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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4752号】問安を終えて

2012年7月21日

 何れの教区においても、年一度の教区総会は精神的にも体力的にも、多くのエネルギーを必要とする事柄であろう。私もこれまで、自教区の総会に最後まで出席するだけで、十分な疲労を覚えてきた。
 それが、教団三役になると手分けして4つ5つの教区総会に伺うことになる。正直、これが一番の恐怖であった。否、勝手に、負担になると思い込み恐れていたのである。
 ところが実際に伺ってみると、全く別の感慨が湧いてきたことに我ながら驚きを覚えている。この体験をむしろ得がたい体験、まことに幸いな体験と思うようになったのである。
 何が幸いなのかというと、自分の知らない地で、その地域の課題を担いつつ、どのように諸教会が伝道し、苦悩し、また喜びを共にしてその一年を歩んでこられたかを知ることが出来るからである。
 これはまさに三役の特権であり、問安使ならではの体験であろう。あとは、このような者をも、教団問安使として礼儀を尽くして迎えて下さった諸教区に、教区総会に出席し得た者として、どれだけ公私共にお応えしていけるかが問われていると思う。微力ながら、精一杯の努力をさせていただきたいと思う。
 同時に、今回も問安を受け入れていただけなかった教区があることを、痛みをもって覚えたい。
 会議制で政治を行う教団の、教区総会は対話の原点であるからである。
(教団総会副議長 岡本知之)

 エマオのボランティアから受洗

 昨年7月、初めて家の近くの教会の門を潜った。
 そこで手にした週報に、西東京教区の被災地派遣ボランティアの1行を見出して釘付けとなった。翌週、2度目の礼拝に出席して、再び週報でボランティアを呼び掛ける文章に接して、迷わず決断した。被災地の報道に心を痛めていたが、自分に何が出来るのか、わからなかったからだ。
 8月、西東京教区の用意してくれた車で6時間掛けて仙台に向かい、東北教区エマオ・センターのボランティアとなった。
 1週間から時に2週間奉仕する。8月に2回、11月、12月、今年3月とこれまで5回通い、10代から70代と幅広いエマオのボランティアの中でも、有力な若手リピーターの一人となった。
 長年住み慣れた名古屋から東京に転居したばかりで、西も東も分からない北浦さんにとって、礼拝に出席したこと、被災地のボランティアになったことは、大きな一歩だった。
 聖書は、家で17歳の時から読んでいたが、内省的で、内向きになりがちだった。「教会でいろいろの人と出会えて、外に出て行こうという気持ちが高まって来た。被災地のボランティアをして、自分でも社会に役立つことをすることが出来ると、思えるようになった」と北浦さんはいう。
 エマオ・センターからの派遣先は、仙台市七郷と石巻市。七郷には自転車で1時間ほど掛けて行く。瓦礫、汚泥、家の取り壊しの手伝い、後片付け、畑の雑草取り、仕事は限りない。午前3時間、午後3時間働いて、夜は仙台市の教会内の1室、時に礼拝堂で就寝する。
 石巻は「まだまだ、やっと今から始まるという感じ」という北浦さん。1年間のボランティアとしての働きは、ごく自然な形で実った。
 今年4月のイースター礼拝で、北浦さんは、通っていた小金井緑町教会で受洗した。

 第37総会期第8回宣教研究所委員会が6月7日~8日に開催された。
 『信仰の手引き』については在庫が少なくなってきたので再版を行うことにした。費用は宣教研究所委員会の負担とし、千部を作成する。これを販売用や今後の教団新任教師オリエンテーションにおける配布用とする。
 第5回常議員会で改訂作業の委嘱を受けた「宣教基礎理論」については、第7回委員会で第一次草案ができ、教規によるところの常設委員会、及び常設専門委員会の全てに3月の初めに配布し、内容を確認してもらい、意見を集約する作業に入った。また特設委員会である伝道方策検討委員会には参考資料として渡した。
 今回の第8回委員会までに3つの委員会から意見が寄せられた。これらの意見に基づいてどのように修正するかを協議し、修正の方針としては以下のことを確認した。寄せられた意見には、互いに矛盾し両立しない意見があるので、全てを取り入れることや応えることは難しい。意見に基づき宣研で議論を行い、なぜそのような修正に至ったか、またなぜそのような表現に至ったかが分かるように対応する。
 まだ意見が寄せられていない6つの委員会については、各委員会開催日に宣研の委員が原則2人一組で陪席をさせて貰い、宣教基礎理論改訂に至る経過の説明と意見の収集を行うこととした。その際に改めて8月末までに文書で意見を寄せて貰うことも依頼することとした。
 また10月に「宣研だより」第26号を発行することとした。この中で「改訂宣教基礎理論」の第一次草案について、そのごく一部を抜粋する形で掲載する予定であるのでご確認願いたい。
(長谷川洋介報)

あなたの出番です

新燃岳を擁する霧島連山の裾野に広がる、宮崎県都城市。地方都市の雛型のような町だ。
その地に立つ私どもの教会もまた、現代日本の教会の「雛型」のような教会かもしれない。戦後の50年代から60年代に受洗した、現在70~80代前後の兄弟姉妹が教会員の大半を占める。
そのような教会で、孫のような牧師は、エステルの養父モルデカイよろしく言い続けている。
「皆さんが召し出されたのは、今、この時のためだったのです」。
かの時代、多くの受洗者があった。しかしその後に教会を離れた者も、既に召された者も少なくない。にもかかわらず、今もって教会を支え続けている人々。「選り抜きの精鋭」としか言いようがない。
主は今日のためにこそ、この人々を残しておかれたのだ。受洗者が礼拝堂に並びきれなかった光景が、日曜学校に子どもが溢れかえった有り様が、脳裡に焼き付いている人々。何のために主はそのような光景を彼らに見せたのか。後日、歳を重ねた彼らに溜息をつかせるためか。否! 否!

「足腰が弱っていませんか、信仰の」。顔色を伺わず敢えて申し上げます。書棚の奥で埃をかぶった信仰問答書を引っ張りだしてください。「問一 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか」。
そもそも、あなたはなぜ教会に行くのですか。どうして礼拝し続けているのですか。「長年の習慣ですから」。違う、私たちが聞きたいのはそんな答えではありません。
救いの喜びはどこへいったのです。「あなたのために裂かれたキリストの体、あなたのために流されたキリストの血潮」。義とされた罪人よ、信仰をもって噛みしめる聖餐の喜びはどこへいったのです。
「わたしに倣う者になりなさい」-あなたの背中に、そんな無言の雄弁を聞きとりたい。「いや、私は信仰の弱い者ですから」。そんな言葉を、あなたを今日まで守り続けてくださった主が聞いたらどう思われるでしょうか。

新燃岳噴火直後の日曜日。いつにもまして閑散とした通りを、何食わぬ顔で灰を掻き分け、黙々と礼拝に参ずる兄弟姉妹。私は、その姿に主の僕としての生き様を垣間見ました。
「杖の先に寄りかかって神を礼拝した」と言われている老ヤコブの迫力に、私は叱咤激励されます。幼子キリストを胸に抱く神殿の老シメオンの姿に、私は信仰者の真髄を見ます。ある老牧師は言いました。「幼子と母マリアの絵も良いけれど、幼き救い主をかき抱いて涙を流すシメオンの姿こそクリスマスカードに相応しい」。然り! 然り!
日本の教会の宝である兄弟姉妹、主の精鋭よ、どうか立ち上がってください。主がお入り用なのです。世代交代とは「ただ退く」ことでしょうか。あなたの後輩たちは、日本の教会は、あなたの姿に主の僕としての生き様を、信仰者の真髄を見たい。牧師を後ずさりさせるほどの静かな気迫で礼拝を捧げる、本物の信仰者の姿を、この目に焼き付けておきたい! 襷(たすき)を受け取る私たちに、神を信じることを教えてください。
「あの頃」があなたの黄金時代なのではありません。今こそ、あなたの出番です。
最後まで、誰よりも求道者であり続ける美しいあなたの姿を見つめています。私たちと、主が-。

杉本常雄氏(無任所教師)
 12年4月29日逝去、62歳。大阪府に生まれる。’87年同志社大学神学部を卒業、同年阿倍野教会に赴任、11年まで淀川教会を牧会した。遺族は妻・杉本美由紀さん(無任所教師)。

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