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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4689号】クリスマス・メッセージ

2009年12月25日

 

マタイによる福音書11825

その時、インマヌエルを見た  若月健悟

 

洗礼… 会津若松市に生まれ育ったわたしの生活が一変したのは、高校3年生の夏に友人二人と共に教会の門をくぐった時からです。恐る恐る訪れた教会で応対された牧師夫妻は年若く、気さくに話しかけてくださいました。米国人宣教師夫妻が一月間、町に滞在しているので、集会に出てみなさい、と誘われるままに参席したことが、教会生活の始まりでした。わたしが呼びかけ人となり、高校生たちが集まり、小さな礼拝堂が活気にあふれるようになって行きました。

楽しい夏も過ぎ、気がつけば、教会に残ったのは数人の仲間だけでした。同人誌をガリ版印刷して発行するようになり、夜遅く家に帰る日もありました。牧師さんから「教会学校を手伝ってくれ」と頼まれ、深い考えもなく引き受けました。次には、子どもたちに聖書の話をするようにと言われ、冷汗をかきながら子どもたちの前で聖書の話をしたのです。すると、子どもたちが楽しそうに聞いてくれたのが病みつきとなり、何度となく話をするようになりました。

それから5か月が経ち、牧師さんから洗礼を勧められましたが、家族の中でクリスチャンのいないわたしには、それはとても無理なことに思えたのです。ですが、どこからか「神にできないことは何一つない」(ルカによる福音書137節)との天使ガブリエルの言葉が心に響いてきたのです。思い切って受洗準備の時を持ちました。それでも不安は心の片隅にあり、このままで洗礼を受けてよいものかと迷わない日はありませんでした。

クリスマス礼拝前日のことです。わたしは、思いあぐねて友人の家を訪ね、友人とお母さんに、洗礼のことを相談してみました。「大丈夫。家族みんなが反対したら、わたしの家に来なさい。面倒見るから」とのお母さんの言葉に励まされ、本気で洗礼を受けようと、その時、心は定まったのです。家に戻り、夕食後に家族に集まってもらい、洗礼の決心を話しました。家族は皆、真剣な顔でわたしの話を聞き、しばらく沈黙が続きました。兄が口火を切って言いました。「どうせ三日坊主だからな、お前は。すぐに、ヤーメタ、ということになるさ」。姉たちも母も、それもそうだ、と言わんばかりの顔でしたが、反対する者もなく、その場は意外にもあっさりと納まってしまいました。翌朝、真っ白な雪の中のクリスマス礼拝を迎えたのです。

わたしとほぼ同時に教会に通い始めた仲間と共に洗礼式に臨みました。牧師さんがわたしの名前を呼んで、洗礼盤に張った水に手を置き、わたしの頭に乗せた時、滴り落ちた聖水が背中を通って流れて行くのを感じました。その瞬間、深い感動に心が躍り、天使の大群が「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカによる福音書214節)と、わたしたちのため

に大合唱を始めたように感じ取れたのです。本心からこれでよかったと思えました。礼拝後、教会の方から祝福を受けた時、心が熱く燃えたのを今も思い起こします。

 

献身… 牧師さんから将来のことについてわたしの考えを聞かれ、教育者の道を考えていると話しました。「君は、人間を獲る漁師の道はどう思うかね」と、牧師さんはご自分のことについて話し始められたのです。

「牧師の働きは、赤ちゃんからお年寄りまで、全世代にわたって共に生き、一生付き合って行くことなんだ。これは牧師だけの働きだと思うよ」。この言葉に心ひかれ、神さまの御心ならば、と祈り始めました。

同志社大学神学部への道が開け、当初は厳しく反対していた家族も、わたしを京都へと送り出し、励まし支えてくれるようになりました。本当に神さまのなさる御業は不思議に満ちて極めがたいことを幾度となく体験させていただきました。

同志社での6年間の学びを終え、牧師たる者の心得も不十分なまま、ただ情熱だけで、教会へと飛び込んだのです。

幾度となく進むべき道を見失う営みの中で、神さまは時に適ってその道を指し示してくださいました。

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」(マタイによる福音書29節)とあるとおり、御言葉は常にわたしの前に先立って進み、導いてくださったのです。

 

出会い… クリスマス・イヴの礼拝の準備をしていた時のことです。大学病院から電話があり、「一人の患者さんが、是非、賛美歌を聞きたいと希望しているのですが、聞かせていただけますか」とのことでした。丁度、聖歌隊の練習が始まるところでしたので「どうぞ」と返答しました。ストレッチャーに伏した若い女性が、主治医、看護師、ご両親に付き添われて到着し、聖歌隊の賛美に涙を流しながら聞き入っていました。翌年初め、ご両親から相談を受け、娘に洗礼を授けてほしいとの申し出を受けました。ご両親も一緒に洗礼を受けたいとのことでしたので、役員会はそれを承認し、病院での洗礼式に臨みました。

広い個室も、ご両親、主治医、看護師、ソーシャルワーカー、教会役員、そしてわたしで一杯になっていました。賛美歌を歌うことが許され、静かな声で歌い終えてから、わたしはたずねました、「キリストの十字架と復活による罪のゆるしと救いを信じますか」。かすかな声で「信じます」との娘さんの返答、わたしが受けたように、聖水に手をつけ、額に手をおいて感謝の祈りを献げました。すると、聖霊の息吹が部屋一杯に満ち溢れたようにわたしたちの心を満たし、涙がとめどなくあふれてきたのです。「インマヌエル、感謝です」と口を衝いて出た言葉に我に返り、洗礼式も感謝に満たされて終えることができました。

ああ今ここに神の子が新たに誕生したのだ、との確信が与えられ、まことに神我らと共にいますインマヌエルの現実を見せていただいた思いに満たされました。今もそしてこれからもインマヌエルの現実はわたしたちを救いへと招いています。その娘さんは、受洗後、間もなく天に召されましたが、キリストが天と地を一つに結び、共に生きる喜びを証ししていることを思うのです。このクリスマスに、新たなインマヌエルの現実を見せていただきましょう。

(国分寺教会牧師)

 

2009年12月12日

 

「エミちゃんも、今度から礼拝当番、やってね」と言うと、いつものように笑顔で頷いてくれた。

知的障害があるエミちゃんは、3年前に受洗した。毎週の礼拝に出席しており、教会の一員になってもらいましょうと役員会で承認したのである。教会に出席する前は、教会員が運営するグループホームに入居していた。教会から離れており、礼拝に出席できなかったが、牧師が何かと訪問していたので、神様にお祈りする姿勢は持っていた。そのグループホームが閉鎖されたので、教会の近くにある妹夫婦の家に住むようになった。教会が近いので、毎週礼拝に出席するようになったのである。妹さんに書いてもらった自分の名前を、その紙を見ながら一生懸命に、礼拝出席記名簿に記名している。

「お祈りするの」というので、「短くていいんだよ」と言っておいた。礼拝当番は4人が一組になって、受付と席上献金を担当する。順次担当するので、席上献金を担当し、献金感謝のお祈りをすることにもなる。人前ではどうしてもお祈りができない人がいて、その時は礼拝を休むことになり、牧師の連れ合いが代わって担当する。お祈りができなければ、献金感謝の讃美歌をささげることを勧めるが、違和感があるという。

3年前に教会員になっているのに、礼拝当番から外していたことに反省を持ち、「今までお当番をお願いしないで、ごめんね」と詫びる。例によって笑顔で頷いた。

(教団書記 鈴木伸治)

 

 

神の子と呼ばれる道

 

私の第2の人生に神は2つのことを備えて下さった。一つは教会生活に戻る道、もう一つは平和へのささやかな貢献である。

私は3代目のクリスチャンとして、高校2年の時、親友の牧師のご子息と一緒に受洗した。しかし、社会人となってからは教会生活から足が遠のき、パキスタンをはじめ海外生活の合間に一時帰国で帰郷の際、「教会に行きなさいよ」と優しく諭す母への親孝行として、母の背を押して教会に行く程度であった。

1989年、母が召天した時、私はシカゴに赴任していた。たまたま当地で開催されたギデオンの国際大会に、父は母の遺影を持って参加した。母の死はいわば突然であったのに、父は「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と言って神を賛美した。この時の私は父の気持を理解することができなかったが、今は漸く両親の信仰を継承しているとの自覚を持てている。

『「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」この聖句は実に涙が出るほどに有難い御言葉である。神がそう呼んで下さる。人にそう呼ばれるか否かはさして重要ではない。』生涯を平和活動に捧げたあるクリスチャンの言葉である。私は8年前に、国際NGONONVIOLENT PEACE FORCE(非暴力平和隊)」に先立ち、日本で設立された「非暴力平和隊・日本」の創立メンバーとなった。

非暴力活動は、ガンディーの〝平和隊〟の理念を引き継ぎ、アメリカでキング牧師の公民権運動を支えた理念である。非暴力平和隊は更に「政治的立場を取らない」との理念を持つ。和解による紛争の防止と解決に徹し、紛争地域の非暴力平和活動家を支援する。現在、スリランカとミンダナオで活動中である。

非暴力平和隊のメンバーにはキリスト者が多い。勿論、日本では仏教徒もいるが、非暴力で平和を実現しようという目標で皆が結ばれている。非暴力平和の実現への道は、主イエスの教えられた道である。私は、祈りつつ、この道を歩み続けたい。

 

http://www.bp.uccj.or.jp

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『キリストこそ我が救い-日本伝道150年の歩み』日本基督教団日本伝道一五〇年記念行事準備委員会=編 1959年の宣教100年から50年間を教団はどう歩んだのか。日本伝道に大きな足跡を刻むキリスト教学校と社会福祉事業の歩みとは。歴史を振り返り、日本伝道200年に向かって進むべき道を探る。

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『ハガルとサラ、その子どもたち-ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対話への道』Ph・トリブル/L・M・ラッセル=編著 絹川久子=訳 ハガルとサラ、そしてイサクとイシュマエルの物語を、聖書学、ユダヤ教、イスラム教、教父学などの立場から考察。フェミニストの視点で、三宗教間の相互理解と調和への道を模索。*6300

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執り成しの祈りと献身

白正煥(ぺく じょん ふぁん) (用賀教会牧師)

 

牧師になって間もなくのことであった。夏休みを利用して韓国に一時帰省していたとき、姉からこういう話を聞いた。

1970年代前半、私が幼児期を過ごしていた故郷はまだ電気が入っていない山村であった。父は、末娘がまだ生まれて間もない時、病で亡くなり、母一人で農業をしながら5人の子どもたちを育てていた。その家に一人の女性の親戚が泊まりに来た。彼女はキリスト者であった。翌朝、姉が目を覚ましたら、その親戚は一つの部屋で雑魚寝していた子どもたちを見ながら涙声で執り成しの祈りを祈っていたそうだ。この家族に日用の糧を与えてください、またこの子どもたちの中から主の僕が生まれますように、と。

姉は牧師になった私の姿を見て、長年忘れていたあの時の情景がふっと浮かんで来たのであろう。

私が自らの言葉で献身の祈りを献げたのは高校2年生の冬休みの時であった。高校生会のリーダーをしていた私は、指導先生の助言もあって、同学年の仲間たちとほぼ毎週、土曜日の夜に教会で祈祷会を持っていた。そんなある日の祈祷会、その時もいつもと変わらず、それぞれの祈祷主題を出し合い、それを皆で祈った後、個々人の自由な祈りの時に入った。教育館の片隅の方に移動し、友だちには聞こえないように小さな声で祈っていた。その祈りの中で私は自分の口から出る言葉にびっくりし、祈祷を中断した。自分の口から献身の言葉を祈りとして献げていたからである。それまで教会生活には熱心だったけど、献身して伝道者となることは一度も考えたことがなかった。そんな自分が何でこういう祈りをしているのか。全く不思議であり、驚きであった。しかし、その日以来、「献身」という思いは片時も心から離れることはなかった。

白さんは日本が宣教地ですよ。そのために祈っていますから」という言葉を聞くようになったのは、日本に来て2年ほど経った時からであった。当時通っていた韓国人たちが集まる教会で、そう言われた。何人かの人からしばしば。でも私の心の中では「日本」という国において伝道者となる思いは一切なかった。

そもそも日本に来るきっかけになったのは、私の父母が日本で出会って結婚し、韓国に渡ったこと、在日韓国人であった母の実家が日本であり、幼い時から日本にいる叔父たちとの交流を通して、「日本」に対する漠然とした憧憬があったからである。しかし、いざ日本での生活を始めた私は2年が経つ頃には日本に対する愛着を殆ど失っていた。

そんな私にとっては日本で伝道者となるとは考えもしなかったことであった。当然、周囲の人々が「日本が宣教地ですよ」という言葉も心に響いて来なかった。この「日本」という国と、「日本人」という国民を愛する心がなかったからである。そんな私がいつからか分からないが、周囲の人々の煩さもあって、神様の御心が「日本」であるならば、愛する心を与えてください、それがなければできませんと祈るようになっていた。そして韓国ではノンクリスチャンであった家族の反対でできなかった神学校への入学が日本で叶えられた。

韓国のキリスト者はよく祈ると言われている。言われている通りである。しかし、その祈りは大半が執り成しの祈りである。自分のことも祈るが、執り成しの祈りが圧倒的に多い。私の場合、自分の口で献身の祈りを献げる十数年も前に、愛する親族を思い、心から祈ってくれた一人のキリスト者がいた。日本で伝道者として歩むようになった背後にも執り成しの祈りがあることは言うまでもない。

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