地の塩 世の光- 教会の肢としての明日の宣教を担う-マタイによる福音書を学びつつ
長い月日をかけて、祈りつつ周到な準備がなされ、また、待望されてきた『全国教会婦人会連合40周年全国集会』が、6月2日(火)~3日(水)、幕張メッセ国際会議場を会場にして開催された。
主題は、「地の塩 世の光-教会の肢として明日の宣教を担う- マタイによる福音書を学びつつ」。
2日11時30分の受け付け開始と共に、続々と人が集まり、13時、開会礼拝が始まった時には、既に広い会場に人が溢れんばかりだった。
出席者は1,200余名と発表された。閉会礼拝時に司式・聖餐式・辻順子牧師(下谷教会)、説教・横山ゆずり牧師(半田教会)によって守られた聖餐礼拝には、「胸が一杯になって、涙がこぼれた」という、会衆の声が聞こえてきた。数が絶対ではないと言うものの、圧倒的な迫力であった。それでも、30周年、20周年時よりは遙かに少ないという。
出席者名簿を見ると、東京、西東京、関東など近隣教区からの出席が多いのは当然として、北海(27名)、奥羽(38名)、四国(65名)と、遠隔の地からも、少なくない出席者があった。九州(5名)、沖縄(10名)からも参加が得られた。…数字は何れも名簿による。
「地の塩 世の光として生きる」と題した開会礼拝説教で、篠浦千史牧師(さや教会)は、「なりたいでも、なれるでも、なければならないでもなく、『あなたがたは地の塩・世の光である』」と語られている点に着目して、説得力豊かで慰めと励ましに満ちたメッセージを語った。
主題講演に当たったのは、焼山満里子東京神学大学講師、講師の思想信条を披瀝するのではなく、外連味なく、淡々と、聖書が述べるところを取り次いだ。
山北宣久教団議長は、来賓挨拶で「正典的聖書解釈」に触れ、その姿勢と歴史を大いに評価したが、なるほどと肯かせる主題講演であった。
因みに、山北議長は、婦人会連合の40周年と、大いに議論になっている「荒野の40年」とを重ね合わせ、「『荒野の40年』の困難な時代を教会婦人の健全な信仰が守り、支えた」と、感謝を述べた。
続くプログラムは、「私の発言」、8名の教会婦人が、それぞれの掛け替えのない信仰的体験を証しした。
他にも、連合アワーでは「40年の歩み」を始め、連合の活動の概要が紹介され、5つに分かれた分科会では、3時間を取り、課題・主題について話し合い、学びを深めた。
「祈りの花束」と名付けられた讃美の時も持たれた。
また、引き続き、第17回全国牧師夫人の会が、6月3日~4日、鴨川グランドホテルに会場を移して開催された。全国集会の主題を継承し、交わりと懇談を中心とした恵まれたプログラムを与えられた。
(新報編集部報)
①4676号、京都教区総会報告記事の常置委員選挙結果、竹ヶ原正輝を、竹ヶ原政輝に、お詫びして訂正致します。
②4676号、大阪教区総会報告記事の常置委員選挙結果、【信徒】の欄に、大きな間違いがありました。正しくは、以下の通りです。山田淳子(大阪聖和)、鎌田英子(玉出)、東谷誠(いずみ)、田口省三(豊中)、山崎喜美子(愛隣)、糸本資(石津)、江本義一(茨木東)、楠原道温(茨木)
※江本義一氏のお名前が抜けており、また、次点者4名を記してしまいました。
お詫びして訂正致します。関係者の方々に、大変ご迷惑をお掛けしました。
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導きだと信じて 宗 保子(松江教会牧師)
1973年頃、北九州復興教会が曽根に教会を建てようというビジョンのもとに曽根の一斉戸別訪問を始めました。その時に私(保子)の家も訪問を受けました。先ずは家庭集会へのお誘いでした。
故郷に教会が建つというその幻に惹かれて私は他教会員ではありましたが出掛けて行きました。集会に通う内にその家の方からクリスチャンの青年を紹介されました。彼が夫(盛興)です。やがて曽根に教会が誕生しました。私たちも結婚し、3人の子どもを授かり北九州復興教会で教会生活を送っていました。同じ世代の若ホームの交わりを通して親も子も信仰生活を励まされてきました。
夫が40歳になった時、喘息を患い、失業と入退院を繰り返す日々が続き夫婦は険悪ムードになってきたのです。牧師ご夫妻にも度々相談に乗って頂きました。ある日牧師は夫に献身を考えたことはありませんかと問われました。夫は、実は一年前夏期聖会に出席した時に、もし病気が癒されるなら献身しますという献身表明をしたと答えていました。傍で聞いていて私にはその献身表明が真剣な決意のようには思えませんでした。
年が明けて新年の晴々とした外から一歩家に帰ると家庭の暗く沈痛な状況に対面せざるを得ません、逃げて通ることが出来なくなったのです。主にすがるしかないと祈りました。「主よ私たちはどうすれば良いでしょうか、今日の聖書の箇所からどうぞ教えてください」と助けを求めました。日課としていたその日の箇所はイエス様が荒野で誘惑を受けられたところでした。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(マタイ4・4)。夫も就職口を探していましたがなかなか見つかりません。それはパンを得るためでした。しかし人はパンだけで生きるものではない、もっと大事なものがあると教えています、それは神の言葉です。人が生きるために無くてならないものは神の言葉であると書かれています。では神の言葉のために働く人も必要ではありませんか。「神の言葉のために働く人が必要だ、あなたの夫には神の言葉のために働く道がある」と主がお示し下さったのです。
導きだと信じて早速夫に話して聖書学校に行くことを勧めました。その後、夫にも御言葉が与えられました「わたしはイスラエルの人々のうちにあって聖別されたものである」(レビ記22・32)の御言葉です。自分は喘息患者となったけれど、この病気を通して神がご計画を持っておられる。それは自分一人の問題ではない。神が聖とされなければならない、そのご計画の中で、主よ用いたまえという新たな献身への思いに導かれたそうです。
私たちは模範となるようなクリスチャン夫婦でもなく、破れの多い者、子どもたちにも大切な時期でしたから、献身には反対意見もありました。しかし主が示して下さった道だと信じて歩み出しました。送り出して下さった母教会にも、教師として迎えて下さった松江教会にも、共に今日まで祈られ支えられてきたことを深く感謝しています。盛興牧師は1996年に松江に赴任して以来、健康も支えられています。教会の御用の他に活動範囲も広まり教誨師としても、また若い時から学んできた中国語を生かしたボランティアも行っています。
私も2000年にCコースで教職とさせて頂きました。小さな者ですが分区内での聖餐式応援や、無牧の教会の代務者としての奉仕もさせて頂くようになりました。
今後も主のご用命であればすべては神がなさることを信じ委ねて、お仕えして行こうと思っています。
吉岡英世氏(隠退教師)
3月16日、逝去。80歳。京都府に生まれる。’57年同志社大学神学部大学院卒業後、新宮教会に赴任。播磨新宮、加古川東、大崎、新発田、帯広、新得の各教会を経て、’91年から琴似中央通教会を牧会し、’96年隠退した。遺族は、妻・吉岡みち子さん。
澤 東吾氏(隠退教師)
3月22日、逝去。 90歳。愛知県に生まれる。’41年、明治学院卒業。’50年、横浜大岡教会に赴任、’92年に隠退するまで42年間にわたって牧会した。遺族は、妻・澤妙子さん。
石田 孝氏(浜坂教会主任担任教師)
3月31日、逝去。76歳。大阪府に生まれる。’59年、同志社大学神学部大学院卒業後、伊丹教会に赴任、福岡警固、伊丹、交野、高石の各教会を経て、’93年から浜坂教会を牧会した。遺族は、妻・石田悦子さん。
山田 忠氏(隠退教師)
4月10日、逝去。83歳。愛知県に生まれる。’53年日本基督教神学専門学校卒業後、高知教会に赴任。洗足、長崎古町、門司、池袋西の各教会を経て、上地教会を牧会し、’97年隠退。遺族は、妻・山田怜子さん。
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