エフェソの信徒への手紙2章19~22節
あなたがたは神の家族
あなたの教会へ。
喜ばしき新年を
さずけたまえ
御名の栄光をたかめ
説教壇と聖餐台を祝福し 給え
この祈り願いの言葉の中に新年を歩み出したい。
牛 年
干支の話をするのはどうかとは思うが、牛をめぐる二つの聖書の言葉を引用したい。
「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが/豊作をもたらすのは牛の力。」とある。(箴言14章4節)
牛を飼うと面倒だし不潔だといって遠ざけるが、結局はその牛によって豊かにされるのではないか。価値を見誤るところからくる人生の損失から、免れさせられたいものだ。
(アモス書6章12節)
牛で海を耕すようなことはしない。しかしこんなナンセンスにして不自然なことを人は平気でする。
常軌を逸した罪の道を主の贖いによって赦され、立ち戻らされ、明るく共に生きていきたい。
牛偏の漢字は三一一もあるそうだが最も印象的なのは「犠牲」である。主の十字架による犠牲を無にすることなく生かされて生きようではないか。
砂漠タイプ
昨年召天十周年を記念された北森嘉蔵氏は人生と教会との関係を大地と水との関係に喩えて教会の交わりを語った。それによると交わりには三つのタイプがあるという。その第一が砂漠タイプである。
掘っても掘っても水が出てこない砂漠の如く、教会生活を重ねても、人生という大地を潤してくれるような水に相当する真実な交わりが与えられない、それがこの砂漠タイプだ。
「行けども行けどもただ砂原」といった状況が教会を犯す時、教会は生命を失う。兄弟姉妹と言いつつ、赤の他人にすぎない時、教会の交わりは形骸化する。
「いのちなき砂の悲しさよさらさらと握れば指の間より落つ」 (石川啄木)
教会の砂漠化を避けたい。
湿地帯タイプ
湿地帯というのは水が過剰になった場合に生ずる。始終ベタベタくっついていなければ不安というのでは教会生活を不健全にする。 米国の社会学者が日本人を評し、「Intimate but not personal」(親密だが、人格的関係にない)と鋭い指摘をなしていた。
湿度の高い梅雨時に食物が腐るように、余りに過剰な交わりは、腐敗を招く。
「友人の家に足を運ぶのはまれにせよ/飽きられ、嫌われることのないように。」(箴言25章17節)これは湿地帯タイプの交わりに対する警告でもある。
地下水タイプ
これは普段は淡々としているが、いざという時には真実の兄弟姉妹の交わりが噴き出しているといった姿をさす。
古来「君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ」(荘子)と言われる。これは認められてよい。しかしいつまでも淡々としているのではない。
こんなはずではなかったいう時に、地下水の如き交わりが急場を救う。
「友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。」
(箴言18章24節)
荒野、枯野の如き世界にあって、地下水の如き交わりが人生を潤す。
エフェソの教会
異教、邪教に囲まれ、偶像と物欲への志向が強く人々の心を捉える中で、様々な隔ての壁をこえて一つにする主にある交わりを武器として、積極的な生き方を内外に展開していったのがエフェソ教会であった。
金権体質が人々を豊かにするどころか、対立と分裂を激化させ、人間の心を内面から蝕んでいく。
そんな人種的、階級的、経済的、文化的、宗教的、政治的な対立や分裂抗争を超えて、共に罪赦された共同体を形成することによって生命にみちた日々を重ねていき得たエフェソ教会の現実、これこそ教団の教会の姿でありたい。
新年最初の聖書日課として与えられた聖書の箇所はまさに啓示である。
主イエス・キリストの十字架によって二つのものが一つにされ、敵意という隔ての壁が壊されていく。キリストによって両方の者が一つの霊で結ばれて、御父に近づくことができる。
「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」とある。(19節)
エフェソ2章は教会という言葉を一度も用いずに、それでいて教会とは何かということを語る。
そうなのだ。教会は神の家族なのである。
「みかみを父と/あがめまつりて/つかうる家の/そのたのしさよ」
(『讃美歌』四三四番)
家族にもトラブルも破れはあろう。しかし、感情を爆発させては、これを愛によって消しとめる訓練場、道場として教会は鍛えられ成長していく。
「幸福な家族とは問題のない家族のことではなく、問題を解決する能力を持っている家族のこと」それは家族としての教会でも全く同じであろう。
そうした解決の力はキリストとの交わりがもたらす。建築にたとえるなら、いろいろな石が積み重ねられ、その「かなめ石」コーナーストーンはキリスト・イエスご自身だと言っている。「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」
石は崩れ落ちる。しかしかしら石たるキリストによって積み上げられた石垣は崩れることはない。万一崩れたとしても、聖霊の導きによって前にも増して強固に積み重ねられる。
それ故に教会はいつでも「最早、ただ神によってのみ支えられ、キリストによって建てられている」という時が正しい在り方となるのであろう。
神の住まい
「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(22節)この19?22節は礼拝式文調で記され、実際洗礼式でうたわれたものと言われている。
キリスト者として「組み合わされ」「共に建てられ」るバプテスマ、そして聖餐へ、どんなに大きな喜びであろう。
「我は聖なる公同の教会を信ず」
教会は何より信ずるものである。教会信仰を以って「共に」という地平へ進み行こう。
(教団総会議長)
日本基督教団は、社会活動基本方針に『教会と社会福祉事業との相互理解と協力を推進する』と謳い、十二月第一日曜日を「キリスト教社会事業を覚えて祈る日」と定めています。
「伝道とは聖書的な聖化の道を全土に浸透させること」と十八世紀英国のある教会指導者は心得ました。「聖化の道」とは、今日流行の言葉では「霊性」と言い換えることができましょう。すなわち、御言葉によって養われて、聖化へと向かう継続的な力として私たちの内に造られる霊的な気質です。それは、神の国を待つ心であり、個々人のことにとどまらず、浸透して教会的な交わりや社会を形成していきます。そのような教会的霊性をかの指導者は祈り求めたのでした。
来年、私たちは日本伝道150年として記念いたします。北米諸教会から派遣された宣教師の方々の働きは、教会の建設、キリスト教学校や社会事業施設の開設へと向かい、神の国を待つ者たちの歴史となりました。私たちはその歩みの一こまに共に加えられて記念の年を迎えます。この時、私どもに与えられている霊性を養い、伝道への構えを充実したいと願います。そして、キリスト教社会事業を教会の大切な働きとして、あらためて、しっかりと覚えたい、そう思います。
諸施設で「共に生きる」お一人お一人、その関係の方々、また、労苦を惜しまず奉仕しておられる兄弟姉妹のために祈りましょう。昨今の経済事情のもと、ご苦労も多いことかと思いますが、志が高く保たれ、必要が満たされますように。私たちも為すべきことがあればそれを見出したいと願います。
2008年12月7日
第35総会期日本基督教団社会委員会委員長 張田 眞
人生をより意味あるものへ
有賀さんが受洗したのは二〇〇六年のクリスマス。遡ること四〇年程前から、クリスチャンの妻と共に教会に通い、自分なりにはイエス・キリストの神を信じていると思っていた。しかし学園紛争期にはキリスト教大学で、クリスチャン学徒たちに失望するという経験もした。振返って有賀さんは「古来、敬虔な賢者たちの集まりにも争いや対立があり、人としての弱さを露にするものだということを十分認識していなかった」という。
その有賀さんを受洗に導いたきっかけの一つは、聖学院大学大学院へ勤務したことであった。祈りと讃美歌のある入学式に感激し「敬虔に学問する精神」を実感した。また古屋安雄牧師の「信仰を告白して教会員になっていない者は、こうもりのようなものである、教会に属していなければだめである」との言葉を重く受け止めた 。それまでも長い間、妻と共に教会の礼拝へ出席し、度々神に助けを求めて祈ってきたが、使徒信条の言葉通りには信仰告白することができないという中途半端な心持があった。
しかし人生を省みて、自分の人生、また妻の人生を、受洗を通してより意味あるものとし、共に過ごす残された日々をより深めたいと願うようになった。また教会での加藤哲牧師の説教は、惨めさ、罪深さを感じている者に、神の愛によってのみ立ち上がる勇気を与えるものであり、牧師の祈りに心を合わせているうちに、使徒信 条の信仰告白へ、受洗へと導かれた。有賀さんは今、次のように語る。「妻と子どもを与えられ、仕事を与えられ、七〇歳をこえて生かされ、そしてまだ働きの場を与えられている。これは神の思し召しであり、キリストが私を捉えて下さったからである」と。その背後には、人生の伴侶による長年の祈りがあった。さらに信仰告白 の姿勢として「今日の復古的ナショナリズムと精神的に一線を画す」と語る。そこには福音信仰により究極的社会貢献をなす、クリスチャン社会科学者の姿勢が現れていた。
西中国教区は部落解放現場研修会を、八月三一日、九月一日、広島キリスト教社会館と尾長あいあいプラザで開いた。出席者四八名。
広島牛田教会西嶋佳弘牧師の説教による開会礼拝。
次いでの社会館アワーは窪田晋治保育所長がスライドを用いて報告、そして夕食で楽しい交流。
主題講演は、「部落差別と自己疎外」という題で、部落解放同盟広島県連副委員長得田正明さんが最近起った二つの事件を話した。
一つは、呉市連続大量差別紙片ばらまき事件で、二〇〇四年から四年間、「誰々は部落民」という差別ビラ一三七、二三九枚を呉市中心にばらまいた事件である。
もう一つは、「呉市離婚強要差別事件」である。
二四年間夫婦仲良く暮していたのに、夫の両親が被差別部落出身の妻に離婚を強要し、別れさせた。
結末は、双方とも不幸に終った悲しい事件であった。
両事件と取り組んだ講師の話は、皆の胸を熱くした。
差別は、人間の心を疎外するものである。だから、部落の人も、非部落の人も、同じ地域の中では、同悲同苦の思いで暮したらいいと強調された。
同悲同苦ときいて、イエスが、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさいとの教えを思い浮かべた。
翌日はJR広島駅近くの尾長地区あいあいプラザに行き、野田末広さん(同盟尾長支部長)から地区の歴史と現状についてきいた。
近隣の人で差別意識の強い人びとが、尾長という名をはずして、町名を変える運動をしたり、神社の名すら変えようとして失敗した事をきいた。
一時間程町内の被差別の実情を見させてもらった。
プラザに戻り、質疑応答、意見交換の時を持った。
三吉小祈牧師(広島府中教会)の説教で閉会礼拝。
教区議長柴田もゆる牧師(廿日市教会)が「二日間の現場研修は、有意義だった。今もある部落差別をしっかり、受けとめ、差別をなくすため、励みましょう」と締め括りの挨拶をした。
(東岡山治報)
「植村正久生誕150周年記念会」が、十一月一〇日、牧師としての生涯を送った富士見町教会を会場に開催された。記念礼拝の司式・説教に当たった同教会倉橋康夫牧師は、フィリピの信徒への手紙3章12?18節に基づいて、「神の志に生きる」と題し、ひたすら御言葉に聞くという姿勢を貫く説教を語り、「日本のプロテスタント 教会に植村正久という人物を与えて下さり、力として下さったことを感謝します。その遺産を継承し、伝道を推進することが出来ますように」と祈った。
武田清子氏が呼びかけ人を代表して挨拶し、植村の人格と伝道の志について、「天皇の家来に対して神の家来」を自負したこと、「日本最初の女性教職者を育てた」ことなどを指摘し、「開明的な開拓者であった」と、興味深いエピソードの数々を語った。
主題講演は、大木英夫聖学院理事長による「植村正久生誕150
年と戦後日本の未来」。東京神学大学図書館に日本プロテスタント資料を収集した経緯から始めて、氏と植村との関わりを述べた。また、自身の幼年学校から大戦にいたる体験と明治維新期のそれとは重なるものがあるとし、「敗戦から全てが始まった」と語り講演が立ち上げられた。
「与えられた時間と予定していた時間との折り合いがつかないだろう」ことを危惧しながら、時にやや早口で、独自の世界観と植村とを重ね合わせて、話題は多岐に渡った。植村が宣教師に触発され垂直次元の発見者となった、つまり祈りを体験したこと、その歴史観の土台は愛国ではなく救国であること、官途につかず伝道した こと、等々、植村論にとどまらず、植村の時代に踏み込んで、彼の思想・信仰の背後にあるものを論じた。仕掛けの大きいイリュージョンの舞台が、ふと連想させられ、独特の大木英夫ワールドに引きづり込まれるような感さえした。
項目だけを挙げても紙数が足りない。他にも、プロイセン崩壊と国際連盟からナチズムの台頭まで、関東大震災、マルキシズム等々。
何かしらの手違いから、大木氏が予定していた講演時間が半分以下になってしまったことは、実に残念なことだった。
発題者が三名立てられ、日本キリスト教会茅ヶ崎東教会牧師・五十嵐喜和氏…肩書きは全てプログラムの《講師紹介》に依る…は、〈植村正久の「系統神学」における教会論と今日の課題〉と題して、「系統神学」こそが植村を読み解くキーワードだとし、『福音新報』に掲載された植村論文などを根拠に、その教会論に迫った。?
東駒形教会牧師・戒能信生氏は、「植村正久の志の継承」と題し、日本のプロテスタント教会における植村の圧倒的な存在を、客観的な視点から観察し、従来からも指摘されてきた、教会の中で自己完結してしまう、という批判をも含めて、植村の功罪を、歴史的な事実に照らして、冷静に振り返った。
國學院大學助教・星野靖二氏は、「植村正久と近代日本の宗教思潮」と題して論じた。その演題から推察できるように、教会の中での植村論に比較すると、一端大きくカメラを引き、より広い時代の画面の中心に捉え、焦点を合わせてから、改めてズームアップした。時代の中での教会そのものの位置付けについても、新鮮な思い で教えられた。
発題者も、与えられた時間を窮屈に感じていたようだ。植村の世界を、三時間に凝縮するのは無理があったかも知れない。しかし、新しい窓が与えられたように感じられた。
協議の時間には、植村の伝道活動と社会活動について等の質疑がなされ、発題者のアドバイスも得て盛り上がったが、ここでも時間が限られた。
出席者数は一〇〇名を少し超えるくらい。年配の方が目立った。語る者にも、聴く者にも、深い思い入れがある、熱気のこもる記念会であった。 (新報編集部報)
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