苦渋の決断…福島教会礼拝堂撤去
常磐教会は、この地に赴任して6年目の武公子先生が牧する。週日は併設する保育園の働きを担っているが、地震直後、園児の家庭を回っていた同労者が突然亡くなった。地震のショックに加え、ライフラインが途絶えた上、原発事故が起り、不安と緊張の中で過ごす。27日になって、教会員と共に礼拝を捧げることが出来た。15名程の教会員がいるが、礼拝出席は7名程であった。保育園には、53名の園児がいるが、登園しているのは9名程である。
磐城教会には、この4月から、上竹裕子牧師が遣わされた。引っ越しが出来なかったために、スーツケース一つだけを持っての赴任である。役員の桜井姉が最低限の生活用品を準備して迎える。「この状況の中で良く赴任して下さいました」と感謝の言葉が語られたが、教会が抱える課題は大きい。
福島教会は地震による建物の被害が最も大きかった。ヴォーリスが設計し、文化財にも指定されている築102年の会堂だった。地震によって外壁のレンガが崩れ、ひびが入った。その数は、繰り返される余震の度に増えていった。補修するには多くの費用がかかる上、いつ倒れるか分からない建物を放置することは出来ない。教会堂を取り壊す苦渋の決断を下すことになった。現在は、会堂の隣にある伝道館にて礼拝を捧げている。同じく福島市内に建てられている福島新町教会もヴォーリスが建てた会堂で築84年と古く、建物の損傷は激しい。
東日本大震災の被害は津波によるものが大きく、いわき市、福島市とも町の中心部は、目に見える形での震災の爪痕はほとんどない。しかし、放射線という見えない敵が、人々に暗い影を落としている。
今回、支援物資を届けるために福島に赴いた松本周先生(聖学院大学)に同行し、いわき市の教会を支援している島田進先生(日立教会)に案内していただいた。両氏とも、教区の枠を超えて、物心両面において長期的に支援しつつ、伝道を進めて行くことが大切だとの認識を示した。
(島田惠吾報)
真理を求めた44年 大坪 章美 (札幌中央教会牧師)
私は、1942年、錦州(旧満州)で警察官の父と陸軍看護婦の母との間に生まれました。引き揚げ後は、長崎に住みました。
4月8日生まれの私は母から「仏縁がある」などと聞かされて育ち、人一倍宗教に関心を持っていました。中学の頃から無性に「人生のバックボーン」を求めるようになりました。
就職の時期になり私は或る大手メーカーに内定し、1966年初めて九州を出て大阪に赴任しました。ところが、1970年の結婚後間もなく、オイルショックを境に会社は大きなダメージを受け、私はそれこそ、土日も無いほど忙しくなりました。
その頃妻は母子家庭のような家を一人で守り、疲れ切ってしまい、ある時近所のご婦人から教会の礼拝に誘われたのを機に夫婦で出かけるようになりました。
教会に通い始めて、受洗の気持ちが湧いてきた頃、東京への転勤が決まり、家族5人は、東横線新丸子駅近くのマンションに移り住みました。転勤後の忙しさに我を忘れていた、ある晩、深酒して同僚に伴われて帰宅した私は、2階の玄関脇のコンクリートの階段を転げ落ちてしまったのです。命を落としてもおかしくない状況で、傷ひとつありませんでした。
私と妻は「神様の助けに違いない」と翌々日、最寄の新丸子教会を訪ね、その年1986年のクリスマスに野田市朗牧師より洗礼を授けられました。そして、気がついてみますと、私のバックボーンを求める旅も終わっていたのです。胸の空虚感は全く消え、毎日を満たされて過ごすことができました。
しかし、その頃、私はこの世のものの脆さに直面していました。大手メーカーの子会社の管理部門に勤務していた私は、殆ど毎日、午前0時をまわって帰宅するという、忙しい生活をしていました。そして、2002年の10月末、かつて無い腹痛に見舞われ、病院で胆嚢炎と診断され、1ヶ月半もの入院を余儀なくされたのです。
その翌年3月末、61才の定年で退職し、同年9月に、赤坂の法律事務所に職を得、法律事務と会計を担当しました。
それから3年余を経過した2006年の秋、翌年には三男も東京神学大学を卒業できることになり、私たち夫婦の、子どもたちへの責任も終わります。
その頃、受洗当時の野田市朗牧師のメッセージが、しきりに、耳に響いてくるのです。「教団には、無牧の教会が数多くある」と。今、私の進むべき道は、これしかないと、献身の思いを、新丸子教会の高橋博牧師に打ち明けました。
その後、多くの方々のお祈りに支えられて、2007年4月、東神大の学部3年に編入学を赦されました。
思えば、青雲の志をもって田舎を出てからまる40年が経っていました。紆余曲折の荒野の40年でありました。しかし、東神大で学ぶことの出来た喜びは何物にも替えがたいものでした。ようやく、魂の安住の地がカナンの地のように遠望できる思いがしたのです。
学部4年を修了して、大学院修士課程へ進むと同時に、母教会である新丸子教会を離れて、玉川教会へ出席させて頂いたことも、大きな恵みでありました。
そして、卒業後は札幌中央教会へ召されました。
残る人生、札幌中央教会の皆様と共に、主を証しする生活を送ることができることを心から喜んでいます。
「教団新報」4720号4面「教師検定試験公告」6、補教師「説教」「釈義」の課題テキスト①旧約 イザヤ書42章<1~14節>を<1~4節>にお詫びして訂正いたします。 教師検定委員会
安藤恵三氏(隠退教師)
11年1月5日、逝去。78歳。旧満州・大連に生まれる。’57年同志社大学大学院を修了、同年坂祝教会に赴任、蘇原教会を兼務し、世光教会、野洲教会、福岡城東橋教会を経て、02年まで高鍋教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・安藤豊子さん。
去る1月21日、日本基督教団会議室で開催された第69総会期第6回東京教区常置委員会で、「2009年度に行った教区活動連帯金拠出留保を解除する」との、全教団的に見ても重大な提案がなされた。この日、長崎哲夫議長は下記の提案理由を上げた。
1.三里塚教会問題に対する他教区並びに一部常議員からの発言が止んだ。2.沖縄教区は教団と距離を置き、問安使さえ拒否しながら教区活動連帯金並びに教団沖縄宣教連帯金だけは受領していたことについて、問題は解決していないが、教団が当該教区宣教連帯金を段階的に減額している現状。3.兵庫教区は阪神・淡路大震災関連の第二次募金に関し、教団との間で解決が見られないものの、第37総会期第1回常議員会が「第二次募金」の内、その役割を終えたものと、関東教区からの「新潟中越沖地震救援募金」の残金繰り入れの申し出を受けてスタートする議案23号「救援対策基金設置に関する件」を可決した。また、今期も引き続き教区活動連帯金の検討が継続されることとなった。さらに議案22号「伝道方策検討委員会を設置する件」が可決され、全教団的に伝道体制が整えられようとしている。
これに対して常置委員から「上記決議にも拘わらず兵庫教区は返還しないのではないか、という危惧が残る」など、慎重意見もあったが、賛成意見が多数述べられた後、議長は「2011年3月31日をもって2009年度分の留保は解除し、2010年度分連帯金と共に教団に送金する」を提案し、これが異議なく承認された。
この結果、東京教区は去る3月14日、2009年度留保分15、075、000円を2010年度割当分15、813、000円と共に教団への支払を完了した。
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