地域復興のために働く教会 主に用いられるならば
前号に記したように、4月4~8日(月~金)、東海教区小出望議長、宮本義弘伝道委員長(教団宣教研究所委員長)による東日本大震災被災教会訪問に、教団新報も同行した。
当時、東京ではガソリン事情はほぼ快復していた。だから出発できたのだが、被災地、特に福島県内では未だ深刻な不足状態にあった。出発前日、福島在住の知人に様子を尋ねると、朝3時に起きて3時間並び、やっと20リットル入れて貰えるとのこと。車社会の福島では、ガソリンなしには通勤もままならず、日常生活が困難になる。この時点で被災から20日以上、このような過酷な状況が続いていた。「福島県内では給油しないで」とまで言われた。
宮本師運転するハイブリッド車でも、この点が不安だった。満タンで出発したのは勿論、非常用に20ℓ缶を積んでいたが、現地での給油に、全く支障はなく、20ℓ缶も先々の教会で不要とされ、結局持ち帰った。1日で状況が変化すると聞いた通りだ。しかし、一方では、缶を幾つも積み込む車を見かけた。場所によるのだ。また、コンビニにはおにぎりが見当たらない。陳列棚の半分以上が空の所もあった。
4泊5日を過ごすためには、自分自身の身の回り品が多く、ために救援物資を積む余地はあまりない。被災地に空手で出掛けることに、正直躊躇を覚えた。フットワークの点では非能率でも、宿は4泊とも被災地から遠く離れた所に取った。現地の物資を消費したくない思いからだ。
現地で消費することが経済復興に繋がるという考え方もあるが、それは時間的にもう少し先のことだ。次元が違う。朝夕の食事は宿で十分取れたが、昼は菓子パンなどで過ごし、一度は、宮本師持参の山歩き用器具で湯を沸かし、カップラーメンをいただいた。
空手と記したが、この訪問の目的は、奥羽・東北両教区に献金を届け、一つでも多くの被災教会を訪ね、共に祈ることにある。おこがましい言い方をすれば、み言葉と祈りとを持参したのだ。
計18教会を訪ね、どこでも、小出議長が決まって詩編116編を朗読し祈った。祈りは旅程に差し障りが出る程に長くなってしまう。勿論、その前に、被災時の様子などを聞く、1時間以上も、堰を切ったように話が止まない人が多い。思いが一杯に詰まっているのだ。本当なら一晩中でも話し足りないのだろう。
通俗的な表現だが、御言葉と祈りとを持参したつもりが、持参したよりも多くのものをいただいて帰路につくこととなった。
以下に、前号からの諸教会訪問の続きを記す。
礼拝堂・牧師館倒壊の危険がある千厩教会を訪ねたところ、その建物内に柳沼赦羊子(やぎぬまさよこ)牧師と2人の子どもの姿。裏山に亀裂が入り牧師館は近隣に移転、当然、付設の学習塾も出来ない。退避勧告が出され、礼拝は信徒宅で守っているとの報告は後日聞いた。津波が襲った地からは遠く離れている内陸部の被害も大きい。
3日目、宮城県に入り、陸前古川教会に寄る。03年の宮城県北部地震による被災と会堂再建については、新報で何度か取材した。この度の被害は比較的軽微だが、元々地盤の弱い土地らしく液状化の兆候が見られ、余震続く中で今後に楽観は出来ない。
再び三陸海岸に接近。床下浸水した石巻栄光教会はは、被災直後から、ボランティアセンター、援助物資の基地として大いに用いられた。公的避難所の欠けを補うことが出来たことなど、小鮒實教師から詳しく聞いた。直ぐ隣の公的避難所では手足を伸ばすことさえ困難、学校に比べたらはるかに小さな教会が、何人かの高齢の方に、手足を伸ばして休む場所を提供できた。このことに特別象徴的な意味があるように思わされた。小さく無力に見える教会も、主に用いていただければ、大きなご用を果たすことが出来る。
石巻山城町教会は、牧師の交代期にあった。鈴木淳一・裵善姫(ペーソンヒ)教師夫妻は、出先で地震に遭遇、教会へと帰り道を急いだが、道が瓦礫や出水で塞がれ、辿り着くことができなかった。数日の避難所生活を経て接近できる場所を探し、腰まで海水に浸かりながら、漸く帰還したと聞く。
後任の東京神学大学新卒の関川祐一郎師着任後も、イースターまでは留まり、一緒に働くと言う。(…石巻の両教会については、前号1面参照)。
後述の磐城教会も、4月から上竹裕子教師が赴任した。他にも同様の例や、赴任出来ず待機という例がある。牧師交替期である3月に起きた異変だから、不思議には当たらないが、赴任教師も大変な苦労を負うことになる。
ここに詳細を記すことは憚られるが、被災した教師の中には、教会の行く末を考えると不安に脅える人もある。誰もこの教師を責めることは出来ない。むしろ、皆でこの重荷を担うことをしなくてはならない。
話は遡るが、前号に記した鹿島栄光教会の佐々木茂教師は、訪問した時に、田舎の小さい教会の灯火を守る仕事は、最後のご奉公として老牧師がなすべきという説を展開した。地方の小規模教会こそ、牧会に経験が要求される、また、年金が付き老後の最低の保障がある人がふさわしいとし、机の上の学びも続けなければならない若い人に、過重な労苦を押し付けるのは、悪い制度・慣習だと言い切った。一つの見解だと思う。
宮城野愛泉教会(國津信一・里咲教師)は、被害は殆どない。被災直後、近隣に大規模な一時避難所が設けられたが、やがて満員状態となり、あぶれて帰宅難民となった人々への炊き出しを行い、一時休憩所となった次第を聞いた。
「教団新報」今号を4722・23合併号とし、次号4724号は、6月4日に発行します。 総幹事 内藤留幸
臨時常議員会の中で、各教区議長または代理者により、東日本大震災関連事項に絞って、教区報告が行われた。特に被災3教区報告には時間が割かれた。
奥羽教区邑原宗男議長は、宮古、新生釜石、千厩、大船渡の4教会の被害状況や近隣地域への救援活動を主に、詳細に報告した。宮古は教会・牧師館一階が水没したものの、盛岡YMCAやカナンの園職員により掃除がなされ、逆に近隣地区の救援基地として用いられていることが、新生釜石については、ボランティア活動によってヘドロと瓦礫に埋まった礼拝堂の片付けが行われたこと、淀川キリスト教病院から医師・看護師の応援が与えられ、地域の方々の相談に与っていること、北海教区からの応援、教団議長はじめ東京神学大学生のボランティアのことなどが詳しく述べられた。また、教区の調整を通さない一方的なボランティア活動による混雑などにも触れられた。
千厩は礼拝堂・牧師館が危険建物とされ、避難先に借家を確保したことなど、厳しい現状が報告された。 大船渡は高台にあり被害は軽微、支援物資が配布され地域に喜ばれていること、埼玉地区による炊き出しなどの支援活動が行われたことが報告された。
また、人的な被害(行方不明)が出た内丸教会や教会員の被害のことが覚えられた。
東北教区は、高橋和人議長により、29教会の被害状況が一覧表で説明され、大きな被害を受けた教会が多いことが示された。原発事故の被害を受けた地域、教会についても、表とは別に説明された。人的な被害では、判明している4教会4名のことが報告された。また、震災直後の初動から、現在時点に至る教区の取り組みが子細に報告された。教区総会への提案内容として、「教区活動を縮小・凍結して総力を挙げてこれにあたる」と、基本姿勢が記されており、教区の被害の甚大さと、これに取り組む悲壮感が伝わった。
また、東北教区教会救援復興委員会の設置に関して、その目的に「被災地域の教会、および教区全体がみ言葉による再生、復興の拠点となること」と記されていることが印象的だった。
関東教区では、22教会・団体の被災状況が上げられ、疋田國磨呂議長より、詳しく説明された。マスコミで取り上げられ、ある程度被害実態の想像がつく海岸部のみならず、茨城・群馬などの内陸部の被害が大きいことを知らされた。
また被災支援委員会の立ち上げや、これまでの活動内容についても説明がなされた。
大船渡教会で埼玉地区が主体となり「無料バザー」を開催したことが、焼き肉、焼きそば、フランクフルトと、品目まで紹介された。寒い土地で心まで寒くなっている人に、暖かい思いを届けたということだ。
他の諸教区は、限られた報告時間の中で、これまでどのように取り組みを行ったか、また、今後どのような姿勢で臨もうとしているかを述べた。その思い、覚悟が伝わった。被災教会の励ましとなるだろう。
<全キリスト教会の11246祈りの会の呼びかけ>
東日本巨大地震と津波がもたらした大惨事と、二次災害としての福島第一原子力発電所事故は、地域を不安の中に陥れ、戦後最大の危機として日本社会を脅かしています。
大津波は1万2千を超える命を呑み込み、なお1万5千名の行方不明者がおり、言語を絶する悲惨に言葉を失っています。
一つの命にどれほどの愛する者のつながりがあったでしょうか、人のつながりがあったでしょうか。その関係が断ち切られた絶望をどれほどの人が味わっているでしょうか。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた十字架の主の声が心に浸みこみます。
十字架の主に慰めと希望があります。日本の諸教会が心を一つにして、共に熱い祈りを捧げる時をもちたいと強く願っています。
11246(11日 午後2時46分)、この日とこの時間を覚えて共に祈りましょう
2011年4月5日 日本基督教団 総会議長 石橋秀雄
東日本大震災 被災支援の基本理念を立てる
12億円の海外献金プロジェクト承認
未曾有の東日本大震災を受けて、その対策を協議する第37総会期第2回(臨時)常議員会が、4月18日、教団会議室で30人中28人が出席して開催された。
石橋秀雄議長は、冒頭の議長報告の中で、「いま日本は未曾有の危機に直面している。地震発生翌日に、救援対策本部の設置を宣言し、翌々日の3月13日から16日、3月28日から31日の2回、被災教会を訪問、お見舞いした。
救援の基本的な方針として、地域に仕える教会の再建を目指す。礼拝の場、教会の再建を中心とし、教会を通しての社会的弱者、子どもと高齢者の支援に当たる。全教団的な取り組みをしたい。海外からドイツの1億円の募金申し出を始め、多くの献金が寄せられている」と報告した。
続いて救援対策委員会報告で、内藤留幸総幹事は、「昨年12月発足した救援対策基金の運用規定により、発生直後、教団救援対策委員会が設置された」こと、「救援対策基金に兵庫教区から第2次阪神淡路大震災募金の内から6、000万円、関東教区から中越沖地震募金残高700万円が繰り入れられた」と語った。
また、被災支援の基本理念として、①行政救援から漏れた人。②被災教会の再建。③孤児へのケアー。④孤立者へのケアー。⑤教会付属施設(保育園、幼稚園など)の再建。⑥被災者の心のケアーを上げた。対策基金から3被災教区(奥羽・東北・関東)に救援資金として3、000万円を送金した。
3月22日の常任常議員会で教団救援対策本部が正式に設置され、4月4日、第1回会議が開催された。対策本部は、加藤誠幹事が担当幹事となり、藤盛勇紀総務幹事と共に事務局の中心となる。東北教区から要望のあった現地対策本部(仙台市)の設置、常駐者の派遣について、人選を進めることになった。
対策本部が発足したことにより、救援対策委員会は本部の下に入って役割を終えた。救援対策本部委員として、以下の10名が当たり、石橋秀雄議長が本部長を務めることが承認された。
石橋秀雄議長、岡本知之副議長、雲然俊美書記、長崎哲夫常議員(東京)、大村栄常議員(西東京)、藤掛順一常議員(神奈川)、北紀吉常議員(東海)、佐久間文雄常議員(関東)、稲松義人氏(社会事業同盟理事長)、田中弘志氏(宣教協力学校協議会)。
欠席の沖縄教区を除き、16教区から別掲のような被災状況、支援報告が行われた後、海外献金プロジェクト議案が上程された。議案説明に立った加藤幹事は、「災害発生後、1週間足らずの間に30近くの海外諸教会から祈り、励ましの連絡があり、『献金が寄せられているが、教団の使途が不明のため、献金を集め難く、送金し難い』との声がある」とし、被災状況の確定を待って目標が定められる国内向けの救援募金とは別に、海外向け献金大綱を急ぐ必要性を説明した。
献金目標は総額12億円で、地域復興と教会の復興に大別される。地域復興は10億円で、内訳は、①震災遺児・避難学童30名に10~15年間の奨学金2億円。キリスト教学校を通じた奨学金1億円。②養護施設の増設、里親探し組織作り2億円。③被災養護施設・保育園・幼稚園の再建2億円。④被災地の子ども・高齢者への生活支援・心のケア1.5億円。⑤教団スタッフの活動費1億円。⑥予備費0.5億円。被災教会の再建費2億円で合計12億円となっている。
これに対し、「常任常議員会の合意である『教会を通しての支援』とプロジェクトには乖離がある」「海外だけでなく、国内の教会に呼びかけても良いのでは」対象学校・養護学校への追加要望などの意見が出たが、具体化は今後の審議に委ねるとして、12億円の海外献金プロジェクトは挙手多数で承認された。
(永井清陽報)
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