「できる先輩」を目指して
十九の年に終戦を迎えた。高等商船学校を辞めるにあたっての教官の面接で「これからはあなた自身がしっかり生きていかなければならない」と教えられた。自分の中にも「俺がしっかりしなければ、日本はダメになる」との自負があった。しかし、今までの軍国主義に代わる、自分の中心に据えるものが見つからなかった 。何を中心にすればいいのか、と思いながら手に取ったのが聖書だった。
神田で路傍伝道の声を聞き、キリスト兄弟団神田教会で求道を始める。同時にYMCAの会員になった。CSにも関わり、励まされながら受洗の時を迎えた。東京都職員として働いていたが、YMCAの主事となる決意をする。当時、YMCA主事となることは献身と同じ意味を持っていた。家族は大反対だった。
夫人の三和子姉ともYMCAで出会った。「YMCAの主事の妻となる」ことを、自分自身の召命として捉えてくれた。尊い仕事であると理解し、支え続けてくれた。決して裕福ではなかったが、文句を言われたことは一度もない。「あの人の方が立派なクリスチャンなんですよ」、既に天に帰られた夫人に対して、称賛の念は今もある。
一九八一年、請われて興望館の館長となる。保育園、幼稚園、養護施設など大勢の子どもと関わることになった。何もわからない中「一人一人が神様に与えられている命であり、愛されている人格である」と考え、子どもが成長する場、その喜びを共有する場としての保育を大切にしようと考えた。保母へのカウンセリングや、地 域への証としてのページェントにも力を入れた。
YMCA百年史の執筆を通して、組織の中に息づくキリストを感じ、証することの大切さを知った。生き生きとキリスト者として生きることが、後に続く人たちへの何よりの証と考え、YMCA史学会の理事長に就任。現在YMCA130年史を編集中。「できる先輩」として後輩を啓発したい、と意欲的だ。
一月十九日~二〇日にかけて秋田県鷹巣教会で「子どもたちの未来の食を見つめて」と題して行われた。講師は安田節子さん(食政策センター・ビジョン21)。
グローバリズムで、食べ物もあらゆる国から輸入することになり、安全性や質が低下してきたことなど、わかりやすくお話していただいた。
食べる人の健康より、輸入を優先させたため、日本では認められていなかった添加物を認定し、基準を緩和してきた。
例えば、日本では魚に着色してはいけなかったのに(鮮度の良し悪しがわかるように)、輸入の養殖の魚の餌に入っている着色料や抗生物質が認められてしまった(輸入の養殖鮭が真赤)。
輸送中の劣化を避けるためのポストハーベスト(収穫後の農薬散布)、放射線照射など…様々な添加物の複合的な作用も恐ろしい。
安い食材を求めるあまり、畜産にも”効率”が求められ、鳥インフルエンザや狂牛病が出てきた。
ある鶏舎では、二羽が一つのゲージのなかで立つ場所さえなく、交互に背中に乗っていたそうだ。隣の鶏をつつかないようにくちばしを切り、歩けないので爪は伸び放題、”ウインドレス”といって自然の風も光も入らない。抗生物質入りの餌。その不自然な鶏舎の中でウィルスが耐性を持ち、力を強めていくことは恐ろしいこと 。しかし、自然界で、ウィルスが鳥に寄生し、鳥は抵抗力をつける、というのを繰り返すのは本来あるべき姿なのだというお話に納得。
「天地、機有り」という言葉から有機農業という言葉が生まれたそうだ。機とは大自然の運行の仕組み。神様の作られた自然の摂理に従わなければ、安全な食べ物は生産できないことを、再確認させられた。
最後に、快く会場をお貸しくださった鷹巣教会の皆さん、隣接の認定子ども園の案内、夜の懇談もたっぷりお付き合い下さった岡村先生ご夫妻に心から感謝。
(入江敦報)
神の御旨は不思議に満ち、「肉の思い」を超えている。
鈴木岩夫(筑紫教会牧師)
筑紫教会は、故鈴木吉三郎牧師による開拓伝道によって生まれました。教会設立記念日は戦後間もなくの一九四六年十二月二五日、設立認可は’49年三月、その苦労の程は、この日付からでも察していただけるものと思います。
’52年には、幼稚園を併設、教会も幼稚園も戦後を生き抜き、漸く形が整ってきたのですが、諸事情と更なる発展を願い、福岡市博多区から現在の大野城市へと移転いたしました。教会も幼稚園も、大きな転機、むしろ危機を迎えました。特に、幼稚園は、その時点で通園しています園児への責任があります。そのために、送迎バ スを一台増やしました。その送迎バスの運転手として働くようになったのが、初代牧師の三男に当たります私でした。工学部を出て以来勤務していました自動車会社を退社して、幼稚園に就職いたしました。財政的な事を考慮すると、他の道はなかったのではないかと思います。
試練は続きます。東京神学大学に学び、横浜指路教会を経て、二代目の牧師として働いていました長兄の鈴木眞理(まこと)牧師が、’85年、四〇歳の時、突然、それこそ晴天の霹靂、脳幹梗塞に倒れたのです。当時、私は長老として、教会に関わっていました。優れた牧師の指導の下、百人、二百人の礼拝が与えられると確信し ていた時のことでした。眞理牧師は、八年の闘病を経て天に召されました。
私はその頃、幼稚園で働いていたのですが、心で祈っていた事があります。それは、どんなに忙しくとも、心が他のことに捕らわれるような状況にあっても、一日一回必ず聖書に触れるということです。例え開いて読む余裕が無い時でも、触りたいと考えました。実際には、幼稚園の朝礼拝で毎日聖書を開き、日曜日は教会で聖書 に触れていたのですが、今考えれば不思議です。
このことと、八年間、眞理牧師の沈黙の言葉に触れたことが、決定的だったと、今振り返って思います。沈黙の言葉とは、文字通りのことです。病のために、会話ができなくなった眞理牧師は、病床で良く人の話を聞き、そしてただ頷いていました。私自身もその一人です。いつの間にか献身の思いが育っていました。幼稚園の働 きを続けながら通学することが可能な、地元の西南学院大学の神学部に、四二歳の時に学び、’93年補教師となり、筑紫教会に迎えられました。
この出来事については、「家業を継ぐために牧師になった」という評が存在することは承知しています。しかし、それは事実とは違います。眞理牧師が癒され筑紫教会牧師として【復活】すると確信していました。
微塵も疑いませんでした。毎週の礼拝の中で、又、礼拝後、特別祈祷として、眞理牧師の【復活】を教会員の方々と、祈りを共にしていたのです。全国でも祈ってくださっていたと思います。神の御前に二枚舌は使えません。献身時点で、自分の将来のことは、あまり具体的に考えていなかったのです。何れかの教会に赴任するの ではないかとは思っていました。「再び筑紫教会の牧師として【復活】する」との祈りは、「肉の祈りに過ぎなかった。(別の形で復活を見た)」、と、その様に考えます。今から振り返りますと、逆に、家業を継ぐかのように父と兄が伝道した教会の牧師に迎えられましたことは、肉の思いを超えた神の御心だと信じています。 移転しました現在地に於いて、都市計画にかかり、僅かな距離とはいえ移転を余儀なくされ、現在の会堂になりました。諸々の出来事は、全て神の御手の中にあるのだとつくづく思わされます。今、筑紫教会は、新たなる決意の元に、更なる伝道へと向かっています。
創造の初め 北 紀吉
二〇〇九年を迎えた。
新しい年に、創造の初めを思う。神は言われた「光あれ」と、そして、神は、「光と闇を分け」られた。
続いて言われた「水の中に大空あれ。水と水とを分けよ」。そして「大空の下と大空の上に、水を分けさせられた」。
創造、それは分離。分けることで存在が鮮やかになる。混沌からの分離、それが創造である。混沌から分離してこそ、ことは明確になる。
何でも一緒、それは、混沌に帰ることに過ぎない。私共は、創造の神を神として仰ぐ。であれば、混沌からの分離、それこそが神を信じること、神に従うことである。
日本伝道150年を迎える。「キリストこそ我が救い」、十字架の言葉に固く立つ、それが今回の基本理念、コリントの信徒への手紙一第1章18節~25節が主題聖句である。
主イエス・キリストの十字架による罪の赦しにこそ私共の救いがある。
聖餐の不一致、それでは主の十字架の恵み、罪の赦しの確信は生まれない。あれもこれも一緒では何も伝わらない。信仰がはっきりしてこそ、神の恵みが伝わる。あれもこれも一緒、それは混沌、存在を失う。伝わるものも、伝わらない。聖餐を分け、信仰を明確にする、そのことで伝道力が生まれる。信仰を明確にする、それが 日本伝道150年を祝う今年の教団のなすべきことと思う。
(東海教区総会議長)
第36総会期第一回常任委員会で選任された七名の委員による第一回推進委員会が一月十五日(水)開催された。
冒頭に多田信一委員長から「年齢および健康上の理由で委員長の職を辞したい」との申し出があり、協議の後これを了承、後任として第36総会期委員長に大杉弘氏が選任された。ここで大杉・新委員長が議長席に着いて議事を進め、第36総会期の組織を次のとおり決定した。
*これまでは諸般の事情で委員長が事務局長を兼務してきたが、この際両者を分離することが望ましいという意見で議場は一致、森啓一委員を事務局長に選任した。今後は事務局長が書記の職能をも引き継いで担当することになるので、従来書記として永年にわたり委員長を補佐してきた滝川英子委員は退任することを確認した。
*監事については、第35期総会期の監事であった川上郁夫、愛澤豊重の両氏に留任を求めることとした。
*教区推進委員についても、第35総会期の推進委員全員に留任を求めること、留任応諾がなく空白が生じた場合は当該教区議長に推薦をお願いすることとした。
次に二〇〇八年度決算については、決算事務終了次第推進委員会に諮り、結果を六月に予定されている全教区推進委員会に報告、七月の第36総会期第二回常議委員会の承認を得ることとした。
また、二〇〇九年度計画額の立案については、二〇〇八年度決算を参考にして立案する作業を委員長および事務局長に付託、成案を決算同様六月予定の全教区推進委員会に報告、七月の常議委員会の承認を得ることとした。
全教区推進委員会の日程については、六月二五日(木)・二六日(金)両日に開催することを内定した。
(大杉弘報)
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