5月7日から15日にかけて加藤誠世界宣教担当幹事と共に、ドイツとスイスの関係教会を訪問した。その際に、今までにない異色の教会訪問があったことを報告したい。
我々は8日の朝ヘルンフート兄弟団を訪れた。ヘルンフートは、ドレスデン空港から車で1時間半かかる旧東独の町で、チェコとポーランドとの国境に近い所だ。ケルン・ボン日本語キリスト教会の斉藤篤宣教師が車を運転してくださった。
なぜ、ヘルンフートに行くことになったかというと、偏に、同兄弟団が我が教団の東日本大震災救援募金に、大泉べテル教会とその関連施設であるベテスダ奉仕女母の家を通して600万円の献金をしてくださったことによる。
母の家は、ヘルンフート兄弟団(モラヴィア兄弟団ともいう敬虔主義教会)が発行する「日々の聖句(ローズンゲン)」の日本語版を50年以上にわたって出版してきたからである(その端緒をつくったのは故深津文雄牧師であった)。
我々は兄弟団の方々に感謝を述べ、震災救援報告の書やDVDを進呈した。また、来年3月に行う国際会議の案内をもした。
この日は、2016年のローズンゲンの聖句を決定する日で、くじ引きで聖句を決める作業の一端を見せていただいた。とても、興味深いものだった。さらに、教会や町を案内され、この兄弟団の創始者であるツィンツェンドルフ伯爵の墓を見せていただき、教会史の一端に触れて、感銘を深めた。
(教団総会副議長 伊藤瑞男)
在留邦人教会で働く日本人教師は、世界各地でかなりの数に上るが、現地育ちではなく、日本から渡った教職で、現地の教会に仕える人となると、きわめて限られて来る。
小海光さんは、東京神学大学を卒業、准允を受けて1986年渡米し、ボストン大学大学院神学部で学んだ。合同メソジスト教会(UMC)の牧師となって、ボストン近郊、ニューハンプシャー、ニューヨークなどの5教会で牧会した。
神学部時代の韓国人の同窓生と結婚して2人の娘をもうけ、「家族とは英語で話していたから」話すことは苦にしなかったが、当初、「説教は1週間がかりで苦労した」。月曜日から準備にかかり、土曜には鏡の前で発声練習を繰り返した。「最初の3年間は午前2時前に寝たことはなかった」そうだ。
小海さんは、牧師の娘として生まれ、兄は小海基牧師(荻窪)。教会のことは肌で感じて育ったが、アメリカ人教会での牧会14年でわかったことは、「どの国の人も皆同じ。牧師に聞いて貰いたいのは、家族のこと、病気のこと。それに、私のため、家族のために祈って欲しいということ」だった。「一番大変だったのは祈ること。日本では経験出来ない貴重なことを体験させて貰った」という。
昨年8月、UMCから派遣されて、日本に戻り、ウェスレー・ファウンデーション執行理事に就任した。
ウェスレー・ファウンデーションの活動は、国際相互理解促進、貧困・差別救済、難民・外国人移住者支援など。今年度も、広島での平和セミナー、福島の青少年のアメリカ・キャンプ、韓国での平和セミナーなど多岐にわたっている。
夫君もUMC世界宣教部で米国・韓国を担当し、次女と2人で東京住まいの光さんは、エキュメニカルの公益財団ウェスレー・ファウンデーションで、日本・アジア・北米を担当。夫妻で世界宣教に取り組んでいる。
東京神学大学、ボストン大学神学部大学院卒。ウェスレー・ファウンデーション執行理事。
第38総会期第1回宣教師支援委員会が6月14日、教団小会議室で行われた。
委員長・荒川朋子、書記・辻順子、委員・上田容功、シュー土戸ポール、ボルスター相良スーザンによって組織された。
最初に加藤誠幹事よりこの委員会が海外からの受け入れ宣教師の支援を目的とすること、血の通った支援活動を目指して行きたいとの説明があり、全員でその趣旨を確認した。
この委員会の担う役割として新任宣教師オリエンテーションがあるが、現在は加藤幹事が個別に訪問、また宣教師訪問も同幹事が行っていることが報告された。6月14日時点でのオリエンテーションや訪問の状況、宣教師の近況、宣教師や招聘した現場が担う課題が共有された。また、その中で教団の教会に宣教師が招聘され、就任式が行われる場合に、委員が出席する、祝電を送るなど、覚えていることを伝える試みを行うことが新たに決められた。また、宣教師が病床にあるときのお見舞いなどについても話し合われた。
主な議題は7月13日(土)から、浜名湖バイブルキャンプにて行われる宣教師会議についてであった。この会議は2007年に解消されたCoC(宣教協力協議会)から業務を引き継ぎ行われているものである。昨今の宣教師数の減少によって、この会議の重要性が増している。数少ない宣教師同士の出会う機会として、宣教師とその家族も楽しみにしている。
一方で、CoCから受け継いだ資金が乏しくなってきている現実もあり、今後どのように支出を押さえていくかが課題である。また、毎年、会議が聖日を挟む日程のため、教会に仕えている宣教師が出席しにくいとの声もあった。
この委員会では英文の「BULLETIN」と和文の「虹のたより」が発行されているが、今後「虹のたよりクリスマス号」の英訳を宣教師向けに発行することを決定した。
その他の主な議題は以下の通り。前総会期議事録承認、2012年度会計承認。
(辻順子報)
伝道、降りて行く働き 日立教会牧師 島田 進
能登半島・輪島教会で7年間、新潟県中越・見附教会で22年間、そして茨城・日立教会に10年間と伝道者・牧会者に献身して今年39年目を迎えた。
そして奇遇なことには、私が奉仕した教会は皆(前二つの教会は転任後であったが)、大地震と遭遇して被災し、全国の教会・伝道所のお祈りと熱い支援に支えられて復興を遂げた。
現在も仕えている日立教会は、関東教区や茨城地区の最北端に位置する地方教会である。教会からさいたま市の教区事務所へ行くために、常磐線の上り電車を、車の時は常磐道の上り線を、利用する。教団本部がある首都圏、大阪などの大都市圏へ出かける時も上り線を利用する。
私の目は自ずと上向きとなり価値観も上昇志向であった。しかし2年前の、あの3・11東日本大震災に遭遇して、私は、視点や視線が変えられたように思う。
地震の震源地が宮城県沖で大津波の甚大な災害、そして福島第一原発事故の災害で、首都圏ではなく、今までとは正反対の方向、ほとんど意識しなかった東北に、福島県に、私たちの目は向けさせられた。
日立市の北50キロ先には福島県いわき市があり、そこは東北教区、教団の3つの教会がある。
東日本大震災で被災した日立教会は、関東教区埼玉地区からの素早い支援を受けて、ライフラインの寸断、ガソリンや食料、生活用品などが不足する困窮の中にも最小限の必要が満たされて、徐々に落ち着きを取り戻すことができた。
支援を受けた大きな喜びが、また支援したいという使命感となり、3月の定期教会総会は、「いわき市内の教会に協力し支援していく」という緊急動議を牧師が提案し、全員一致で承認し、教会挙げての支援活動が展開された。
いわき市の運送会社が放射能汚染の規制圏内にあって集配不能という事態に、日立教会が支援物資を受け取り、いわき市内の教会へ転送し、合わせて、水や食糧、灯油やガソリン等も届けた。また、日立市内の他教派教会と協働して、被災者に炊き出し支援も行なった。
あの時は、ガソリンが絶対的に不足していて、ようやく入荷したスタンドには徹夜で並び長蛇の車列ができるという状況下で、よくぞガソリンを手に入れて物資を運べたものだと驚くばかりである。ガソリン切れをいつも心配しつつ走り続けていたが、一度もガス欠で立ち往生することはなかった。
今考えると不可能と思うことばかりで、まさにあのとき、主も働いていて、いつも奇跡を起こされたのだと思う。
地震から2年が経過した。私も教会も生き方が変えられたと思う。立派になるという上を目指す生き方ではなく、降りて行く生き方である。福島の教会との交流やいろいろな支援が無理することなく、楽しみとされながら続けられ、日立教会も恵みと喜びで満ち溢れていることを感謝している。
マタイ福音書28章16~20節に、ガリラヤの山上での、主イエスの世界宣教命令のお言葉が記されている。19節の「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」は、山から降りて行くことが加味されていると思う。教会の働き、また伝道とは「降りて行く」働きではないだろうか。「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(ルカ19・5)。恵みの招きである。
山城康雄氏(隠退教師)
13年5月15日逝去、75歳。沖縄県に生まれる。’88年東京聖書学校を卒業、同年恵泉教会に赴任、’91年より01年まで大月新生教会を牧会し、12年隠退した。遺族は妻・山城信子さん。
山本尚忠氏(隠退教師)
13年5月6日逝去、85歳。東京都に生まれる。’53年日本基督教神学専門学校を卒業。同年名古屋北教会に赴任、仙台広瀬河畔教会を経て、05年まで芝教会を牧会し、隠退した。遺族は弟・山本登さん。
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