ルカによる福音書4章40~44節
神の国の福音を告げる 山北宣久
混沌を神の秩序に
新年にまず聖書を手にする。
その最初に目にするみ言葉、それは創世記 1 章。 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
改めて深い思いに満たされ「初めに」立ち帰らせつつ新たに遣わされる決意に至らしめられる。
この聖句に日本基督教団を重ねた先人がいる。北森嘉蔵牧師である。「教会制度の確立」という本の中でこう語った。
「教団のことを考えるようになって創世記一章一~二の御言葉は身につまされ実感させられている。教団は神のつくられた教会だと信じている。しかし闇と混沌とが無くなってはいない。天地創造のあとに闇と混沌とがある。
問題は闇と混沌を現状肯定するのではなく、混沌を神の秩序にもたらすことである。」(前掲本 1 4 6 頁)
神の秩序
では神の秩序とは何であろうか。それは今日教団の聖書日課たる箇所に明確に記されている。 「神の国の福音を告げ知らせなければならない。」ということだ。(ルカ4章43節)
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」との主イエスの教えのもとに生かされて生きる私たちは「神の国」と「神の義」の楕円を描きつつ、教会を形成することをもって神の秩序をもたらすのである。
その「神の国」とは「神が支配しているという事実、神の支配が貫徹している生きた状態」と私たちは受止めている。
この神の国は静的なものではなく、動的な、ダイナミックな状況でとらえられるものだ。主ご自身、同じルカ福音書の中でこう語られたと記されている。
「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(11章20節)
従って、神の国というのは、人間による人間の支配が打ち破られ、神様の愛だけが支配する状態といって良いであろう。
動と静
神の国は動的、ダイナミックなものであって静的な世界でないと語ったが、その動的なものに与るために静的世界に入り、そこを通過することは必須である。このバランスは大切だ。
42節にはこうある。
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。」動的に立ち向かう時こそ退くことが必要だ。
すり切れるような日々の歩みを目に見えない神との交わりによって取戻して行かれた主イエスの姿において教団の教会の、そして私たちのあるべき姿を示されるではないか。
ジョン・ウェスレーはいみじくも語った。
「神との交わりを持ち、信仰の木が下に伸びて行くなら、上に伸びる部分についてあまり心配しなくてもよい。下に成長するとともに上にも成長するから。」
三つの働き
人里離れた所にて神との交わりに力を得て激しい歩みを展開された主イエスは三つの働きを使命・命の使い方とされたことが分かる。「いやされた」(40節)、「福音を告げ知らせ」(43節)、「宣教された」(口語訳「教えを説かれた」)(44節)
病のいやし、福音の宣べ伝え、教えを説く、つまり奉仕、伝道、教育を福音宣教の内容とし、それを教団、教会の使命としてきた。
この三つはまさに三位一体である。つまり宣べ伝えるということの中にいやし、教えるということがある。教育的伝道、医療伝道というふうに、すべての業が福音伝道、つまり神の愛による支配、神の国の福音を告げ知らせ、混沌を神の秩序にもたらすことにするのである。
私あっての主
42節の後半に「群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。」とある。
なるほど人々はイエスと一緒に居続けたいと思った。自分の所に主イエスを何とかとめておきたいと思った。
しかし、それは病のいやしという自分たちの利益のためだけであった。
イエスを利用してまで自分の幸福を確保しておきたいという自己中心性をはしなくもあらわしているが、その点をはっきりさせるために主は言われた。
「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」
神共にいますという神の国の福音はいつも、いつでも、誰にでも伝えられなくてはならない。
生に於ても、死に於てこそ神の愛の支配はあらゆる人にも及び、死と滅びより導き出す。
このことをこそ宣べ伝える、伝道していく、このことにあって、いやしも教えも意味を持つこととなるのだ。
伝道から切り離された教育、神の愛を伝えることを目指さないいやしや奉仕の業は永続性をもたない、このことを主は明確にされる。であるからして主はいやしをなされるにしても、神の愛の発露、そうせざるを得ないゆえにという熱き心のあらわれとしてそれをなした。そのことは40節の後半の言葉からも充分に伺い知ることができる。
「イエスは一人一人に手を置いていやされた。」
いろいろな病気に悩む沢山の病人を一挙にいやしたとは書かれていない。その一人一人に手を置いたのである。
群衆、集団を相手にして行かれた主イエスは、その中にいる一人一人を大切にし、丁寧に相対された。
キルケゴールは「五千人の給食」に触れて「主は五千人を一度に愛したのではなく、一人を五千回愛したのだ」と言った。
一人一人を受容れ愛する、それが福音的ということだろう。
神の国を告げる
主イエスはこうして神の国の福音を告げ知らせることを使命としておられたことが明確にされる。
そして主に従う教団は主の使命を我が使命としていく。人間の力による支配があらゆる領域を圧しているやに思える中で、神の支配としての神の国を告げ知らせていく教団、そして教会でありたい。
「日本のゆくえ」との題で矢内原忠雄は語った。
「雑草に押しつぶされないで、雑草が亡んだあとに萌え出る。そこに美しい春の山、春の野が現出する。こういうのが神の国の地上における形成課程の方式である。終りの希望をもってしっかり生きていきたい」。
かくありたい。
(教団総会議長・ 聖ヶ丘教会牧師)
日本プロテスタント伝道150年は多くの恵みを残して終ろうとしている。
最後の記念式典であった11月22日の「日本伝道150年記念信徒大会」、翌23日の日本基督教団としての「記念大会」後日詳しく報告されるであろうが、盛会そのものであった。
6月24日の教団創立記念日の集会を含めて語り継がれるであろう豊かな内容であった。記念委員の奉仕を多としたい。
150年集会反対の強い理由にあったベッテルハイム宣教師の働きをどの集会でも覚えたし、超教派のレベルでも163年の意味をも記憶しつつ課題を共有しえたことは感謝であった。
今回改めて自覚させられたことは、教勢的に最も低い状況でこの記念の年を刻んでいること、そしてそれ故に伝道の使命に一丸となってあたっていかねばならないということであった。
50年前は現住会員10名で1人の受洗者を生んでいた。現在では80名で1人である。
いかに伝道力が落ちているかが分からせられる数字だ。
対策会議や協議会も必要であろうが、何よりも一人一人が今回の主題にある「キリストこそ我が救い」という信仰に徹することである。そしてその告白に裏打ちされた証しを多様に展開していくしかない。
多くの参会者が与えられた感謝以上に、信仰の喜び、熱気が充満していたことがうれしい。
(教団議長 山北宣久)
◆「兵庫県南部大地震記念の日」追悼礼拝
◎時=2010年1月17日(日)午後6時
◎所=日本基督教団 神戸教会
◎主催・問合せ=兵庫教区℡078-856-6817-4127
◎メッセージ=「震災15年~ささやかな関わりの中で感じたこと」 穂積修司牧師(播磨新宮教会)
◆第7回「農」に関する協議会開催
◎時 2010年2月22日(月)14時~
23日(火)11時30分
◎所 アジア学院
◎講演 菊地 創氏(西那須野教会員、
元アジア学院職員)
◎発題 長嶋 清氏(西那須野教会員、
元アジア学院職員)、
大津健一氏(アジア学院校長)
◎アジア学院見学、アジア学院の農作業に参加
◎費用 教区推薦
(交通費、宿泊費伝道委員会負担)
自主参加
(実費自己負担)
◎申込・問合せ
教団伝道委員会(℡03-3202-0544)
昨年末は派遣切りにあった派遣労働者が日比谷公園に急遽設営された年越し村で新年を迎えました。今年の労働環境は昨年より一層悪く、派遣労働者だけでなく正規労働者もリストラに遭って失業し日々の食事に事欠く人が増えています。
今回、NCCは仏教NGOネットワーク、新日本宗教団体連合会など他宗教とも共同して公園等で生活している路上生活者や失業して生活のめどの立たない方々の支援を行い、更に行政に働きかけ、世論を喚起して、困窮者の衣食住の問題解決に寄与したいと考えておりますが、その支援活動の一環として炊き出しのボランティア体験をしていただきたく、皆様に参加をお願いいたします。教会やNGOが公園など年間を通して炊き出しや夜回り、相談活動などを行っておりますが、年末年始は特に人手が不足します。
是非、この機会に一日だけでも炊き出しのボランティアに参加して頂きたいとお願い致します。メールまたはファックスで左記にご連絡をいただければ、ボランティアを希望される場所の連絡先などをお教えいたします。
◎あなたのご参加をお待ちしております。
日本キリスト教協議会(NCC)非常勤幹事
飯島隆輔
◎メール takasukeiijima@ncc-j.org
◎ファックス 03-3204-9495
真実な礼拝 八木原敬一 (喜多方教会牧師)
今からもうかれこれ30年以上も前になる。当時わたしは、映画の仕事をしており、東北の小さな町でロケをしていた。
洗礼を受けてから(厳密に言えば「堅信礼」だが)一年ほど経っていたが、教会生活はあまり熱心ではなかった。
サラリーマンとは違って、曜日には関係のない不規則な生活。だから礼拝も、行ったり行かなかったり。
その日はたまたま撮影が日曜日に休みになり、自転車を借りて市内見物に出かけた。
すると駅前から道を数本隔てた場所で小さな教会に出合った。
「へェ~、ここに教会があるんだァ」
ちょっとうれしい驚きといっしょに、思いがけない場所で懐かしい人に出合ったような感動をおぼえた。
子どもの頃通っていた九州の小さな教会を、中学1年の時に父親の転勤で去ってから、東京の比較的大きな教会ばかりを見ていたので、偶然出くわした田舎の小さな教会がとても懐かしかった。
全国どこにでも教会はある、それを見ていたはずなのに、目に入っていなかった。今思うと、その出合いがわたしの人生を変えた。
掲示板の案内を見ると、ちょうど礼拝が始まる時間。
実はそのまま通り過ぎようとも思ったのだが、なにかバチがあたるような気がして、中に入った。
入ると、幼稚園の広い園舎に、パイプイスをこぢんまりと並べた礼拝堂である。見まわすとご高齢の婦人が多く、10人ほど。
オルガンがなく、今のようにヒムプレーヤーもなかった時代だから、若い牧師先生が賛美歌を歌い始めるとみんなが歌い出した。
でも、穏やかで落ち着いた雰囲気は「ここには何か確かなものがある」と魅かれるものを感じた。
礼拝が終るとみんなで車座になってお茶を飲んだ。
話の内容は覚えていないが、教会を出て、予定通り市内見物をする頃にはとても温かい気持ちになり、心の半分はその教会のことを考えていた。
ここにも教会があり、主イエスの福音を待ち望んでいる方たちがおられる。そして、福音を語る牧師がもとめられている。
いつかはボクも牧師になれるかなァ…これが、わたしの召命の最初だった。
だが、それは一粒の泡のような思いにすぎなかった。それから10年を経ても、ポツリポツリと時おり思い出すだけ。
神学校に行こうかな…行きたいな…行かなければ…
「でも、仕事がおもしろいからとりあえず定年になってから考えよう」
しかし、神のご計画はおもしろい。
今だからこそ「おもしろい」と言えるのだが、その時のわたしにとっては不幸のどん底に落ちたような気持ちだった。
それは母の病気。今の言葉で言えば「認知症」に罹り、わたしは映画会社を辞める決心をした。
家にいてできるPR映画の企画や台本の仕事をしながら、しばらく母を家で介護した。母が入院して、わたしは思いがけなく神学校に入り、牧師になった。
最初の赴任地は東京だったが、現在の教会は、その小さな教会と同じ東北。
今こう、心秘かに思っている。
「現在のわたしの課題は、後継の牧師探し。それにはたとえ会堂が小さく人数が少なくても『ここには確かに真実がある』と思えるような礼拝と牧会をしなければ」
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