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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4684号】教会に行ってもいいの?

2009年10月3日

 

刑務所において、教誨が始まる前、係官が「今日は知的障害の人が初めて希望しています」と言われた。そんな予備知識を持ちながら教誨に臨んだ。

この日は初めての教誨が2人と毎回臨んでいる1人で3人の教誨である。初めて臨んだ教誨の動機を聞いた。係官がコメントしていた知的障害の人が、両親がクリスチャンであり、日曜日はいつも教会に行っていたので、自分もキリスト教を知りたくなったと言う。教誨では聖書を輪読するが、彼は字が読めないのでパスをした。しかし、その後の懇談では積極的に質問した。

教誨を希望する人は、家族や親族の中にクリスチャンがおり、その関わりの中で希望する人が結構いる。お連れ合いの両親が信者であり、義母の葬儀はキリスト教で行われたので、心に残っていたと言われる。あるいは親族が教会に出席していたと言う。刑務所に入って、親族の生き方を理解したくなったとも。今までキリスト教が横にあり、ちらちら見ながら過ごしてきたのである。

刑務所で教誨を受ける人たちは、社会に生きるとき、何らかの状況の中でキリスト教に関わっている人が多いのである。教誨は改めてそれらの人々に手を差し伸べるときなのである。

「教会に行ってもいいの?」と驚いたように言う。何処の教会も喜んで迎えてくれるよ、と言っておいた。日本基督教団の看板を掲げている教会に出席しなさいとも。

(教団書記 鈴木伸治)

 

禁酒運動と福音宣教と

 

受洗教会が歴史的に「美普教会(メソジスト・プロテスタント)」の日本におけるファースト・チャーチだったことから、メソジスト教会の歴史に強い関心を持ち、研究を続けてきた。その流れの中で、戦前盛んに行われていた禁酒運動に関心をもつようになった。

現在所属する安藤記念教会は、日本禁酒同盟の初代会長安藤太郎が創設した教会で、未成年者飲酒禁止法を制定した国会議員、根本正も創設期の中心メンバーだった。それら先人の伝統を受け継いで、日本禁酒同盟の活動に参加している。

日本禁酒同盟では、飲酒の害を訴え、飲酒運転撲滅、未成年者飲酒問題など、飲酒に関する様々な問題に取り組んでいる。現在、最も中心的な活動となっているのは、アルコール依存症に関することである。

アルコール依存者は、「自己責任」においてだけでそうなったわけではなく、アルコールに関する社会的因習やストレスや、いろいろな要因で依存症になってしまった被害者である。にもかかわらず、世間からは「アル中」などと呼ばれ、不当な扱いを受けている。いわば、マタイ福音書に記されている「最も小さい者」の典型なのだ。これらの「最も小さい者」を、見舞い、訪ねる者でありたいと願いつつ活動を続けている。

それにしても、現在、教会における禁酒運動がほとんど行われなくなってしまったのは残念でならない。昔は禁酒運動と福音宣教が表裏一体となり組織だって行われていた。禁酒により身も心もきよめ、全ての生活を神に献げ、その御心を全うするべく福音宣教に励んでいた。現在の状況は、その点が少し欠けているように思えてならない。

  他にも大切なことはいろいろあるが、昔の教会の良き伝統にもう少し目を向けて、改めて禁酒運動の有用性を認め、その意義を生かしつつ、一丸となって、福音宣教する教団になってほしいと願っている。

 

2010年春季教師検定試験を左記の要領で行います。

一、受験要綱と受験願書の提出期限

受験要綱と教団指定の願書用紙は160円切手を同封し、正教師受験志願者か補教師(A、B、Cコースの別も)受験志願者かを明記した上、封書でお申し込みください。願書と必要書類を整えて、受験料とともに所属教区に提出してください。

なお、正教師受験志願者は「教師検定規則第12条②」によるものに限ります。

①教区締切 1116日(月)

(教区により締切が異なりますので、教区事務所に確認してください)

②教団締切 127日(月)

(各教区から教師検定委員会に提出する際の締切です)

*受験料は正教師13千円、補教師1万円

二、補教師について

①「説教」「釈義」の課題テキスト

旧約 エレミヤ書 414

新約 エフェソの信徒への手紙 12023

②コースによって「説教」「釈義」の提出内容が異なりますので、必ず受験要綱でご確認下さい。

③補教師(CⅢコース)の牧会学の課題

『牧会とは何か』について神学的に論述してください。

三、正教師について

受験志願者は、直接教師検定委員会までお問い合わせください。

四、提出物(説教、釈義、牧会学)締切について

当委員会への提出締切日は、2009 1214日(月)必着です。

五、学科試験と面接について

学科試験は201032日(火)、面接は33日(水)、34日(木)に東京・日本キリスト教会館ビル内(教団会議室)にて実施します。詳細は受験志願者に通知いたします。不明な点は直接、当委員会へお問い合せください。

2009101

日本基督教団教師検定委員会

 

1690051

東京都新宿区西早稲田231831

電話 (0332020546

 

牧師になる決意をしたころのこと

加藤 久孝(新潟愛泉伝道所牧師)

 

公立高校教諭で、翌3月に定年という1010日、長女の結婚式で上京し、洗足教会のウェディング・ロードを踏みました。直後、両家お近づきの小宴会場への途上、義妹が定年後の予定はお決まり?と尋ねました。今日の格好は素敵で、牧師さんになったらいいのに、と突拍子もないことを言い、おいおい、と私も笑い、それはその時限りの笑い話のつもりでした。

それから一週間、後で思えば誰かが私の扉を微かに押し続けるように、小さな便りが幾つも舞い込みました。定年になるので教会の奉仕に本気になるつもり、とか、帰郷を機に母教会に戻るとか。それらを無意識に重ねました。事実、無関係なことだったのでしょう。

そこに一通、来年の年賀欠礼状が参りました。福音派の牧師夫人である旧友が、私より一歳若いその御夫君の急逝を知らせたものでした。机に向かってそれを読んだ私はショックを受けました。弔い合戦とか、そういう勇ましいものでは勿論ありません。しかしそれが落ち着いた時、私は未定だった将来計画の中に、伝道者という選択肢が固まったことに気付きました。

何はともあれ、妻の敦子にこれを告げねば、と台所に行きました。彼女は調理中で、フライパンに油を敷き、輪切りにした大きな玉葱を入れたところでした。

願いごとがある、と私は切り出しました。大学に入り牧師になろうと今決心した。理解して欲しい。

それが、あなたのやりたいことなのですね。

そうだ。言い出す機会を探っていたのではなく、たった今その気が起きたのだ。

あなたの決めたことです。私は賛成ですよ。

一瞬の間に、決意を固めたような敦子の返答でした。私はそのように受け取り、彼女もそんな意識だったのでした。

次の瞬間、2人はフライパンの中で油を吸った玉葱が真っ黒に焦げているのに気付いて驚きました。2分か3分か、ひょっとしたらもっと時間が抜けていたのでした。多分敦子は随分考え、私は緊張して答えを待っていたのですが、その間の時間が2人ともぽっかり欠落していたのでした。

それだけの話です。ひと人生終えた後に召命を受けるとは、どんなことがあったのですか、とよく関心を持っていただいて恐縮なのですが、特別神秘的な体験に遭遇した訳でも無く、でもあの瞬間に神様が立ち会っておられた、と2人が信じ、以後迷いも躓きもせず15年を保つには充分の体験でした。私たちらしい、ささやかな不思議がそこにあった、と思ったのです。

そんな訳で、入試の面接は勿論、個人的な対話の中でも、殆どこの話を口にすることはありませんでした。誇れるような格好のよいものでもなく、ただ私たち夫婦にとってだけ意味のある小さな真珠でした。大学で指導を受けた並木浩一牧師に、同い年生まれの甘えで後にこれを語り、あんたの召命は台所でか、エレミヤと同じだな、と言われ、そんな大仰なものじゃありません、と慌てたことがありました。語るほどのこともないことですが、それが私たちの支えとなり、感謝となり続けていたことは、まぎれも無いことだったのです。

昨年4月、故郷に転任し、昔生活した古い家から伝道所に通勤する日々が始まりました。15年前の台所で再びフライパンを使う日々が戻ったのです。お陰様で、あの体験は思い出の中で美化されることなく、ここであれがあったのだなァと、日常の真ん中に起こった小さな不思議というか奇妙さを、等身大に、思い起こしています。

 

杉田常夫氏(隠退教師)

824日、逝去。82歳。奈良県に生まれる。’59年東京神学大学大学院を卒業、同年奈良高畑教会に赴任、’70年より香里教会を牧会し、’99年隠退した。遺族は、妻・典子さん。

八束潤一氏(米子教会主任担任教師)

831日、逝去。62歳。東京都に生まれる。’79年東京聖書学校を卒業、同年淀橋教会に赴任、新居浜教会を経て04年から米子教会を牧会した。遺族は、妻・真佐美さん。

 

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