見えてこない教団の未来
東京教区総会は、教区活動連帯金拠出留保を確認したうえで、予算案を可決した。幾つかの教区では、死活問題であるとして、この制度の継続と、速やかな拠出を求める意見が相次いだ。教団問安使を拒否または敬遠する教区もある。「正しい聖礼典の執行」に関する議論をはじめ、諸問題を巡る対立は、激化というよりも、深い溝を生み出し、話し合い・歩み寄りの余地がないかのような状況を呈している。一つの教区の中でさえも、この対立は次第に表面化しているように見える。教団の未来は。
「ゴミは持ち帰りましょう」との見出しで、趣旨を記したものが教会玄関ボードに掲示されている。今までも心がけられていたが、はっきりと示されるようになった。
数年前より、まず役員会がお弁当容器を持ち帰るようになった。ゴミ箱があるので、そこに捨てればよいのであるが、ゴミ箱はいつも空である。年に数回開かれる祝会は持ち寄りの食事で、それぞれのご馳走をおいしくいただいている。ご馳走は残らないが、容器等ゴミ類で、このときばかりは、満杯のゴミ箱となる。昔はそれらのゴミは、ゴミ収集日に牧師が出していた。ところが満杯のゴミ箱は日曜日の夕刻には空となっている。教会員がそれぞれゴミを持ち帰ってくれるからである。
教会の中にある牧師館に住んでいるので、ゴミの収集日にゴミ袋を出すのは、牧師の務めになっていた。しかし、役員会は牧師の職務を改めて考えるようになり、牧師に余計な仕事をさせるのはよろしくないとの判断を示したのである。
雑用ばかりでなく、牧会的職務も軽減されている。役員は牧師と共に牧会を担う取り組みが深まっている。随分と楽になった、そんな実感を持っているのだが…。
日曜日、諸集会が終わり、皆さんが帰ったとき、思わず「どっこいしょ」と言いつつ座る。その時、電話が鳴る。隣の幼稚園の教室に忘れ物をしたとのことである。今日は一件かなあ、と言いつつ立ち上がった。「よっこらしょと。」
(教団総会書記 鈴木伸治)
『支える運動』のために
今年1月の『隠退教師を支える運動』常任推進委員会で、森さんは事務局長として選ばれた。久しぶりの専任の事務局長である。これまで東京・下谷教会員の多田信一推進委員長が事務局長を兼務して事務局運営の指揮をとってきた。これを引継ぎ、金沢・若草教会員の大杉弘さんが委員長となり、事務局に専従する在京の奉仕者を必要としたためである。
森さんが『支える運動』に携わるようになったのは、10年ほど前になる。当時、東京教区・西南支区長であった金澤勤牧師より、支区の『運動』推進委員として奉仕するため声がかかったことがきっかけであった。それまでは教師の隠退後のことも、教団の年金のことも大きな関心を払ったことがなかった。父である森政雄牧師が隠退後に受けてきた年金のこともあまり意識したことはなかった。
この10年に亘る推進委員としての奉仕は、いわゆる年金の逆ざやが起こってゆくのと重なっている。『運動』としても教団年金制度を支えることにシフトしてゆく中での一推進委員としての奉仕だった。
事務局の責任を担う者として、これまでのように直接、各教会、各地区、各支区、各教区に運動推進を呼びかける奉仕から、それぞれの一線における推進委員の呼びかけに応えて献げられたものを、最も良く用いるための方策を綿密にプランしてゆくこととなる。
『運動』の年間総献金額は7千数百万円になる。しかし、そのもとは教会員一人一人が献げた100円からはじまっている。この総額が一つ一つの小さな献げものの総体であることを忘れないよう、また『運動』本来の精神を忘れないよう、森さんが推進委員として奉仕してきた感覚が生かされるであろう。
6月末には全教区推進委員会が開催される。過年度の報告を行い、今年度の新たな展望を、全国から集う一線の推進委員と共に確認することになる。
- プロテスタント日本伝道150年を記念する日本基督教団は、教団として3つの式典を実行します。
- ★創立記念礼拝
- 6月24日(水)富士見町教会
- ★全国信徒大会
- 11月22日(日)東京山手教会
- ★記念式典
- 11月23日(月)青山学院
- 創立記念礼拝には第2部をもうけ、伝道牧会50年以上の現職の先生方の業に感謝して、表彰式を行うことにいたしました。
- 宣教100年記念大会がNCC主催で実施されたのは1959年でした。その時、すでに牧会や教務教師として第一線に立たれ、2009年の今日まで、立ち続けられている教師に、教団の名で感謝したい、という表彰です。
- 表彰式の文面にも「実に50年の長きにわたって」とありますが、全国の信徒一人ひとりの胸に、ずしんと響く言葉です。
- 準備委員会で協議し始めた時、委員長の私は「該当者は十数名いる筈です」と発言しました。一ヶ月経過の後、事務局から「70名近くいるようです」と聞かされて、絶句しました。斯くの如くに主は憐れみ給いしか、と心の内で主を賛えたものです。
- 該当する教師は、その按手式の誓約のなかで、「なんぢら衷心よりその召命をかしこみ、召されたる召しにかなひて歩み、かつ主の定めと この教会の規範に従ひて正しく神のみことばを宣べ、聖礼典をとり行ひ、訓戒をなし、なんぢらがゆだねられたる人々をねんごろに教え導く事を誓約するか」と問われて、「主の助けによりてかくなさん」と答えて、その歩みを始められ、50年を超えることになったのです。
- 信徒の側から見ると、生命をけずるような伝道、生活をかけるような伝道をされる教師が多くて、信仰の力を、この目で見せていただき、この心に刻み続けることが出来たのです。
- 表彰は、この2つの接点になります。教団総会議長山北宣久の名で出される表彰状は、形は小さくても、教団に属する全信徒の、このような思いが込められています。
- 主の宣教命令以来の教会の歴史は、信仰の喜びであり、現実の苦闘でした。前史を含めてプロテスタント日本伝道の150年も同じでした。ここで伝道の第一線に立つということは、苦闘を負い続ける喜びを示すことになります。
- その意味で、表彰は火花の散るような出来事だと信じています。一枚の表彰状は、万巻の書より重いのです。その背後に、数えきれない祈りが込められているからです。
- 記念の品は、文語訳聖書としました。開巻劈頭の「元始に神 天地を創造りたまへり」を、初めて聴いた日や、初めて説かれた日のことを、想起して戴きたいという思いが込められています。
- プロテスタント伝道200年に向かって、祈りを深くしたいと願っております。
- (小林貞夫報)
歴史を共有する 久世そらち
北海教区は、10年ごとに「長期宣教計画」を策定して歩みを進めてきた。本年度は「第三次長期宣教計画」の6年目にあたる。
この「第三次長期宣教計画」の立案作業にかかわった際、計画の具体的な内容もさることながら、もっとも根本的な課題として考えさせられたのが、「北海教区とは何か」「これらの教会・伝道所が、北海教区として結びあっている根拠はなにか」ということだった。教会の伝統や運営のありかた、信仰生活の強調点や会衆の肖像も、それぞれに異なっている教会が、それでも皆で今ある「北海教区」という個性あるひとつの地域共同体を形成しているのは、いったい何をよりどころとしているのか。議論の中でたどりついたのは、私たちは「北海教区」としての歴史を共有している、ということだった。
教団の創立と共に成立した「北海教区」から、戦後、少なからぬ教会が集団で教団を離脱した際にもあえて残った諸教会が、その後の「北海道特別開拓伝道」の経験をわかちあい、また教区のありかたをめぐってそれぞれの信ずるところに基づいて率直に議論をしながら共同体を形作ってきた歴史が、私たちのすべてを「北海教区」に結び合わせている。
そういう理解が「第三次長期宣教計画」には、異例の長い「前文」として盛り込まれることとなった。
この歴史の上に今の北海教区があり、そしてそれは今もなお書き継がれ続けているのだ。
(北海教区総会議長)
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