あの日から半年が過ぎた。一瞬にしてひっくり返され壊されてしまった日常、毎朝目覚める度ごとに、夢であって欲しいと願わずにはいられない受け入れがたい現実、あれから半年が過ぎた。涙に沈みきり、もう一度立ち上がろうとすることが、波に飲まれて逝った人々への裏切りであるようにさえ思えた日々、しかし、暮らしを取り戻すことで、地震を津波を、嘲笑ってやりたいとも思うのだ。
(教団新報への通信から)
半年前に、私たちは悲鳴を聞いた。慟哭を聞いた。そして、慰めるべき己の言葉の貧しさを恥じ、精一杯に延ばさなければならない手の力の足りなさを嘆いた。半年が経って、今私たちは何をなすべきか、私たちに何ができるか。改めてその声を、その祈りを聞くことから始めなくてはならない。ここに、被災3教区の祈り・叫びを、各教区総会議長の声を通して届ける。
弱っている時にこそ、み言葉に立てられ 多くの祈りに支えられ 東北教区
3月11日の前のことがすぐには思い出せないという声を聞くことがあります。あまりにも多くのことが起き、多くのことが変わってしまった。それぞれがあの日以来の「違ってしまったこと」を抱えています。
なくしたこと、得たこと、留まってしまったもの、踏み出せないこと、せかされることを負いながら、舗装道路を外れて知らないわき道に入ったように、ごつごつしたものの上を進むように日が過ぎています。
生活感覚や心の動き方も影響を受けました。気持ちが過敏になって涙もろくなったとか、心がこわばっているとか、こらえることができなくなったと言われます。
半年を迎え「その後」という言い方で、どれだけのことがまとめられるだろうか。あの日以来次々と頭をもたげ林立してきた「問い」の向こうに、これからを見通すことができるだろうか、という思いがあります。 そこで今の時点までの取り組みを紹介し、引き続き祈りに覚えてくださるようお願いします。
被災者支援センター
今回の災害の特徴はその規模と範囲の大きさ、そして被害の多様さです。それにいくらかでも対応しようとすれば東北教区の人的な経済的な実力をはるかに超えてしまいます。そのために多くの場面で多方面からの協力を必要としました。幸いなことにそれが思いを越えて与えられています。
まず、石橋秀雄教団議長の訪問により教団と被災教区の連携による対応を基本としました。それに続いて、東北教区センター「エマオ」に東北教区被災者支援センターが立ち上がりました。
教区の諸教会は被災し、物資もなく、情報も途絶え、ライフラインが止まり、それぞれが教会員の対応に追われ、また避難者を受け入れまったく余裕のない状態でした。
その中で支援センターには直ちに多くの教区と団体の人的支援、経済的支援が寄せられました。特に災害に対する組織と活動の立ち上げについては、これまでに救援活動経験のある教区のノーハウが与えられたことで初動対応することができました。
さらに教団からは連続して専従者が派遣されて支援体制が整い、それに平行して、石巻は石巻栄光教会に仙台では荒浜・七郷に、支援拠点が与えられました。ボランティアの継続的な派遣が行われています。
これらの一つひとつが多くの献身的な働きによって成り立っています。拠点とセンターに詰めているスタッフ、ボランティアとそれを派遣する教区や団体、宿泊を提供する教会、教会への訪問、自主的な企画による応援、祈りと励まし、その他の、紙面では紹介しきれない多様な働きが重ねられています。
現在、一時休止した石巻拠点が、新たに一軒家を入手して活動を再開しました。教団との連携による活動です。ワークは地域との対話的な働きです。冬に向けての新たなワークも必要となっています。
教区総会
今年度の教区総会が開催できるかどうか大きな問題でした。交通機関の分断、宿泊や食事の確保、印刷所が開かれないという要因。3月は年度末でありながら、多くの教会で教会員が礼拝に集まることができませんでした。そのため、役員会、教会総会を開くことができず、経済的にも3月の決算が困難な教会もありました。教区総会全部の資料を手作りし、日程を短縮して、やっとの思いで教区総会を開くことができました。そして、各教会の努力によって出席は例年通りとなりました。
総会では「東日本大震災対応、東京電力福島第一原発事故の対応に関する件」が可決されました。教会復興の目指すところを、建物や教勢の復旧ではなく、教会の本来の使命であるみ言葉に仕えることが力づけられ、霊的に復興されて、地域的な役割を果たしていくこととしました。弱っている時にこそ、み言葉に立てられ、支えられ、慰めを受けることによって教会が希望をもたらす塔としての役割を果たすことできるようにと願っています。
教会救援復興委員会が設置されました。他の教区活動は縮小凍結し、身をつめて教区の全力をここに集中するようにしました。
①被災した建物や土地について、改修・修復・建設の支援を始めています。88教会中54教会が被災する中、建て替えなどが必要な12の教会を重点支援の対象としました。
②幼児施設への放射線被害と震災被害の支援の方法を決定しました。
③放射性物質による被災の調査を進め、「東北教区は、放射能汚染の被害を受けている教区の皆さんを支援します」の文書を明らかにしました。
④信徒・教職のケアのため7回の「支援をする人のための心のケア」セミナーを開きました。
⑤広報「東北教区教会救援復興委員会通信」を毎週ファックスで発行しています。これまでに21号を発行しました。各教区宛にもお送りしています。
のべ22名の委員に、委員以外の協力者、支援センターの働きを加えると、文字通り教区の総力となっています。
今後について
放射線被害が東北への偏見を助長する中深刻さを増しています。「会津放射能情報センター」が子供の遠隔地休養や情報収集で働きを重ねています。教区の協力団体として連携が期待されます。
今後の見通しは不確かです。しかし、これまでに東北教区に寄せられた支援金は7千万円を越え、そのほかにも多くの支援の申出や、慰め労わり力づけられる訪問とお言葉を頂いています。
多くの祈りに支えられ、教区の諸教会が黙々と礼拝を守り、み言葉を希望を持って聞き続けていますことを感謝を持ってここまでの報告といたします。
(東北教区総会議長・仙台東六番丁教会 高橋和人)
18:24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。
18:25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
18:26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
18:27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
18:28 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。
19:1 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、
19:2 彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。
19:3 パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。
19:4 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」
19:5 人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。
19:7 この人たちは、皆で十二人ほどであった。
19:8 パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。
19:9 しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。
19:10 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。
18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
18:12 ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、
18:13 「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。
18:14 パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、
18:15 問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」
18:16 そして、彼らを法廷から追い出した。
18:17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。
18:18 パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。
18:19 一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。
18:20 人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、
18:21 「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。
18:22 カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。
18:23 パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。
17:16 パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。
17:17 それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
17:18 また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。
17:19 そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。
17:20 奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」
17:21 すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。
17:22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。
17:23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
17:24 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。
17:25 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
17:26 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
17:27 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
17:28 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。
17:29 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。
17:30 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。
17:31 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
17:32 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
17:33 それで、パウロはその場を立ち去った。
17:34 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。
17:1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、
17:3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
17:4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
17:5 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
17:6 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。
17:7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
17:8 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。
17:9 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。
17:10 兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。
17:11 ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。
17:12 そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。
17:13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。
17:14 それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。
17:15 パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。
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