8月12~14日、台湾基督長老教会(PCT)の婦人宣教委員会が主催した「全国平地婦女霊修会」から招待を受け、全国教会婦人会連合(婦人会連合)より茨木公子と成松が出席した。
「霊修会」は修養会のこと、「平地」とは台湾人の大半が住む、西側の平地に位置する都市や町村である。
2週間前には、先住民(台湾では原住民)婦女霊修会が開催されたそうだ。別にする理由は言語の違いからで、13ある先住民族の言葉による会が持たれたとのこと。
台北近くの新竹市に立つPCT所有の聖書学院が会場で、現在は信徒訓練所として活用されている。今回は合計340人の参加だ。
主題「主の前に黙して、主を待ち望め」(詩篇37・7)をもとに開会礼拝が捧げられ、次に学院長による主題説教では、「イエスの祈り」として聖句を引用しつつ、祈りの意味、祈りが実るとはなどを明快に語られた。
翌日の「台所での祈りの時」の講話は、主にある教会婦人の日常生活のあるべき有り様をずばり言及され、新鮮に感じた。
印象的だったのは、女性講師による「聖書から神の声を聴くために」と題して、聖書に親しみ真に信仰の糧となるため、さらに主の証人として立つためには聖書に如何にして聴いていくかの講演であった。翌朝は早速全員がグループに分かれ昨日学んだ方法で聖書に聴く実践を試みたのである。
僅か2日間の体験を通し、台湾基督長老教会、また婦人宣教委員会が、み言葉による信徒の信仰の成熟にいかに力を注いでいるかが、ひしひしと伝わってきた。
さらに多くの婦人たちとの出会いを通し、草の根の地道な交流が、主にある平和への道の近道であるのではとも思わされている。
去る4月に大阪で開催された第12回PCTと教団との教会協議会に出席し、台湾側の「具体的な生きた交わりへの歩みを」の積極的な呼びかけを知ったこと、かつ6月には婦人会連合40周年全国集会に台湾からお2人をお迎えしたこと、それらが生きて呼応し、今回の実り豊かな訪問が実現したのである。主の計らいは素晴らしきかな。
(成松三千子報)
8月4日から7日、野尻湖YWCAキャンプ場に於いて、東支区中高生連合キャンプが行われた。
このキャンプは東京教区東支区に属する50の教会が協力し、中高生の信仰育成のために企画されている。中高生キャンパー22名、青年リーダー12名、教職(講師含む)3名、計39名が参加した。
今年は講師に北千住教会の伊藤大輔牧師を招き「楽に行きましょう」という題で講演を聞いた。師はエリ・ヴィーゼルの言葉「答えは人を分け隔て、問いは人を結びつける」を紹介し、世間の価値観や常識に捕らわれるのではなく、問うこと、自分で考え悩むことの大事さを話す。また、お互いに自分の答えに固執し(師は「ぎゅっと握りしめる」という言葉でそれを表現する)批判しあうことの無意味さを説く。最後に、信仰そして聖書の御言葉は私たちを束縛するものではなく自由にするものであると締めくくる。
哲学的な内容を含む講演であったが、キャンパーたちの反応は素晴らしく、講演の後、同年代のキャンパーが集まり話し合う分団の時に「悩んでもいい、あたふたしても良いということを初めて知った、心が楽になった」「握りしめないということは依存しないという意味、手を離してみたい」等の感想を聞いた。また「聖書の御言葉に親しみを覚えた」「初めて自分の信仰とは何かを考えた」との感想も聞くことができた。
学びだけでなく、このキャンプはレクリエーションも充実している。水泳、ボート、アーチェリー、クラフトの時間があり、親睦会、スタンツ大会、クロージングファイヤーなどのイベントも準備されている。
初めて参加する生徒であっても、経験を積んだリーダーたちがフォローに入り、仲間との関係を繋げる。またプログラムの間の時間になると、誰かがギターやピアノを弾き始め、周りの生徒たちが集まって讃美歌やワーシップソングを歌い始める。共に食事の準備をし、片付け、皿を洗い、掃除をする。夜は電灯ではなくオイルランプを灯す。やわらかい光の中で、生徒たちは夜遅くまで語り合う。
生徒の一人はこのキャンプの仲間を「自分のもう一つの家族」と話す。ほんの3泊4日という短い期間の中で、初めて顔を合わせた者たちが学び合い、真剣に語り合い、讃美を合わせる。そして共に相手の名前を言って祈りあう。そのような経験を通して生徒たちは神の愛に触れ、霊的な一体感を与えられ、神の家族としての信仰共同体を経験する。
プログラムの最後に行われる解散式では、生徒たちが一人一人握手を交わし、抱き合い、涙を流し別れを惜しむ。そして再会を約束する。
また、このキャンプの大きな恵みは、毎年少なくとも一人以上の受洗者が与えられてきたということである。何年かに一人は、献身を志す者も与えられる。それまで母教会の内で大切に守られていた生徒たち一人ひとりの信仰の種が、キャンプに参加することによって野に蒔かれ、芽を出すのである。
(辻秀治報)
山北議長の懸案が実現
第36総会期第2回常議員会において、教規37条に基づき組織された常任常議員会の第1回の会議が、8月31日(火)開催された。
下記の常任常議員全員が出席、総幹事、総務幹事(任用承認後)が陪席した。
山北宣久(議長)、佐々木美知夫(副議長)、鈴木伸治(書記)…以上三役。石橋秀雄、後宮敬爾、小橋孝一、佃真人、津村正敏、松村重雄、望月克仁…以上常任常議員。内藤留幸(総幹事)、藤盛勇紀(総務幹事)…以上陪席。
山北宣久議長により、開会の祈祷が捧げられた後、議事1号・常任常議員会の運営について、議事2号・幹事任用の件が審議された。
議事2号では、愛澤豊重、勝山健一郎両幹事の退任に伴い、下記2名が嘱託幹事として任用された。任期は2009年9月1日~2010年3月31日。
藤盛勇紀(総務部担当、藤沢北教会牧師)
道家紀一(教師委員会、宣教研究所担当、井草教会牧師)
常任常議員会の意義
第36総会期の第2回常議員会にて常任常議員会が再開されることが可決された。
常任常議員会を組織することは教規第37条に明記されている。「組織することができる」ではなく「組織する」となっている。
つまり常議員会は常任常議員会を組織する責任があるのだ。
しかし、再三再四議長提案で常任常議員会の再開を提案しても否決されていた。
その理由は寡頭政治に堕す。折角地方の声が反映されるようになったのにまた悪しき中央集権システムが復活する。常議員会の回数が少なくなるなどとの意見が多く、成立を見なかった。
しかし、今回7ヶ月振りに開催された常議員会にて「幹事任用の件」が様々な問題性を露呈することとなり、これを切っ掛けとして可決へと動いたとも見える。
過去の歴史を概見してみると第14総会期には常議員会9回、常任常議員会13回、第15総会期には常議員会7回、常任常議員会を15回開催してきた。
そして第16総会期、これは68年から73年に亘るが常議員会28回、常任常議員会はなんと53回開催されている。
それ以後教団の混乱期は、会議の正常化を求める声の中、マヒ状態が続くこととなる。
今回8月31日に開催された常任常議員会は、あの69年の9月1~2日の徹夜の団交方式による常任常議員会から40年振りということで、いささかの感慨があった。しかし感慨に浸る暇はない。
教規第37条にある如く「教団総会議長の承認または同意事項のうち重要事項および緊急やむを得ない事項を処理する」こととせねばならない。
この「緊急やむを得ない事項」いわゆる危機管理になるが、災害への対処のことだけに限らない。財政の急激な悪化が生ずる事態が発生した場合も含む。
これまた今総会期再スタートできた責任役員会と呼応して対処する。
さらに懸案の教師問題(二種教職制、検定問題)教団総会議員定数削減等機構改正等についても協議し常議員会、総会に反映することもある。
(教団総会議長 山北宣久)
教会備え付けの讃美歌に教会員が布のカバーをつけてくれた。表紙が弱っていた物もまた充分に用いられている。よく見ると備え付けの聖書も表紙の傷んでいる物が多い。何年、何回用いられてきたのだろうか。その姿には礼拝や祈祷会の積み重ねが刻まれている。 8月11日、地震で若干の被害が出た会堂を片づけ、その状況を確認する時にも、50年を経た会堂のあちこちに主を礼拝する日々の積み重ねを強く感じたことである。ここで讃美が繰り返され、ここで祈りが積み重ねられ、ここで奉仕が続けられている。教会はここで主に生かされ、出て行って主と人々に仕えている。この日も変わることなく、と。主が教会をお建てになり、私共を祝福して用いられるのは、私共を主の再臨の日に向かわせ、また多くの人々に御自身を証されるためである。私共の働きも人生もすべて主の再び来たり給うことに結びつけられ、今日在ることの意味を持っている。
会堂も備品もその日々の積み重ねをよく表しているように思える。使われてただ古びてゆくのでなく、教会の祈りと讃美をそのままに証しているのである。そしてそれらを用いる私共には主の祝福が重ねられ、深く刻まれてゆく。私共がキリストのものであり、主の再臨に向かって歩む大切な一肢一肢とされていることが。やがて会堂も備品も新しくなる時が来よう。教会の歴史も移ってゆく。しかし積み重ねられた日々と主の祝福は確実に受け継がれて行く。
(教団副議長 佐々木美知夫)
大学に社会人入学が増えて来たことは、どこの大学でも見られる現象だが、東神大では、近年とくに顕著なように思われる。09年5月の学生数は、112人(大学74人、大学院38人)で、年度によって増減はあるが、学部編入者を含めた大学、大学院の新入生の半数近くを社会人が占める年もある。
広島大学に進んだ平本さんは、当時不治の病といわれた肺結核にかかり、大学を中退し療養生活の中で信仰を得た。回復後、弱者のために働くことを決意し、当時、福祉専攻では先駆的な明治学院大学福祉学科に学士入学し、大学院を卒業した。大学院卒業の際、恩師から社会福祉の現場に入ることを勧められ、バット博士記念ホームで福祉活動のスタートを切った。
以来、基督教児童福祉会、日本キリスト教児童福祉連盟、キリスト教社会事業同盟などに関わり、かたわら農伝の講師を続けるなど八面六臂の活躍で、児童福祉の分野では、現場を知る福祉学者として知られた存在となった。その実績から、桜美林大学が福祉学科を創設した際、教授として招かれた。
教授生活5年間、70歳で定年を迎え、「これで自由になった」と感じた平本さんは迷わず東神大入学を選択した。というのも、「長年、児童福祉に関わりあって、問題を抱える子供たちに出会ったが、そうした問題の多くが、親子関係の破綻から生じており、親もまた問題を抱えていることがわかった。その親を正すのは、霊的な導きがないと駄目だということがわかった」からだった。
学士入学、大学院と東神大生活4年間、「あんなに勉強したことはなかった。授業は楽しかったし、28人のクラスメイトが本当に良くしてくれた」と述懐している。今春、平本さんは正教師となった。牧師生活を続ける傍ら、大学の特別講座、地元町田市の福祉関係の役職を依頼され、78歳の今も愛車を駆って、活動を続けている。
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