子供がもし電車の運転士になりたい、と言うとする。そのとき子供は、「運転士」という一般名詞を思い浮かべているのではなく、その名前が表現している働きを思い浮かべることであろう。▼電車の運転席に座っている自分、ハンドルを握っている自分を思い浮かべて、運転席から流れてゆく景色と、前方に限りが無いかのように続くレールが見られるのを生き生きと思い浮かべるに違いない。名前と働きはつながっている。▼そして、子供は大人になるにつれて、運転士の名で呼ばれるため、働きのために多くの法的な手続を必要とすることを学んでゆく。自分の夢やあこがれを実現し働きを始めるためにたくさんのことを学び、いくつもの関門を越えクリアしていかなくてはならないことを知ってゆく。▼運転士という職業が法によって守られ、また法を遵守することで自分だけでなく、何百、何千という乗客の安全を守ることを覚えてゆく。運転士という名前は単なる肩書きに終始しない。法によって守られ、はじめて働きを全うできるのであり、肩書きだけでは務めは成立しない。▼もし伝道者が肩書きだけに執着しているならば、それでは教会はたちまちに立ち行かなくなるであろう。上席を好む者は末席を与えられるのである。慢心していないか顧みなくてはならない。
顔と顔を合わせ出会うことを経験
8月19〜30日に「ユースミッション2013」の日独の教会青年交流が、神様の祝福と守りのうちに実施されました。このために多くの方々の献げ物と祈りが集められましたことに、スタッフはじめ参加ユースは大きな励ましを受けました。この紙面をお借りして心から感謝いたします。
10年以上、全国教会婦人会連合の下で続けてこられたこの交流を、伝道推進室が引き継ぐ形で、「日独教会青年交流」の計画は進められました。その計画の中では初めての者には様々な不安もありましたが、そのような不信仰な者の思いをはるかに越えて、神様はほんとうに素晴らしい時と出会いをお与え下さいました。
「ベルリン・ブランデンブルク領邦福音主義教会ヴィットシュトック・ルピン教区」のお招きを受けて、15〜22歳のユース13名と、5名のスタッフ、2名のサポートスタッフ、そして伝道推進室室長の石橋秀雄教団総会議長が参加して下さり、総勢21名のメンバーでドイツに向かいました。ベルリンより北西に100キロほど離れたヴィットシュトックや近郊の町や村でホームステイをしながら10日間の交流プログラムを経験してまいりました。
ドイツの教会が設定してくださった今回のテーマは「環境問題」でありました。テーマに基づき、バイオ農場、東経8度上にある各国の気候を体験する教育施設、風力発電所など、様々な施設を回りながら、五感によって環境問題を考える時も与えられました。またそれと同時に、2泊3日で行われた、青年キャンプにおいても、環境問題を中心とした聖書の学びがなされ、主の日の礼拝の準備をしました。
神様のお造りになった豊かなドイツの自然の只中で、聖書に聞き、キリストの福音の喜びのうちを生かされているものとして、参加者それぞれがこの問題を共有し分かち合いながら、厳しい現実と、それを憐れみまた慰めを与えてくださる神様の恵み深さを知る時も与えられました。
このテーマの背後にあることは、この交流プログラムを準備してくださったドイツの教会の方々が、東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故に深く想いを寄せていてくださることでした。それと併せて今年の夏、日本が経験した異常な天候についての関心も持っておられることも知らされました。福島第一原子力発電所の事故から学び、原子力に電力を頼る生活を止めることを決断したドイツの教会が、放射能汚染によって痛みを負っている教会を覚えて祈っていてくださることを強く感じました。参加したユースたちには、それぞれに気づきが与えられたことであろうと思います。本当にドイツの教会がテーマに沿った、良いプログラムを準備してくださいました。
また、この交流の機会は神様と出会い、人と出会う時となりました。ヴィットシュトックの市長からお招きを受けて、市庁舎を訪ねましたが、その中で市長がこのようなことを話されました。「今は、コンピューターにより、世界の誰とでも繋がることができるようになりました。しかし、今回ヴィットシュトックという小さな町を訪ねてくださった皆さんは、コンピューターでは経験できない一つの経験をなさっています。それは顔と顔を合わせ、出会うという経験です」。
その地の空気を一緒に吸い、経験を共有し、一緒に笑い、手を取り合って祈りを共にする。これは何事にも代えがたい経験であります。
あるユースが言いました。「言葉が通じてもコミュニケーションが取れるわけではない。それとは反対に、言葉が通じなくてもコミュニケーションが取れることを知った」このような感想を持つユースがいるほどに、それぞれが良い出会いを与えられました。それを支えてくださったのは、文字通り献身的にホストファミリーとしてユースをはじめユースを引率したスタッフを家庭の中に受け入れてくださったドイツの教会員の方々です。
石橋室長が現地での聖日礼拝において今回の主題聖句であったイザヤ書65章の御言葉から「狼と小羊は草をはみ…」と記されている出来事が、ドイツと日本の国籍の違う青年が同じ御言葉をいただくことによってここで実現していると、説教で語られましたが、そういう奇跡を私たちは経験し、つぶさに見ることが許されたのです。
また日本から渡独したユースたちは、今回はじめて出会った者ばかりです。ある意味で偶然に集められたものであり、そのために最初は緊張して固かったユースたちでありましたが、旅を続ける中で信仰も親交も深められて、ほんとうに素晴らしいチームとして旅を終えることができました。
誰が最初に言い出したかわかりませんが、別れが迫ってきた後半のプログラムの中で合言葉のように「来年『教会中高生・青年大会』でまた会おう」と参加ユースたちが語り合っていたその姿に、神様の祝福の豊かさを知らされました。また伝道献身者への志が芽生えた青年が与えられたことに、神様のご計画の偉大さを思わされました。
近い段階で報告書が出ることになると思いますから詳しくはそちらに委ねたいと思いますが、ただ、最後にひとつのことをご報告したいと思います。10日間親しんだ町やホストたちと別れる時、ユースの目には光るものがありました。そのことが全てを物語っているように思います。
(山元克之報/東北教区センター)
1:17 愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。
1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」
1:19 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。
1:20 しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。
1:21 神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。
1:22 疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。
1:23 ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい。
1:24 あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、
1:25 わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
1:1 イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダから、父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たちへ。
1:2 憐れみと平和と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
1:3 愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです。
1:4 なぜなら、ある者たち、つまり、次のような裁きを受けると昔から書かれている不信心な者たちが、ひそかに紛れ込んで来て、わたしたちの神の恵みをみだらな楽しみに変え、また、唯一の支配者であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからです。
1:5 あなたがたは万事心得ていますが、思い出してほしい。主は民を一度エジプトの地から救い出し、その後、信じなかった者たちを滅ぼされたのです。
1:6 一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。
1:7 ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。
1:8 しかし、同じようにこの夢想家たちも、身を汚し、権威を認めようとはせず、栄光ある者たちをあざけるのです。
1:9 大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、「主がお前を懲らしめてくださるように」と言いました。
1:10 この夢想家たちは、知らないことをののしり、分別のない動物のように、本能的に知っている事柄によって自滅します。
1:11 不幸な者たちです。彼らは「カインの道」をたどり、金もうけのために「バラムの迷い」に陥り、「コラの反逆」によって滅んでしまうのです。
1:12 こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、
1:13 わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星です。
1:14 アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。
1:15 それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」
1:16 こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のために人にこびへつらいます。
13:1 わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。
13:2 以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません。
13:3 なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。
13:4 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。
13:5 信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。
13:6 わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。
13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。
13:8 わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。
13:9 わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。
13:10 遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
13:12 聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
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