「黙秘権を使ってもいいですか」と少年は言った。少年院における面接のときである。彼は初めての面接で、随分と緊張しているようだった。「あなたを取り調べるのではなく、あなたの今後のことについて話し合うんだよ」と述べた。少年院では篤志面接委員を担っている。面接では少年達が将来について積極的に質問し てもらいたいのである。しかし、多くの場合、こちらから話しかけないと口をつぐんだままである。何回かの面接で、ようやく心を開き、少しずつ話すようになる。当然、将来については不安であり、相談を持ちかけてくるのであった。
院内の生活は刑務所より緩やかであるが、やはり厳しい。やたらに雑談はできない。まして、自分の過去などは話すことはできない。しかし、面接では何でも話してよいことを知り、積極的に自分のことを話してくれるようになる。
黙秘権の少年は誰も信用してないようだった。兄弟に苦しい思いをさせられ、その仕返しが社会の中での悪なのである。出院しても家には帰りたくない。二度目の面接のとき、歯をくいしばって、誰からも理解されないと思っている彼なので、少年を受け止める存在がおられることを示した。すると、彼ははらはらと涙を流した。 そして、その後は堰を切ったかのように、自分について話すのであった。
まさに出会いが導かれる。
私を受け止めてくれる存在、説教で取り次いでいるのであるが…。 (教団総会書記 鈴木伸治)
神の御手の業を 留めるために
なつこさんが博士審査展に提出した三作品のうち、二つには「ルアハ」という題がつけられている。ルアハは、ご存じのようにヘブライ語の風、息、さらに霊を言う言葉だ。また今一つの作品には「燃える柴」という題が付けられている。
彼女が手がけるのは彫刻、主として木を用いる木彫である。木彫と言っても、この小さな体のどこにこれほどのエネルギーが秘められているのか、と思わせるほどに大きなものである。
二つの「ルアハ」作品のうちひとつは、大人が三、四人でやっと抱えることができるほどの樟(くすのき)の木の丸みを生かし組み合わせて、風に煽られるカーテンを掘り出してみせる。また今ひとつの「ルアハ」は、直径一・二メーターの樟の円盤の上に約九百本もの、これもやはり木から彫り出された草が立てられてあって、この上を一陣の風が吹き渡ってゆく様子を表現する。
本来、僅かばかりの風などではたわまないはずの木の木質部。しかし、この木が地に根を張って聳えていたであろうときには、枝先、葉先は吹き渡る風にさわさわと身を揺らしていたであろう、そのしなやかさを、この固い木質部で表現したユニークな作品である。
「燃える柴」もまた、燃え尽きない柴を彫るだけでなく、本来、火によって燃え尽きてしまうであろう木によって柴を輝かせている炎をも表現している。
彫刻は短時間で作ることができない。時間をかけて彫り上げてゆく。一鑿一鑿、木と取り組むこの長い時間、なつこさんがしばしば問うことは、十戒の中の彫像禁止の戒めと、また、ルターの「キリスト者の自由」の中で出会った神の僕としての在り方である。前者は自らの務めを否定的に問い、後者はこれを肯定的に問う。神に よって生かされている者として、彫刻というこのスキルをもって、神に仕え、人に仕えるにはどうしたらよいのか。博士としての歩みが始まろうとしている。
二〇〇九年一月九日(金)十四時から十六時一〇分まで、西東京教区国立教会で「隠退教師を支える運動・西東京教区推進座談会」を開催した。
東京地方は久しぶりの雨天だったが、それにも拘わらず十三教会二五名が出席した。
はじめに西村佳子委員の司式で開会礼拝をまもり、狛江教会・岩田昌路牧師から、ヤコブの手紙1章19~21節により「神の言葉を聴いて行動することが大切。隠退教師をおぼえつつ活動を続けているこの献金運動の発展を祈る」との説教があった。
そのあと、滝川英子委員の司会で座談会に入った。
まず出席者全員で、①「それぞれの教会に召命によって遣わされ、み言葉の役者として伝道と牧会に専心されている教師に、私たちは心から感謝いたします。…後略」、②「私たちは、それぞれの教師が長年にわたり伝道と牧会に全生涯を捧げられ隠退されてからの生活を少しでもお支えしたいと念願しております。このことは、 私たち信徒の祈りであり責任であると自覚しております」。以上のほかに三項目よりなる「隠退教師を支える運動・私たちのビジョン」を朗読した。
多田信一委員長と髙橋豊年金局理事長の挨拶。今年三一年目の活動に入った「隠退教師を支える運動」の目的と活動報告。教団退職年金制度の内容・現状の課題について両名から説明があった。
出席者からは「隠退教師を支える運動」より年金局に納入している年金協力金ⅠとⅡについて、何故一つにしないのか?との質問があり、Ⅰは毎年度納入する定まった金額・Ⅱは前年度の決算による繰越金を以って納入しているので変動があると、多田委員長が答えた。年金局に対しては、謝恩金と退職年金との相違。公的年金( 厚生年金等)と教団退職年金との関係について等の質問があり髙橋理事長が回答した。以上のほかにも、質疑応答があった。そして田口千恵子委員の閉会祈祷を持って修了した。
(多田信一報)
奇しき恵みの場所
坪内佐知子(富山新庄教会員)私共は昨年四月、富山新庄教会に参りました。教会報での紹介のためのインタビューで「キリストとの出会いは?」と問われ、考えました。いつだったのか?改めて考えるとはっきりしないのです。
成行きで洗礼を受けた印象の私。夫が献身を決意し、教会に赴任した時から、夫が私の牧者になりました。牧師館での生活、み言葉を通してイエス様が私の救い主であることをはっきりと確信したのです。けれど、その時が出会い?そうではないのでしょう。ずっと以前に既に出会っていたけれども、私の方に自覚がなかったのだ と思います。イエス様に背中を押され主の舟に乗り、ずーっと運ばれてきたのです。常にあたふたしていたけれど、いつも主から示し続けられてきたのです。教会とは縁遠い世界にいた私が、今教会に住んでいることは、まさに奇跡です。奇跡の連続で今の私があります。
私も夫も美術の道を志し、そのために様々な仕事をしてきました。精神世界に生きるというか、アンダーグラウンドな生き方、世間と違うことを良しとしていたのです。あることから、どうしても教会に行かなくてはならないきっかけが与えられました。そして、夫が献身へと導かれ、同時に私は短大へ。幼稚園教諭になり、夫の 神学校卒業まで働きました。その間、教会の方々や様々な方にお世話になりながら、困ることなくやってくることが出来ました。必要な時に必要なものは全て神様が与えてくださったのです。
教会に仕えるようになって六年が経とうとしています。まだまだ、経験不足ですが、教会に住んでいると、驚くようなことがたくさん起きます。「牧師とは?」「牧師の妻とは?」教会にとっても個人にとっても様々な理想があります。そのことが壁となって逃げ出したくなることも…。でもその度に神様へと向きを変え、自分を 省みることができました。そして、自分の力で逃れの道を必死で探すことを止め、神様に委ねた時、思いもかけない方法で導いてくださることを知りました。また、牧師の妻でなければ毎週の礼拝の恵みに与れたかどうかわかりません。それが恵みだと気づいたかどうかさえ疑問です。自分勝手に生きていた私を神様は逃げられない 場所に置いてくださった。またそこは、それだけでなく、私にとって奇しき恵みの場所でもあったのです。
主を求めて教会へ来る方々の笑顔に出会い、分かち合える喜び。昔の私だったら平凡に感じたかもしれないような、当たり前の語らいや笑顔に、今は心からの平安を感じ、感謝の生活ができます。また、決して立派な人ではないけれど、主に頼り忠実であろうとする夫。その傍らにいること、共に歩めることは最も大きな恵みです 。
「よい牧師夫人になろうとすることはない、一番の信徒になりなさい」。敬愛する先輩夫人から、ご自身大切にされている言葉として教えていただいた言葉です。羊飼いの羊として、一番近くで声を聞いて、たまに(?)羊飼いのおしりをこずく羊、羊飼いの健康を管理する羊でいようと思います。そして、他のたくさんの羊と共 に、主を賛美し、全て委ねて感謝して生きていきたいと思います。
☆東京信徒会講演会
▼時=2月28日(土)14時~16時半▼所=日本基督教団富士見町教会▼記念講演=阿久戸光晴聖学院大学学長▼主題=「世界同時不況の再来か?」-価値について問う- ▼主催・問合せ=東京信徒会電話 044-969-2024(鈴木)
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