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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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出エジプト記12・1~13

2026年5月4日

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。 イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。 もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。 その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。 それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、 その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。 そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。 肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。 それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。 それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。 その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。 あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。

2026年5月3日
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 
2026年5月2日
主はモーセに言われた。「わたしは、なおもう一つの災いをファラオとエジプトにくだす。その後、王はあなたたちをここから去らせる。いや、そのときには、あなたたちを一人残らずここから追い出す。 あなたは、民に告げ、男も女もそれぞれ隣人から金銀の装飾品を求めさせるがよい。」 主はこの民にエジプト人の好意を得させるようにされた。モーセその人もエジプトの国で、ファラオの家臣や民に大いに尊敬を受けていた。
モーセは言った。「主はこう言われた。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む。 そのとき、エジプトの国中の初子は皆、死ぬ。王座に座しているファラオの初子から、石臼をひく女奴隷の初子まで。また家畜の初子もすべて死ぬ。 大いなる叫びがエジプト全土に起こる。そのような叫びはかつてなかったし、再び起こることもない。』 しかし、イスラエルの人々に対しては、犬ですら、人に向かっても家畜に向かっても、うなり声を立てません。あなたたちはこれによって、主がエジプトとイスラエルを区別しておられることを知るでしょう。 あなたの家臣はすべてわたしのもとに下って来て、『あなたもあなたに従っている民も皆、出て行ってください』とひれ伏し頼むでしょう。その後で、わたしは出て行きます。」そして、モーセは憤然としてファラオのもとから退出した。
主はモーセに言われた。「ファラオは、あなたたちの言うことを聞かない。そのため、わたしはエジプトの国に大きな奇跡を行うようになる。」 モーセとアロンはファラオの前でこれらの奇跡をすべて行ったが、主がファラオの心をかたくなにされたため、ファラオはイスラエルの人々を国から去らせなかった。
2026年5月1日

21さて、ヘロデが自分の誕生日に、自分の高官たち、千人隊長たち、およびガリラヤの指導者たちのために宴を催したときに、絶好の機会が訪れた。22すなわち、彼の娘であるヘロディアが入って来て、踊りを披露したときに、彼女はヘロデと〔宴席に〕一緒に横たわっている者たちとを喜ばせたのだった。そこで、王は少女に「欲しいものがあれば、余に願ってみよ。さすれば余がそなたに与えよう」と言った。23さらに、彼は彼女に「そなたが余に願うものであれば何でも、たとえそれが余の王国の半分であったとしても、余はそなたに与えよう」と[過剰なことを]誓った。24すると、彼女は出て行って、自分の母に「何をお願いしましょうか」と言った。すると、彼女〔=母〕は「洗礼者ヨハネの首を」と言った。25そこで、彼女〔=娘〕はすぐに入って来て、王のもとに急ぎ、「わたしが欲しいのは、洗礼者ヨハネの首をお盆の上に乗せて、直ちにわたしにお与えくださることです」と願って言った。26すると、王は深い悲しみを覚えたが、先の誓いと〔宴席に〕一緒に横たわっている者たちの手前、彼女〔の願い〕を拒絶したくなかった。27そこで、すぐに王は衛兵を遣わし、彼〔=ヨハネ〕の首を持って来るよう命じた。すると、彼〔=衛兵〕は立ち去り、獄中で彼〔=ヨハネ〕の首を斬り落とし、28彼の首を盆の上に載せて持って来て、それを少女に与えた。そして、少女はそれを自分の母に与えた。29さて、彼〔=ヨハネ〕の弟子たちは〔このことを〕聞き、行って、彼の斃体を受け取り、それを墓に横たえた。

(マルコによる福音書6章21−29節[私訳])

 

 マルコ福音書6章21−29節は洗礼者ヨハネの斬首を伝える物語です。洗礼者ヨハネの死の物語の全体は6章14−29節が記していますので、上に引用したのはヨハネの斬首を伝える残忍な後半部分の物語に相当します。このテクストを翻訳しながら感じたのは、マルコがヨハネの斬首という残忍な行為を実に淡々とした筆致で描いているということです。しかし、このような淡々とした物語の叙述が却ってヨハネの斬首の残忍さを浮き彫りにしています。なぜなら、これほどの残忍な事件を淡々と伝えることができたのは、マルコが生きていた古代世界では権力者の非道な振る舞いがあまりに日常茶飯事であり、驚くようなことではなかったことの証左でもあるからです。
 その意味では、マルコ――およびマルコに基づくマタイ――のテクストから創作されたオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』(1891年、1893年)の方が、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)をめぐる愛憎劇やヨカナーンの斬首を回避しようとするヘロデ王(領主ヘロデ・アンティパス)の逡巡する様子が繰り返し描かれており、これらの権力者たちもひとりの弱い人間にすぎないことが感じられ、まだ救いがあるように思えます。
 確かに、マルコが伝える本来の洗礼者ヨハネの斬首の物語にも、ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)の戸惑いが僅かながら描かれてはいますが、王(領主)としての威厳と体面のゆえに、その戸惑いもすぐに霧のように消えてしまいます。ヨハネというひとりの人間の生命は、ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)、ヘロディア(サロメ?)、そしてその母(ヘロディア)という領主たちによって、弄ばれるようにして簡単に奪われてしまうのです。そして、このような権力者たちの非道さがマルコの淡々とした筆致からひしひしと伝わってきます。
 担当者が今月の聖書の言葉としてマルコ福音書6章21−29節を選んだのは、トランプ大統領銃撃未遂事件およびこの事件めぐる高市首相の発言を背景としています。すなわち、アメリカ大統領という最高権力者であるトランプが戦争を引き起こし、多くの生命を奪っていることを等閑に付したまま、そのトランプの生命を脅かす行為のみがテロや暴力として断罪される現実を批判しているということです。そして、担当者の批判は、トランプ銃撃未遂事件を受け、高市首相が「トランプ大統領が、恐ろしい銃撃の後、ご無事だとの報に接し、安心しました。暴力は、世界のいかなる場所でも、決して容認できません」と逸早くX(旧ツイッター)で反応したことにも向けられています。もっとも、高市首相の発言に対しては、ネットでもトランプ大統領が命じた米軍のイラン侵略、ハメネイ師暗殺、イランの小学校爆撃といった殺戮と破壊という戦争行為はテロや暴力ではないのかという批判として、そのダブスタ(ダブルスタンダード)が批判に曝されています。
 このような現代世界の状況下で洗礼者ヨハネの斬首の物語を再読するとき、わたしたちの視座がどこに置かれているのか、そしてわたしたちがどのように生きるのかが問われているように思えます。ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)、ヘロディア(サロメ?)、そしてその母(ヘロディア)がヨハネを斬首し、その首を盆に載せて運ぶという残忍な行為をすることができたのは、これらの権力者にとっては市民の生命など取るに足らないものでしかないからです。それは現代世界でも同様であり、為政者・権力者にとっては、市民の生(生命・人生・生活)などどうでもいいのです。
 その意味では、マルコが伝える洗礼者ヨハネの斬首という残忍な物語は、北野武監督の三部作の映画『アウトレイジ』(2010年、2012年、2017年)に通じるものがあるように思えます。「アウトレイジ(outrage)とは「非道、蹂躙、暴虐」などを意味しますが、この一連の映画のキャッチコピーは「全員悪人」です。ヨハネの斬首に登場するヘロデ(ヘロデ・アンティパス)、ヘロディア(サロメ?)、その母(ヘロディア)の三人も「全員悪人」であり、その振る舞いはまさに「アウトレイジ」だからです。そして、それは現代世界の為政者・権力者の多くにも当てはまると言えるのです。
 もっとも、現代の民主主義社会において、多くの場合は為政者・権力者を選んだのはわたしたちであり、しかも戦争の多くがキリスト教の国々によって引き起こされてきた事実も忘れることはできません。したがって、わたしたちは自らを為政者・権力者の対極にいる「善人・聖人・義人」だなどと思い上がることはできないのです。自らの胸に手を当ててみれば、わたしたちもまた本当にひとりの死を悼み、ひとつの生命を大切にできているなどとは軽々しく言えないからです。わたしたちもまた「全員悪人」――キリスト教的に言えば「わたしたちはみな罪人」――であり、わたしたちの振る舞いも常に「アウトレイジ」とは無縁ではないからです。しかし、それゆえにこそ、わたしたちは誰かに犠牲を強いる為政者・権力者に否を突きつけ、もがきながらアウトレイジな世界に抗して、ひとりの人の死を悼み、ひとつの生命を大切する第一歩を踏み出したいのです。

(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン/宗利淳一)

主はモーセに言われた。「手をエジプトの地に差し伸べ、いなごを呼び寄せなさい。いなごはエジプトの国を襲い、地のあらゆる草、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすであろう。」 モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。 いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。 いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。 ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで頼んだ。「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した。 どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。」 モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、 主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にいなごは一匹も残らなかった。 しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオはイスラエルの人々を去らせなかった。
主はモーセに言われた。「手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じるほどにしなさい。」 モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。 人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。 ファラオがモーセを呼び寄せて、「行って、主に仕えるがよい。ただし、羊と牛は残しておけ。妻子は連れて行ってもよい」と言うと、 モーセは答えた。「いいえ。あなた御自身からも、いけにえと焼き尽くす献げ物をいただいて、我々の神、主にささげたいと思っています。 我々の家畜も連れて行き、ひづめ一つ残さないでしょう。我々の神、主に仕えるためにその中から選ばねばなりません。そこに着くまでは、我々自身どれをもって主に仕えるべきか、分からないのですから。」 しかし、主がまたファラオの心をかたくなにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった。 ファラオが、「引き下がれ。二度とわたしの前に姿を見せないよう気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない」と言うと、 モーセは答えた。「よくぞ仰せになりました。二度とお会いしようとは思いません。」
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