社会の実現に寄与すること」を使命として設立された学校です。今年創立三六年を迎えます。毎年四月~十二月までの八ヶ月間、アジア・アフリカ(時に太平洋諸島、南米)のいわゆる途上国から牧師、神父、NGO職員、農業組合リーダー、女性グループのリーダー、教師など農村の人々の暮らしを改善するために働く草の根の農村指導者を招いて指導者養成を行っています。

私は韓国のメソジスト教会の牧師であり、アジア学院の一九八三年の卒業生であります。そして二〇〇四年九月からアジア学院で宣教師スタッフとして奉仕をしています。私はアジア学院を心から愛しています。私はここで神の道具として神の使命のために働くことを心から喜びと思っています。私はここアジア学院に宣教師として送られてきてからずっと、高い使命感に燃えています。ここでは日本国中から集まる若い学生さんと会うことができますし、働きながら、またコイノニア(食堂)で食事をしながら自分の思いをそのような学生さんたちと話し合うことができます。私は共同体生活の担当職員として、アジア学院の学生達がアジア学院の研修を終了し、将来それぞれの土地で農村指導者となっていくのを手助けすることが出来ます。アジア学院の学生達が良き指導者として変化を遂げていくと、私の心は喜びにあふれ、神様への感謝でいっぱいになります。これが私が宣教師と働く原動力となります。

また時々アジア学院に以前訪問したことがある若い人達から電話やE-mailを受けることがあります。それは洗礼を受けたという報告であったり、聖書を読み始めたといったことであったり、日曜日に礼拝に出席するようになったといったことであります。これは私が受け取ったE-mailの一つです。

「バン先生。私はアジア学院での生活とアジア学院コミュニティーをとても恋しく思っています。アジア学院での夏は私と私の友人にとって神様の力を感じる上でとても意義深いものでした。私達はアジア学院で起こったたくさんのいい出来事のお陰で友情を深めることができました。彼女が自分から進んで教会に行くと言っていることを信じられますか? バンさん、チンヘさんは彼女だけでなく私のクリスチャンの良きモデルです」。

私の妻チンヘも神の使命を達成するためにアジア学院でボランティアとして働いています。彼女はアジア学院のコミュニティー一人ひとりの誕生日にケーキを焼いています。ある人は人生の中でこんな素晴らしいケーキを焼いてもらって祝ってもらったのは初めてだといってとても喜びます。そういった姿を見て私もとても嬉しくなります。

ところでアジア学院は今や世界中の農村指導者を招聘して研修を行っています。そのことを知って、なぜアジア学院という名前をアジア・アフリカ学院、あるいはアジア・アフリカ・太平洋学院にしないのかという質問が時々あります。実はこれには訳があります。アジア学院の設立には、第二次世界大戦で日本がアジア諸国に行った罪責に対する神への贖罪が込められています。日本が行った多くの残忍な行為への責の告白、謝罪、そしてその贖罪を行いとしてあらわしていくために、アジア学院は「アジア」という名前を学校名に刻んでいかなければならないのです。どうか皆さん、アジア学院のため、アジア学院の学生、卒業生、そして貧困にあえぐ人々のために働くアジア学院の使命のためにお祈り下さい。

(翻訳/荒川朋子)

 

三宅君惠氏(隠退教師)
7月5日、逝去。92歳。静岡県に生まれる。1942年日本聖教会聖書学校卒業後、蒲田東口教会に赴任。その後、56年から2001年まで元住吉教会牧師として務め、隠退した。遺族は息の宣幸さん。
出口 力氏(六角橋教会牧師)
8月11日、逝去。82歳。神奈川県に生まれる。1955年東京神学大学大学院修了後、六角橋教会に赴任、同教会牧師として務めた。遺族は妻の光子さん。

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