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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5022号】戒告・事務局報(5面)

2024年8月24日

戒  告

日本基督教団正教師 瀧澤雅洋

上記の者、教規第141条並びに戒規施行細則第2条に基づき、『戒告』に付す。

 2024年8月5日

第42総会期日本基督教団教師委員会 

委員長 古旗 誠

戒規適用にいたる経過

 2024年1月12日付で東北教区から「瀧澤雅洋」教師(無任所教師)の戒規適用申請がなされた。当委員会はこれを受理し、委員会内に調査員会を設置、申請内容の事実関係の調査を開始した。当該教師からは文書にて事情を聴取の上、調査員会は戒規適用に該当するとの報告を当委員会に行った。当委員会は慎重に検討した結果、同教師は教規第141条及び戒規施行細則第2条に抵触するとして戒告相当との適用を決定した。(教師委員長)


教師逝去

大﨑節郎(隠退教師)

 24年7月9日逝去、91歳。島根県生まれ。58年東京神学大学大学院修了、同年より名古屋桜山、阿佐谷東教会を牧会し、東北学院大学に務め、09年隠退。遺族は甥・三浦守進さん。

増田将平(青山教会主任担任教師)

 24年7月16日逝去、52歳。富山県生まれ。96年東京神学大学大学院修了、同年より平塚富士見町、藤枝、柏、青山教会を牧会。遺族は妻・増田基子さん。

髙砂民毅(隠退教師)

 24年7月14日逝去、88歳。北海道生まれ。64年東京神学大学大学院修了、同年より大宮前教会、荻窪清水教会を牧会し、15年隠退。遺族は息・髙砂民宣さん。

松井 初(隠退教師)

 24年7月19日逝去、63歳。東京都生まれ。05年同志社大学大学院修了、同年より水戸、燕、新発田、倉敷水島、高鍋、佐野教会を牧会し、24年隠退。遺族は従兄・山﨑忍さん。


正教師登録

桒原道子、下園昌彦(2024・6・29受按)

早川明彌(2024・6・30受按)


補教師登録

柴田朋子、金 旻哉、松本吉氏光(2024・6・29受允)


教師異動

要町  辞(主)野澤満雄
 〃  辞(担)野澤菜奈
 〃  就(主)野澤菜奈

六角橋 就(担)柴田朋子

田浦  辞(主)鄭娜晤美
 〃  就(主)金 旻哉

青山学院横浜英和中学高校   就(教)鄭娜晤美

林間つきみ野 辞(主)川浦弥生
 〃 就(主)松本吉氏光

丹原  辞(代)長内敬一
 〃  就(代)山下茂雄

代田 辞(担)日髙貴士耶

喜音  辞(主)太田恵理
 〃  辞(担)湯木洋一
 〃  就(代)嶺重 淑

串木野 辞(主)藤田房二
 〃  就(代)西畑 望

西札幌 辞(代)指方信平
 〃  就(主)久保吉隆

新島  辞(主)小橋孝一


教師隠退

野澤満雄、小橋孝一、稲生勝也


教師退任

鈴口 宏


教会離脱

新泉


お詫び・訂正

 新報5021号1面「協議会」本文中、5段目5行目「ことが確認された」を「との意見があった」に、2面「神奈川教区選挙結果」欄、岩村悦江、「二ツ橋」を「横浜二ツ橋」に、お詫びして訂正いたします。

 第226回米国長老会(Presbyterian Church of USA)総会が、「希望へと生きるLive into Hope」を主題に、6月25日〜7月4日、米国ユタ州ソルトレークシティーで開催された。私は、世界の諸教会から選ばれたエキュメニカル助言使節の一人として参加した。

 現地プログラムは、前半3日間が12の委員会に分かれたオンライン会議、そして週末を挟んで後半5日間が、千人以上が一堂に会する本総会であった。議場での交流はさながら巨大な祝祭のようであった。神学校ごとの同窓会もあった。

 前半のオンライン委員会では、私は60名ほどいた「環境」部会に配属され、 毎日8時間ほど議案審議を行った。「プラスティック汚染」、「リチウム鉱山」、「再生エネルギーへの移行コスト」などの各議案につき3名ほどがパワポで趣旨説明を行い、とても勉強になった。「意見と投票voice & vote」の権利が私にも認められた。

 後半の対面式の総会では、審議の合間に、聖餐式を含む礼拝や賛美が、またダンスがふんだんに組み入れられ、私はエキュメニカル礼拝で、英語のプロンプターを見ながら日本語で祈りを唱える役割をした。審議事項では、まず新しい総会議長(2名制)の選挙が行われた。必ず有色人種と女性を入れるのが流儀である。一般審議では、さらに若い成年・神学生・派遣宣教師が助言使節に加わり、賛否両論の表明の末に、使節団の投票結果を見ながら議員たちが本決議を行った。通過した議案は「オンライン聖餐式の継続と根拠づけの要請」、「キリスト教シオニズムとの決別」、「子どものための銃規制強化」など、逆に「石化燃料企業への投資停止」、「韓民族独自のコーカス承認」などは否決された。

 ソルトレークシティーはモルモン教の本拠地であるが、市内には百年の歴史を誇る日本人教会とジャパンタウン跡地がある。裏番組で開かれた、アジア諸語を話す在米長老教会の会合も興味深かった。

(廣石 望報)

差し替え

 新報5021号に掲載した、九州教区から第43回教団総会へ提出された教憲変更議案を差し替えます。


教憲変更議案:「教憲9条を改正し、伴って関連教規条項を改正する件」掲載について

2024年7月27日

第42総会期 日本基督教団総会議長 雲然俊美

 第74回九州教区定期総会にて、第43回教団総会への提出議案として可決されました。本議案は、「教憲変更議案」となります。教憲12条に則り、教団新報にて「公表する」こととなりました。


教憲9条を改正し、伴って関連教規条項を改正する件

提案者 第74回九州教区総会

議案

 現行の教憲第9条の規定「教師はこれをわけて,正教師および補教師とする」は、先の大戦下に宗教団体法(1940年施行)及び同施行令の命じるところに従って合同前各教派が不可抗力的に採るに至った「二種教職制」を踏襲して定められた旧日本基督教団規則第207条「教師ハ之ヲ分チテ正教師及補教師ノ二種トス」を、戦後の混乱期に充分な検討なくそのままに引き継いだ(1946年6月制定)ものであって、教会の信仰に基く内的希求ないし信仰的決断に発した定めではない。

 従って、第43回日本基督教団総会は、先の戦時下に犯した“神の主権よりも国権を上位に置いた過ち”を深く悔改め、神が与え給うた信仰の自由なる決断において、教憲第9条を次の通り、改正し、伴って関連教規条項を改正する。

提案理由

 日本基督教団は、敗戦前の国家統制の厳しい時代に採ることを余儀なくされた二種教職制度を、教会に相応しい制度であると捉えてきた訳ではありません。1954年の教団信仰告白制定後の1956年の教憲改正、それに続く再度の教憲改正作業(1958年)がなされた頃、“教師とは按手礼を領した者ではないか”との意見が盛んに主張され、その正当性を認める形で“准允を受けた者を「教師補」とする”内容の教憲第9条改正案がまとめられたのでしたが、第12回教団総会(1962年)では二種教職制の解消に至らないままの教憲改正となりました。

 しかし、議論は止むことなく更に続き、第15総会期信仰職制委員会(1968年−)は“教師を二種とせず、一種のみとすべき”と結論し、同時に教師に至るまでの「教師補」的制度を置くことが望ましいという方向性を打ち出しました。これをうけた第16総会期常議員会(1969年−)は教憲第9条改正の必要を認める決議をなしました。その後、常任常議員会の下に設置された作業委員会が提出した報告を基に常議員会は、1970年7月、第17回教団総会に二種教職制廃止を目的とする教憲第9条改正を正式に提案することを決定したのでした。その内容は、教憲第9条の条文を「本教団の教師は,神に召され正規の手続きを経て献身し,按手礼を領した者とする」というものであり、これに伴う教規、関連規則の変更を第18回教団総会に提案できるように常議員会に準備させるというものでした。

 この改正案は、いわゆる「教団紛争」の激化に伴う第17回教団総会延期などの事情の中で、以後の教団総会で毎回継続審議扱いとされざるを得ず、第25回教団総会(1988年)において、全教区の議員が揃う教団総会開催まで審議を凍結するとの決議がなされ、教団総会議案からは消えることとなりました。しかし私たちが忘れてならないのは、この間30余年の長きにわたって信仰の先達が日本基督教団にとっての、あるべき教職制度を形にしようと真剣な努力を続けて下さったという事実であり、教団全体にも、まことの教会となるために二種教職制度の問題を等閑視することはできないとの認識が保持し続けられていたということです。

 1982年からは「三委員会連絡会」(教師委員会・信仰職制委員会・教師検定委員会)が、教師制度や教師検定制度のあり方について検討を重ねるという努力があり、第27回教団総会(1992年)は全教区の議員が出揃う総会となりましたが、残念ながら、以後の教団総会で二種教職制廃止をめぐる本格的な議論がなされる機会は多くはありませんでした。本質議論は出尽くしているであろうとの認識と共に、膨大な議論の集積という事実が、その時点での議員たちの積極的発言をためらわせたものでしょう。そしてまた、時の経過の中で事実上、継続されてきた二種教職制度ですから、これに無頓着な世代が現れてきたことも要因であったと思われます。

 直近、最後の教団的取り組みは、第30総会期第5回常議員会(1998年7月)が提案し、第32回総会(2000年)で可決された「教憲9条を検討する件」でした。これは実に3総会期をかけての検討でしたが、教憲第9条検討作業委員会は2006年2月の第34総会期第4回常議員会に、これ以上の検討作業継続は困難であるとの最終報告を提出、常議員会がこれを承認したことによって、二種教職制度は教団の議題とされることなく今日に至ることとなったのでした。この時点で課題克服を阻んだ要因のひとつは、温存された二種教職制度と共存するうちに、補教師という制度の中に訓練期間としての「有用性」を見出す層が現れてきたことであったと考えられます。

 以上のように、教憲第9条に定められた二種教職制度に対する問題意識が、時の経過と共に退行してきたことは否めません。しかし、そうであるからと云って、教会の根幹に関わるこの問題を捨て置くことはできません。先の敗戦後にいち早くこの問題を指摘した先輩方やその後に改正努力を積み上げて下さった方々は、“正教師・補教師の別によって御言の宣教と聖礼典執行が分離されることはプロテスタントの神学から承認されないこと”であり、“二種教職制度とは国の圧力の下に採ってしまった便法”であり、“神の主権よりも国権を上位に置いた過ち” の痕(しるし)であることを明確に見抜いておられたのです。この認識は正当です。便法の上に主の教会が建て上げられるはずはなく、“神の主権よりも国権を上位に置いた過ち”の痕を帯びたまま、まことの教会となり得る道理もないことです。補教師制度に訓練期間としての「有用性」を見出すことも本末顛倒というほかありません。

 長い年月にわたる議論の膨大な集積に怖れを抱いているとしても、これより生起するであろう法規相互の整合作業や制度整備にたじろぐ思いに囚われているとしても、私たちは「教憲9条を改正し、伴って関連教規条項を改正する」ことを決断すべきです。私たちは主にのみ従う教会であらねばならず、従ってそれを体現せねばならないからです。

 尚、本議案は、第41回日本基督教団総会に提出された議案、また、第42回日本基督教団総会に提出された議案と内容を同じくする議案です。第66回九州教区定期総会(2016年)において決議され、その後、同年開催の第40回日本基督教団総会に提出された議案は、提案者の責めに帰せられるべき理由なく、教憲12条所定の期間内議案公表手続きに瑕疵が生じたため、上程されることがありませんでした。また、この議案に修正を加え、第68回九州教区定期総会(2018年)において決議され、その後、同年開催の第41回日本基督教団総会に提出された議案は、総会に残された審議時間がわずかであったので、短時間でこの議案を判ずることを避けるため、提案者である九州教区総会を代表する総会議長自ら取り下げました。更に、第70回九州教区定期総会(2020年)において決議され、その後、2022年開催の第42回日本基督教団総会に提出された議案も、第41回日本基督教団総会と同様の理由で、提案者である九州教区総会を代表する総会議長自ら取り下げました。

 この過程で、九州教区総会が願ってきたことは、教団の歩み、ひいては「国家と教会」という、信仰の本質にも関わる重要な主題を内包する本議案がこのまま捨て置かれ、二種教職制度の課題が風化していかないこと、また、かつての教団が真剣に向き合おうとした二種教職制度への検討・協議の場が、いま一度回復されることでした。

 教団は、第40総会期教師養成制度検討委員会に二種教職制度の取り扱いを委託しました。同委員会は、①「教憲第9条検討作業委員会(2004年〜2006年)」の検討作業と報告を踏まえる、として同委員会委員長と書記を、②「教憲9条改正」議案の提案者である九州教区から提案の概要と趣旨について聴く、として九州教区総会議長を、③二種教職制の問題について神学的な課題について検討する、として東京神学大学学長を、それぞれ招き、聴取を行っています。しかし、第41回日本基督教団総会において九州教区が議案を取り下げたことを理由として、教師養成制度検討委員会は、同委員会として検討を終了させてしまいました。この判断への疑義は拭えません。けれども、より重要であるのは、同委員会自身が、今後、取り扱いを議長と常議員会に委ねる、としている点です。教憲9条の課題は未だ終了していません。一つの委員会に担わせて終わりとするのではなく、議長や常議員会が検討・協議の場を形作り、積極的に課題の解決に向かって取り組みを進めることが必要です。

 また、第42回日本基督教団総会の結果を踏まえ、九州教区総会議長は日本基督教団総会議長と常議員会に「第42回 日本基督教団総会での議事運営に対する抗議と質問」を出しました。その中の質問の三)「九州教区が行ってきた『教憲9条改正』の提案は、本来は教団の責任においてなすべきことであると理解します。教団が過去に行ってきたような『教憲9条改正』に向けた動きをなさるべきです。2年ごとの総会での議論に任せるのではなく、今期2年の任期中に常議員会の責任において議論を開始し、問題点を整理しつつ改正に向けた協議を始めるべきではないでしょうか。取り下げで終わりとするのではなく、九州教区議案を出発点として議論を進めていくことを提案しますが、いかがお考えでしょうか。」に対して、日本基督教団総会議長は「教憲9条にある、いわゆる『二種教職制』は教団の教師制度における重要課題であると認識しております。このことについてはこれまでも検討がなされてきましたが、改正には至りませんでした。教師制度は教団の教会としてのあり方の根本に関わり、教師養成、教師検定とも繋がる深くかつ広い問題です。三役としては、今後教団の教師論の明確化に努めつつ、教団の教師制度のあるべき姿を検討していきたいと考えております。そのために今期は、常議員会において協議会を開催するなどして、教団の教師制度の歴史と、これまでなされてきた諸検討内容について学ぶ機会をもちたいと考えております。」と文書で回答しました。2024年春の段階では、常議員会において協議会や学びの機会が持たれたことは、寡聞にして知りません。議長が、回答の内容を誠実に実行し、取り組みを進めることを求めます。

 以上、わたしたち九州教区総会は、教団における二種教職制度の克服を願い、本議案を提出いたします。

以上


※下線部改正箇所 (参考)は、諸規定等で、関連して改正が必要となるものの例を示す。

※教規改正以外に、「教師検定規則」の改正も必要となる。

《 現行規程 》

《 改訂規程(案)》

教 憲

第9条

本教団の教師は、神に召され正規の手続きを経て献身した者とする。

教師はこれをわけて、正教師および補教師とする。

正教師は按手礼を領した者、補教師は伝道の准允を受けた者とする。

なし

教 規

第7条① 略

② 議長、副議長および書記は、正教師の議員の中から定期教団総会において選挙する。

第12条① 略

② 仮議長は、正教師の議員の中から選ぶ。 

第61条① 教区総会は、次に掲げる議員をもって組織する。ただし、沖縄教区の場合は、第1号ないし第4号の議員を教区規則の定めるところによって変更することができる。

(1)略

(2)教区内における正教師たる巡回教師

および正教師たる教務教師の互選による者、総数の3分の1

(3)教区内における正教師たる神学教師各神学校の専任者、総数の2分の1

(4)−(5) 略

第62条① 次に掲げる者は、准議員として教区総会に出席し発

第9条

本教団の教師は、神に召され正規の手続きを経て献身し、按手礼を領した者とする。

付則(※12条の後に追加

上記の変更は、決議の日から3年を超えない範囲内において、常議員会の定める日から施行する。

② 議長、副議長および書記は、教師の議員の中から定期教団総会において選挙する。

② 仮議長は、教師の議員の中から選ぶ。

第61条① 教区総会は、次に掲げる議員をもって組織する。ただし、沖縄教区の場合は、第1号ないし第4号の議員を教区規則の定めるところによって変更することができる。

(1)略

(2)教区内における巡回教師

および教務教師の互選による者、総数の3分の1

(3)教区内における神学教師各神学校の専任者、総数の2分の1

(4)−(5) 略

第62条① 次に掲げる者は、准議員として教区総会に出席し発

言することができる。ただし、表決に加わることができない。

(1)正教師で議員でない者

(2)補教師で議員でない者

(3)教区総会において推薦する者

(4)キリスト教教育主事

第63条① 略

② 議長および副議長は、正教師たる議員の中から、書記は議員の中から、定期教区総会において選挙する。

③−④ 略

第66条 教区総会において処理すべき事項は次のとおりである。

 (1)−(2) 略

(3)教師の按手礼および准允に関する事項

(4)牧師、伝道師の就任、退任その他教師の移動に関する事項

(5)以下 略

第103条 教会担任教師が正教師であるときは牧師、補教師であるときは伝道師という。

(参考)

 「日本基督教団 教会」規則(準則)

第14条① 担任教師が正教師であるときは牧師、補教師であるときは伝道師という。

② 略

第15条 牧師または伝道師が就任したとき、教会は教区と合議の上、就任式をおこなう。

第104条 教会担任教師は、次の教務を執行する。ただし、伝道師は第2号の教務を執行できない。

以下 略。

第123条① 教師は分けて正教師および補教師とする。

② 教師は教区および教団の名簿に登録しなければならない。

第124条① 正教師とは、正教師試験に合格し、教区総会の議決を経て、按手礼を領したものとする。

② 略

第125条① 補教師とは補教師検定試験に合格し、教区総会の議決を経て、伝道の准允を受けたものとする。

② 准允は、教区総会議長がつかさどる。

(参考)

 宣教師に関する規定

第5条(職制)

 受入れ宣教師で、本教団の教師と同等の准允もしくは按手礼を受領した者は、教規123条の本教団の教師とみなす。

言することができる。ただし、表決に加わることができない。

(1)教師で議員でない者

(2)教区総会において推薦する者

(3)キリスト教教育主事

第63条① 略

② 議長および副議長は、教師たる議員の中から、書記は議員の中から、定期教区総会において選挙する。

第66条 教区総会において処理すべき事項は次のとおりである。

 (1)−(2) 略

(3)教師の按手礼に関する事項

(4)牧師の就任、退任その他教師の移動に関する事項

(5)以下 略

第103条 教会担任教師を牧師という。

(参考)

 「日本基督教団 教会」規則(準則)

第14条① 担任教師を牧師という。

② 略

第15条 牧師が就任したとき、教会は教区と合議の上、就任式をおこなう。

第104条 教会担任教師は、次の教務を執行する。

以下 略。

第123条 ① 削除

教師は教区および教団の名簿に登録しなければならない。

第124条① 教師とは、教師試験に合格し、教区総会の議決を経て、按手礼を領したものとする。

② 略

第125条 削除

(参考)

 宣教師に関する規定

第5条(職制)

 受入れ宣教師で、本教団の教師と同等の按手礼を受領した者は、教規123条の本教団の教師とみなす。  

同じ恵みによって召された聖徒

大平伝道所・福島伊達教会牧師 白井真

大平伝道所のはじまり

 信徒の友1968年11月号「ここにも教会がある」。大平伝道所が「全部落がクリスチャンというところが福島県にある」と写真入りで紹介されています。

 大平伝道所は1950年(昭和25)、ハワイから一時帰郷した安斎栄一兄が郷里伝道を志し、福島伊達教会に本宮幸四郎牧師を訪問したことから始まりました。安斎兄の郷土愛、そして主イエス・キリストをお伝えしたいと願うその真心は、集落のひとびとの心を動かし「一村ことごとくキリスト者」と呼ばれるほどになったのです。

 安達太良山を見渡す丘の上に、立派な会堂が建てられ、毎週多くの村人が礼拝に集いました。教会学校も開催され、福島伊達教会からは本宮牧師と信徒が毎週応援に出かけました。

会堂喪失からきょうまで

 大平伝道所はその歴史の中で大きな危機を経験しました。それは、信仰者の世代交代が進み、借りていた会堂敷地を返却しなければならなくなったことです。

 会堂を失って長い時が立ちましたが、主なる神さまとの約束は変わりません。熱心な信徒たちが何軒かの自宅を持ち回りで開放し、毎週の礼拝を守りました。現在も毎週土曜日夕方5時より二本松市下長折荒井地区で礼拝をささげています。

 また大平伝道所から、仕事や結婚で他所へ転居する人々もいます。遠く離れていても、同じ約束、同じ希望を大切にしています。

聖徒の交わりを信ず

 いっしょに礼拝を守ってきた兄姉が天に召され、礼拝出席者数は年々少なくなってきました。しかし大平伝道所の信徒が減ったわけではありません。

 「あまつみたみも地にあるものも」と讃美を歌うたびにハッとさせられます。大平伝道所の礼拝で言い表す使徒信条にある「聖徒の交わり」を信じます。今ここにはいない大平伝道所の先輩方と、今ここに集うわたしたちは、同じ恵みによって召された聖徒です。

 かつてある先輩キリスト者から教えられました。「暗いと虫も寄ってこない」。本当にそのとおりです。わたしたちはキリストに従う聖徒たちの最前列に席を与えられていることを、きょうも忘れずにいたいと思います。

奉仕する建築士

石川 方子さん

 クリスチャンである両親と共に、幼い時から教会に通い、ギリシャ・ローマ史の研究者だった父からキリスト教の背景や歴史について学んだ他、キリスト教建築に触れる機会も多く与えられた。クリスチャンであった伯母が「惜しみなく与えてくれる人」だったことも信仰生活の手本となった。その生活は1983年クリスマス、千葉教会での受洗に結びついた。父の転勤に伴い高校生の多感な時期を上越の高田教会で過ごす。

 絵画やデザインが好きで「ものを作ることを学びたい。どうせ学ぶなら小さいものよりも大きいものを!」という思いから、筑波大学芸術専門学群で建築を学んだ。大学時代は継続的な礼拝生活から離れてしまった。「元気な人に医者はいらないから教会に行かない」と思っていたという。そのまま1996年に千葉教会で結婚するまで、積極的な礼拝生活は送らずに歩むことになった。翌年、夫の長期出張に同行して米国ピッツバーグの教会に触れた経験は今の教会生活に生きている。

 2003年に第1子を喪った。葬儀をきっかけに筑波学園教会に出会い、人生の一番辛い時期に教会婦人会の人々に支えられ、継続的な礼拝生活の回復に繋がった。2005年に名古屋へ転居し、信仰の基盤をしっかり据えることを考え、家から近い鳴海教会に通った。2015年には一級建築士として会堂建築にも関わった。

 その際、設計に携わった西村晴道氏と出会い、いくつかの教会の会堂建築にアドバイザーとして関わることになった。会堂建築に携わったり奉仕したりする時、求められているのは神様から与えられたものだから時間の許す限り奉仕しようと感じる。父母から教えられた「生きているうちに愛を行う」という思いがその信仰生活に息づいている。

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