◎日時 2013 年8月19日~29日
◎渡航先 ドイツ・ベルリン
◎参加資格 高校生以上22歳未満。本人の参加希望理由(400字程度)を提出のこと。求道者可。ただしキリスト者も求道者も牧師の推薦状を提出すること。
◎募集人数 10名程度
◎費用 交通費と参加費(20万円以内)
◎滞在費 不要
◎引率リーダー 山元克之牧師(仙台青年学生センター主事)他
◎申込締切 4月30日
◎問合せ先 伝道推進室(℡03-3202-0544)
開拓伝道のための祈り
北総線沿線の千葉ニュータウンは、ある信頼できるアンケートによると「日本一住みやすい場所」といわれている場所です。白井市と船橋市の一部、印西市には約13万人の人々が住み、大型店舗が進出し、駅の周辺は高層マンションやビルが立ちならぶ、今なお開発途上の街です。今後10年間は、人口増が見込まれています。
この地域に、日本基督教団の教会がなかったことから、鎌ヶ谷教会を開拓された今井万里牧師の祈りが起こされました。今井牧師は引退後、白井地区に住んで自宅を開放して伝道の展開を願いましたが、当時の公団が高齢者の独り暮らしということで売ってくれず断念されました。今井牧師は松山で天に召されるまで、白井伝道について祈り続けられたと伝え聞いています。
北総伝道の開始
鎌ヶ谷教会では白井伝道は一旦休止、白井献金も凍結されていましたが、内田汎牧師が就任された後、創立30周年記念事業として北総線沿線の開拓伝道を改めて取り上げられました。その際に、鎌ヶ谷教会単独の開拓伝道でなく、親教会群による開拓伝道を千葉支区に訴えられました。
鎌ヶ谷教会を中心に千葉支区伝道部も親教会群参加の呼びかけを行われ、千葉本町教会、西千葉教会、土気あすみが丘教会、東金教会、成田教会、ユーカリが丘教会、八街伝道所、市川三本松教会、冨貴島教会、船橋教会、薬円台教会、新津田沼教会、松戸教会、新松戸幸谷教会、柏教会、八千代台教会、鎌ヶ谷教会、浦安教会、千葉支区をこえて高輪教会、名古屋教会、仙川教会と21の教会・伝道所が参加・賛意を表明されました。
2004年2月14日より、毎月、千葉北総伝道所開設準備委員会を行い、牧師の招聘、礼拝所と牧師館、備品などを検討して備え、協力献金による支援体制を整えてくださいました。
2005 年4月3日公同礼拝を開始。5月11 日教団同意によって開拓伝道所として認可されました。7月伝道所開設式を行い169名の出席がありました。
この後、開設準備委員会は、千葉北総伝道所協力委員会と改め、1年に1度、開催され、千葉北総伝道所からの報告と次年度の展望を祈りをもって共有してくださいました。
2008年現在の場所の土地を購入。492 坪、4910万円でした。その後、土地の上に立っていた古屋をリフォームしましたが使えない物件であると後から判明し、300万円の損失を出してしまうという失態をあらわしました。伝道所存亡の危機でしたが、主のあわれみと忍耐によって会堂建築の志が与えられ、再出発いたしました。
第2・第3の開拓伝道を
2010年に会堂建築が実現しました。その後隣家の申し出により土地等価交換が成立して、敷地は570坪になりました。敷地と建物は見晴しの効く立地条件で、建築後、多くの人が訪れるようになりました。現在の礼拝出席は平均40名。2005年4月、鎌ヶ谷教会から転入した13名と四国から来た牧師夫人とで14名の会員の出発でしたが、2013年1月現在で、51名の現住陪餐会員となりました。
開設準備金として集められた898万9432円を含めて2013年1月現在、5686万円の協力献金で支えられました。会堂建築献金をあわせますと6千万円を越える支援でした。大きな力に支えられました。2013年度、自立した教会の財政予算は1千万円をこえるまで成長させていただきました。
千葉北総伝道所は、現在の場所に至るまで5回の移転をしました。約8年間で多くの困難にあいつつも、成長をゆるされて、念願の自立へと導かれました。その間、親教会群の教会と関係者は、苦難と喜びを共有してくださいました。お礼の言葉も見つかりません。伝道協力のむずかしさとともに伝道の喜びをも共有することがゆるされました。
2013年1月26日感謝をもって、千葉北総伝道所協力委員会は解散の運びとなりました。いっさいは、主から出たことであります。主の御名はほむべきかな。
千葉北総伝道所はこのたび第二種教会申請にあたりまして、教会規則とともにミッションステートメントをあらわしました。千葉北総の教会としての宣教方針を明確にするためです。
伝道する教会としてますます成長し、日本の開拓伝道のモデルとして証しを続けて、自らも第2、第3の開拓伝道を推進していく祈りを与えられています。
(大串眞報/千葉北総伝道所牧師)
山中達郎氏(隠退教師)
13年1月26日逝去、84歳。静岡県に生まれる。’55年日本聖書神学校を卒業。同年掛川教会に赴任、’59年より開拓伝道、切石教会を経て、’95年まで峡南教会を牧会し、隠退した。遺族は、妻・山中和子さん。
難波 巖氏(隠退教師)
13年2月6日逝去、83歳。愛知県に生まれる。’58年同志社大学大学院を修了。同年丹後教会に赴任、三木教会を経て、’63年より12年まで大住世光教会を牧会し、隠退した。遺族は、関根眞治さん。
小澤貞雄氏(隠退教師)
13年2月15日逝去、79歳。神奈川県に生まれる。’63年東京神学大学大学院を修了。同年阿佐ヶ谷東教会に赴任、東京山手教会、秋田高揚教会、玉川平安教会、好善社を経て、’97年より’99年まで日本基督教団総幹事を務め、隠退した。遺族は、妻・小澤耶嘉さん。
2月16日、鳥居坂教会において、宮本義弘前宣教研究所委員長を講師に50余名の信徒が「改訂宣教基礎理論(草案)」を熱心に勉強した。
開会礼拝でネヘミヤ記冒頭が読まれたのは、教団全体が「宣教基礎理論」改訂に当たって、悔い改めの業として取り組む。そこには罪の自覚が求められているからである、と祈り求める姿勢から説き起こした。
改訂に至る問題点の一つは、1963年版「宣教基礎理論」の特徴である「教会の体質改善」という考え方の神学的問題点として、教会の内向きの体質を批判し、社会の激変に対応するよう外向きの姿勢を取らなければならないとした点がある。これは、教会形成や伝道が主要な内容ではなく、社会への直接的関わり社会変革に力点があった。
しかし、キリストの体としての教会にとっては、内向き外向きである以前に、神との垂直的関係において教会が教会であることが問われなければならない。そのために必要なことは、宗教改革の三大原則「信仰のみ、聖書のみ、万人祭司」の回復である。
アップル社スティーブ・ジョブズが目指したことをヒントとして紹介した。「何を欲しがっているかではなく、欲していたのはこれだと気付かせること」。つまり、教会だけしか提供できない、「求めていたのはこれであった」と気付かせることが宣教の姿勢となる。本来、被造物は神の救いを求めている。その救いを教会は自ら明らかにする努力が求められている。
なぜ宣教するのか。マタイ11章28節から始まる宣教基礎理論、即ち神の招きから始まる。イエス・キリストの招きを通して、私たち罪人は神との交わりの中に招かれた。その感謝の業として神を礼拝し、賛美する。ここに最高の幸福と喜びがあり、ここに神の国の到来の雛型を見る。
神との交わりに入れてくださったのが神であるから、その完成まで神ご自身が宣教の主体となって働いてくださることを信じて、信徒一人ひとりに宣教の業に携わる喜びが与えられている。
(鈴木功男報)
3月4日〜5日、第38総会期第1回社会委員会が開催された。開会礼拝の後、組織会を行い、互選により釜土達雄委員(七尾)を委員長に選任した。
冒頭、2月21日に3名の死刑が執行されたことに伴い、即日、前期社会委員長名で要望書(「死刑執行を繰り返さないよう要望します」)を内閣総理大臣、法務大臣宛てに送付したことが報告された。
協議では、前期委員会の「評価と展望」および「申し送り事項」を受け、社会委員会の扱うべき課題の多岐にわたることを確認した。その内、「社会活動基本方針」の見直しは長年の課題として引き継がれているが、これは教団全体の事柄であるゆえに、本委員会としては見直しの必要性を継続して訴えることとなる。現状では、同方針を踏まえ、総会及び常議員会において示された方針に従い、社会的諸課題を「いのちの問題」として協議、学習する。
社会的課題の一言で表される事柄の範疇は、教育、医療、福祉から始まり、広い分野にまで及んでいる。本委員会はそれら諸課題を委員一人ひとりが学習、体験し、そこで得た視点を、社会委員会通信などをとおして発信し、教会全体に問いたい。
人事交流としては、宣教委員会に委員長を送るほか、日本キリスト教社会事業同盟及び日本キリスト教保育所同盟に各1名理事を送っている。日本キリスト教社会事業同盟からは1名委員の受け入れを行っている。今後とも各団体との関係を深め、協働する。
クリスマス献金をもとに実施している社会福祉施設援助については、各教区より推薦された5施設に各12万円を送付することを決めた。この後援体制がより多くの教区により活用されることを期待する。
全国社会委員長会議は、2014年6月16日〜18日に開催する。1総会期中1回行う同会議については、総会期前半の開催要望を受けているが、検討を経て右の時期となることを付記する。
(村上恵理也報)
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