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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4670号】新しい総会期も部落解放運動に力を注ぐことが確認される

2009年3月14日

第36総会期第一回の部落解放センター運営委員会が一月二七日午後から二八日にかけて、教団四階会議室で開催された。
出席者は、陪席者をあわせて三一名。新しく選出された委員のもと、共に部落解放への熱意を確認し、二日間にわたっての協議を行った。
組織会が行われ、東谷誠運営委員長(いずみ教会)、多田玲一書記(福岡女学院教会)が選任された。さらに、活動委員会の候補者が紹介され、活動委員会のメンバー二〇名が選任された。
また、今期も引き続き常任運営委員会を設置することが決まり、委員長、書記、活動委員長の他、宮田誉夫委員(草津教会)、柴田もゆる委員(廿日市教会)、片岡謁也委員(若松栄町教会)が選出された。
議事の中で特に時間を取り、次年度の同宗連議長に就任する小林眞教師、事務局長に就任する丹波二三夫教団職員から挨拶を受けた。出席者より、センターは同宗連に思いを寄せてきたこと、『解放のはばたき』の記事にもあるように厳しい批判があることなどが意見として出された。最後は、出席者一同の拍手を持って、共にがんばろうという気持ちを伝えた。
「四国キャラバン二〇〇九」は、本年六月十三日から二二日にかけて、四国教区の各地を訪問して交流を深め、解放運動への思いを高めることを求めて開催される。参加メンバー、および具体的な内容等が審議され、承認された。
「第十一回全国会議」は東京教区・西東京教区と協力して開催することが承認され、具体的な準備が進められることとなった。「機構改正検討委員会答申」がきっかけとなって「部落解放センター規約」の改正案が常任運営委員会から出され、大変重要な事なのでじっくりと内容について検討することが承認された。
その他、多くの報告がなされ、多くの議事が協議された。活動献金の目標額も定められた。新しい総会期も、各地の取り組みを繋ぎ、交わりを深める共に、部落差別からの解放を目指して協力し合い、力を注ぐくことが確認された二日間であった。
(多田玲一報)

統一原理問題東京地区学習会を開催

統一原理問題東京地区(東京教区、西東京教区)連絡会学習会が二〇〇九年一月三〇日(金)、教団会議室に於いて開催された。今回は、東京地区だけでなく他教区他教派にも呼び掛けたため、東北教区、カトリック中央協議会、聖公会、日本ルーテル教会、日本バプテスト連盟からの参加者も得て、出席者二九名を数え盛会であった。
最初に吉田好里牧師(世話人代表)より挨拶と集会の趣旨説明が以下のようにあった。連絡会による二ヶ月に一度の定期的な相談活動も既に二〇数年が経過したが、その間、相談者が来なかった日は一度もなく、むしろ最近は増加傾向にあり、カルトの被害は終息せず、益々深刻になっている現状である。その間、連絡会構成メンバーの高齢化もあり、改めて、今日の統一協会の活動による被害状況を多くの人に知ってもらい、救出の取り組みと相談者の裾野を広げていきたいというのが今連絡会の趣旨である。
第一部として、長年、協力を頂いてきた山口広弁護士(全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長)より以下のような講演がなされた。「二〇年間カルト問題に関わってきたが、この視点から社会に対する視野が広がり、自分の成長にとっても実に有益であった。弁護士手帳に六曜が記され、自称霊能者によるスピリチュァルブームが起こり、女性週刊誌だけでなく大新聞にまで運勢が掲載される状況の中、霊感商法被害者予備軍を生み出している魂の砂漠的世界が益々広がっている。その中にあって、宗教者も人助けに参加して欲しい。そのためには、カルト被害者の悩みを〈聴く〉ことが大切であり、それは誰にでも出来る。特に解決が長引く家族と寄り添い、支え続けていくことが求められている」。
また荻上守生弁護士より、「現在、心の悩みを抱えている人は非常に多く、カルトはそこにつけ込み被害者を増やしている。教会や寺院は人の悩みを〈聴く〉社会的責務があると思う。法曹界では、自分のような若手が先達の後継者として養成されてきているので、教会も頑張って欲しい」との激励を受けた。
続いて佐原光児牧師(霊南坂教会)より、「自分は連絡会の中で最年少であり、カルトカウンセリングを学ぶ機会もないまま始めてしまったが、正しい知識と経験があれば、この問題に取り組むことは怖くはない。これは福音をどうこの世に語っていくかという宣教の課題である」との指摘を受けた。
また黒鳥栄牧師(戸塚教会)も〈カウンセリングの秘訣〉とは〈聴く〉ことに尽きると強調した。被害者は、カルトに行って、自分の話を初めて聴いてもらえたという感動を味わっている。それに対して、自分の家族は、反対ばかりで、何も聴いてくれないとの絶望感があり、それが説得を阻害している。相談者は、カウンセラーの〈聴く〉姿から学び、カルトに入信した家族の言葉と心を〈聴く〉ことが出来るよう成長していくのだとの示唆を受けた。
参加者より、現在は世界的にスピリチュァリティ(ニューエイジ)に浸食されており、それは癒しの強調という形で教会の中にも入っている。カルト問題に取り組むことは、教会の語る福音とは何かを再確認することにも繋がるとの指摘がなされた。
午後は、定例の原理問題相談会に参加者たちも加わり、次々に訪れる相談者にカウンセリングがどのようになされるかの実地体験を夕方まで続けた。初めて被害者と体面して緊張した者もあったが、皆一様に、被害の深刻さを知り、この救出活動に参加していきたいとの決意が与えられた。有益な会になったことを感謝する。
(山本裕司報)

*世界宣教のもとに六委員会  世界宣教

第36総会期第一回世界宣教委員会が二月六日に教団会議室において開催された。今期の委員は木下宣世(招集者)、秋山徹、岡村恒、藤吉求理子、村山盛芳、久世了(宣教協力学校協議会)、稲松義人(日本キリスト教社会事業同盟)の七名である。
まず委員会の組織がなされ、委員長に木下、書記に村山、実務委員に秋山が選ばれ、この三人が常任委員会を組織することが承認された。
前総会期に大幅に委員会組織が改定され、世界宣教委員会のもとに韓国協約・スイス協約・台湾協約・国際関係・宣教師人事・宣教師支援に関する六委員会が設置された。それぞれの委員会が具体的な働きをなすことと同時に、今後の働きのために必要な規則などの整備に多くの時間が費やされた。これからは、委員会の活動ひいては教団の世界宣教に関する見解を見直すためにどのように進めて行くのかについて昼食をはさんで懇談の時を持った。
前委員会からの申し送りをしなければならない人事を含む事柄と、丁寧な議論が必要な宣教師内規など多くの課題があることが確認された。海外にある日本人教会の困難は、出身教会の背景が異なるために会員により教会観にばらつきがあることだとも話合われた。
議事では、六委員会の人選を継続性・地域性・語学力を考慮し決定した。
委員会ならびに関係員会の二○○八年度決算見込みと二○○九年度予算案が、承認された。
ブラジルメソジスト教団東北教区オリンダへ派遣される小井沼真樹子宣教師が二月十六日に教団会議室で、ウェスレー合同メソジスト教会(アメリカ・サンノゼ)へ派遣される西之園路子宣教師が三月十五日に静岡草深教会で宣教師派遣式が行われることが承認された。送りだされる宣教師の働きをおぼえて、祈りと支えをお願いしたい。三月二六日から二八日に当委員会が主催し宣教師支援委員会が実務を担当する「宣教師会議」が行われる。教団が迎え入れている宣教師の働きもおぼえてお祈りいただきたい。 (村山盛芳報)

*PCTとの教会協議会に信徒の派遣を  台湾協約

第36総会期第一回台湾協約委員会が二月九日(月)から一〇日(火)にかけて、会津坂下教会と若松栄町教会を会場に行われた。
今期招集されたのは前期からの継続で、村山盛芳委員(浪花教会)、李孟哲委員(東京台湾教会)、高橋真人委員(会津坂下教会)の三名。その中で組織を行い、委員長に村山委員、書記に高橋委員が選任された。
その後、世界宣教委員会報告、常議員会報告を担当幹事から受け、協議に入った。
主な議事は次の通り。
〇八年度委員会計決算及び〇九年度会計予算に関する件は、幹事からの説明を受け承認可決。
四月二一日から二三日にかけて大阪台湾教会を会場に行われる「第12回日本基督教団と台湾基督長老教会との教会協議会」について、案内文およびプログラムの検討を行った。今回は台湾基督長老教会(PCT)からの強い要望により、各教区には信徒代表の派遣が求められている。特に覚えてご理解・ご協力を仰ぎたい。
六月三〇日から七月十七日に台湾で開催される
「I Love Taiwan Mission 2009」の参加要請について協議。在日台湾教会の青年がPCTのプログラムに参加し学びと交わりを得ることの意味を受けとめ、日本人青年を含めた参加希望者を派遣することとし、教団新報誌上で公募する。
昨年来、政治的変化のあった台湾にあって、PCTから世界の教会に向けて「人権に対する暴力と正義の乱用を憂う祈りの要請」が教団にも送られてきていたが、これを受けとめる必要があることを確認し、総幹事名でこの祈りの課題とそれに対する教団のレスポンスを表明するように働きかけることが決議された。 次回委員会は三月四日から五日にかけて浪花教会で開催し、主に教団とPCTとの教会協議会の事前準備を行う。  (高橋真人報)

*被災教会会堂等再建支援に向けて 「能登半島地震」被災教会会堂等再建支援委員会 継続

第35総会期に引き続き第36総会期の「能登半島地震」被災教会会堂等再建支援委員会(以下、委員会という)の委員が第一回常議員会(二〇〇八年十二月八日〜九日)で選任され、第一回委員会が、二月九日教団会議室で開催された。
常議員会で選任された委員は、長山信夫、原田謙、佐々木美知夫、大杉弘、津村正敏の五名である。
最初に組織会を行い、委員長に長山委員、書記に大杉委員を再任した。
続いて事務局より前回委員会以降の活動について、支援募金状況(支援募金明細一覧)ニュース(第三号)の発行、能登半島地震支援ニュース第四号を教団総会に向けて発行したこと、二〇〇八年クリスマスにむけて支援募金のお願いのポスターを作成、教団諸教会・伝道所に配布した等の報告があった。
また、現在の募金状況、会計報告があり募金状況は一億一千二百万円強であり、その内六千五百万円弱が再建された会堂等に送金されていることが報告された。
次に陪席した中部教区、能登半島地震被災教会再建委員会の小宮山剛委員長より現在の再建状況について、輪島教会会堂補修、牧師館改築が完了したこと、三月十七日に羽咋教会富来伝道所の献堂式が行われること、七尾教会、羽咋教会の改築計画の状況等についての報告があった。続いて高橋潤中部教区議長より中部教区で扱っている支援献金会計の状況についての報告がされた。
以後、協議に入り、中部教区再建委員会から求められた支援募金の支出を承認するとともに、次回委員会に七尾教会、羽咋教会の再建の詳細な計画内容を出してもらうよう依頼した。また前年に続いて中部教区として二〇〇九年度の諸教区総会を訪問し、支援の感謝と現状報告等の挨拶をするとの報告を受けた。
次に諸教区総会前に向けて能登半島地震ニュース第五号を発行することとし、その内容について協議し、原稿執筆の分担を決めた。 第二回委員会は六月二九日、教団会議室で開催の予定。
(津村正敏報)

*厳しい経済状況の影響を念頭に  予算決算

第36総会期第一回予算決算委員会が、二月十二日~十三日の両日にわたって、教団会議室で開催された。
招集者・伊藤瑞男委員による開会祈祷、各委員及び教団総幹事、総務幹事、財務幹事の自己紹介に続き、互選により委員長・伊藤、常任委員・寺門文男、書記・外崎孝を選出し、議事日程を事務局の提案通り決定して協議に入った。
先ず、内藤留幸総幹事より①非常に厳しい経済状況が個教会の財政にも影響を及ぼすであろうことを念頭に予決委員会も活動をして欲しい②二〇〇八年度収支は全体として良いバランスを保っている③職員退職金制度変更の移行期にある④各種の預り金の適正な措置を視野に入れて欲しい⑤出版局、年金局共に厳しい状況である、等の報告があった。愛澤豊重総務幹事、計良祐時財務幹事も退職金制度変更、運用基金等について報告した。
二〇〇八年度月次会計報告に続き第一次補正予算案について計良財務幹事より、総会費、人件費等を中心に説明を受け、協議を行なった。原案の一部修正を経て第二日目に承認することを決定した。
計良幹事より「前総会期委員会で取り上げられた主な課題」の報告が行なわれ、特に教区負担金賦課方式の検討、別口勘定、活動資金勘定等の整理と会計の明瞭化、教団三局やセンターの包括的管理体制作り等の諸点が説明された。
その後『教団50年データ分析と今後への提言』を鑑賞した。
第二日目は先ず、前日の協議に基づき、第一次補正予算案を承認した。続いて「主な課題」の協議を行なった。特に負担金賦課方式については最重要課題の一つと位置づけ、小委員会を設けて継続的に検討して行くこととなった。
今後の日程として、次回は決算のために六月八日、九日の両日開催すること、全国財務委員長会議を九月十四日(月)、十五日(火)に開催し、その前後に予決委員会を行なうこと等を決定して、閉会した。
(外崎孝報)

▼お笑い芸を、観客の中から無作為に選ばれた五人が審査する番組がある。五人中三人が笑えば、ステージクリア。五人は自分が選ばれたことを知らない。▼なかなか笑わない。絶対に笑うまいと決めているかのように。▼見ている内に納得した。人間やはり笑顔が可愛い。美しい。いろいろと美形の審査基準があるだろうが 、そんなことよりも、笑顔が美しい。仏頂面ではなかなか美しいとは見えない。全身で笑っている顔は、決して醜くはない。▼ふと考えた。聖書には笑いと言う表現はあまり無いようだ。嘲るとか小馬鹿にするというような用例ばかりだ。▼笑うという意味の言葉は他に何があるか考えた。あった。喜ぶ。似たような表現に、喜ばせ る、喜び、喜び愛す、喜び歌う、等々、合わせて七~八百はありそうだ。ちょっと数え切れない。▼喜ぶは、日本語のニュアンスでも、単なる笑いではなく、心からの喜び、本当の満足、幸福、そんな印象がする。▼とすれば、喜んでいる顔こそが、最も美しい顔ではないだろうか。少なくとも信仰的な意味合では。

出雲・松江、諸教会訪問記②   ▼松江 ▼松江北堀

迫害・火災、試練を乗り越え 松江教会

松江教会は、松江城の内堀から直線距離なら二〇〇メートルと離れていない閑静な住宅地のなかにある。図書館、県庁は目の前、市役所、宍道湖傍の松江温泉街も遠くない。立地条件は悪くはないのだが、しかし狭い。この界隈では普通の民家程度の敷地で、駐車場がない。勿論、礼拝堂、集会室、牧師館と全て窮屈 だ。しかも、土地は借地。
訪問した週の週報に、会計報告が載っていた。土地購入会計繰越金の項を見ると、約四〇〇万円が積み立てられている。土地の入手は、何十年来の懸案と聞く。
この狭い会堂に、かつては五〇名の礼拝出席があった。最新の教団年鑑では、平均二四名。会員数も四〇名と記載されている。
松江教会はその名前から分かるように、松江市内の教団諸教会中最も古い歴史を持つ。しかし、戦時中、弾圧によって礼拝休止となり、会員は一時、隣の松江北堀教会等に身を寄せていた。戦後、ゼロむしろマイナスから再スタートした。その後、火災にも遭った。困難な時を支え、教会を形成した教会員が、一人二人と召され、 数の上ではすっかり弱ってしまった。宗盛興師は赴任以来二〇名の葬儀を司ったが、結婚式は二件だけと言う。
しかし、今身をかがめもう一度ジャンプしようとしている。何しろ、戦争・迫害に耐え信仰を守り通したホーリネスに繋がる信徒たちなのだ。
その教会復興をリードするのは牧師夫妻。献身の思いを抱いたのは妻・宗保子師の方が早かったが、夫の献身、単身での神学校入学、赴任、全てが整えられるのを待って、二〇〇一年Cコース受験により教職となった。「夫婦仲は悪いが、教職としては理解し合い助け合っている」と、これは盛興師のジョーク。
三、六、六、三、これは今回取り上げた松江・出雲地域諸教会の最近の牧師在任年数。経済的な事情もあり、在任年数が極端に短い。その中で、松江教会は、宗盛興師十三年目、前任の吉仲将師(現在松永教会)三三年、清水良太郎師は戦後間もなくから、十三年。ここに松江教会の特徴が現れる。宗盛興師は、町のコーラスグル ープに参加、町内活動に取り組み、じっくり時間をかけて、長期的展望をもって伝道牧会に当たる姿勢を持つ。教会員もそれに共感する。
土地購入が新しい伝道の幻につながり、新会堂が建てられ、讃美の声が溢れる日を夢見て、日々の営みが続けられている。

真剣で御言葉に向かい合う 松江北堀教会

松江北堀教会の未だ真新しい会堂は、『日本の面影』が濃く残る松江の町並みに調和すべく、木造のしっとりと落ち着いた雰囲気を持っている。
一九九五年の会堂建築は、地方紙の特集記事がきっかけだった。松江市内の若手建築家たちが、優れた建築物を一冊のアルバムに残した。そのタイトルは、『やがて消え行く記念碑的建物』。新聞に載ったのは、正しく松江北堀教会礼拝堂。築六〇年を越え、酷く老朽化していた。しかし、古いだけでは、アルバムに収蔵されるこ とも紙面を飾ることもない。六〇年七〇年経った時に、同様に評価されるような会堂を新築しようと声が湧いた。
その時点で会員四〇名、献金の口数は二七。予算は六五〇〇万円。蓄えゼロから始めて、四年後に会堂が建った。全国募金の趣意書に、献金して下さいという文章はなかった。祈りに覚えて下さいと記された。賛同人に有名牧師が名を連ねることもなかった。会員四〇名の名前を記した。
集まった全国募金は約八〇〇万円、予想を超えた。献堂式の時、業者への支払いは全て終え、借入金の類は全く無かったという。
間もなく迎えたペンテコステ、礼拝後一人の婦人が牧師に面会を求め、説教で語られた「教会の幻」を実現するためにと、二〇〇〇万円の献金を申し出た。隣接地を購入し駐車場を確保するという夢は、タイミングを失して叶えられなかった。しかし、今、当初目当てにした土地とは反対側隣家に、松江北堀教会別館の看板が掛け られている。電力会社の社宅を買い取ったものだ。売却の話に即応できたのには、かつての献金の蓄えが力となった。
『東京帝大を卒業と同時に旧制松江高校教授として赴任してきた松原武夫という一青年学者が下宿で家庭集会を開き、翌年には大学と教会で同窓だった神学校新卒の小塩力師を迎えた。それぞれが結婚し教勢は倍になった…「教会史の覚え書き」から』という出発点から、松江北堀教会の歴史は始まった。因みに、会堂敷地は、松 原が個人で購入し献げたもの。旧会堂は当時の婦人伝道会社の援助も受け、四竈一郎牧師の時、一九三五年に建てられた。
土地と建物のことだけを記した格好だが、勿論、この間に教会を立て守ったのは人数こそ多くはないが、真剣で御言葉に向い合う一人ひとりの教会員。山陰東のどの教会にも共通することだが、この地で福音を掲げる者の覚悟は、並大抵のものではない。
昨年四月、井上理師を迎え、新たなる歴史が書き加えられようとしている。別館を利用しての沢山の地域活動、ホームページ、玄関に置かれたレストラン風の洒落た集会案内看板、新しい風が吹き始めている。

闇の中で強い光を放つ

山陰東分区の版図を説明することは難しい。島根県とイコールではない。出雲市と松江市の周辺とも言えない。隠岐があり、雲南地方の横田がある。昔の隠岐と出雲と言うのも正確ではない。出雲以西益田まで車で一三〇キロ、教団の教会は存在しない。益田は山口県内の他の三教会と山陰西分区を形成し、津和野は山口中 分区に属する。要するに、島根県には、松江市にこそ四教会があるものの、他ではポツンと点在するに過ぎず、教会の全くない市町村が多いということ。
キリスト教主義の学校は、ローマ・カトリックと無教会が全校生徒数十人のごく小規模のものを持つだけ。数年前までは過疎化率全国一位と言われた。数年前まで?、上昇に転じたのではなく、限界まで減った結果、過疎化率は下げ止めしたというだけ。所謂限界集落が多く、島根県全体が限界県に近づいている。
その他にも、何故この地域でキリスト教が奮わないか、いくらでも理由を挙げることができる。
しかし、この地で、過去百年以上、福音が伝えられて来たし、今も伝えられている。諸教会が、そして信徒一人ひとりが、「闇の中で輝く光のように」、強い光を放っている。この光を、升の下に置いてはならない。 山陰東分区の内、隠岐はかつて「伝道の灯火」で掲載した。横田相愛、安来は他の機会に取材したい。

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