【4769号】イースターメッセージ 心が燃える

ルカによる福音書24章13〜35節

黒田道郎

主の復活の不思議

ルカ福音書24章13節以下の記事は、主イエスの復活の特徴をはっきり示しています。二人の弟子がエルサレムからエマオへ向かう途中、イエスご自身が近づき、二人の会話に加わりました、しかし二人の目は遮られて、イエスだと分かりませんでした(16節)。
主イエスの弟子でありながら、目の前におられる主に気づかなかったとは考えられません。しかも主イエスとの会話が弾む道中を共にしながらのことです。道々彼らはエルサレムで起こった、十字架と復活を話題にしています。聖書全体の説き明かしを聞いています。
それでも彼らの目は遮られていたのでした。二人の弟子にとって復活の主イエスが見えなかった理由は、主の十字架の死という出来事が、すべての望みを失ったからでした。

目を遮るもの

私たちも、予期せぬ出来事や絶望感に陥ることを経験します。2年前の3月11日の金曜日の出来事は、私の人生で最も大きなものでした。主日礼拝の説教準備がまったく進まず、ただ呆然とするのみでした。四国の地で地面は揺れなくても、体の震えが止まらなかったことを鮮明に覚えています。2年たった今でも復興が遅々として進まない現実が、私たちの前にあります。二人の弟子たちと同じように、この世の厳しい現実は私たちの目を遮ります。
それでも3日後、待ったなしで主日がきました。ヨハネ福音書の講解説教中で7章21節以下が聖書箇所でした。主がこの世を去ることを告げる内容でしたが、「わたしはある」と主ご自身が2度言われていました。主なる神が出エジプト記で、モーセにその名を明かされた「わたしはあるという者だ」(3章14節)と結びつきます。神の御心を必死で尋ね求める説教者に、お答えくださったと受けとめました。神は存在する。存在し続ける。復活の主イエスも私たちと共におられることを、あなたは信じるかと問われ、信じますと懸命に講壇から語りました。

目が開かれる

さて、二人の弟子たちの目が開かれたのは、食事の席でパンを裂いて渡す行為の時でした。その時、その姿は見えなくなったとあります(31節)。何とも言えない不思議なことですが、これが復活の主イエスの大きな特徴です。目が遮られて見えない。目が開かれても見えなかったわけです。
しかし、二人は心が燃えたと互いに語り合い、エルサレムへ直ちに引き返しました。復活の主イエスとお会いした興奮と喜びを、仲間に伝えるためでした。あるいは、復活の主イエスが、自分たちのところに来てくださったことを、報告したかったのかもしれません。

厳しい現実に対して

2年前の大きな出来事を経験し、私たちはそれぞれ努力しました。にもかかわらず、これからの希望がはっきり見えてこない現実があります。この世の様々な問題が次々と起こります。この世に立つ教会も勢いが年々無くなる傾向は続きます。
そのような私たちにイースターの日がやってきました。ハッピー・イースターとは手放しで喜べない私たちですが、ルカ福音書は良い知らせを告げます。ご一緒に3つのメッセージを聴きましょう。
先ず、私たちの目はすぐ遮られてしまいます。厳しい現実の前に、復活の主イエスが分からなくなります。いつも主イエスと共に生きていると思っていても、主を見失うのです。
ところが、主イエスを見失う私たちのところへ、主の方から近づいてくださるのであります。そして共に歩んでくださいます。さらに言えば、復活の主イエスだと分かるまで、同行してくださるのではないでしょうか。
もっとも25節では「ああ、物分りが悪く、心が鈍く…」と主イエスが言われています。しかしそう言われつつ、ずっと付き合ってくださるのであります。

主イエスの仕草

次に、二人がイエスだと気づいたのは、パン裂きの行為だったということです。会話や教えではなく、主イエスのいつもの仕草であったのです。興味ある事実です。私の仕える教会では、毎月1回の聖餐式を大事にします。礼拝において説教も賛美も祈りも欠かせない要素でありますが、聖餐に与かることによって、信仰の土台を確かにしています。復活の主イエスがパンを裂かれたことを想起し、復活の主と共に歩んでいることを確信できるのは幸いです。

心が燃やされて伝道に

最後に、二人の心が燃え、仲間たちに伝えた行動をしっかり覚えたいと思います。ここに伝道の原点があります。
良い知らせを聞き、福音に触れ、沸きあがるような喜びと感謝が動機となって伝道するのです。時を移さず(33節)、難しさがあっても、邪魔されても、たとえ迫害されてもするのが伝道です。私たちを、伝えたくてたまらない思いにさせてくださるのが、復活の主イエス・キリストです。
私が議長を務める四国教区は地方教会が多い教区です。伝道の厳しさを痛感しながら歩んでいます。しかし一方で開拓伝道を真剣に考え、伝道魂に燃える教会もあります。
伝道は神さまのなさる業で、私たちが必要とするのでなく、神が必要とされる教会を立てたいと願ってのことです。自分が救われた喜びを伝えたい、この素直な思いが、神さまのなさる伝道に役立つことを信じます。
イースターおめでとうございます。
(四国教区総会議長、石井教会牧師)

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