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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4683号】日本伝道の幻に召されて 日本伝道150周年記念大会 中高生・青年献身修養会

2009年9月19日

 

 

全国から100名を越える参加者が

 

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 (ローマの信徒への手紙

121節)

中高生・青年献身修養会が、プロテスタント日本伝道150周年記念大会として、200981820日、全国教会青年同盟・西日本教会青年同盟共催で、軽井沢恵みシャレーを会場に開催された。

北海道から沖縄まで全国43教会から中学生15名、高校生18名、青年41名、さらに講師・教師・引率者を含めた105名が主に召し集められた。

この献身修養会は1970年に設立されて以来青年伝道の使命に仕えてきた全国教会青年同盟と、同趣旨で1998年に設立された西日本教会青年同盟の共同企画における最初の集会でもある。

不変の主題「キリストと教会に仕える」(ローマ121)のもとに、副題「日本伝道の幻に召されて」を掲げ、これからの日本伝道に仕えるため、次世代の教会を担う献身者が起されることを願うものである。

講師に近藤勝彦氏(東京神学大学学長)、佐々木美知夫氏(日本基督教団総会副議長・静岡教会牧師)、チャプレンに小倉義明氏(聖学院院長)を迎えた。

また1日目夜の讃美特別ゲストとして小坂忠氏(シンガーソングライター、ゴスペルシンガー、牧師)を迎えた。中高生と青年の講演、分団等は別であったが、各礼拝と夜のプログラムは合同で行なった。

1日目は開会礼拝より始められ、青年修養会講演Ⅰでは、佐々木氏が「使命を得て生きる幸い」と題して、次のように語った。

「信仰を持ち、教会の枝とされる者は、キリストの御体である教会が持つ使命を自分のものとして与えられ、それぞれは外すことのできない大切な石として教会に積み上げられ、主によってその使命を果たすことを通し、各個教会も教団も主の御業を進めてゆく」

「キリストと教会に仕える」意味が示された。

また自身の信仰の歩みからも「何と幸いな人生であるかを思う。ここに集められた一人ひとりも教会の枝とされ、教会の使命を共に担う聖徒の交わりとして、自分の人生を得て、喜びを持って進んで頂きたい」と語った。

2日目、講演Ⅱでは、近藤氏が、「この世界に礼拝がなされ、礼拝の群れが育てられるために」と題して、概略次のように語った。

『青年時代の悩みから、「人生に死よりも確かなものはあるか」と問い、教会の礼拝へ導かれた。「世界の主」「歴史の主」「万物の主」であるキリストが共にいてくださることの「救い」を知らされたことを通し、キリストが「死よりも確かなもの」であり、「人生の力」であることを教えられた。

キリストの救いは神の国の福音であり、教会の礼拝を通して宣べ伝えられる。そのためにキリストに召された私たちは「礼拝に生き、礼拝に仕え、礼拝する群れに奉仕する」ことで「キリストと教会に仕える」ことができるのである』

その間、2回の分団により、講演の内容を深め、さらに自由時間も語り合い、交わりを深めている姿も多く見られた。

1日目の夜は、小坂氏のコンサートを通し、キリストに生かされている喜びと讃美のひととき、2日目の夜は、「創作劇」「トーンチャイム」「聖歌隊」「創作ダンス」の各グループに分かれて、主への讃美をあらわし、青年3名の証し者が立てられ、全員の奉仕による「讃美と証しの集い」となった。

中高生修養会講演Ⅰは、小倉氏が担当、「われらの生命と使命」と題し「人間はただ身体的に生きるだけでなく、意味を求め、使命に生きる、神の器・神の道具である」と語った。

講演Ⅱでは佐々木氏が「救いは地の果てに至るまで」と題して次のように語った。

「地の果てとは、空間的だけでなく最後の一人までという意味をもつ。そして自分自身の地の果て、最も神から遠い所へもキリストは来て下さった」

さらに遣わされた安芸教会と静岡教会の創設史を振り返り、明治維新推進の地にも、佐幕派の人々にも福音は伝えられ教会が立てられた。主の和解と一致の福音伝道は、私たちの人生が用いられて進んでゆくと語った。やはり分団を通して参加者相互の親睦と講演内容が深められた。

この修養会のクライマックスは聖別会である。一人ひとりが、主が呼びかけられたことに「応答の言葉」をもって応え、献身修養会で得た恵みを分かち合った。受洗の決意、伝道献身の決意など、新しい献身の決意に満ち溢れた時となった。主の派遣命令によって、恵み溢れる思い、大きな喜びと感謝を抱かせられて、再び各地の教会に仕えるために派遣されていった。

私たちの救いのため献身され、また私たちを召してくださった主の御名を讃美する。ある牧師は「この参加者の中から多数の献身者が起されるとき、日本の教会が変わり、のみならず日本全体が変わる」と語った。 参加した中高生・青年たちが、21世紀の日本伝道を担う器として今後も神が育てて下さることを祈る。

(松本のぞみ報)

 

 

2009年9月12日

 

教団の執行機関である事務局の一日の業は朝拝から始まります。その礼拝では『日毎の糧』に従って教団内の1700余の教会の中から一教会を覚えて祈ります。教団には何百人もの会員のいる教会もあれば、十数人という小規模の教会もあります。けれども皆同じように熱心に主日礼拝をささげていることが伺え、励ましを与えられています。

教団には事務局のもとに業務機関と研究機関があり、それぞれの役割を担っています。出版業務は出版局を設け、キリスト教出版活動を通して宣教の一翼を担い、年金業務は年金局を設置して、主として教師の謝恩金や退職年金に関する業務を担当しています。さらに部落解放センターを置いて(分室は大阪にある)部落解放問題と取り組んでいます。

研究機関としては宣教研究所が設けられ、教団の宣教と教会形成に関する基本的・実際的諸問題を研究し、諸資料を保管しています。

この他「教団新報」など、広報の働きもあります。

これら教団内諸機関で働いている常勤の総幹事・幹事・職員と非常勤の幹事・職員などを合わせると約50名になります。この人達が教団の宣教活動が順調に進められていくために決議機関である教団総会・常議員会をはじめ、各委員会の決定事項をうけとめて執行するという地道な働きをしているのです。

教団の諸教会の皆様、どうか事務局の働きを覚えて祈って下さい。

(教団総幹事 内藤留幸)

 

 

「頑張らなくちゃ」から「そのままでいい」へ

 

英語との出会いは終戦直後、洋品店を経営していた父と駐屯地の米兵が英語で会話しているのを見た時だった。父が英雄のように見え、父のようになりたいと思った。高2の時にその父と死別。店番などで勉強が遅れる中、英語だけは誰にも負けないようにと頑張った。ラジオ番組「百万人の英語」を聞き、たびたびハガキで質問していたことが縁となって早稲田大学の五十嵐先生のもとで学ぶこととなった。自分の力を頼りにひたすら頑張り、卒業後は母校で教鞭を執る。順風満帆の人生だと思っていた。

イギリス留学中に長女が不登校になった。帰国後も日本の高校に適応できず、心因性の抑鬱状態が続いた。その様な中で、妻が西片町教会の浦和家庭集会に長女を伴った。東後氏も牧師から「お嬢さんはとても疲れている。家族の人間関係も原因になっている。このような問題はすぐに解決するものではない。ゆっくり関わらなければならない」と教えられ、家族関係の修復を考えるようになった。「誰にでも起こりえる問題、事故にあったと思って対応しなさい」という牧師の言葉に励まされ、家庭集会にも出るようになった。

その矢先に今度は自分が病に倒れた。腹腔内出血のため、会議の場から救急車で搬送された。自分の力で頑張らなければならない、と常に追われているような気持ちだったが、病院のベッドで精も根も尽きた気がしたという。その様な時、牧師が枕元に来て詩編23編を読んでくれた。「神さまが休ませてくださる。死の影の谷を歩んでいても大丈夫」と涙があふれ、体の力が抜けた。全てを委ねられる世界を感じ、1年後に受洗した。

家族の関係、学生との関係、生き方、様々なことが変わったが、それは「自分は主のものである」という生き方を与えられ、根本が変えられたことの結果だという。早稲田のエクステンションで学校カウンセリングについて学び、現在は不登校や引きこもりで悩む人に自分の経験を話すことなどを通して、関わっている。

 

 

★新刊から

『平和を実現する力  長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』四竈揚編著 広島上空で炸裂した原子爆弾が引き裂いた一家。燃える街を彷徨し、奇跡的に迎えた一家全員の再会、やがて訪れる長女の死。数十年を経てもなお悪夢をもたらす体験を超えて、遺された者が捉え直し、語り継ぐ喪失の意味と平和への祈り。1890

『「神さま」と呼ぶ祈り』木下宣世・〈写真〉
森本二太郎 四季折々の写真と共に、神さまとの深い対話へと誘う二一編の祈り。「神さま」という呼びかけで始まる祈りは、祈る時に自分の思いを正直に表すこと、幼な子のように素直に祈ることの喜びや大切さを告げる。「祈りは難しい」と思う人への導きも併せて記されている。1575

『マンガdeキリスト教入門』春名康範 「宗教はあぶないか」「なぜ聖書を読むのか」などのキリスト教入門から、「祈れないときでも」といった信仰生活に関することまで、大切なテーマを凝縮した三八編のユーモア溢れるマンガとエッセイ。充実した内容で、求道者の理解を助け、信徒の信仰を確信へと導く。1680

『讃美歌21 やさしい伴奏集』高浪晋一・玉理照子編『讃美歌21』刊行から十二年。たくさんの新しい歌が取り入れられたこの歌集の中から、特に伴奏が難しいと思われる約一〇〇曲を厳選。やさしく弾けるようにシンプルに編曲した新アレンジ集。3780

グループスタディ12章『コリントの信徒への手紙一―キリストによって共に生きる』小淵康而 「共生」の必要が叫ばれる今日。しかし、真に共に生きることは難しい。パウロのこの手紙が、コリントというギリシアの一大商業都市に建つ教会で起こったさまざまな事件を通して、信仰に生きること、共に生きることの本質を鮮やかに説き明かす。1260

現代聖書注解スタディ版『ルカによる福音書』T・W・ウォーカー/住谷眞訳説教者に定評ある『現代聖書注解』シリーズを、個人やグループでも学習できるテキストとして単行本化。全章句の中から重要な十の章句を取り上げて解説。なじみの深い話題からの展開で、ただの釈義とは異なりとても読みやすい。地図や写真のほか、コラムも充実。2520 円

現代聖書注解『箴言』LG・パーデュー/高柳富夫訳 「主を畏れることは知恵の初め」。初期王国の時代から数百年にわたって収集されてきた知恵の言葉は、この一言によって貫かれ、囲い込まれている。共同体の中で生活の座に深く根ざした知恵伝承の言葉を通して、豊かに祝福された人生の意味と喜びを学ぶ。8610円  *価格は税込み

 

 

インドネシア教会訪問記 アジアメソジスト女性大会

2009.4.1418 インドネシア・メダン市

 

414日~18日、インドネシア・メダン市(スマトラ島)において、アジアメソジスト女性大会

World Federation of Methodist and UnitingChurch Women)が行われた。

この会は、メソジスト教会及び、メソジスト教会と合同している教会が世界規模で交わりを深め、共に学び、祈り、主のために働くことを目的とし、教派を超えた呼びかけが成されているものである。日本基督教団も準会員という立場で参加することとなった。

今回の大会は第9回東アジア大会と第8回南アジア大会が合同で行われ、10箇国から160人の代表が訪れ、地元インドネシアの信徒や奉仕者を加えると400名近い参加者が与えられた。主な参加国は韓国、シンガポール、マレーシア、香港、フィリピン、台湾、インド、スリランカ、ミャンマー、日本。開会のレセプションでは実に750名の参加者が一堂に会した。奉仕者の中にはアジア学院(栃木県)での実習経験者もおり、教団の働きが世界へと繋がっているという実感を与えられた。

主題は「アジア女性として~バリアを砕いて命を建てる」。主題聖句は「ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい」(Ⅰテサロニケ511)。広範囲から参加者が集まっている大会に相応しく、幅広い報告や議論が見られた。

特に印象的だったのが、この会が主催して行っているスカラシップ制度の報告だった。貧困などの理由により、女性が高等教育を受けることが困難であるアジアの現状を知らされると共に、スカラシップ制度により女性が社会に出る方法を与えられ、人間としての尊厳を取り戻すことの大切さが報告された。インドでは「父親に望まぬ婚姻をさせられる未成年(人身売買)」問題を取り扱う弁護士の養成などにも関わっているなど、アジアの国々ではキリスト教と社会の関わりが深いことを感じさせられた。

ワークショップにもその傾向は反映されており、分団では「家庭問題」「健康問題(エイズ問題含む)」「信仰生活の問題」が取り上げられた。クリスチャンホームの重要性が説かれ、家族間伝道や家庭での祈りについての学びが重要視されるのは、国教がイスラム教やヒンドゥー教である国を多く抱えるアジアのキリスト者共通の課題と言えるだろう。

日本も決してこれらの問題と無縁ではない。むしろ、無宗教、無関心という環境の中で家族間伝道、家庭礼拝をもっと大切にしても良いのではないか、と思わされた。

この大会の中で、日本からは「経済的に豊かであっても、本質的に貧しい日本」のクリスチャン人口が1%未満であることが報告され、この会に新たな祈りの課題として「日本での伝道が進むように」を与えることとなった。

(辻順子報)

 

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