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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4784・85号】人ひととき 内藤 裕子さん 前進あるのみ

2013年10月26日

 半原生まれの内藤さんは、「神に引っ張られて」いるという。自然豊かな神奈川県半原に半原教会が創立された65年前、この教会の近くで育ちながらも、幼少期にはほとんど行かなかった。妹は日曜学校に友達と通い、お菓子がもらえると喜んでいたが、内藤さんは、何より人前に出ることが大の苦手であった。

 教会に通い出したのは、高校生の時。親元を離れ、親戚の家から高校へと通う中で、友や先生に恵まれ、教会に導かれた。

 教会学校の先生の勧めもあって、経堂北教会(東京)にて受洗。翌年、半原に戻り、半原教会に転会した。当時の半原は養蚕業が次第に衰え、求職や結婚で半原教会を去る人が相次いでいたという。

 しばらくして、厚木に夫婦で書店を開業。店番をすることで、人との会話に臆することもなくなっていったが、育児と仕事の忙しい日々の中で、教会から足が遠のく時期でもあった。これが、半原から去る時だと自分でも思っていたが、神はそうなさらなかった。次第に道は開かれて、今では、この地での伝道を任されていることを思う。半原教会役員に選ばれ、日曜学校の教師でもある。

 逃げ惑っていた自分を預言者ヨナのようでもあったとも振り返る。半原教会創立50年記念文集に寄稿したとき、「振り返って」という題にして提出したところ、牧師から赤を入れられ「前進あるのみ」に書き換えられた。書いた当初、そんな勇ましい気持ちはなかった。今では、「振り向かず、前を向いて歩くように」との思いで直されたのだと受け止める。

 どのような時にも、神は確かに引っ張ってくださっていた。牧師に叱咤激励された「前進あるのみ」は、文集の題名だけにとどまらない。2010年、牧師の夏期休暇の時に礼拝で証をした。証の締めくくりの言葉も「前進あるのみ」。神に引っ張られて前進する内藤さんの顔は明るい。

神奈川県愛川町生まれ。半原教会員。

 9月9日から12日まで大韓イエス教長老会(PCK)総会がソウル市ミョンソン教会で開かれ、教団代表として出席した。海外からの出席者への対応が今総会から大きく変わったことを知らされた。

 すなわち、海外教会のゲストは総会議事には、開会礼拝を除いて参加しない。我々18名は、別のプログラムが用意されて、エキュメニカルな交わりと対話を深める場にずっと置かれた。

 勿論PCKの人たちも加わるのだが、対話の中心は「エキュメニカル・ダイアログ」というプログラムで、主題は「命の神よ、我らを正義と平和に導きたまえ」であった。これは、今年10月30日から11月8日までプサンで行われるWCCの第10回総会の主題と同じである。PCKはWCC総会のホスト教会の一つであるので、このエキュメニカル・ダイアログをそのための準備としていることがうかがえる。

 このダイアログでは、PCKから発題者が語り、分団で意見を交わした。焦点は、世界的環境破壊への提言であり、そこに日本の原発事故が入ってきた。また、東北アジアの地政学的覇権争いが取り上げられた。

 使用言語は英語であり、対話が十分かみ合うところまではいかなかった。しかし、これはPCKとしては初めての試みであり、来年はもっと改善すると言っていた。

 我が教団も来年3月に国際会議を開催しようとしているので、学ぶところが多かった。(教団総会副議長 伊藤瑞男)

3:1 わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。
3:2 わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。
3:3 馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。
3:4 また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。
3:5 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
3:6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。
3:7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。
3:8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。
3:9 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。
3:10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。
3:11 泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。
3:12 わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。

2013年10月25日

2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
2:15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
2:16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
2:18 しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
2:19 あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
2:20 ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
2:21 神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。
2:22 アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
2:25 同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか。
2:26 魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。

2013年10月24日

2:1 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。
2:2 あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。
2:3 その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、
2:4 あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。
2:5 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。
2:6 だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。
2:7 また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。
2:8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。
2:9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。
2:10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。
2:11 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。
2:12 自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。
2:13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。

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