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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4722・23号】「伝道する体制を整えること」を基本とし 第1回伝道方策検討委員会 

2011年5月7日

 

3月28日(月)~29日(火)、教団A会議室にて、第37総会期第1回伝道方策検討委員会が開催された。

冒頭、大震災被災地に向かう直前にもかかわらず、石橋秀雄総会議長の陪席を得た。委員一同、議長の伝道と本委員会に対する熱い思いを受けとめた。本委員会の委員構成、第1回常議員会における本委員会設置に関する協議が十分であったか等をめぐり、しばらく懇談した後、議長は被災地に出発し、委員会組織に入った。委員長の選任をめぐっては、候補として挙がった者について不都合が無いかどうか、長時間議論した。委員一人一人が本委員会に関する意見を述べた後、北紀吉委員を委員長に、岡村恒委員を書記に選任した。さらに、協議の中で、信徒の祈りなくして伝道があり得ないことを覚え、信徒の全国的な祈りの集団を形成していくことの重要性を確認し、鈴木功男委員を副委員長に選任した。

本委員会が協議すべき内容については、「伝道する体制を整えること」を基本とし、以下の諸点を確認した。教団全体に向かって伝道のイメージと、教会の将来像を具体的に示していくこと、キリスト教学校・諸団体との協力関係を具体的に構築していくこと、国内外の諸団体とも協力・提携しつつ「時代の変化」を受けとめた伝道方策の検討と実行、その他。さらに、関係諸委員会とも協力しつつ、短期的方策のみならず、中・長期的方策をも合わせて検討していくこととした。

ただし、今回は伝道実行の予算がないこともあり、具体的な伝道方策の実行に関しては、既に様々な活動を重ねている諸団体に広く呼びかけて協力し、推進していくこととした。

2日目、第1回目として小島誠志日本伝道会代表に陪席して頂き、同会の活動についてお伺いした。本来、伝道決議を重ねてきた教団が担うべきであった活動を、同会が教団に代わって実施してきた経緯、また、説教者の派遣・キャラバン伝道・修養会の開催等が既になされてきたことを伺い、今後、具体的な活動を協力して行うことを確認した。

次回委員会では、教会関係幼稚園・保育園の課題について学ぶと共に、「伝道」の定義とイメージを共有するための協議を行う。

(岡村恒報)

 

 

新たに選出された第37回総会期第1回委員会を以下のように行った。2月28日(月)場所、教団会議室。委員会構成、岡本知之(招集者、教団副議長)伊藤瑞男(委員)、岡田義信(委員)、鈴木功男(委員)、高橋和人(委員、書記)、計良祐時(担当幹事)。

まず、前委員会の短期的な課題であった、拠出留保していた教区が留保を解くことが報告された。

次に、今委員会の位置づけと性格について全体的な協議を行った。

今委員会の任務は前期委員会の議論を受け教区活動連帯金について、現制度の根幹である全教会拠出による、格差是正と伝道推進を生かして新たな制度設計を行なうことである。

そのためには時間をかけて綿密な制度を立てる必要がある。現行の教区活動連帯金配分委員からは独立しているが意見を聞くことができる。

この委員会の主な課題として以下のことが協議された。

①地域による格差の実態の掌握、現在の算定基礎数の検証と教会にとって実際的な算定基礎数の検討。

②伝道推進と協力の主旨をどのように生かすことができるか。どのような使途が想定されるか。

③教団の制度の中に組み入れられることと教区間直接支援制度の可能性の検討。

④各教区が独自に形成してきた伝道支援体制とのかかわり。

⑤収入と配分について、負担金化すべきか、配分方法はどのようになされるべきか。申請による配分か計算による配分かなどの検討。

⑥将来を見越した会計の全体的規模の検討。

⑦名称の検討。名称が一人歩きしないよう適正な名称の検討。

次回委員会を4月4日とし、第3回委員会を6月27日とした。

(高橋和人報)

 

第37総会期における第1回教師検定委員会が、3月24日(木)~25日(金)、教団会議室で行われた。12日前、東日本大震災が発生し、当初は日程変更が取り沙汰されたが、検定試験準備のスケジュールを考慮し、予定通り行われたもの。結果的に支障はなかった。委員7名のうち6名の出席。

開会に際し、招集者・東野尚志委員はⅠコリント1・26~31を朗読し、教師検定任務を委ねられる者誰もが感じる「ふさわしくない」との思いに対し、それを超えて、教会の歴史における神の不思議な選びの出来事の中に、神の知恵が働いていることを信じるよう奨め、新委員会が主の御前で絶えず畏れと謙虚をもって誠実に働くことができるように祈り願った。

各委員の自己紹介の後、内藤留幸総幹事から挨拶があり、この度の大震災に対する教団としての対応状況を説明するとともに、この事態の中で常設委員会の働きが不断になされることの大切さを理解し、忠実に任務を果たすよう激励した。

教規・教師検定規則等に基づいて委員会任務を確認した後、委員会組織を行い、互選により委員長に東野委員、書記に渡部和使委員がそれぞれ選任された。

委員長・事務局報告を承認後、前期委員会からの申し送り事項を検討。「教師検定ガイダンス」が作成された経緯等を確認した。第37総会期教師検定委員会方針を協議し、基本的に前委員会を受け継ぐ形で決定した。また、委員会日程・2011年秋季教師検定試験日程確認、提出課題の決定、学科試験問題作成担当者の決定、受験要綱作成、等を行った。

教師検定規則第4条改正による試験は2012年春に実施され、当委員会がはじめて担当することになる。これまでの経緯、現状報告、今後の見通しに関する丁寧な説明が委員長および事務局よりなされ、質疑がなされた。関係神学校・神学部との連携、シラバス読み替えなど、求められる作業はより複雑となるが、教師を立てるために必要と考え、日本基督教団が決定したことである。主の豊かな祝福と導きの中で責任を果たしていけるよう祈って閉会した。 (渡部和使報)

 

第37総会期第1回宣教委員会が3月7日(月)~8日(火)、教団会議室において開催された。出席者は、張田眞、加藤幹夫、田中かおる、白戸清、望月修、具志堅篤、福井博文、米倉美佐男(伝道)、岸憲秀(教育)、釜土達雄(社会)、大三島義孝(担当幹事)、野村和正(担当幹事)。陪席者は、成松三千子(全国教会婦人会連合)、石井錦一(日本キリスト教保育所同盟)は欠席、古屋博規(全国教会幼稚園連絡会)、草深茂雄(担当職員)。

先ず、招集者の張田委員が使徒言行録16章6~10節を朗読、開会祈祷を捧げた。委員の自己紹介の後、互選により張田委員が委員長、書記に具志堅委員が選出された。

それから、今期委員会の在り方についての協議がなされた。その中で「宣教」と「伝道」の違いは何か、その定義についてのホットな議論が展開された。その後、前期委員会からの「申し送り事項」についての協議がなされた。前期委員会からの「申し送り事項」は、左記の6項目である。①社事同、キ保同との連携強化。②「障がい」を考える小委員会、靖国・天皇制問題小委員会の継続。③牧師とその家族のメンタルケアの必要とセクションの明確化。④「青年伝道」担当幹事の必要性。⑤幼稚園、保育園問題との関係。⑥宣教方策会議の開催。

「牧師とその家族のメンタルケアの必要性」については本来、教師委員会が扱う事柄ではとの声も上がったが、将来的にはそのようになることを希望しつつ、今期は宣教委員会のもとで取り組むことが承認された。「障がいを考える小委員会」の委員長は加藤委員が選任された。

宣教方策会議は来年3月開催を目指し準備を進める。1970年代から「宣教」が様々な社会問題を担うことと理解されてきた。これまでの在り方に評価と反省を加え、教会本来の「宣教」の在り方を求め、常議員会、伝道方策検討委員会、宣教研究所との連携を密にして開催する方向性を確認した。

釜土委員の閉会祈祷で会を閉じた。次回委員会は6月30日~7月1日の予定。

(具志堅篤報)

 

4日目、福島教会。訪ねた時、既に礼拝堂は更地になっていた。市の文化財に指定される程の、美しい煉瓦作りで、蔦の教会として市民にも愛されていたが、倒壊の危険に、いかんともしがたし。

堀江知己教師は、赴任2年目、厳密には震災時は1年目。絵心のある師が、ほぼ書き上げていたという旧会堂の絵を見せて貰う。写真と見まごうばかり、そして、写真よりも色合いが美しい。100年愛された会堂は、教会員の思い出と、この絵の中に生きることになる。

3日目に訪ねた岩沼教会も、歴史を感じさせ風格のある石造りの会堂壁面が崩落の危機、特に、塔の部分が見るからに危険だ。敷地の奧には付属幼稚園があり、園児もこの側を通って行く。早急な手当が必要となっていた。

キリスト教が浸透し切れていないと思われがちな東北の地には、実は、100年の歴史を刻む教会が少なくない。必ずしも大人数の礼拝ではなくとも、孤島の灯台のように、その役割を果たしてきた。この地震のためにその働きを絶えさせてはならないと痛感する。

信夫教会を訪ね塚本一正師と祈りを合わせる。福島市内は地震以上に、放射能への不安が、町を支配していると聞く。別の情報では、県境には自衛隊が駐屯し、脱出しようとする者を押し留めているというデマが、一時、中学生の間に流れたそうだ。悪質なデマだが、これが流布する程の不安があったことは事実なのだ。

福島新町教会については、前号に記した。

福島市内を出、宿に入って間もなく、場所によって震度6強を記録した激しい余震。心配になり、翌日福島新町教会の瀧山勝子教師に電話すると、亀裂が一層大きくなったとのこと。

5日目、牧師館が居住不能となった郡山教会を経て、磐越高速を通り、いわきに向かう。数日後、余震による山崩れが、この道路を塞ぐ様子をテレビ画面で見ることになるとは。

磐城教会は、隣接の幼稚園が、学校法人化されたものの、教会と一体の働きをしている。震災に当たっても、上竹師の前任地藤沢教会やその近隣教会などから送られて来た救援物資を、幼稚園の車と人手で、物資不足勝ちな海岸部の病院や避難所に送っている。私たちの訪問時にも、ホーリネス教団のワゴン車が、物資とボランティアを載せて到着した。

福島及びいわき市内の教会については、前号に関連記事掲載。訪問後、いわき地方には、震度6強級の余震が2度起こった。

最後の訪問地、郡山教会から福島純雄教師が転任したばかりの筑波学園教会を訪ね、帰路についた。

この他にも、塩竃東教会、仙台東一番町などを訪ねたが、目立った被害はない。

この日の朝、コース変更が最早不可能になってから、栃木県内の諸教会、またアジア学院の被害が大きいことを知った。

茨城県、千葉県等関東の諸教会被害状況は、後日お伝えしたい。

さて、初日、盛岡近郊に宿を取った。古びた宿は、20代の青年で満員。津波被災地で働く労働者だと聞く。海岸部までは山道を車で2時間は走ることになる。朝は5時起き、往復だけで4時間以上。仕事とは言え、頭が下がる。

3泊目の宿は、仙台市内から遠く離れた遠刈田温泉(とおがったと読むが、遠かったに由来するとも言う)の更に奥のホテル。「南三陸町御一行様」と一緒になる。但し、一行は食事も風呂も別扱い。そして、寝室は大広間と聞き心が痛む。折角避難所から逃れられたのに。それでもこの人々にとって、束の間の休息の時なのだろう。

部屋を替わって上げたいと思う。もっとも、当方も布団3組で畳が見えなくなる小部屋だが。

どの宿でも、長期滞在者があると聞いた。お金さえあればハワイにだって住めると言うつぶやきも聞いた。異常な生活が長引き、被災者同士の心にも亀裂が入るのを恐れる。

被災教会支援では、全教団一つ思いで、なすべきことを果たしたいものだ。

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