6月29日(月)、日本基督教団の部落解放センター主催による第22回神学校等人権教育懇談会が日本聖書神学校で行われた。神学校(神学大学、大学神学部)、部落解放センター、教会から11名が出席し、学びの時をもった。
プログラムは、部落解放センターの活動委員をしている、高石教会の一木千鶴子さんの「『聖書と差別について』-出会いの中で考えさせられてきたこと-」と題する発題で始まった。一木さんはルカによる福音書にあるラザロの物語(16章9節~)を朗読し、その後、ご自身の30年にわたって伝道師・牧師としての歩みの中で、いかに部落差別と関わり、学んできたのかを語った。
一木さんからは神学校からの出席者に次のような希望が出された。神学校では部落差別の知識だけではなく、実際に出会いのチャンスを学生に与えてほしい。学生を部落解放センターに連れてきている神学校もあるが、他の神学校も是非そうしてほしい。こうした出会いによって、差別と取り組んでいる人々をしっかり理解し、神学校卒業後、各地での活動に積極的に参加してほしい。教育とは命を守ることであり、そのためには一人ひとりの命と出会う必要がある。神学校には命の教育を実践してほしい。
続いて、プログラムの冒頭で行う予定であった礼拝が東京聖書学校の深谷春男さんによって執り行われた。詩編23編が朗読され、「たとい死の陰の谷を歩むとも」と題するメッセージでは、ホーリネスの群れの弾圧についてふれられ、主は羊飼い、主こそが家庭においても国においても主権者であることが強く語られた。
その後、日本聖書神学校の鈴木脩平さんから日本聖書神学校での人権教育についての発題(「神学校の人権教育の取り組み」)があった。人権教育のフィールドワークについての紹介があり、特にフィリピンでの短期研修は大きな成果を上げているようである。これは、極端に貧しい状況に置かれている人々と共にある教会を訪れるという研修である。研修参加者は、いまだ第二次世界大戦で日本軍から受けた傷が癒えていない現実に直面し、大きなショックを受けたと報告があった。また、日本人とは一緒に礼拝できないと言われたことから、日本人の側から戦争についての考えを示し、和解を求める必要があることを指摘された。戦争責任の問題を取り扱うために、日本のキリスト教がたどってきた背景である日本の近現代史を学ぶ必要を実感したようである。また、社会問題への意識を高めることは必要だが、そのためには内的・霊的なものが不可欠であり、現在の神学校教育の問題として、霊性よりも知性重視の傾向があることを挙げられた。教会に仕えていこうとしている神学生が心的・霊的に養われていないのではないか、神学校での霊的な訓練が十分ではないのでないか、は神学校にとってたいへん重い問いかけであると思われる。
二つの発題の後に懇談が行われ、各出席者から発題についての感想や質問が出され、加えて各神学校での人権教育への取り組みやその問題点などの報告があった。発題から浮かび上がってきたテーマを十分に深めることができる時間がなかったことが残念であった。
昨年11月に開催された第21回の懇談会で、もう少し時間をかけ、また現地研修等も兼ねて学びができれば良いとの意見が出された。今年度から年2回、懇談会を開催することになり、次回は11月16日(月)に京都で現場研修を含めたプログラムを行うことが決まった。 (越後屋朗報/同志社大学神学部)
7月21日(火)から22日(水)にかけて日本盲人キリスト教伝道協議会(以下盲伝)第36回定期総会が、22日(水)から23日(木)にかけては第59回全国修養会が、全国身体障害者総合福祉センター「戸山サンライズ」で開催された。
2年に1回開かれる総会と全国修養会としては、実に30年ぶりの東京での開催となった。
全国から総会に約80名、修養会に110名の会員が集まり、盲伝の今後のことを考え、学び、交わりの時を持った。
総会では会員の高齢化や会員数の減少などが、現在の課題として挙げられた。
この総会で、議長に日高馨輔氏(日本聖公会東京教区退職執事・盲)、副議長に鳥羽徳子氏(日本基督教団神奈川教区巡回教師・晴)、書記に近藤敏郎(日本基督教団信徒・盲)、岩本和則(日本基督教団名古屋中村教会牧師・晴)の両氏が選出された。また新規約に基づいて新しい理事が選任された。
修養会の講師には日本の英語教育の第一人者である東後勝明氏(早稲田大学名誉教授)が招かれ、2日間に亘って生い立ち、英語との出会い、キリスト教との出会いなどを語った。
最初に英語を習ったのは教会であったにもかかわらず、その後キリスト教から遠く離れており、同級生たちが英語の聖書を読んで勉強する中、一人だけ聖書を読まなかった人間が、家庭の問題や本人の病を通して、キリストに立ち帰ることになった経緯が感銘深く語られた。
夜にもたれたゴスペルと証の時間では、渡邊誠子(ともこ)ゴスペル・リーダーの指導の下、難曲にチャレンジ。耳だけを頼りに3部合唱を行った。そのできは指導に当たったリーダーも驚く程。
曲の間に2名の会員の証がなされた。視覚障害を持ちながら教会役員、会堂建築委員長を務めているという兄弟は「目が見えず、図面が見えない自分に会堂建築委員長は無理だと思ったが、会堂が建つと信じ続けること、祈り続けることはできる。それこそが委員長の役目と信じて引き受けた。その結果、様々な配慮をいただき、現在までは支障なく役目を果たさせていただいている」と証し、何事にも臆せず関わっていくことで、可能性が開けることを示した。
総会、修養会ともに会の雰囲気は明るい。良く祈りが献げられ、良く賛美がなされる。超教派の会であるため、その賛美も聖歌から讃美歌21まで多岐に亘った。出席者はみな積極的で、活発である。初めて盲導犬とふれあった晴眼者会員が、その介助を通して、盲導犬への理解を深める場面も見られた。
今まで守られてきた骨太な信仰を、次の世代にも伝えていくことを希望とし、それぞれが帰途についた。
(辻順子報)
eAst21asia 第2回国際会議
すべて教会青年有志による企画・準備のもと
東アジアにおける10年後の教会像を描く
eAst21asia第2回国際会議が8月1日、弓町本郷教会を会場に開催された。
eAst21asiaの活動主眼は、東アジアにおける10年後の教会像を描くことにある。クリスチャン青年として共通の課題がある。国境・教派を越えた学びと交流による相互理解、伝道を通して信仰を深め合いたい。そして平和を希求し、真の契約共同体としての自由な市民社会の形成を志向することが願われている。
昨年に引き続いて2回目となる国際会議も上述の趣旨を活かして開催された。特筆すべきはすべて教会青年有志によるボランタリー・アソシエーションとして、企画・準備が進められたことである。また今回の国際会議準備には東京台湾教会の青年も参加した。
当日のプログラムは、開会礼拝をもって開始された。3ヶ国語対訳のプログラムが用意され、韓国からの参加者11名を加え、言語は異なっても、同じ主を讃える100名超の参加者の歌声が礼拝堂いっぱいに響きわたった。岩田昌路牧師(狛江教会)が「自分の体で神の栄光を現しなさい」と説教、神学生時代の訪韓を通して、献身の姿勢を再度確認させられたことを語り、御言葉を取り次いだ。青山学院大聖歌隊・ハンドベルによる演奏奉仕がなされた。
引き続き「隔ての壁を越境するキリスト者」との題で嶋田順好牧師(青山学院大宗教主任)が講演した。寄留者であった旧約信仰者の列伝から、新約における使徒パウロへと語り進んだ。パウロの生き様に参加者の課題と使命とが重ね合わされた。そしてキリストのものとされている究極的アイデンティティーの故に国家、民族、歴史、言語等の「隔ての壁」を越え、アジアの伝道と和解と一致のために協働し祈り仕えることへの希望の言葉をもって結んだ。
昼食と参加者教会紹介の後、ゲーム等で全身を使い交流を深めた。各国から演奏や合唱が披露されたが、最後は台湾の讃美歌に合わせて参加者の輪が巨大な渦を描き、あたかもグローバリゼーション時代における信仰者の一致と連帯を象徴するかのようであった。
交流が深まったところで4名の参加者より発題がなされた。クォン・ヨンウク氏(韓国セムナン教会員)は、「両班」という韓国の伝統的家系の長男として生まれ、しかし5代前からキリスト者家庭となったことを巡り、伝統的祭儀とキリスト教信仰との間に生じた軋轢、親族交際の難しさなどと伝道実践について語った。次に田村寿子氏(相模原教会員)はキリスト教教育機関を通して教会に導かれ、大学推薦入試を機に受洗したこと、教会共同体の祈りを通じて家族伝道が神の御業としてなされていることを喜びつつ証しした。 続く松永尚真氏(東京台湾教会員)は、現在は日本に帰化したが、台湾人としてのアイデンティティーを持つ者として、台湾宣教の礎となったマカイ博士の功績を振り返り、「愛さえあれば、そこが永遠の住みかとなるのだ」との彼の言葉と自身の境遇を重ねて発題した。
4人目の朴大信氏(千歳船橋教会員)は、在日コリアンであり、クリスチャンホーム育ちと自己紹介し、日本における二つのマイノリティーの要素の自覚と葛藤、そして統合過程を、主イエスからの招きに対する信仰者の応答として語った。
これらを受けて、10グループに分かれてディスカッションのときがもたれた。グループ分けは各国参加者が知り合うことができるよう細やかに配慮され、英語使用のグループも設けられた。そこではキリスト教と伝統文化、信仰生活と社会生活など各国で直面する悩みが率直に語られ共有された。同時に各々の歴史文化の相違、戦争も含む東アジアの現代史についても語り合い、その上でキリスト者としての協働の可能性、将来の幻について、豊かな語り合いがなされ、討議終了時には各グループで祈りのときがもたれた。熱心さのあまり予定時間を超過するグループが続出する一幕もあった。
閉会時には会場教会の菅原力牧師が挨拶、学生伝道を祈りの課題とした弓町本郷教会創設の由来を紹介した後、祈祷をもって会を締め括った。
キリスト者青年の協働が東アジアの将来を新しく形成する、大きな信仰的希望を与えられた一日であった。 (松本周報)
▼車にナビが入った。とてもありがたい。安心して運転できる。▼途中に寄る所があったりで、ナビの指示に従わない場合がままある。それでも、小言一つ言わないで、新しくルートを検索し、その場所からの指示を出してくれる。同じことが重なっても、投げ出したりしない、何度でも、検索し直し、新しい指示を出してくれる。健気とさえ思われる。感謝している。▼自分が同じ目にあったらどうだろう。せっかく親身になって考えアドバイスしたつもりなのに、それを無視されたら。一度や二度は、許すかも知れない。しかし、二度三度と重なったら。もうたくさん、アドバイスに従う気がないのなら、初めから相談なんかしないで、愚痴も言わないでと思うだろう。▼教会も道を間違えることがある。迷子になることもある。しかし、その都度、不思議な声に導かれて、正しい道に立ち帰って来た。▼聖書の神さまは、ナビよりも遙かに忍耐強く、人間と接し語りかけて下さった。今も教会に、祈る者に、語りかけて下さる。機械のナビに感謝する前に、神さまに感謝しないと。
「キリストこそ わが救い」
これは、プロテスタント伝道150年記念行事の標語です。聖書66巻を一言で言い表す言葉として、まことにふさわしいと思います。この標語のもとに、記念式典に集い、喜びを共にしましょう。聖書の歴史も、教会の歴史も、大切な節目では、みんなで集い、讃美し、祈ったのです。
「ありがとう 150年
つなごう 200年
主とともに」
これは、信徒大会の標語です。全国の信徒が信徒の名で呼びかけて一堂に会するのは40年振りになります。そこでの祈りは〝ありがとう〟と〝つなごう〟です。継ぐ責任を集うことで示しましょう。
「同道いたしました教会員も記念礼拝の素晴らしさに感激しておりました」
これは、すでに実施された創立記念日礼拝で表彰された教師の礼状の一部です。この喜びを全ての教職・信徒で共有しましょう。
11月22日(日) 東京山手教会で
11月23日(祝) 東京青山学院で
お会いしましょう。
伝道150年記念行事
準備委員会委員長 小林貞夫
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