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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4661号】ベスト・パートナー

2008年10月25日
 一〇月十三日(月)大阪女学院チャペルで在日大韓基督教会の宣教一〇〇周年記念大会が開催された。一世紀にわたる尊い宣教の闘いに心からなる敬意を表し、主の祝福が在日大韓基督教会(KCCJ)の二世紀目の歩みのうえに、豊かに注がれるよう心から祈ってやまない。 KCCJの歩みは信徒による伝道から始まった。金貞植長老らが中心となり教会創設を決意、翌年要請に基き来日した韓錫晋牧師によって本格的教会形成が展開されていった。 この一〇〇年に至るまで日本基督教団がKCCJに大きな重荷を負わせたことがあった。宗教団体法により教団成立時に第一部にKCCJを統合した。吸収に近い統合であった。 その後も国家に協力するかたちでKCCJが迫害されるのを黙認するような事態があった。 差別や偏見にさらされたKCCJの兄弟と共に闘えなかった。 にも拘らず戦後、KCCJは教団の罪を許し、大いなる愛を示し交わりを重ねることとした。 私たち教団にとってKCCJがベスト・パートナーとして共に歩むことを得させてくれていることを思うと、悔改めと感謝なしにKCCJの一〇〇周年を迎えることができない。 各教区総会でも訴えたことだが一〇〇周年記念献金に応じて、私たちの思いをかたちであらわしたい。一層の協力を、祈りとともになそうではないか。(教団総会議長 山北宣久)

ゼロからの「開拓」伝道

 

「軽井沢の教会」と聞けば、木漏れ日の中に佇む瀟洒なチャペルに、紳士然とした細身の牧師。一般的なイメージとしては完全に出来上がっている。

宮澤豊牧師がこの軽井沢に主の召しを覚えて開拓伝道を志したのが二三年前。借家に「聖書を学ぶ集い」の看板を掲げて、小さな家庭集会が始まった。

「開拓伝道」と聞けばやはり、親教会があり、教区や他の教会的グループのバックアップがあって、祈りと共に人的、財的な力も注がれて成長するイメージであろう。しかし、宮澤牧師は、「そのような開拓伝道は、開拓伝道と言うより出張伝道であり、出張教会です」と言う。

すべてを主に委ねて旅立ったアブラハムのように、ゼロから出発した。知古も無く、蓄財も無い無一文。自ら生活の糧を得、住居を確保しつつの、自給自立の開拓である。その中で、宣教の拠点としての教会の欠けていた南軽井沢に、教会建設のヴィジョンが与えられた。

宮澤豊、京子夫妻は、森と窪地の「原野」であった現在の土地に出、数名の信徒と共に、南軽井沢に宣教の拠点としての教会の建設を始めた。僅かな人数で、土地購入と会堂建築の資金も無い。「頼るのは、祈りと信仰と、銀行」。

不思議な導きで牧師個人への融資というかたちで借り入れが実現し、土地の購入と会堂建築に取りかかることができた。当地では有名なログ造りの教会堂は、宮澤牧師自身が工事に携わった「牧師の手作りの教会堂」としても知られている。

会堂建築から二〇年が過ぎたが、借入金の返済は、ここ四、五年に教会での結婚式が急激に減少し、なお見通しは厳しい。さらに様々な課題や新たな重荷も担うこととなった。しかし、「開拓伝道を志す以上ロマンと冒険と戦いの道、主の召命と伝道の使命の確信に立って歩む者でなくてはならない」。まだ続く旅の、もう一踏ん張りの所に立っている。

「戒規執行の公告」免  職
日本基督教団補教師 黛八郎
上記の者、日本基督教団教師として、あるまじき罪過があったことを認め、教規第141条、戒規施行細則第1条及び第4条により免職処分とする。
2008年9月30日日本基督教団教師委員会 委員長 松井 睦戒規執行にいたる経過 黛八郎教師は、二〇〇七年十一月二一日、あるまじき罪過により逮捕された。 二〇〇八年三月四日、日本基督教団中部教区常置委員会は、黛教師にその罪過を認め、戒規を求める提訴状を教団教師委員会に提出した。教師委員会は、二〇〇八年四月七日全会一致で同提訴状を受理し、調査委員を選任して調査を行った。 黛八郎教師及び提訴状を起こした中部教区議長、さらに黛教師の赴任教会の主任担任教師、出身大学神学部長を召喚して、面談調査を行った。そして二〇〇八年六月二五日、九月二九日、三〇日の教師委員会にて時間をかけて審議、討議の後、黛八郎教師に「免職」戒規の執行を決定した。 当該教師がこれを重く受け止めて、神さまに深い悔い改めを祈りつつ、信徒としてしっかり教会に結びつき、主のみ心を伺いつつ信仰生活を行われることを望みます。(教師委員会) 

議長談話 黛八郎氏に対して教師委員長名による「免職」処分が出されたことを重く受け止めています。 「あるまじき罪過」により逮捕されるということ自体与える衝撃は大きくありました。 何よりも被害を蒙った本人とその家族に対して心からのお詫びを申し上げる次第です。 こうした事態が起こる心のスキが存在することに思いを致し、教団に属する者全体が今一度あるべき原点に立ち返り、委ねられている使命を果たすことによって、責任をあらわして行きたいと思います。 主の憐れみと赦しを求めつつ
日本基督教団総会議長 山北宣久

神の恵みの善い管理者として

ユースミッション2008▲ 2008.8.12-22

日独教会青年交流

二〇〇八年八月十二日~二二日に、ドイツのベルリン・ブランデンブルク領邦福音主義教会・ヴィットシュトック・ルピン教区より十二~二五歳の青年九名を含む計十四名のメンバーを迎え、「ユースミッション2008-第五回日独教会青年交流」が持たれた。全国教会婦人会連合下に置かれた実行委員会がこの交流を主催している。来日した青年たちのほとんどは、同教区が支えているミッションスクールの生徒や卒業生であるが、もちろんその中には教会員も含まれている。

ヴィットシュトック・ルピン教区は旧東ドイツ側に属する。日独の婦人たちが交流を深める中、「若い人たちに福音を伝えたい、広い世界を見て欲しい」という双方の願いが実現し、この日独教会青年交流が生まれた。

二〇〇二年夏から始まったこの交流も今回で五回目となる。二〇〇三年と二〇〇六年には日本からドイツに青年を派遣している。

この夏の交流では、来日したドイツメンバーをまず箱根に迎え、神奈川県立芦ノ湖キャンプ村を会場に、十三日~十五日に「日独教会青年リトリート」が行われた。リトリートには日本の青年たち十六名、婦人や協力牧師等スタッフ十二名も加わり、「神の恵みの善い管理者として」を主題に聖書の学びと主にある交流が深められた。閉会礼拝では青年たちが「祈り」、「讃美」、「聖書劇」の三つのグループに分かれ、準備をした上で、生き生きと奉仕していた。

その後、ドイツのメンバーは、十五日~十八日までホームステイの時を過ごし、十七日はホストファミリーと共にそれぞれの教会の礼拝へ出席、教会で交流をもった。また、十八日~二〇日は、広島・京都へ旅行し、原爆ドームや京都御所等を見学した。

二一日には教団会議室にて「歓送会」が行われ、ドイツ青年たちは一人一人、この交流に参加した感想を述べた。皆、とても一言では語り尽くせない様子であったが、日本の文化や歴史に触れ、戸惑いや驚きや感銘を受けたこと、広島の原爆ドームを見学し心を痛めたこと、また日本での様々な出会いと交流に対する感謝を語った。

日本の青年たちや婦人をはじめとするスタッフたちも、多くの恵みを与えられた。これまでこの交流に参加したことのある者たちは再会を喜び、また新しく参加した者たちはその出会いを喜び、このユースミッションに参加できたことを感謝した。回を重ねてきたことで、心の交流がますます深められたことを今回は特に実感している。またこれまでは婦人たちが主に準備企画に当たってきたが、今回は青年たちも数名スタッフに加わり、積極的にこの交流を支えてくれたことも大きな力となった。

もともと有志の活動で始まったこの交流は、財政的な問題をはじめ、多くの課題もあるが、交流を通じて与えられた様々な恵みを思うとき、今後もこの交流を続けていきたいということが日独双方の願いとなっている。

(西之園路子報/「ユースミッション二〇〇八」日独教会青年交流協力牧師)

藤本欣正氏(隠退教師)
7月10日、逝去。72歳。大阪府に生まれる。1972年関西学院大学神学部大学院修了。74年から82年まで武庫之荘教会、85年から2002年まで芦屋浜教会を牧会し、隠退した。遺族は妻の睦美さん。
臼井幸比古氏(大阪西淀川牧師)
9月14日、逝去。84歳。東京都に生まれる。1961年関西学院大学神学部大学院修了後、76年まで鎮西学院教務教師、74年から鎮西学院伝道所を兼牧した。86年から大阪西淀川教会牧師を務めた。遺族は息の義比古さん。

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