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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4715号】懸案の救援対策基金設置を議決

2011年1月19日

 

本常議員会の最後に、議長提案による議事第23号「救援対策基金設置に関する件」が上程された。

提案理由として議案書には3点が記された。①大規模自然災害に対し、その都度救援金を募ってきたが、災害の頻発する中で、教団として速やかに救援体制を作る必要が求められている。②第35回教団総会で兵庫教区総会より提案され、可決された第37号議案「いのちと暮らし、生存を脅かす自然災害の発生に備える件」の内容を早期の実行に移したい。③従来の「教団事務局規定細則第3条から5条」と並行して「救援対策基金に関する運用規定」を設置し、災害発生時の救援の初動にさらに対応できるよう取り組む。

さらに補足説明として内藤留幸総幹事より、上述の内容に加え、本議案が「阪神淡路大震災救援資金(第2次募金)」残金使途に関わる提案であることから、その返金に関する兵庫教区との対応の経緯についても説明された。

議案審議では「運用規定(補則)第7条」で「この基金は、『阪神淡路大震災救援資金(第2次募金)』の内、その役割を終えたものからの6000万円と、関東教区からの『新潟中越沖地震救援募金』の残金繰り入れの申し出を受けてスタートする。」と記されている点を巡り、議論が集中した。

「記載の表現では、被災の当該教区との協議によって募金残金の使途を決したように解釈されかねず、趣旨が不明になる」との懸念や、「常議員会で終了が既に決議されているのに、未だ残金の返還がない理由について兵庫教区の見解を尋ねたいが、なぜ教区議長・三役の誰も出席していないのか」等の意見が述べられた。また予算決算委員会の立場から「金額が明記されるなら、確実に執行権者の手元になければならない」との指摘もなされた。

兵庫教区との対応について質問された内藤総幹事は、正式な会議決定ではないと断りつつ、「議案が決議されたら、兵庫教区は6000万円を返還することになっている」と答弁した。

議決の可否をめぐっては、総幹事の「拙速は避けたい」との発言を受けて一方で継続を求める声が上がり、他方では「災害発生は予測不能なだけに一刻も早く議決すべき」との強い意見が疋田國磨呂関東教区議長はじめ複数から表明された。

議案の扱いについて、岡本知之副議長はまず採決の動議を諮り、賛成多数で採決が承認された。この時点で2つの修正案、「基金は2000万円をもってスタートする。運用規定は2011年4月1日から実施する」との北紀吉常議員案と「運用規定(補則)第7条は提案理由のなお書きにする」との大杉弘常議員案が提出された。採決の結果、修正案はいずれも少数否決、原案が賛成多数により可決された。

(松本周報)

 

閉塞打開へ具体的方策提言

常議員会への委託となった第37回教団総会議案37号「伝道方策検討委員会を設置する件」が、常議員会議事第22号として上程された。

提案者は、総会と同じく鈴木功男常議員。「教勢の長期低迷傾向にある中で、日本基督教団として伝道について検討し、当面の具体的な方策を提言するため、伝道方策検討委員会を設置する」が、議案の内容であり、下記(抜粋)のように提案理由が述べられた。

また、客観的説得力を持つ付録の図表「日本基督教団教勢資料」「数字で見る日本基督教団の姿・受洗統計、財務統計」によって、教勢の厳しい現状と、近未来予測が語られた。

提案理由1では、次のように非常に厳しい言葉で、切羽詰まった現況の打破が訴えられた。

いわゆる教団紛争で「伝道」が死語とされ、教団は「荒野の40年」を歩むこととなった。その結果、受洗者は減り、財務を含めた教会の体力は弱まっており、このまま推移させてはならない。この間、プロテスタント他教会には応分の成長をとげたところが多いのを見ても、伝道の怠慢を主に懺悔しなくてはならない。

提案理由2では、教団の各委員会等で現状分析と将来予想がなされ危機感を共有していることが指摘され、「この機を逃してはならない」とした。

提案理由3では、数字が雄弁に語る危機を克服するためには、「教団をあげて伝道の方策を練り、体制を整え、試みを共有していくための中心点として、伝道を特別に検討する委員会はどうしても必要である」と強調した。

提案理由4では、既存の伝道委員会の活動の現状に触れ、「伝道委員会には従来の申し送り事項をしばらく堅持する必要がある」ので、「教団が新しい伝道体制を模索するためには、このことを集中的に扱う特別委員会を速やかに設置する必要がある」と訴えた。

審議に入り間もなく、小林貞夫常議員が、「伝道方策委員会設置について、伝道そのものについて全常議員の発言を求める」と提案した。これが認められ、ここから膨大な時間を費やして、新委員会設置の是非に留まらず、むしろもっと大きい視野での「伝道についてのビジョン」が語られることとなった。

別掲記事(3面)のように、全常議員、出席の全教区議長、要請陪席の諸委員会委員長が、一人ひとり、常のような時間的制約もなく、5時間以上にわたりその思いを語った。

全数連記の投票によって誕生した常議員会であることを危惧する声は小さいものではなかった。しかし少なくとも、この議論では意外な程に、それぞれの教会が置かれた状況・立場などを踏まえた多様な考え方が述べられた。ただ、伝道への情熱、何らかの緊急な手当が必要だということでは、陪席も含めほぼ全員の意見が一致していた。

結果、各論ではいろいろと懸念も表明されたにも拘わらず、「伝道方策検討委員会を設置する件」は、全員の賛成で可決された。

《委員》招集者・北紀吉(愛宕町)、岡村恒(大阪)、張田眞(鳥居坂)、米倉美佐男(札幌)、鈴木功男(目白)、岡田義信(田園調布)、伝道委員会より推薦者1名。

《職務陪席》岡本知之副議長。

(新報編集部報)

 

 

使徒言行録19章18~20節

主の言葉が勢いよく広まる 石橋秀雄

驚くほどの恵みの中で

昨年12月16日映画配給会社プレシディオからDVDと原稿依頼が送られてきた。DVDには「アメイジング・グレイス」(2006年イギリス映画)とあり、マスコミ用資料としてジョン・ニュートンについて書いて欲しいとのことであった。

アメイジング・グレイスが今年3月に全国の映画会社から公開される。

この映画の主人公は「奴隷貿易禁止法案」を成立させるために信仰をもって闘ったウイリアム・ウィルバーホースである。この闘いをジョン・ニュートン牧師が支える。ニュートンの青年時代は挫折と転落の人生であり、その救いの体験は難波船の中で、必死に祈り、死の危機から救われたことによる。その後、奴隷貿易船の船長になる。

このならず者、償い切れない罪を犯した者を、罪の中に捨てられた者を、主は見出し救ってくださった。神の驚くべき恵みが歌われる。まさに、アメイジング・グレイスだ、驚くべき恵みだ。

映画の中で、ニュートンは視力が落ち、記憶が薄れ、人生の終わりが近い中で、「すべてを忘れても決して忘れられない2つのことがある。それは、私が罪人であり、キリストは救い主であるということだ」と告白する場面がある。

この映画は伝道の映画だと感銘を受け原稿を書くことにした。

伝道とは

この驚くべき恵みをパウロはエフェソのティラノの講堂で毎日論じた。

「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれ、ギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」

(使徒言行録19章10節)

エフェソの人々は、貴重な昼休みに、講堂にやってきて、熱心に福音を聞いた。

「パウロは熱心に語り、人々は熱心に聞いた」ここで多くの人々が悔い改めた。

使徒言行録が示す伝道とは、「悔い改め」を起こさせることだ。

エフェソの人々はパウロが語る「驚くべき主の恵み」を知らされた時、罪の告白をしている。

「自分たちの悪行をはっきり告白した」(同18節)

彼らは罪から解放された。そして、同時に自由にされたのだ。

エフェソの町は魔術が盛んな町であった。

パウロの福音を聞いた人々は「その悪行をはっきり告白」して魔術を捨てた。自分の生活の中心であった魔術の書物を、悔い改めて捨てて燃やした。

「その値段を見積もってみると、銀貨5万枚にもなった」(同19節)

魔術の書物は高価であった。銀貨5万枚は、膨大なこの世の価値を示している。この世の価値・書物が燃やされた。

魔術がエフェソの人々の生活の中心にあるということは、同時に生活の不安、その不安を魔術の本に頼って克服しようとしていたということになる。

今まで生活の中心にあり、人々の心を縛っていた。この魔術から、人々は解放された。

生ける神の御言葉の力は人々の生活を変える。

魔術から、迷信から、わたしたちを縛るあらゆる苦悩から自由にする。

主の言葉が勢いよく

「このようにして、主の御言葉はますますい勢いよく広まり、力を増していった」(同20節)

パウロではなく、人間の言葉ではなく、主の言葉が、「十字架と復活の主イエスの言葉が、ますます、勢いよく広まり、力を増した」のだ。

御言葉が熱心に語られ、御言葉が熱心に聞かれ、神への讃美が高らかに歌われる礼拝が捧げられる。この礼拝で熱くされた信徒が、熱心に証しをし、熱心に伝道する教会でありたい。

そして、日本基督教団において「主の御言葉がますます勢いよく広まり、力を増した」と語りえる「伝道する教団」になっていきたい。

心から願い、祈る。

(第37総会期教団総会議長、越谷教会牧師)

 

 

第37総会期第1回常議員会は、何重もの意味で画期的なものとなった。 先ず、陪席・傍聴者の野次が全くと言って良いほど無かった。いったい何十年ぶりのことなのだろう。次に要求陪席をなくし、教規に合わせて傍聴とした。これは会議制の回復という観点からは些末な変化ではない。何よりも、2日間の会議の大半を直接「伝道そのものを巡る」議論に充てた。しかし一方で、全数連記の投票によって誕生した常議委員会構成を危惧・批判する声は高い。真価が問われるのは今後のことだ。

 

第37総会期第1回常議員会が、12月20~21日、教団会議室で開催された。

冒頭、第37総会期常議員会の運営についての懇談において、石橋秀雄議長は「伝道する教団への変革を共有したのが第37総会」と述べ「教団に伝道2百年はあるのかという危機感を持たざるを得ない。伝道に熱くなる教団を目指したい」との所信を表明した。

沖縄教区との関係をめぐっては「可能ならば、早々に沖縄を訪問したい」との希望が述べられた。常議員会の具体的運営については「教憲・教規に則った運営を貫きたい。要求陪席という慣習は教規にないことなので、今後は傍聴として扱いたい」との方針が示された。

この件では「紛争後の大きな転換点。議決を以て確認するべき」との意見が出た一方「教規に則った運営に回帰するのだから議決は必要ない」との見解も出されたが「陪席者に関する件」の議事において確認することとなった。

その他「今総会期、北村慈郎元教師の問題に触れずにいくのか。聖餐執行を巡る諸問題は終わっていない。伝道と関わっている」「教団信仰告白に堅く立つことを再確認したい」「審議未了廃案となった39号議案について、内容の意味するところは重い。今総会期常議員会で深めるべき」「伝道所問題は、議長が率先して道を開いて欲しい」「教区の多様化、温度差の問題。教団が教区を置くということを確認したい」などの意見が相次いだ。

尚、会議を礼拝で始めるべきとの要望が出され、次回より実施することとなった。

議事第1号「陪席者に関する件」では「要求陪席は教規上存在しないので認めない。傍聴は教団所属の教師と信徒に限定し、事務局に届け出の上、議場の承認を必要とする。資料等は配布しない」ことが確認された。

議事第3号「第37回教団総会に関する件」では、壇上への詰め寄りによる議事妨害と京都教区議員有志の退席問題について「退席する自由と権利はある。しかしその後も留まり続け、横断幕によるパフォーマンス等、議場を侮辱するやり方は許されない。議員資格のない者が議席に留まり続けた件も同様である」「京都教区の議員たちはフリー聖餐執行を表明するゼッケンをつけてアピールしていた。そのままでは北村氏との整合性がとれない」などの意見が述べられた。

その他「無断での印刷物配布や議場での動画撮影とネット流出の問題に対処すべき」、傍聴席の状況について「ヤジと『怒』と書かれた紙を持ったパフォーマンスはエスカレートしていき、議場の声が聞こえないほどひどかった」「聖餐を侮辱する行為があり、注意した者に暴力がふるわれた。今後傍聴を認めないなど、毅然とした態度で臨んで欲しい」等の指摘があった。

議事第5号「総幹事報告」では、主に内外諸教会との関係、兵庫教区訪問について、北村慈郎氏による東京地裁への地位保全の申し立てに対する教団の対応について質疑が集中した。特に、北村氏の申し立てについては、教団側は代理人の弁護士を立てて、総務幹事を中心に対応にあたっていることが報告された。

議事第6号「常任常議員選出の件」は、議長推薦により、藤掛順一、大村栄、長崎哲夫、高橋潤、岡田義信、望月克仁、小林貞夫の各常議員が選出された。

議事第7号「幹事任用に関する件」は原案通り承認。第8号「常設委員、常設専門委員」、第9号「宣教研究所委員」の各選任に関する件は、選考委員会提案の原案通り承認。その他についても、別記の通り委員等が選出された。

第19号「春季教師検定合格者」、第20号「キリスト教教育主事認定試験合格者」の各承認に関する件は三役一任。第21号「部落解放センター規約変更」は、今総会期の運営委員会選出を待って、継続となった。

(林牧人報)

2010年12月20日

by Jin’nouchi Taizo, pastor
Tobi Church, Nishi Tokyo District
Professional Musician
It was the Christmas season. With church concerts and other responsibilities, I was busy going back and forth between Yamaguchi and Fukuoka prefectures. In the midst of these activities came a request from a pastor who was serving as a prison chaplain. “When you have an opening in your schedule, could you come as a volunteer and sing at our prison? Please help us.”
It just so happened that I was on my way from one place to another at that time and was able to stop at Yamaguchi Prison on my way. Since I am from Yamaguchi, I knew of the prison, but this was the first time I had gone inside. It was a Christmas program, and the prisoners who wanted to were allowed to attend. A street performer and I were the entertainment.
I asked the chaplain if it would be all right to have the prisoners sing with me and keep the rhythm by clapping their hands. I was told that when such requests are made before performances, they are sometimes refused. I guess that is because music can raise people’s emotions. But then he said, “However, Pastor Jin’nouchi, if while you are singing it seems natural to ask the prisoners to sing along with you or to ask them to clap in rhythm, I think that would be permissible.” This response, however, did leave me a bit uneasy.
Close to 500 prisoners gathered that day in the gymnasium. To be honest, when I first stood on the stage, I was a bit intimidated. Everyone’s head was shaved, and everyone was wearing a gray work uniform. I felt “frozen,” like a deer caught in a car’s headlights.
Since I had been raised in Yamaguchi, I even imagined someone I might know calling, “Hey, Jin’nouchi!” My mind was racing, and I was off to a poor start. However, after I had sung a few songs, I noticed that instead of the prisoners staring at me with folded arms, they were enjoying the music. It seemed that everyone had that same kind of facial expression, and I could sense an overflow of warmth and emotion.
“Hey, if you like, why not sing with me? Let me hear the rhythm with your hands, and let’s have a good time!” I asked for requests. When that happened, everyone smiled and participated. Just imagine 500 adult men singing together and keeping perfect rhythm by clapping. With all that energy, I was overwhelmed on the stage. It felt so good, and I sang my heart out.
Then I noticed some strange movement beyond the crowd of prisoners. The prisoners were not noticing it, but the guards seemed to be moving into a defensive position. I could see this happening from the stage. Suddenly I began to wonder if the enthusiastic response to our concert was causing concern. The two groups were certainly focused on different things, but that was how much energy and excitement were in the gymnasium that night.
Afterwards, I received letters from some of the prisoners, and it was a priceless experience for all of us. If another situation like this arises, I hope to respond. These are the times in which we live. But at least at Christmas, when so many people are dealing with cold, pain, sadness, and loneliness, I pray that we can make it a season when they can feel warmth, hope, and light. (Tr. JS)
–From Shinto no Tomo (Believers’ Friend)
 あるクリスマス。僕は音楽の仕事やチャーチコンサートなどで、山口と福岡をウロウロするというスケジュールがありました。そこに教誨師をなさっている牧師さんから連絡がありました。
 「スケジュールの合間で、ボランティアで刑務所に歌を歌いに来て下さいませんか?ぜひお願いします!」
 ちょうどその日は移動日だったので行くことにしました。場所は山口刑務所。もちろん出身地ですからそこに刑務所があるのは知っていましたけれど、もちろん中に入るのは初めてです!希望者を募ってクリスマス集会をするということで、大道芸をなさる方と僕の歌というのが出し物でした。
 「受刑者の方々と一緒に歌を歌ったり、手拍子してもらったりとか、そういうのは大丈夫ですか?」
 牧師さんに聞いてみました。やはり事前に律儀にそういうことを申請すると「ダメ」と言われることがあるそうです。音楽は気分が高揚したりするからでしょうか。「でも、陣内さんが歌っていて、思わず『一緒に歌いましょう?』とか『手拍子を!』なんてことになれば、まぁ許してもらえるのではないでしょうか?」ちょっと不安になる答えでしたけれど(笑)、その日は体育館に500名近い受刑者の方々が集まって下さいました。最初にステージに立った時は正直少々ビビリました。全員丸坊主で全員灰色の作業服。迫力がないわけはありません。何だか睨まれているカエルの気分。それに地元でもあります。「じんのうちぃ?」
 小声で呼ぶ知り合いがいるかも…、と余計なことばかり考えて空回りしている自分がいました。でも何曲か歌っていくうちに、見ると、腕を組んでこちらの顔色を窺っているように思えた受刑者の方々も少しずつノッてきてくれています。まるで全員が同じ顔に見えていたのが、各々の豊かな表情が身近に感じられてきました。
 「あの、良かったら僕と一緒に歌いませんか?手拍子で盛り上がりましょう。」例のリクエストをしてみました。するとどうでしょう、皆さんすごい笑顔で参加して下さいました。想像してみて下さい。500名成人男子の歌声!一糸乱れぬ手拍子!その大迫力たるや、ステージ上の僕は圧倒されました。嬉しくなった僕は益々歌いまくったのです。ん?何だか妙な動きが視界に入ります。受刑者の方々には見えていないですけれど、体育館の後ろで眺めていた刑務官の方々が耳打ちと目配せをし、なんと、静かに四隅に移動していくではないですか。つまり軽い警戒(監視)態勢になったんです!ステージ上の僕側からはその様子が見えるわけです。へえ?。自分が良いことしてるのか、迷惑かけてんのか、何だか分からなくなりました(笑)。なるほど色々な気遣いがあるものです。それ程の盛り上がりだったという感じでした。
 後日、受刑者の方からお手紙を頂いたり、とにかく貴重な経験でした。機会があればまたこういうシチュエーションにも応えたいなと思っています。
 こんな時代です。せめてクリスマスには、寒さや痛みや悲しみや寂しさ、そういったものを抱えた方々が、ほんの少しでも温もりや希望や光を感じる季節になればいいなと祈ります。
(陣内大蔵)東美教会牧師(西東京教区) (信徒の友)

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