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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4716号】救援対策基金の設置

2011年2月5日

 

第37総会期第1回常議員会(12月20~21日)において『救援対策基金』の設置に関する件が可決されました。この基金は諸教区内に大規模な自然災害が起こった時に備えて設置したもので、災害発生時の初動の救援金に充てられます。

この救援基金の運用規定も定められました。いま、その主たる内容を記すと次のとおりです。

・このたび設置された『救援対策基金』の資金は教団の『救援対策引当預金』に置くこと。

・災害発生後、直ちに総幹事が総責任者となり、対策委員会を立ち上げる。なお、委員の選任は総幹事が当たること。

・大規模自然災害が起こった際、直ちに総幹事は当該教区との窓口となって被災状況を把握し、救援対策委員会に諮って救援金の額を早急に決めて執行すること。

・この基金には阪神淡路大震災救援金(「第2次募金」といわれてきた)の内の役割を終えたものの中からの6000万円と、新潟県中越沖地震救援募金の残金を繰り入れて、スタートすること。

・この基金が用いられる初動とは災害発生時から被災地の状況把握と情報収集、救援金の決定と執行までとすること。

・この運用規程は2010年12月21日より実施されること。

この救援対策基金が有効に用いられるよう皆様どうぞお祈り下さい。

(教団総幹事 内藤留幸)

 

 

イエスさまと共になかまと共に歩む

 

「『人生を人にわけ与えてください』1991年12月22日、受洗を祝って–福井達雨–と記された聖書は、私の大切な宝物です」。松岡洋子さんはさらに語る。「私は小学生の時、両親が離婚し、母子家庭になったことで、様々な理不尽な経験をしました。その頃に読んだ『氷点』(三浦綾子著)の主人公陽子の心情に重ね合わせることで、どんなに苦しくても自分なりに歪まない生き方をしようとずっと、一人で力をいれ、心を硬くしながら生きていました」。

保母になりたいと進学したキリスト教保育専門学校に在学中、止揚学園の福井達雨先生の著書『非合理に不器用にありのままに』を読み、本の中の世界を知りたいという思いから、一年生の冬に初めて止揚学園を訪ねたことが、人生の転機となった。

その日、止揚学園でみんなと食べた食事の温かさ、そして何よりも、皆が手を取り、助け合って歩んでいる姿に深い感動を覚えた。ちょうどその頃、母親が再婚し、父親となる男性にも子どもがいて、血のつながらない者同士が仲良く生活していけるのかという悩みを持っていた松岡さんは、止揚学園で皆が楽しく生活する姿に接し、他人同士でも愛があればあたたかい家族となれることを実際に見て、心の底から驚かされたのである。

「ある日、重い知的障がいをもつ仲間の隆くんが、手作りの曲でフォークダンスを踊ろうと私に手を差し伸べてくれました。言葉で話すことの難しい隆くんと手をつないだ時、その手の温もりを通して、『頑張らなくていいよ。ありのままでいいんだよ。悲しみも苦しみも喜びも分けあって共に歩もうね』という心の声が聞こえてきたように思いました。私の心が開放された瞬間、それはまた、イエスさまが私の心に触れてくださっていたことを確信した瞬間でもありました」。松岡さんは今、止揚学園の大切な保母さんである。

 

 

◇職種 日本基督教団とキリスト教関係団体が所有する会館の管理事務 1名

◇年齢 65歳程度まで

◇勤務 8:00~16:30

◇休日 土・日、祝日

◇給与 18万円以上、賞与あり(詳細は要綱による)

日本キリスト教会館

東京都新宿区西早稲田2-3-18(東西線早稲田駅、徒歩5分)

◇応募・問合せ

℡03-3202-6145

 

 

フェリス女学院創立者メアリー・エディ・キダーの歩み

-近代日本における女子教育の先駆者-

田部井 善郎

(フェリス女学院中学校高等学校校長)

 

日本で最初の女学校であるフェリス女学院は、1870年9月、アメリカから来日した最初の婦人宣教師メアリー・エディ・キダーによって始められました。横浜の居留地39番(山下町)で医療活動をしていた長老派教会の医療宣教師ヘボン博士の施療所の一室で、同夫人の生徒たち女の子も含む数名を引き継いで英語などを教えたのがその始まりです。当時の日本は明治時代になってまだ3年目、近代化が始まったとは言え、キリスト教の信仰もまだ禁じられていた中、しかも女性が教育を受けることなどは想像もできない時に、キダーはキリスト教に基づく女子教育を始めたのです。

1834年バーモント州ウォーズボロに生まれたキダーは、十代の頃から海外伝道を希望していましたが、その夢が叶ったのは35歳の時でした。明治の終わり頃にプロテスタントの宣教師が相次いで来日しましたが、その一人であるアメリカのオランダ改革派教会(のちの米国改革派教会)から派遣されたブラウン博士は、これからの近代日本にとっての女子教育の必要性を母国で説き、当時の改革派教会の外国伝道局に対して教師の派遣を要請しました。そして、当時プライベートスクールの教師であったキダーの篤い信仰と若い頃からの外国伝道への強い使命感を評価しての進言でした。

キダーの始めた小さな教室には、噂を聞いて女の子たちが集まるようになりました。中には、女性は勉強する必要がないという親を説得しながら勉強したいという希望を通した子もいました。やがて人数が増えてきたこともあって、当時の神奈川県の副知事であった大江卓氏の理解を得て、当時紅葉坂にあった県の官舎に教室が移りました。一方、その間に、アメリカの教会から財政的な援助を受け、現在の山手178番地に本格的な寄宿舎のある校舎が建築されました。1875年6月1日、新校舎の落成式が盛大に行われ、翌年には学校名も正式に「 アイザック・ フェリス・セミナリー」となりました。

フェリスという校名は、当時日本の近代化のために渡米した留学生や使節団などを受け入れ、またキダーをはじめとして多くの宣教師を海外に派遣していたアメリカの改革派教会の外国伝道局主事、アイザック・フェリス並びにジョン・フェリスの父子に因んで名付けられたものです。そしてそれ以降、本格的な学校となったフェリス女学院は、同じく改革派の婦人外国伝道局によって維持されるようになっていきます。

その教育理念は、キリスト教信仰に基づき、よき家庭人・社会人の育成、将来の教育を担う人材の養成、そしてそのために必要な高い知識と教養の習得でした。以来、フェリスからは日本の近代女子教育の創設期に活躍する多くの教育関係者が育ち、特に、現在の大学にあたる高等教育に関わる人たちが数多く活躍します。その教育理念どおり、キダーから始まった日本の女子教育は、さらにフェリスに学んだ卒業生たちによって大きく切り拓かれていったのです。

キダーは、1873年、同じく日本で伝道活動をしていた長老派の宣教師ローゼイ・ミラーと結婚します。改革派と長老派という立場を越えての結婚でしたが、その後ミラーは夫人の事業を深く理解し、自ら改革派に籍を移しました。やがて新校舎での教育は次第に評判が高くなり、日本各地から進んだ教育を受けるために女子たちが集まるようになりました。遠くは長崎から牧師の妻となるためにきた者、また進歩的な保護者の薦めもあって学びにきた生徒などもいました。

こうした献身的な努力でフェリス女学院を生み、その基礎をつくったキダーは、1881年その運営を二代目校長ユージン・S・ブースに委ね、夫と共にキリスト教伝道者としての道を歩み始めました。とくに1888年から1902年までの岩手県盛岡での厳しい寒さの中での伝道は有名です。さらには夫妻で日本各地でキリスト教を伝えるかたわら、キダーは家庭や子供向けのキリスト教の話を掲載した小さな月刊誌『喜の音』を発行するなど、特に日本の女性と子供たちの地位向上に尽くしました。そして、1910年6月、76歳で東京で天に召されました。

キダーの日本における41年間にわたる足跡は、フェリス女学院の創立者としてだけでなく、一人の女性宣教師としての歩みと言えます。2009年、横浜は開港150年を迎えました。それは日本のプロテスタント伝道150周年でもありました。そして2010年フェリス女学院は創立140周年を迎えましたが、それは日本の女子教育誕生140周年でもありました。

現在の日本の女子教育の礎が一人の若いキリスト教女性宣教師の篤い信仰と教育への情熱によってつくられたことを覚えるとともに、私たちフェリス女学院はそれを誇りとして、これからも継承していきたいと思っています。

【 】内は補充者 《 》内は辞退者

常設委員会
〈宣教委員会〉
張田眞(招)、加藤幹夫、田中かおる、白戸清、望月修、具志堅篤、【福井博文】、《東島勇人》
〈教師委員会〉
小宮山剛(招)、岸俊彦、大友英樹、堀眞知子、、井ノ川勝、【宇田真、吉澤永】、《森下耕、白井進》
〈信仰職制委員会〉
小堀康彦(招)、菅原力、深谷松男、須藤繁、深井智朗、田邊由紀夫、【小池磨理子】、《後宮敬爾》
〈教師検定委員会〉
東野尚志(招)、武田真治、小峰擁、鷹澤匠、渡部和使、八木浩史、【若月健悟】、《菅根信彦》
〈予算決算委員会〉
伊藤瑞男(招)、山上清之、長島恵子、外崎孝、津村正敏、宮下重康、【森川恵美子】、《小平正宣》
〈世界宣教委員会〉
木下宣世(招)、秋山徹、清弘剛生、【ルツ・ウェーラー、網中彰子】、《横山好江、越川弘英》
常設専門委員会
〈伝道委員会〉
米倉美佐男(招)、岩田昌路、小林克哉、北川善也、成田いうし、川崎善三、【杉森耀子】、《斉藤仁一》
〈教育委員会〉
北畠友武、清藤淳、塚本一正、宮地健一、平田和子、【岸憲秀(招)】、《黒田若雄、向井希夫》
〈社会委員会〉
釜土達雄(招)、森田恭一郎、上森俊明、【芳澤信、村上恵理也、新保能宏】、《山本一、柴田もゆる、真壁巌》
〈宣教研究所委員会〉
宮本義弘(招)、上田光正、神代真砂実、飯田敏勝、長谷川洋介、熊江秀一、寺田信一

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