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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4727号】荒野の声

2011年7月16日

▼高速道路のSA、券売機でラーメンを注文。粉類から入りラーメン→醤油、目当ての品にタッチ。確認下さいという音声案内に、目を凝らして探す。しかし確認ボタンはない。後ろにせかされる気がして、次をタッチ。券が出た。確認とは目視確認らしい。▼券を、粉類のカウンターに出すと、「未だ出来ていません」。「えっ」と戸惑う。券を購入した段階で注文は済んでいた。薬局のように、番号が掲示される。粉類の窓口へ。「未だ出来ていません」。「えっ」、良く見ると番号は現在調理中の番号。色が変わって、「○○の番号の方は、窓口までどうぞ」。▼合理的なのかも知れない、慣れれば。次に利用する時にはシステムが変わっていなければ。▼電車の券売機の札投入口に、硬貨を一列に並べている老人を見た。合理的だとしても、老人には生きにくい社会だ。▼社内公用語を英語とする会社が増えているそうだ。日本人が日本語で生活出来ないなんて耐えられない。もう、日本を脱出するしかない!英会話を勉強しなくては!

4月28日の四国を皮切りに始まった教区総会は6月25日の神奈川を最後に17教区全てが終了した。いま、今年度の各教区総会をふりかえって課題のいくつかを記してみようと思う。
まず、いくつかの教区で総会議長が交替し、執行部が新しくされた。執行部が再選され、継続していく教区も含めて、石橋秀雄教団総会議長が力説しているように『伝道に熱く』なって前進するよう今後に期待したい。
教勢減退傾向について
信徒数、礼拝出席者数、受洗者数が各教区とも漸減しており、それに伴って献金額も低下し、教会の財政力が弱体化の傾向にある。このことはここ数年来見られることで、教団全体として真剣に打開策を考えていかねばならない。端的に言って妙案はない。わたしたちが信仰の原点に立ち帰り礼拝を充実させ、キリストの福音を力強く語っていくほかはない。『み言葉にはあなたがたの徳をたて…聖別されたすべての人々と共に、み国をつがせる力がある』(使徒行伝20章32節・口語訳)と確信して…。
東日本大地震被災教会救援をめぐって
各教区総会で法定議案以外では最も多くの時間を費やして協議された事柄である。
東日本大地震の被災教区は奥羽・東北・関東の3教区である。地震・津波・原発事故からくる放射能汚染という三重の被害を受けた諸教会とその地域への救援について熱心に話し合われた。被災3教区と支援する教区が教団を通して共に密接に連絡を取りあい、教団として取り組むべき支援・教区ができる支援をそれぞれ明確にして、強力にすすめるべきであるというのが各教区総会での共通した結論だった。
教団救援対策本部が基本方針の中で主題を『地域の人々の救いに仕える教会の再建を目指して』としたこの方向で長期にわたって救援活動をすべきである。
建議・請願の取り扱いについて
教規施行細則第4条の2にあるように、本来建議は議員でない教師や信徒が教団や教区の教務や行為について建設的提言をするものであり、請願も教務機関の処置に対して希望を訴えるものである。
それなのに議員である者が建議や請願の提案者になり、それを教区総会議長が受理し、更に議案として取上げられるのは明らかに教規違反である。議員は正規の手続きを経て議案を提出するべきなのである。今後はこの過ちを改めねばならない。
教団と教区との関係について
それぞれの教区の宣教活動に特徴が見られるのは事実である。それは教団がキリスト教会としての豊かさを示しているとも言えるが、一つ間違えると教団は教区連合体のようになってしまう恐れがある。
教区が先にあってそれが集って教団ができたのではない。教団が先づあって信仰告白、教憲教規に基づいて教会形成がなされていくのである。
宣教活動を有効にすすめていくために17教区が置かれているということを、わたしたちは正しく認識していなければならないのである。
(教団総幹事 内藤留幸)

第75回(合同後第45回)京都教区定期総会は、5月3日、4日京都教会で開催された。2004年以来、教団問安使受入拒否を続けている京都教区であるが、その間も、教団新報の取材については公式に受け入れてきた。しかし、今年は、「常任常置委員会での決定に基づいて総会取材を拒否する。ついては、報告記事を教区にてまとめて提出したい」旨の申し入れが、京都教区より文書にてなされた。編集委員会で対応を検討したが、京都教区だけを他とは違う取り扱いにすることはできないとの結論にいたり、記者を派遣することとした。
記者は京都教会に赴き、総会開会前に教区三役と協議したが、常任常置委員会の決定を覆すことはできないとの主張をあらためて聞き、教区の状況その他を踏まえて、これ以上の交渉はできないと判断した。ただし、教団新報編集委員会の立場から「教団新報の記者が派遣され、議場まできたが、常任常置委員会の決定に従い、退席したことを、議場に報告し、議事録にとどめること、ならびに教区による報告記事を載せることはできないこと」を申し入れ、教区三役はこれを了承し、履行することを約束した。
これらの経過を経て、記者は議場には入らず、取材を断念した。以下、選挙結果のみを掲載する。
三役選挙結果
【議長】井上勇一(洛南)、【副議長】入治彦(京都)、【書記】韓守信(長岡京)
常置委員選挙結果
【教職】望月修治(同志社)、山田真理(上鳥羽)、川上信(八日市)、横田明典(近江金田)、大澤宣(紫野)、大山修司(膳所)、竹ヶ原政輝(丹波新生)
【信徒】奥野カネコ(膳所)、川上穣(錦林)、押本年眞(丹波新生)、中井正子(堅田)、原田潔(大津東)、谷口ひとみ(八幡ぶどうの木)、志賀勉(紫野)
(林牧人報)

第126回総会は、6月25日、清水ヶ丘教会を会場に、正議員数237名中188名の出席で開催された。
法定議案を除けば、関心の多くは「教師免職」問題に向かい、この関連議案及び報告での質疑に、大半の時間を費やした。
教団問安使の挨拶を受けて、「何故本人に対しても資料の開示をしないのか、質問状を送った教区教師委員会にも何の回答もない」と疑問が述べられた。雲然俊美教団書記は、「資料の開示は教団教師委員会の判断に委ねられており、開示しない方針を回答している。要望は伝える」と答えた。
更に、総幹事報告に関連して、「戒規問題は終結したかのような表現が見られ、教団新報にも同様の記事がある。本人への取材もない記事で誤報だ」との主張には、「終結とは仮処分申し立て事件の終結。新報の記事は担当者と確認する」と応じた。
問安使挨拶では他に、「伝道に力を入れるのであれば、キリスト教教育主事に関する文章を議長挨拶にいれていただきたい」と強い要望も述べられた。
「各種委員選任の件」で、委員候補に北村慈郎氏の名前があったことから、激しい議論が起こった。「あきらかな教規違反だ。長く伝道していても准議員の人が多いのに、何故、違反者が常置委員会推薦で正議員か」と反対意見が述べられ、これに対して岩﨑隆教区議長が「各委員は信徒でも教師でもなれる。免職になった教師なら教規違反でも、信徒としてならよい」と答えたことから、教師は職が解かれたら信徒なのか、北村氏の代務先教会での身分の問題、更に免職に伴う年金削除など、争点が拡がったが、議論はかみ合わない印象だった。要は、教会史的に教会論的に法的に常識的な事柄なのか、そうではないのかという対立だった。
「北村慈郎教師の免職処分への抗議ならびに処分撤回を求める件」では、「第37総会で教区提案の議案を取り上げずに門前払いにした」「教憲教規には明確に未受洗者陪餐を禁止する条項はない」「教師委員会が戒規申立をしたこと自体が第36教団総会の第44号議案決議にそむく」などが、処分撤回を求める理由として上げられた。この一々に反対と賛成の論拠が上げられ、ここでも、議論は全くかみ合わず混迷を深めた。
その中で、[提案理由]と共に記された[問題の所在]の(1)で、〈「聖餐」のあり方について「教憲・教規」は何も定めていない〉と断定していることから、この議案に賛成の立場からも「明確ではないであって、何も定めていないとまでは言えない」とする意見が述べられ、結果的には、(1)を削除する修正案と、採決せず継続にする動議とが出され、158中動議は33で否決、修正案が86で過半数を僅かに超え可決された。
その他では、「議長は、准允・按手執行の採決の前に『教師検定試験に対し不当とまでは言えないが』と言うと思うが、通過儀礼になっているので、やめたらどうか」との指摘があり、岩﨑議長は「教師検定問題はいまだ完全に解決されていないが、現実には試験を受けないわけにはいかない。今後改革を求める前提として、従来どおりお諮りして採決したい」と述べた。
この取り扱いを巡り、指摘が動議として成立するかどうかで議論があったが、結果「『~不当とまでは言わないが』の文言取り消し」動議は197中賛成76で否決された。
(新報編集部報)

「賽の河原」を越えて行く橋

「何を見に出て行ったのか」(マタイ11・7)。いま、現代の日本全土にこの言葉が響き渡る。今までは救いを必要としない時代であったのか。人間の実相が隠蔽されていたのか。軽い、生き方が軽い。何もかも軽い。そこに突然、「地の基ふるい動く」、眼の前に広がるのはなんという崩壊であることか。なんと戦後日本は軽く壊れやすかったことか。仏教学者山折哲雄氏は、故郷東北を訪ね、荒涼惨憺たるむき出しの光景に圧倒されてこう言った、「賽の河原だ!」。それでは、ただ無常を受けいれ耐えるのみか。「あきらめ」が所詮大事ということか。

「何を見に出て行ったのか」

「賽の河原」という言葉が、突然思い出させた。  ある年わたしはスイスのバーゼルに居た、バーゼル美術館で、ルターと同時代の画家ホルバインの描いた『墓の中に横たわるキリスト』がある、それを見に「出て行った」。二度も見に行き、この絵の前に二度も立った。はじめは、とても直視できなかった。この絵の前にドストエフスキーも立った、そして彼はこうつぶやいたという、「これを見る人は信仰をなくす」と。しかし、二度目見たとき、わたしはそう思えなかった。むしろみずからの信仰の虚弱がさばかれるようにさえ感じた。日本プロテスタントの中にある問題を突かれる思いであった。ルターは「義にして同時に罪人」と言った、その「同時」が、何と誤解され誤用されてきたかということ、義と罪とは渾然空回りを起こして「大胆に」そして「平気で」罪を犯す、ミュンツアーが「甘いキリスト」と批判した、それだ。しかしこの絵にはその「甘さ」はない、「同時」ではない、深い陰府の中に刻々たる一日、その一日の中にキリストが横たわる。何か神に迫られるように感じた。ホルバインは宗教改革時代の直中で、なぜこのようなキリストを描いたのか。たしかに使徒信条は、十字架のキリストが「死にて葬られ陰府に降り」とはっきり言った。これはその十字架の金曜日と復活の日曜日の間、その土曜日のキリストを描いたのだ。しかしそれは金曜日から日曜日へ深い陰府に架けられた橋か、全身を硬直させ、上を見上げ、口を開いて横たわる!死を生きている! このキリストが「賽の河原」を越えて行く橋なのだ。仏教の人間観は「生老病死」の永劫回帰、その円環から抜け出られない。しかし、キリストは「生と死と復活」、死で終わらない、死んで生きる! 永劫回帰の円環を開いて直進、全く新しい前人未踏の人生観が打ち開かれている! その未来へと運ぶ彼岸への橋をホルバインはこの土曜日のキリストに見たのか。あれからすでに3カ月経った。(これを6月11日に書いている)

この道この橋が、動く!

今は亡き親友、東神大同僚であった左近淑教授は、旧約聖書を「崩壊期の書」だと言ったことがあった。「賽の河原」、それはまさに崩壊期の預言者エゼキエルに神が開示した「枯れ骨の谷」(37・1~14)の光景ではないか。しかし、神は、エ、ヨコの「心柱」によって新築されねばならないのではないか。「賽の河原」から向こうへと渡す「土曜日のキリスト」=「ヨコの心柱」、この「救済史」的心柱をもって再構築されねばならない。「あなたがたにはこの世ではなやみがある、しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ《口語訳》16・33)、「勇気」とは向こうへ行く力ではないか。いまわれわれはおびただしい死者と共に居る。しかし預言者イザヤは神のことばを伝える、「わたしはあなたたちをつくった。わたしが担い、救い出す」(46・4)、そして使徒パウロは「わが生くるはキリスト、死もまた益」(ピリピ1・21文語訳)を知った。バニヤンはキリスト者の人生を『天路歴程』(Pilgrims Pゼキエルに対してこう問うた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。今われわれ日本の伝道者の耳に来るのはこの言葉、ものすごく低音で重く響くようなこれは、神の問いかけの言葉ではないか。預言者エゼキエルはこう答えた。そう答えるしかなかった。「主なる神よ、あなたのみがご存じです」。では、「主なる神」はどう答えられたか。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」。「お前たち」? あの谷の「枯れ骨」とは、あの「賽の河原」とはこのわたしたち? 他人ごと他所ごとではない、たしかに昔も今も永遠にいましたもう神が、わたしたちに問われている、「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。この重い、重すぎる、そういう問い、エゼキエルは「主よ、どうしたらこのわたしたちは生き返ることができるでしょうか」と答えることしかできなかった。この「賽の河原」のような日本は、いや、わたしたちは、どうしたら生き返ることができるのか。「今は夜の何時ですか」。「夜回りに聞け!」。だれかが光を消した。それは誰か。「夜回りに聞け!」。「わたしたち」か、と。だが、「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたがそこにいます」(詩篇139・8)と詩人は言う。「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す』」(同11節)。「陰府に横たわるイエス」は、福音書で「わたしは道である」と言われたお方、その「道」がここにある。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46・4b)、創造者なる神が救済者となる到来、この道この橋が、動く!

今、日本は、土曜日にいる

戦後、哲学者務台理作から聞いた今なお忘れられない言葉がある。ヘーゲルの「有→無→成」の弁証法はキリストの「生→死→復活」から来ると解説したのだ。「生老病死」ではない、死で終わらない、-自転車が止まっては倒れる、その倒す力を媒介として前へ動く、動いて立つように、その「立つ」は立つは立つでも「立ち」が違う、否定媒介!人生は仏教的「生老病死」の永遠回帰ではない、その永遠に閉ざされた円環が開かれて、よみがえりへ動く。ペンテコステへと動く。土曜日のイエスの死の中にある動き、それが、人間に究極の転換を惹き起こす動きではないか。洗礼!  それは古い人から新しい人への転回いや転向ではないか。「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたがそこにいます」、十字架から復活への道が動く、そしてあの聖霊降臨日へと向こう岸へと架けられた橋のように、鋼鉄のように緊張して身を横たえている土曜日のイエスの中に動きがある。運びがある。ホルバインの描くその口は、「渡って行け、そして甦れ、そして聖霊を受けよ!」と語るように開いている。いま、日本は、そういう土曜日にいるのだ。向こう岸に渡る、主との「コイノーニア!」、そのとき「霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」、これが預言であった。

此岸を彼岸へと動かす力

この大震災の直前まで、東京下町に建設中の世界一高いスカイ・ツリー塔完成間近で見物の人々で賑わった。その地の出身王貞治氏は、「このあたり一帯は敗戦の年の 3・10~11 の大空襲で焼野原になったところだ」と戒めた。あの関東大震災後軍国主義的に再建された日本はこうして潰滅し、これまた「賽の河原」の景を呈した。今そこに建つ「スカイ・ツリー」は古代の五重塔の「心柱(シンバシラ)」の工法を応用した。日本にタテの心柱工法で新バベルの塔を造ることではない。ブリューゲルは『バベルの塔』の崩壊の絵を描いた。いま人間世界に起こっていることは、「ヒト」はヒューマナイズ、「グローブ」はグローバライズ、新しい人間新しい世界への転化ではないか。人間、世界、文明はその新しい建築にヨコの心柱をもたねばならない。人生史、世界史、グローバリゼイションは、ヨコの「心柱」によって新築されねばならないのではないか。「賽の河原」から向こうへと渡す「土曜日のキリスト」=「ヨコの心柱」、この「救済史」的心柱をもって再構築されねばならない。「あなたがたにはこの世ではなやみがある、しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ《口語訳》16・33)、「勇気」とは向こうへ行く力ではないか。いまわれわれはおびただしい死者と共に居る。しかし預言者イザヤは神のことばを伝える、「わたしはあなたたちをつくった。わたしが担い、救い出す」(46・4)、そして使徒パウロは「わが生くるはキリスト、死もまた益」(ピリピ1・21文語訳)を知った。バニヤンはキリスト者の人生を『天路歴程』(Pilgrims Progress )いみじくも「旅する者たちの前進」と呼ぶ。トレルチは「彼岸が此岸の力である」と言う。「わたしは道である」、その道に動きがある。此岸を彼岸へと動かす力が感じられる。人生史、世界史の深く内面に横たわるあの土曜日のイエスには「ヨコの心柱」の啓示があるのではないか。「霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」。グローバリゼイション! 世界は教会になりたがっている。だから教会は教会にならねばならない。ねがわくはわが教団にこの預言の成就あらんことを。

(聖学院大学大学院長)

ハンス・ホルバイン[1497~1543]アウクスブルク生まれ。ドイツ・ルネサンス最後期の代表的画家で、ヨーロッパ絵画史上最高の肖像画家の一人と言われる。トマス・モアやヘンリー8世の肖像画がある。他の代表作に『聖母子と市長マイヤーの家族』『死の舞踏』絵は、バーゼル市美術館所蔵、ドストエフスキーにも深い感銘を与えた。

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